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怪我のないよう、最後まで頑張りましょう
(七)
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夕飯を食べた終えた紡生と真司をバスルームに追いやり、次なる夕飯作りに取りかかった。冷凍庫にある鶏モモ肉(半身)を解凍し、一口大に切る。玉ねぎ半分を薄く切り、にんにく一かけもスライスしておく。フライパンを火 にかけ具材を炒め、塩と黒コショウで軽く味付けをする。そこへブロッコリーとチーズフォンデュの残りを加え、とろみ加減を牛乳で調節する。レンジで解凍したご飯を添えて盛り付けると、簡単チキンフリカッセ(*チキンのクリーム煮)の出来上がりだ。
「うぅん、良い匂いだ。思っていた以上に腹が空いていたようです」
さっぱりとした様子で真司がリビングダイニングに入って来た。ドアの向こうからドライヤーの音が聞こえたので、紡生は入浴後の支度に追われているらしい。
「多めにご飯を解凍してしまったけれど、空腹なら全部食べられそうですね。あと、晩酌は?」
「冷蔵庫にビールが入っているので、それを一本お願いします」
「はい、了解です。グラスは使います?」
「いいえ。缶のままで結構です」
テーブルに着いた真司の前に、チキンフリカッセとビールを並べた。
「上手そうだなぁ、これは何て料理ですか?」
「一応チキンフリカッセです。でも、チーズフォンデュの残りを使っているので、レシピ通りではありません」
「ふぅん、チキンフリカッセねぇ。いただきます」
先ずはビールを一口飲んでから、真司はチキンフリカッセを口に入れた。
「美味い! ドリアみたいなものかと思っていたら、ニンニクと黒コショウでパンチが効いていて……うぅん、ビールにもよく合うなぁ」
余程空腹だったらしく、ビールを飲みながら黙々と食べ続けている。
「お父さん。つんちゃん、自分のお部屋で、ご本を読んでいても良い?」
身支度を整え終えた紡生が父親に声をかけた。
「歯は磨いた?」
「うん、バッチリ磨いたよ」
紡生は口を大きく開けて父親に見せた。
「OK、合格だ。たくさん読んできなさい」
「はぁい」
娘には聞かれたくない話があるためか、真司はにこやかに紡生を見送った。
紡生が自室へ入ったのを確認してから、真司はスプーンを置いて話し始めた。
「今日は色々と申し訳ありませんでした。まさか見ず知らずのあなたに娘の世話を押し付けて、妻が逃亡するとは思ってもいなかったので……」
「と、逃亡って、奥様はどうされたんですか?」
まるで倫代が犯罪でも起こしたかのように、真司は人聞きの悪い言葉を使った。だが、よくよく話を聞くと、彼は刑事事件専門の弁護士なのでそういう言葉が出たそうだ。
「逃亡は言い過ぎかもしれませんが、これを残して家を出て行ったのだから似たようなものです」
彼は隣の椅子の上に隠していた離婚届を也耶子に見せた。そこには常盤倫代の署名と印鑑が押してある。
「り、離婚届って、常盤さんご夫妻は……あの、紡生ちゃんはこの状況をご存じなのですか?」
「まさか、あの子は何も知りません。でも、恥ずかしながらうちの場合は、夫婦といっても仮面状態でしたから……もしかしたら、このような状況でも驚かないかもしれません」
倫代は外資系証券会社に勤める敏腕トレーダーで、ヘッドハンティングで転職を繰り返していたらしい。そして、そのたびに出世していったエリートだという。
「で、でも、あなたも弁護士なら、世間一般にはエリートじゃないですか?」
「弁護士といえば聞こえが良いが、僕の場合は底辺の方ですから。年収は妻の方がずっと上で、このマンションが購入できたのは彼女のお陰です」
十年前、高校時代の同級生だった二人は、偶然再会し意気投合した。真司は一方的に愛情を押し付けストーカーまがいの行為を繰り返す、元カノとやっとのことで別れた頃だったそうだ。
仕事一途でクール、しかも気心が知れた倫代と一緒にいると、彼は安心できるところがあったという。二人は互いにパーソナルスペースを決めて、過干渉しない大人の関係を続けていく約束で結婚に至った。
ところが、娘の紡生が生まれると、真司の心境に変化が現れる。もう少し夫婦らしく、家族らしく生活したいと望むようになったのだ。だが、寝室に離婚届けが残されていたということは、倫代にはそのつもりがないという拒絶の表れだと受け取れるだろう。
今回、倫代はシンガポールにある投資会社に、好条件でヘッドハンティングされたそうだ。彼女は自分が結婚し出産も経験した「勝ち組」だからと、今の立場で満足しようとしていたらしい。ところが、もっと大きな仕事をしたい、もっと成功したいという願望を、抑えることができなったと真司は断言した。
「どうしても手に入れたい仕事だったんですよ。マンションも、紡生の親権も、何も要らないから離婚してくれと、倫代は手紙を残していました」
「シンガポールですか……そういえば、うちの事務員が奥様の電話を受けた時、後ろで空港のチャイム音が聞こえたと言っていました」
時間的に十六時四十分羽田空港発、シンガポール航空SQ六三三便に搭乗した可能性が高いと推測された。
「うぅん、良い匂いだ。思っていた以上に腹が空いていたようです」
さっぱりとした様子で真司がリビングダイニングに入って来た。ドアの向こうからドライヤーの音が聞こえたので、紡生は入浴後の支度に追われているらしい。
「多めにご飯を解凍してしまったけれど、空腹なら全部食べられそうですね。あと、晩酌は?」
「冷蔵庫にビールが入っているので、それを一本お願いします」
「はい、了解です。グラスは使います?」
「いいえ。缶のままで結構です」
テーブルに着いた真司の前に、チキンフリカッセとビールを並べた。
「上手そうだなぁ、これは何て料理ですか?」
「一応チキンフリカッセです。でも、チーズフォンデュの残りを使っているので、レシピ通りではありません」
「ふぅん、チキンフリカッセねぇ。いただきます」
先ずはビールを一口飲んでから、真司はチキンフリカッセを口に入れた。
「美味い! ドリアみたいなものかと思っていたら、ニンニクと黒コショウでパンチが効いていて……うぅん、ビールにもよく合うなぁ」
余程空腹だったらしく、ビールを飲みながら黙々と食べ続けている。
「お父さん。つんちゃん、自分のお部屋で、ご本を読んでいても良い?」
身支度を整え終えた紡生が父親に声をかけた。
「歯は磨いた?」
「うん、バッチリ磨いたよ」
紡生は口を大きく開けて父親に見せた。
「OK、合格だ。たくさん読んできなさい」
「はぁい」
娘には聞かれたくない話があるためか、真司はにこやかに紡生を見送った。
紡生が自室へ入ったのを確認してから、真司はスプーンを置いて話し始めた。
「今日は色々と申し訳ありませんでした。まさか見ず知らずのあなたに娘の世話を押し付けて、妻が逃亡するとは思ってもいなかったので……」
「と、逃亡って、奥様はどうされたんですか?」
まるで倫代が犯罪でも起こしたかのように、真司は人聞きの悪い言葉を使った。だが、よくよく話を聞くと、彼は刑事事件専門の弁護士なのでそういう言葉が出たそうだ。
「逃亡は言い過ぎかもしれませんが、これを残して家を出て行ったのだから似たようなものです」
彼は隣の椅子の上に隠していた離婚届を也耶子に見せた。そこには常盤倫代の署名と印鑑が押してある。
「り、離婚届って、常盤さんご夫妻は……あの、紡生ちゃんはこの状況をご存じなのですか?」
「まさか、あの子は何も知りません。でも、恥ずかしながらうちの場合は、夫婦といっても仮面状態でしたから……もしかしたら、このような状況でも驚かないかもしれません」
倫代は外資系証券会社に勤める敏腕トレーダーで、ヘッドハンティングで転職を繰り返していたらしい。そして、そのたびに出世していったエリートだという。
「で、でも、あなたも弁護士なら、世間一般にはエリートじゃないですか?」
「弁護士といえば聞こえが良いが、僕の場合は底辺の方ですから。年収は妻の方がずっと上で、このマンションが購入できたのは彼女のお陰です」
十年前、高校時代の同級生だった二人は、偶然再会し意気投合した。真司は一方的に愛情を押し付けストーカーまがいの行為を繰り返す、元カノとやっとのことで別れた頃だったそうだ。
仕事一途でクール、しかも気心が知れた倫代と一緒にいると、彼は安心できるところがあったという。二人は互いにパーソナルスペースを決めて、過干渉しない大人の関係を続けていく約束で結婚に至った。
ところが、娘の紡生が生まれると、真司の心境に変化が現れる。もう少し夫婦らしく、家族らしく生活したいと望むようになったのだ。だが、寝室に離婚届けが残されていたということは、倫代にはそのつもりがないという拒絶の表れだと受け取れるだろう。
今回、倫代はシンガポールにある投資会社に、好条件でヘッドハンティングされたそうだ。彼女は自分が結婚し出産も経験した「勝ち組」だからと、今の立場で満足しようとしていたらしい。ところが、もっと大きな仕事をしたい、もっと成功したいという願望を、抑えることができなったと真司は断言した。
「どうしても手に入れたい仕事だったんですよ。マンションも、紡生の親権も、何も要らないから離婚してくれと、倫代は手紙を残していました」
「シンガポールですか……そういえば、うちの事務員が奥様の電話を受けた時、後ろで空港のチャイム音が聞こえたと言っていました」
時間的に十六時四十分羽田空港発、シンガポール航空SQ六三三便に搭乗した可能性が高いと推測された。
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