俺は全てを撃ち殺す

落光ふたつ

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#6

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「へー、十石中なんだー」
「まあ二年生からだけどね」
「結構知り合い多いんじゃない? あたしの中学ちょっと離れたとこでさー」

 高校に入学した初日。隣席になった女子生徒にトイレまで付きまとわれている道中。
 湊は目の前で歩く人物の顔を捉えて、密かに歓喜を渦巻かせた。
 中肉中背で長めの頭髪。少し猫背気味の男子生徒。

 多々良優。

 見間違いようのない、焦がれている少年だ。
 彼を見た途端、すぐにでも話しかけたい衝動に駆られたが、出会いは自然にとのアドバイスを思い出して必死に耐える。
 けれど無意識で、何度も彼の顔を見て口元を緩めてしまう。その様子を多々良優は誘惑されていると勘違いした。
 故に彼は、すれ違う直前に放ったのだった。

「……ショット」

 不可視の弾丸。
 彼からの接触ともとれる言葉に湊は舞い上がって、真似するように跳ね返した。

「ばーりあ。効かないよ?」

 すると背後で息を飲む音。これで彼は意識してくれただろうか。
 けれど多々良優は声をかけてくれなかった。

「来栖さん、何か言った?」
「ううん? なんにも言ってないよ」

 彼との距離が開く。
 湊は肩を落としながらも、焦らされている感覚で体中がソワソワしていた。
 それはまるで、木の枝に乗る宝箱を見上げる子供のようで。
 幹を揺らせばグラグラと動く。宝箱はあと少しで落ちてきそうで。
 まだかなぁ。
 これまでの人生で、最大に膨らむ感情。
 伸ばせない手を胸に当てて、それを感じ取る。
 宝箱と一緒に、幼い彼女の体も右へ左へ揺れていた。



「湊ー」

 放課後。
 自席に座る湊のもとに、手をひらひら振りながら樋泉がやって来た。以前に比べてその髪色は落ち着いたものでピアスもしていない。彼曰く「オレ学生モードっ」らしい。
 面白半分で湊を追いかけ、この高校に入学した樋泉は、後々の楽しみがあると言って、わざわざ多々良優の友人を買って出た。
 そしてそれは、湊にとっても有益となっていた。
 樋泉は机に尻を乗せて、慣れた手つきで艶やかな黒髪に手を伸ばす。
 そうする時はいつも、彼の情報をくれる合図だった。

「多々良の奴さ、湊の事ずーっと見てるぜ。なんか、魔女の調査? とか言って」

 黒髪を梳いた後は頬へ。まるで恋人にするように無遠慮に。
 対する湊は無関心に窓の外を眺めている。
 その視線の先は当然のごとく多々良優。彼は真っ先に帰宅しているようだった。

「魔女かぁ。優くんの目には、私の事そんな風に映ってるんだ」
「いやー確かに湊って、誘惑してくる魔女みたいに良い体してんよなぁ。さっさとこっちに回して欲しいもんだぜー」

 樋泉は湊の視線を追って多々良優を眺めた。けれどすぐに興味を消して、目の前の整った容姿の鑑賞に戻る。
 その間もずっと、湊は多々良優の事ばかりを考えた。

 それから、すぐに彼の隣に立つようになる。
 多々良優が見ているもの。それに自分から近づいていけば、意外とあっさりと待ち望んでいた宝箱は落ちて来た。
 でもまだだった。宝箱を開ける鍵がなかったのだ。

 じっと見て。すぐ聞いて。真似をして。

 そうして彼を知っていくけれど、蓋は開いてくれない。
 次第に、湊自身でも何か行動を起こそうと考えるようになる。
 そのためには対価を用意しないと。恋の制約を終えないといけない。
 その焦りを聞き届けたかのように、部屋で二人きりになれたのは幸運としか言いようがなかった。
 少なくとも、湊にとっては。



 多々良家からの帰り道。
 選択肢が増えた湊が今後の事を思索していると、手を繋ぐ彼は唐突に打ち明けた。

「俺の力ってさ、人に貰ったものなんだ。いやまあ直接貰ったわけじゃないけど。その人の姿を見て、覚醒したというか。そんな感じ」

 それは湊にとっての最後のピースとなった。

「それって誰?」
「誰かは、知らない。中学の時に、目が合っただけの子なんだ。中学校の校門で、ずっと俺の方を見ている気がして、それで、俺は力に目覚めた」

 多々良優が話す人物像。それに湊は覚えがあった。
 まるで、自分の事を言われているようだ。
 当時、他に校門で彼を眺めている姿は見当たらなかったから、もしかしたら本当に自分の事を言っているのかもしれない。
 湊は気づきながらも告げず、多々良優は気づかないからこそ告げた。

「今なら、湊から力を貰えそうだ」

 その言葉は、彼の運命を決定づける事となった。
 それは、どうしようもない悲運。
 そしてそれをもたらす魔女は、考える。

 自分が力を与えた。そして今は与える事が出来る。
 ならば当時を再現すればいいのではないか。

 思いつけばその日の内に動いた。
 未だ捨てていなかった中学校の制服とウィッグをつけて多々良優の前へと現れる。更に確実性を増すためヤツメを頼った。すると顔の広いあの巨漢は、樋泉が得ていた多々良優の番号に、適当な女性から電話をかけさせたようだった。
 それは明確に、多々良優の心を揺り動かした。
 力の持ち主という自覚を引きずり戻した。
 これでようやく。
 湊はそう報われた気になったが、ヤツメは更なる策を提案する。

「彼はきっと、思い込みで力を使えるようになるんだろうねェ。だから、一度彼が本当に力を使えたと思い込ませれば、より絶対的になるんじゃないかなァ?」
「それは、どうすればいいんですか?」
「ほらァ、彼の力って人を撃ち殺す力なんでしょォ? だから、彼の呟きに合わせてお嬢ちゃんが後ろから銃を撃てばいいんだよォ」
「それじゃあ銃をくださいっ!」

 決断は早かった。
 さすがに所持だけで捕まるような凶器の要求は、ちょっとした事では収まらない。故に対価を求められたが、その準備は既に出来ていた。
 交渉は即座に成立。それを一番喜んだのは、二年近く情欲を溜め続けた少年だ。

「いやほんと待ったぜー」

 両腕を広げてその知り合いは湊を招いた。
 それから丸一日。彼の欲に付き合う。
 顔色を変えない湊に樋泉は少し不満げだったが、どこかへ電話をかければその機嫌も戻って勢いは増した。
 そうして快楽と汚濁を淡々と受け止めて、湊は大きな願い事を叶えてもらう。
 ヤツメが用意してくれたのは、女性の手にも握りやすい比較的コンパクトな代物だ。
 いつものカフェで、それは堂々とテーブルに置かれる。

「ほい、約束の物。これは予備のマガジンねェ。今入っているのが八発で、予備のは七発だからァ。もっと欲しかったらまた言ってねェ」
「分かりました。引き金を引けばすぐに撃てるんですよね?」
「ウン、これ安全装置ないモデルだしねェ。けどここでは撃たないでよォ。出来れば人気のないところで」

 言われた通り、湊は人気のない場所を訪れる。
 高架下用水路。水の通り道を挟んだ向こう側の、線路を支えるコンクリートに照準を合わせた。
 一度目は試しに。二度目は調整して。三度目は確認。
 湊は要領が良かった。たったそれだけでもう、訓練を必要としなかった。
 周辺住民がSNS上で発砲音について噂している事などつゆ知らず、湊はその場を後にする。
 そして躊躇いも迷いもなく、実践へと移行した。

「きみの力、使ってみよっ」

 中学時代から何度も訪れた多々良優の玄関先。彼の登校を待ち構えて手を引っ張る。
 気持ちが急く彼女の足取りはいつもより早い。そうでなくとも連行される少年は、浮足立つ湊の事を訝しんでいた。

 もうすぐだ。もうすぐで、長年の夢が実現する。

 彼女の思考は、幼い時から何一つブレず、変わることなくここまでやって来た。
 それは早熟なのか晩成なのか。
 どちらにせよ、今の彼女を止める事はもう出来ない。

 教室の中。雑多な生徒達。
 大勢の目がある中にも関わらず、湊は後ろ手に拳銃を握っている。
 その隣には多々良優。力の行使を促しているが、中々標的を選んでくれない。
 しばらくしてやって来た教師を見て、湊が指さす。以前も撃ち殺していたのだからと説得すれば、ようやくに決断してくれた。
 そうして、彼を少しだけ前に進ませて湊は背後に立った。

「それじゃあ、集中して。しっかり見るの。そう、深呼吸して。鼓動を整える。周りの音が聞こえてると気が散っちゃうかも。うん、耳塞ご。それで、準備が出来たらいつものように撃って?」

 鼓膜が傷つかないように塞がせて、湊はそれを彼の肩越しに構える。
 その動作はまるでよどみなく。
 彼の呟きから遅れることなく。
 湊は引き金を引く。

「ショット」

 放たれる弾丸。不可視を装った実弾。
 まさに彼が、本当に力を行使したかのように。
 演出されている彼は、見事に思い込んだ。

 でもまだ使えてはいない。

 ちゃんと、その不可視を見せてくれないと。
 逃げた彼を追いかけて、湊は無理やり立ち上がらせた。

「きみにね、私を守って欲しいの。その力で」

 見えないものを見るため。
 長年の願いを成就させるため。
 湊が見つめる少年は、もうただの道具としか映っていなかった。そこに恋心などあるはずもない。

 二度目の発砲は彼が力を得たのか試すために少し待ったけれど見る事は叶わず、遅れて撃った。それからは何度も撃って。一度だけ、また彼の力を確認しようとして、言葉の数から一つ少ない発砲になった。でも放たれた銃弾は湊が引き金を引いた数。
 殺した数は、その半分もない。

 教師。不穏な空気に声をかけてきた通行人。犯罪者を探していた一人。二人。三人。白黒の車の運転手。

 それ以降は硬い装備に弾かれた。それが良くなかったのだろうか。
 全てを撃ち殺せなかったから。
 彼の力に沿わなかったから。
 けれどもう、やり直しはきかなかった。
 残る弾の数は一つ。
 気づけば多くの警察に囲まれていて、逃げ道は皆無。
 このままでは間違いなく捕まってしまう。
 かなりの数を殺しているし、当分、自由は奪われるだろう。
 そう現状を把握する湊の頭の中を埋めるのは未練だった。

 彼の力をまだ見ることが出来ていない。

 次第にそれは、不満へと変じていく。
 何で、ここまでやったのに力を手に入れてくれないのだろう。
 力をちゃんと与えられていなかったから?
 演出が足りなかったから?

 それとも……

 そしてようやく、彼女はそれに思い至った。

 もしかして、本当は力なんて持っていないのだろうか。

 欺瞞。偽装。虚言。妄想。
 その疑念をここに来てようやく。

「これじゃ、ダメだったのかな」

 呟き、湊はずっと握っていた手を離した。

 それと同時、彼も疑念を抱いていた。
 周囲の様子に。背後の異様さに。
 自分に、力があるのかとも。

 ゆっくりと振り返る顔。
 その緩慢な動きを見つめながら、湊はこの演出はもう終わりなのだと悟った。
 そして、しばらくぶりに合う両目。
 そこにはどうしたって、自分の顔しか映っていない。
 湊が求め続けた見えないものを、彼は見てなんかいなかった。

 だから、失望した。

「ダメだよ、前を見なきゃ。じゃないと力が使えないでしょ?」

 そうして。
 不要な物はどうしようか、と銃口を突きつけた。
 細く華奢な指が、命を刈り取ろうとする。
 その直前だった。

「うわぁあああああああああああ———————ッ‼」

 突然の叫び。
 意味を持たないそれに、湊は無意識ながら僅かに期待してしまった。
 見えないものを見た母と重なったから。
 まだ、彼は見せてくれるのではと。
 しかしそれは、単なる生存本能による抗いだった。
 動きを止めた隙に多々良優は銃身を掴み、そのまま強引に銃口を天へと向ける。己の命を守る。

「わっ」

 湊は予想外の行動に気の抜けた声を上げる。現状を窮地とも思っていない彼女はあっさりとそれを取り上げられた。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

 疲れではない異常な動悸。狭まる視界。
 多々良優は、黒い鉄の塊の、質量以上の重みに背を曲げ肩を落としている。

『か、確保ぉおおおおおッ!』

 周囲で上がる号令。押し寄せる足音。
 けれど二人の間にそんな音は介在しなかった。

「ねえ、いつになったら力を見せてくれるの?」

 湊は語り掛ける。

 それはまるで。
 休日なのに、遊園地へ連れて行ってくれなかった時のように。
 誕生日なのに、すぐ家に帰ってきてくれなかった時のように。
 約束したのに守ってくれなかった時のように。

 子供が親にそうするように。

 非難するように、そう言った。

 けれど、多々良優の視界に映るそれはもう恋人でも、子供でもなかった。

 狂った悪しき化け物だ。

「ふーっ! ふーっ!」

 荒ぶる呼吸。ガタガタと震える手。
 ゆっくりと持ち上げられたそれは、彼女へと向けられる。
 何を思ってそうするのか。
 そもそも心がまるで分からない湊には、彼の気持ちなど計り様がない。

 きっとそれは正義感だった。
 彼女をこのままにしてはいけない。
 自分がどうにかしないといけない。
 それに準ずるために。

 ただしその使命を抱く彼も、もう歪められてしまっている。
 目の前しか、見えなくなっている。
 故に、あっさりと引いた。

 ——パァンッ‼

 その銃声は、最後の一発。
 湊は腹部に不思議な熱を感じながら、傾いていく視界の中に、最後まで彼の顔を収め続ける。

「優、くん……」

 名前を呼ぶ。それからなんと言おうとしたのかはすぐに零れ落ちてしまう。
 どさり、と体を打つ震動。
 どくどくと意識と共に何かが流れ出ていく。
 その中でも湊は、最後まで彼を見続ける。
 彼もじっとこちらを見下ろしている。その背後にはもう、すぐ側までたくさんの人影が殺到していた。

 ああ、これで終わりなんだ。

 湊がそう悟った時、視界の中の彼は涙を流していた。

「……ごめん、湊」

 謝罪を告げた彼は、そしてもう一度引いた。
 自分のこめかみに向けて。

 空だったはずの弾が、放たれる。

「なぁんだ。やっぱり本物だったんだ……」

 弾ける赤色。
 満たされる夢。
 焦がれ続けていたその光景は。

 やはり、美しいものだった。
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