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第一章 突然の来訪者
第8話 白い部屋と皇女様の過去
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「バイタル正常です、目立った外傷も無し、奇跡ですね」
無感情な、冷たい女の声でグーシュは目を覚ました。
どうやら寝台に寝かされているようだが、随分と上質の物だ。
帝城の自室にも劣らない。
いや、肌触りと掛けられている布の軽さに於いては、こちらの方が上かもしれない。
しかしどんな上質な寝台にいても、体が痺れてうまく動かない。
何が起こったのかも思い出せない。
芯まで冷え切った体が、頭から考える力を奪い、ただただ、寒いという感情だけを際立たせる。
「脳波に反応あり、覚醒してますね……グーシュリャリャポスティ様、私の声が聞こえますか? 聞こえたら少しでもいい、右手を動かしてください」
この声の主は誰なのだろう?
グーシュは疑問に思ったが、何も考えられない。
それでも、寒さに震える体に力を込めて、微かに右手を動かす。
ピクリと、ほんの少しだけ右手が震えるように動いた。
すると、ギュッと手が握られた。
声の主だろうか。声質と違って随分と温かい手だった。
そう言えば、ついさっきも同じように手を握られていた様な気がする。
今握っている手ではない。硬くて、優しくて、大好きな手だ……。
そこまでグーシュが考えた所で、もう一人人間が入室してきたようだ。
全力を振り絞り目を開けると、微かに今いる場所が見えてきた。
そこは白い部屋だった。
だが、石ではない。見た事の無い材質の白い壁と天井。
その部屋を、蝋燭やランプとも違う、炎とは違う白い明かりが照らしていた。
そしてその部屋の中には、二人の人間がいた。
寝台に近い場所にいるのは大柄な美女だった。
薄い緑色の服を上下に着込み、その上から白く丈の長い上着を着込んでいる。
色白で、髪色は金色……背丈は一ダイス 一ガー弱(160cm+30cm弱)くらいだろうか。長身で金髪の美形と言えば南方蛮地の耳長族特有の特徴だが、なぜこんな所にいるのだろうか。
もうひとりは後から部屋に入ってきた人間で、こちらは小柄な少女だった。
身長はちょうど一ダイス程。
緑色の鉄兜を被り、肩口から袖のない緑色の上着と、膝上ぐらいの長さの筒状の布を下半身に身に着けていた。
布を腰に巻く服装は、北方諸国の女が身につける物に似ているが、随分と短い。北方では足首まで隠れる程長い物が普通だったはずだ。
不思議なのは手足だった。
袖の無い上着から出た腕は二の腕の上部までは白い肌が露出していたが、その下からは指先まで艶のない真っ黒で硬質な何かで覆われていた。
足も同様で、筒の下から膝上程までは白い肌が見える物の、その下からは艶のない硬質な何かで覆われ、ふくらはぎ辺りからは随分と頑丈そうな長靴で覆われていた。
「課長、電気毛布持ってまいりました」
新しくやってきた少女は舌っ足らずに喋ると、グーシュのいる寝台の足元に体験したことがないほど柔らかい毛布を置く。
「よし、伍長。殿下を持ち上げて頂戴」
「了解」
すると反応するまもなく、グーシュの体は小さな少女によって抱きかかえられる。
ふらつきもしないその力に、グーシュは驚く。
そうしている間にも美女が寝台に柔らかい毛布を敷き、端にある部品をいじると、何やらカチリと音が響く。
その後少女がグーシュを寝台に下ろす。
するとグーシュの体はみるみる内に暖まっていく。
驚くことに毛布自体が熱を発していた。体に熱が戻ってくると同時に、頭が働き出す。
ところがそれに比例して、強い眠気が意識を奪っていく。
「そなた……達は……」
眠気が意識を奪う前に、戻った思考力を振り絞って思いついた事を声に出していく。
少女が嬉しそうに喋ろうとするのを制して、白衣の美女が答えた。
「私は衛生課課長……分かるように言うと海向こうの医者です。どうか安心してお休みください」
そう言うと、美女はグーシュの腕に半透明の筒を押し付けた。
押し付けられた場所にじんわりとした熱さと痛みが奔る。
「栄養剤を打ちました。起きるころには元気になっていますよ」
優しく頭を撫でる美女に、意識を喪失する瞬間、一番大切な、絶対に聞かなければならない事を聞く。
グーシュは、ここまでこの事を思い出さなかった自分に怒りを覚えながら、絞り出すように声を発した。
「ミルシャ……は……わらわの……ミルシャ……」
その事を聞くと、美女は困った様な顔をした。
その表情をみてグーシュの意識に焦りが浮かぶ。
「そのことですが殿下……出来ることならばお早いお目覚めを……ミルシャ様のお体が保ちません」
その言葉を聞いたと同時に、グーシュの意識は途切れた。
だが同時に、自分の脳裏に幼い頃の自分の思いが浮かび上がってきた。
なぜなのか。
なぜ、わからないのかが、わからない。
小さい頃のグーシュはその考えに常に囚われていた。
やりたいことを真っ直ぐにやる。自分が得をするように迷いなく立ち回る。
欲しいものは全力で勝ち取る。
そういった事をする度に、周囲はグーシュの事を恐れ、蔑んだ。
姉だけは何も言わなかった。
ただ、「あなたも私と同じ」と言って笑っていたが、なぜ大人の男や同年代の男子に媚びるだけの姉と自身が同じなのか、理解が出来なかった。
父と兄はグーシュと向き合ってくれていたように思うが、彼らの言ううまい立ち回りということが分からなかった。グーシュは孤立していた。
それでも自分より劣る周りにあれこれ配慮する事の意味が分からず、ただただ自分の考えを押し通し続けた。
「グーシュ様のご気性はボスロ帝に似ております。先祖の書いた日記とそっくりですじゃ」
そう言ってグーシュを最後まで見捨てなかったのは、こう言ってくれた教育係の老教授と、
「いいですかグーシュ。利を得たいのならまっすぐ進むだけでは結局損をします。欲しい物があればその周りと自分の周りをじっくり見回しなさい。そして次に欲しい物の事まで考えて、先々まで障害が残らないように、残っても障害を飛び越える手段を残すように欲しい物を手に入れなさい。あなたが今やっている方法では、目先の物を一つ手に入れてもそこで終わり。先を見た大きな視点で利を得ること。これが父上や兄上の言う『うまい立ち回り』です」
グーシュの行動に助言を与えてくれる母だけだった。
二人はグーシュに周囲との接し方を教えてくれた。
「ボスロ帝は豪放磊落なお方でした。細かいことを気にせず、心が大きかった。グーシュ様も同じようにすれば、かのお方と同様に人望を得られましょう。他者をよく見なさい、殿下。そしてその者が欲しい”利”を与えなさい。その”利”を持っていなければ、その者が言ってほしい『言葉』と『態度』を与えなさい。相手が平伏したなら、こちらも目線を下げてやりなさい。上の者が同じ目線になると、人は自然と親しみを覚えます。それは先々を見ればあなたの”利”となり”武器”となるのです」
「父上と兄上だけは、あなたの見ているものよりはるか大きいものを見ています。もしあなたがあの二人の事が分からなくなっても、大丈夫。あの二人はあなたを裏切らない。ですからあなたは父を助け、兄と切磋琢磨し、帝国の”利”を考えなさい」
「殿下が”未知”を好んでいることは知っております。でしたら帝国の”利”と殿下の目的を一致させればいい。さすればなんの問題もありません」
グーシュは二人の言うことを聞いて立ち回るようにした。
食べたことの無い街の食べ物が欲しければ、城を抜け出さず、女官たちを手伝い、見張りの兵士に差し入れを入れ、優しい声を掛けた。
読んだことの無い本が読みたければ、官司を手伝い、書院の担当の悩みを聞き、便宜を図った。
そうしたら、周りの人間は柔らかくなり、欲しいものは時間がかかっても手に入った。
人間は”利”で動くのだ。母と老教授の言うことは正しかった。
だから兄に対してもそうした。
グーシュは己の知識の全てを持って兄と対峙した。
それが兄と自分を切磋琢磨し、しいては兄を成長させて帝国の”利”になる。
帝国が”利”を得て大きくなり、周囲が自分に良い印象を持ち続ければやがてグーシュの願いも叶う。
そう、未知の探求。古文書にしかない海向こうへ大船団を率いて旅立つのだ。
だが、そんなグーシュの考えは失敗してしまった。
兄妹で初めて家臣を交えた朝礼に出席を許された時。
父から今季の税収の予測を聞かれた兄を、グーシュはいつものようにやり込めた。
兄はツテを使って大陸全土の作柄や流通の事を調べて朝礼に望んでいたようだが、街で行商人や出稼ぎの農民から生の話を聞いた上で、兄と同じ文書を担当官司から読ませてもらっていたグーシュはより詳細な予測を述べた。
結果があの事件だった。グーシュはただ単に、兄に教えたかっただけなのに。
生きた言葉と情報を比較する事を……しかしその気持ちは伝わっていなかった。
このやり方ではミルシャを失ってしまう。
だがグーシュはそれでも兄の事を信じていた。
兄はそれでも優秀な男で、今回の事はグーシュと兄の”利”が一致しなかったのだと考えた。
だから身を引いてもう抵抗しない姿勢を見せれば、もうこの事は終わり。
兄が帝国に”利”をもたらせば、自分の目的も叶う目があり、ミルシャは傷つかない。
”利”だ。”益”だ。”得”だ。人間はこれを求めるはずだ。
”害”だ。”不益”だ。”損”だ。人間はこれを嫌うはずだ。
だから兄は自分の考えたとおりに動くはずだ。自分を救ってくれた老教授と母の言ったことはただしかったではないか。
けれども……ミルシャは何なのだろう?
グーシュは不意に今までと違う観点でミルシャを考えた。
ミルシャは自分にとって一番大切な存在だが……ミルシャは”利””得””益””なのだろうか?
しばしば現れる、自分にとってわからない行動をする者たち……損得で動かず、理解できない奴ら。
彼らがもし……彼らにとってのミルシャのために動いていたとしたら……
そこまで考えが及んだ所で、目が覚めた。
グーシュリャリャポスティは覚醒した。
そこは先程と変わらない白い部屋で、医者の美女が足を組んですぐ横で椅子に腰掛けていた。
見ていた夢の事は、すっかり霧散していた。
何か、大切な事を考えていた筈だ。
ミルシャの事……幼い頃の事。
自分の行動の原点と、それに至るまでの母の教え。
兄への思いと、その結果……。
「お目覚めですか? 」
必死に思い出そうとしていた考えは、掛けられた声によって結局霧散した。
目覚める前と同様の、冷たい印象の声。
しかし体が温まった今聞くと、不思議とこちらを心配する気持ちが感じられた。
ちらりと足の間に目をやってから身を起こすと、意外なほど体は回復していた。
「ああ、済まなかったな。しかし、その筒の下にも履物をしているのか……北方の女は筒の下には何も着ていなかったがな」
そう言うと、美女はサッと組んだ足を崩し、両手で膝下を隠した。
海向こうの女でも股を見ると照れるようだ。
つまりは恥じらう、同じ感情がある。
交渉できるのだ。
「話に聞いた通りのお方のようですね。さて、眠られる前に申し上げた事、覚えておられますか? 」
無論、グーシュは覚えていた。
だが、熱を取り戻した体と頭は、グーシュにいつもの態度と思考を取り戻していた。
「ミルシャが保たん、だったな。覚えている。さあ、ミルシャの所に案内せよ」
力強く命ずると、美女は少し驚いた表情を浮かべた。
「もっと、取り乱すのかと思っていましたが……同じ様な状況になられた方は普通もっと慌てますよ。ここはどこかとか、部屋の中なのに明るい、とか……」
「わからんことはわからん! ならばまずはミルシャだ。それに『保たん』ということは言い換えれば今はまだ『保っておる』ということだ。それにそなたも急かさんようだし、十分余裕があるんだろう」
そう言うと美女は立ち上がり、薄い履物を足元に用意してくれた。
「スリッパ……この履物を使ってください。ご案内しましょう。しかし……子爵様のお話や調べた限りでは、あなたはもっとミルシャ様の事となると取り乱すのかと思っていました」
調べる……やはり海向こうの者たちは予想以上にこちらの事をしらべているようだ。
不用心なのか次々と情報が得られる。
その事に気を良くしつつ、グーシュは立ち上がりながら笑顔で告げた。
「無論ミルシャは大事だ。だから、もしミルシャに何かあったらわらわも自害するつもりであった。だからミルシャに会えるならば良し、だめならば死ぬ。それだけだからな、いちいち慌てる必要など無い」
「………………異世界人……怖……」
美女が何か呟いたが、グーシュには聞こえなかった。
まあ、どうせ自分のおおらかさに感心しているのだろう。
グーシュは自分を肯定すると、美女に促され歩きだした。
無感情な、冷たい女の声でグーシュは目を覚ました。
どうやら寝台に寝かされているようだが、随分と上質の物だ。
帝城の自室にも劣らない。
いや、肌触りと掛けられている布の軽さに於いては、こちらの方が上かもしれない。
しかしどんな上質な寝台にいても、体が痺れてうまく動かない。
何が起こったのかも思い出せない。
芯まで冷え切った体が、頭から考える力を奪い、ただただ、寒いという感情だけを際立たせる。
「脳波に反応あり、覚醒してますね……グーシュリャリャポスティ様、私の声が聞こえますか? 聞こえたら少しでもいい、右手を動かしてください」
この声の主は誰なのだろう?
グーシュは疑問に思ったが、何も考えられない。
それでも、寒さに震える体に力を込めて、微かに右手を動かす。
ピクリと、ほんの少しだけ右手が震えるように動いた。
すると、ギュッと手が握られた。
声の主だろうか。声質と違って随分と温かい手だった。
そう言えば、ついさっきも同じように手を握られていた様な気がする。
今握っている手ではない。硬くて、優しくて、大好きな手だ……。
そこまでグーシュが考えた所で、もう一人人間が入室してきたようだ。
全力を振り絞り目を開けると、微かに今いる場所が見えてきた。
そこは白い部屋だった。
だが、石ではない。見た事の無い材質の白い壁と天井。
その部屋を、蝋燭やランプとも違う、炎とは違う白い明かりが照らしていた。
そしてその部屋の中には、二人の人間がいた。
寝台に近い場所にいるのは大柄な美女だった。
薄い緑色の服を上下に着込み、その上から白く丈の長い上着を着込んでいる。
色白で、髪色は金色……背丈は一ダイス 一ガー弱(160cm+30cm弱)くらいだろうか。長身で金髪の美形と言えば南方蛮地の耳長族特有の特徴だが、なぜこんな所にいるのだろうか。
もうひとりは後から部屋に入ってきた人間で、こちらは小柄な少女だった。
身長はちょうど一ダイス程。
緑色の鉄兜を被り、肩口から袖のない緑色の上着と、膝上ぐらいの長さの筒状の布を下半身に身に着けていた。
布を腰に巻く服装は、北方諸国の女が身につける物に似ているが、随分と短い。北方では足首まで隠れる程長い物が普通だったはずだ。
不思議なのは手足だった。
袖の無い上着から出た腕は二の腕の上部までは白い肌が露出していたが、その下からは指先まで艶のない真っ黒で硬質な何かで覆われていた。
足も同様で、筒の下から膝上程までは白い肌が見える物の、その下からは艶のない硬質な何かで覆われ、ふくらはぎ辺りからは随分と頑丈そうな長靴で覆われていた。
「課長、電気毛布持ってまいりました」
新しくやってきた少女は舌っ足らずに喋ると、グーシュのいる寝台の足元に体験したことがないほど柔らかい毛布を置く。
「よし、伍長。殿下を持ち上げて頂戴」
「了解」
すると反応するまもなく、グーシュの体は小さな少女によって抱きかかえられる。
ふらつきもしないその力に、グーシュは驚く。
そうしている間にも美女が寝台に柔らかい毛布を敷き、端にある部品をいじると、何やらカチリと音が響く。
その後少女がグーシュを寝台に下ろす。
するとグーシュの体はみるみる内に暖まっていく。
驚くことに毛布自体が熱を発していた。体に熱が戻ってくると同時に、頭が働き出す。
ところがそれに比例して、強い眠気が意識を奪っていく。
「そなた……達は……」
眠気が意識を奪う前に、戻った思考力を振り絞って思いついた事を声に出していく。
少女が嬉しそうに喋ろうとするのを制して、白衣の美女が答えた。
「私は衛生課課長……分かるように言うと海向こうの医者です。どうか安心してお休みください」
そう言うと、美女はグーシュの腕に半透明の筒を押し付けた。
押し付けられた場所にじんわりとした熱さと痛みが奔る。
「栄養剤を打ちました。起きるころには元気になっていますよ」
優しく頭を撫でる美女に、意識を喪失する瞬間、一番大切な、絶対に聞かなければならない事を聞く。
グーシュは、ここまでこの事を思い出さなかった自分に怒りを覚えながら、絞り出すように声を発した。
「ミルシャ……は……わらわの……ミルシャ……」
その事を聞くと、美女は困った様な顔をした。
その表情をみてグーシュの意識に焦りが浮かぶ。
「そのことですが殿下……出来ることならばお早いお目覚めを……ミルシャ様のお体が保ちません」
その言葉を聞いたと同時に、グーシュの意識は途切れた。
だが同時に、自分の脳裏に幼い頃の自分の思いが浮かび上がってきた。
なぜなのか。
なぜ、わからないのかが、わからない。
小さい頃のグーシュはその考えに常に囚われていた。
やりたいことを真っ直ぐにやる。自分が得をするように迷いなく立ち回る。
欲しいものは全力で勝ち取る。
そういった事をする度に、周囲はグーシュの事を恐れ、蔑んだ。
姉だけは何も言わなかった。
ただ、「あなたも私と同じ」と言って笑っていたが、なぜ大人の男や同年代の男子に媚びるだけの姉と自身が同じなのか、理解が出来なかった。
父と兄はグーシュと向き合ってくれていたように思うが、彼らの言ううまい立ち回りということが分からなかった。グーシュは孤立していた。
それでも自分より劣る周りにあれこれ配慮する事の意味が分からず、ただただ自分の考えを押し通し続けた。
「グーシュ様のご気性はボスロ帝に似ております。先祖の書いた日記とそっくりですじゃ」
そう言ってグーシュを最後まで見捨てなかったのは、こう言ってくれた教育係の老教授と、
「いいですかグーシュ。利を得たいのならまっすぐ進むだけでは結局損をします。欲しい物があればその周りと自分の周りをじっくり見回しなさい。そして次に欲しい物の事まで考えて、先々まで障害が残らないように、残っても障害を飛び越える手段を残すように欲しい物を手に入れなさい。あなたが今やっている方法では、目先の物を一つ手に入れてもそこで終わり。先を見た大きな視点で利を得ること。これが父上や兄上の言う『うまい立ち回り』です」
グーシュの行動に助言を与えてくれる母だけだった。
二人はグーシュに周囲との接し方を教えてくれた。
「ボスロ帝は豪放磊落なお方でした。細かいことを気にせず、心が大きかった。グーシュ様も同じようにすれば、かのお方と同様に人望を得られましょう。他者をよく見なさい、殿下。そしてその者が欲しい”利”を与えなさい。その”利”を持っていなければ、その者が言ってほしい『言葉』と『態度』を与えなさい。相手が平伏したなら、こちらも目線を下げてやりなさい。上の者が同じ目線になると、人は自然と親しみを覚えます。それは先々を見ればあなたの”利”となり”武器”となるのです」
「父上と兄上だけは、あなたの見ているものよりはるか大きいものを見ています。もしあなたがあの二人の事が分からなくなっても、大丈夫。あの二人はあなたを裏切らない。ですからあなたは父を助け、兄と切磋琢磨し、帝国の”利”を考えなさい」
「殿下が”未知”を好んでいることは知っております。でしたら帝国の”利”と殿下の目的を一致させればいい。さすればなんの問題もありません」
グーシュは二人の言うことを聞いて立ち回るようにした。
食べたことの無い街の食べ物が欲しければ、城を抜け出さず、女官たちを手伝い、見張りの兵士に差し入れを入れ、優しい声を掛けた。
読んだことの無い本が読みたければ、官司を手伝い、書院の担当の悩みを聞き、便宜を図った。
そうしたら、周りの人間は柔らかくなり、欲しいものは時間がかかっても手に入った。
人間は”利”で動くのだ。母と老教授の言うことは正しかった。
だから兄に対してもそうした。
グーシュは己の知識の全てを持って兄と対峙した。
それが兄と自分を切磋琢磨し、しいては兄を成長させて帝国の”利”になる。
帝国が”利”を得て大きくなり、周囲が自分に良い印象を持ち続ければやがてグーシュの願いも叶う。
そう、未知の探求。古文書にしかない海向こうへ大船団を率いて旅立つのだ。
だが、そんなグーシュの考えは失敗してしまった。
兄妹で初めて家臣を交えた朝礼に出席を許された時。
父から今季の税収の予測を聞かれた兄を、グーシュはいつものようにやり込めた。
兄はツテを使って大陸全土の作柄や流通の事を調べて朝礼に望んでいたようだが、街で行商人や出稼ぎの農民から生の話を聞いた上で、兄と同じ文書を担当官司から読ませてもらっていたグーシュはより詳細な予測を述べた。
結果があの事件だった。グーシュはただ単に、兄に教えたかっただけなのに。
生きた言葉と情報を比較する事を……しかしその気持ちは伝わっていなかった。
このやり方ではミルシャを失ってしまう。
だがグーシュはそれでも兄の事を信じていた。
兄はそれでも優秀な男で、今回の事はグーシュと兄の”利”が一致しなかったのだと考えた。
だから身を引いてもう抵抗しない姿勢を見せれば、もうこの事は終わり。
兄が帝国に”利”をもたらせば、自分の目的も叶う目があり、ミルシャは傷つかない。
”利”だ。”益”だ。”得”だ。人間はこれを求めるはずだ。
”害”だ。”不益”だ。”損”だ。人間はこれを嫌うはずだ。
だから兄は自分の考えたとおりに動くはずだ。自分を救ってくれた老教授と母の言ったことはただしかったではないか。
けれども……ミルシャは何なのだろう?
グーシュは不意に今までと違う観点でミルシャを考えた。
ミルシャは自分にとって一番大切な存在だが……ミルシャは”利””得””益””なのだろうか?
しばしば現れる、自分にとってわからない行動をする者たち……損得で動かず、理解できない奴ら。
彼らがもし……彼らにとってのミルシャのために動いていたとしたら……
そこまで考えが及んだ所で、目が覚めた。
グーシュリャリャポスティは覚醒した。
そこは先程と変わらない白い部屋で、医者の美女が足を組んですぐ横で椅子に腰掛けていた。
見ていた夢の事は、すっかり霧散していた。
何か、大切な事を考えていた筈だ。
ミルシャの事……幼い頃の事。
自分の行動の原点と、それに至るまでの母の教え。
兄への思いと、その結果……。
「お目覚めですか? 」
必死に思い出そうとしていた考えは、掛けられた声によって結局霧散した。
目覚める前と同様の、冷たい印象の声。
しかし体が温まった今聞くと、不思議とこちらを心配する気持ちが感じられた。
ちらりと足の間に目をやってから身を起こすと、意外なほど体は回復していた。
「ああ、済まなかったな。しかし、その筒の下にも履物をしているのか……北方の女は筒の下には何も着ていなかったがな」
そう言うと、美女はサッと組んだ足を崩し、両手で膝下を隠した。
海向こうの女でも股を見ると照れるようだ。
つまりは恥じらう、同じ感情がある。
交渉できるのだ。
「話に聞いた通りのお方のようですね。さて、眠られる前に申し上げた事、覚えておられますか? 」
無論、グーシュは覚えていた。
だが、熱を取り戻した体と頭は、グーシュにいつもの態度と思考を取り戻していた。
「ミルシャが保たん、だったな。覚えている。さあ、ミルシャの所に案内せよ」
力強く命ずると、美女は少し驚いた表情を浮かべた。
「もっと、取り乱すのかと思っていましたが……同じ様な状況になられた方は普通もっと慌てますよ。ここはどこかとか、部屋の中なのに明るい、とか……」
「わからんことはわからん! ならばまずはミルシャだ。それに『保たん』ということは言い換えれば今はまだ『保っておる』ということだ。それにそなたも急かさんようだし、十分余裕があるんだろう」
そう言うと美女は立ち上がり、薄い履物を足元に用意してくれた。
「スリッパ……この履物を使ってください。ご案内しましょう。しかし……子爵様のお話や調べた限りでは、あなたはもっとミルシャ様の事となると取り乱すのかと思っていました」
調べる……やはり海向こうの者たちは予想以上にこちらの事をしらべているようだ。
不用心なのか次々と情報が得られる。
その事に気を良くしつつ、グーシュは立ち上がりながら笑顔で告げた。
「無論ミルシャは大事だ。だから、もしミルシャに何かあったらわらわも自害するつもりであった。だからミルシャに会えるならば良し、だめならば死ぬ。それだけだからな、いちいち慌てる必要など無い」
「………………異世界人……怖……」
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オッサン齢50過ぎにしてダンジョンデビューする【なろう100万PV、カクヨム20万PV突破】
山親爺大将
ファンタジー
剣崎鉄也、4年前にダンジョンが現れた現代日本で暮らす53歳のおっさんだ。
失われた20年世代で職を転々とし今は介護職に就いている。
そんな彼が交通事故にあった。
ファンタジーの世界ならここで転生出来るのだろうが、現実はそんなに甘く無い。
「どうしたものかな」
入院先の個室のベッドの上で、俺は途方に暮れていた。
今回の事故で腕に怪我をしてしまい、元の仕事には戻れなかった。
たまたま保険で個室代も出るというので個室にしてもらったけど、たいして蓄えもなく、退院したらすぐにでも働かないとならない。
そんな俺は交通事故で死を覚悟した時にひとつ強烈に後悔をした事があった。
『こんな事ならダンジョンに潜っておけばよかった』
である。
50過ぎのオッサンが何を言ってると思うかもしれないが、その年代はちょうど中学生くらいにファンタジーが流行り、高校生くらいにRPGやライトノベルが流行った世代である。
ファンタジー系ヲタクの先駆者のような年代だ。
俺もそちら側の人間だった。
年齢で完全に諦めていたが、今回のことで自分がどれくらい未練があったか理解した。
「冒険者、いや、探索者っていうんだっけ、やってみるか」
これは体力も衰え、知力も怪しくなってきて、ついでに運にも見放されたオッサンが無い知恵絞ってなんとか探索者としてやっていく物語である。
注意事項
50過ぎのオッサンが子供ほどに歳の離れた女の子に惚れたり、悶々としたりするシーンが出てきます。
あらかじめご了承の上読み進めてください。
注意事項2 作者はメンタル豆腐なので、耐えられないと思った感想の場合はブロック、削除等をして見ないという行動を起こします。お気を悪くする方もおるかと思います。予め謝罪しておきます。
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