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第一章 突然の来訪者

第9話 司令官訪問

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 自動的に横滑りして開く扉に驚きつつ、部屋を出て廊下にでる。
 そこは継ぎ目の無い、金属とも陶器とも違う物質で出来た建物だった。
 随分と大きい建物のようで、左右に部屋がいくつもあり、どこまで言っても天井にある白い光源により明るかった。

「そう言えばおぬし、名前は? 」

「内務参謀部衛生課課長のニャル中佐です。ニャルより前の部分は所属する部署と役職を。『チューサ』は階級を表します。ああ、細かい言葉の意味は後ほど。ニャル、で構いません」

 先を歩く美女に聞くと、やはり無感情に答えた。

「ニャル……か。素敵な響きだ……海向こうの言葉でも、美女の名は美しい意味を持つな」

「製造順に適当につけた名前にそんな事を言ってくれたのは殿下が初めてです……私の前後の者なんて、ニャリとニャレでしたからね。まあ、光栄に思っておきましょう」

 海向こうでも褒める、という事の有用性は変わらないようだ。しかし製造順……とは何か? 

「のう、ニャ……」

「さあ、ここです」

 疑問を呈するより早く、ミルシャがいるという部屋についた。
 グーシュが何か反応するより早く、ニャルが部屋の扉を開けた。

 その部屋は先程の半分程の大きさの部屋だった。
 寝台が一つと机が一つ。
 壁に何やら収納する空間が設けられているだけの部屋だ。
 こじんまりとしているが客間のようだった。

 その寝台に、先程の少女と同じ格好の二人組に押さえつけられているミルシャがいた。
 両手両足を布で縛り付けられ、猿ぐつわをした状態で泣きはらした顔で眠っている。

「ミルシャ! 」

 グーシュは叫びながら駆け寄った。
 寝台の隣に立っていた二人の少女は、疲れ切った顔とグシャグシャに乱れた服装でニャルに向かって手のひらを額につける仕草をした。
 グーシュはそれを無視してミルシャに寄り添う。

「課長……さきほど鎮静剤が効いてきて眠った所でした……あと二時間は……」

「えんかー!」

「えぇ……目覚めた……」

「ここの人間って一体……」

 呆然とする少女二人には構わず、グーシュはミルシャの手足の拘束と猿ぐつわを外した。
 幼子のように抱きついてくるミルシャを抱きしめてやると、ミルシャは泣きながらグーシュを抱きしめ返した。

「橋が……落ちた……あとょ……隊長や兵士達……が私達を抱きしめて……川の尖った岩から……」

「そうか……あの者たちが……」

「そ、そうしていたら……この者たちが見たことも無い空飛ぶ乗り物で……助けてくれたのです。ですがその後殿下をどこかに連れて行ってしまって……」

 ミルシャがそういって恨めしげに背後にいるニャルを睨むと、ニャルは両手を上げて弁解した。

「グーシュ殿下を治療するためには仕方なかったのです。頭を強く打っている可能性もあったので、早急に検査する必要もありました。ところがその方が暴れたり、殿下を連れて行くなと騒ぐもので……ここに拘束したのは確かに乱暴でしたが、ご了承ください」

「で、ですが……でんかぁ……この様な得体の知れない相手に殿下を委ねるなど……殿下が死んでしまわれたら……」

 グーシュはよしよしとミルシャをあやしてやる。
 しかしこうなると疑問が次々と湧いてくる。

 一緒に落ちた兵士たちの事……一体何が起きたのか……空飛ぶ乗り物とは……なぜあの状況で自分たちを助けることが出来たのか……ここはどこなのか……。

「助けて貰ったのだ、許すも何もこちらとしては感謝しかないが、聞きたいことが多すぎてな。そろそろそういったことの話を聞かせてもらえるのだろうな? 」

「勿論です。ですが、私にはお話する権限がありません。司令官の所にご案内しますので、こちらにいらしてください」

「司令官というのは、子爵から連絡があった甲冑を着た貴人のことか? 」

「甲冑……まあこの世界で言えばそうなりますか。それに交渉を行う責任者という点では間違いではありません」

 そう言って部屋の外を促すニャルについていこうとすると、ミルシャがクイッとグーシュの服を引っ張った。

「殿下、代表の方と会うにはこの服装ではまずいのでは? 」

 ミルシャに言われて見ると、たしかに。
 素肌の上にひらひらとした薄い服を着ただけの格好では、流石にはしたない。

「ニャル、服を持ってまいれ」

「……仰せのままに……」

 しばらくしてニャルが持ってきたのは伸び縮みする不思議な布でできた服だった。
 下着も随分と機能的で、着心地がいい。
 寝具といい、海向こうは繊維関係が進んでいるのかもしれない。

 ミルシャも感想は同じようで、しきりに感心していた。
 しかしよくあの乳が入る下着があったものだ。

「ではご案内します」

 促されニャルについていく。
 後ろからは二人の少女がピッタリとついてくる。

「お主ら、名前は? 」

 後ろの少女二人に声をかけると、少し戸惑ったようにニャルの方を見た。
 ニャルは小さく頷いた。
 許可を得た二人は、はっきりとした口調で答えた。

「第四四歩兵師団第三工兵大隊ルニ宿営地造成隊所属、ミラ一等兵であります」

「同じく、ルニ宿営地造成隊所属、クシー一等兵であります」

 どことなく緊張した様子で名乗る二人。
 横目で観察しながら言葉をかけようとするが、ふと気になる単語に気がついた。

「ルニ……宿営地? ではここはルニ子爵領なのか? 」

 前を向いてニャルに問うと、彼女はこちらを見ずに答えた。

「そうです。ルニ子爵に許可を得て、街より三キロ……こちらの言うところの二ミロー離れた丘に宿営地を造成中です。ここは丘の中心部にある本部施設になります」

 その言葉に思わずミルシャと共にグーシュは周りを見回した。

「すごいのう……そなたらが来てからまだ十日と経っておらんのに、こんな大きな建物を……」

「そんな馬鹿な……この石材はどこから? 子爵領に石切場があるなど聞いたことがありません」

「それは、司令にお聞きになってください」

 ピタリと足を止めて、ニャルは目の前にある扉を示した。
 この大きな建物の代表の部屋にしては随分と質素な扉だ。
 というか他の部屋の扉と変わりない。
 白くのっぺりとした横開きの扉があるだけだ。
 いや、少しばかり縦も横も大きく、扉の端に四角くて黒い硝子が取り付けられているところが他とは違う。

 グーシュが観察していると、ニャルがその扉の横にある硝子に手をかざした。
 するとピッという音が鳴り、その硝子から女の声が聞こえてきた。

「衛生課長。お連れしたのか? 」

 ミルシャが驚いて悲鳴を上げる。「扉が喋った」と小声で呟いていた。
 ニャルはそれには反応せずに、硝子に向かって言葉を返す。

「はい。後はお願いしますね。それでは殿下、どうぞ」

「……なるほど。部屋の中にいる人間に来訪を伝え、会話できる装置か。上役の部屋にあれば便利かもしれんな」

「か、壁が喋ったのではないのですか? 」

「そうではないと思うが……ここは不思議な物が多いからな。もしかしたら喋る壁かもしれんな」

 怯えるミルシャを励ますように手を繋ごうとすると、慌てたように「大丈夫です」と背筋を伸ばし、後ろに控えた。
 その様子を見て、すっかり安心したグーシュは扉の前に進んだ。
 そして扉がシューッという音を立てて開いた。

 部屋は先程の客室の倍ほどの大きさがあり、入り口近くには応接用と思しき、グーシュから見ても豪勢で、柔らかな革張りの長椅子と硝子で出来た机が置かれている。

 入り口の脇にはニャルと同じくらいの身長の女が立っていた。
 相変わらず美人なのは変わらないが、髪が短めの銀色で、他の女たちより豪華な黒い服を来ていた。

 折り目のついたきれいな股引に、黒い上着。
 そして上着の下には白い服を着込み、首から帯状の緑色の紐の様な物を吊り下げていた。
 妙な服装だった。

 しかし、豪華な長椅子よりも、豪華な室内よりも、豪華な服装の女よりも目を引く存在が部屋の奥にある執務机の前に立っていた。

 それは確かに甲冑を着込んだ人間に見えたが、明らかに人間では無かった。
 全身が黄色掛かった白く艶の無い金属の様な材質で構成されてはいるが、両足の付け根は明らかに人体が中に入る様な構造をしていない。
 まるで鎧と鎧を細い金属の棒で接合したような形になっている。

 腰の部分もやたらと細く、人間が身につける様な形状には見えない。
 それでいて肩はやたらと大きくせり出していて、ゴテゴテと何かの部品が取り付けらている。

 一番甲冑らしからぬのが顔だ。
 通常視界を確保する隙間がある場所には、薄く曇った硝子がはめ込まれていて、その硝子の奥には何やら丸い部品が据え付けられていた。
 しかもその丸い部品は、キュイキュイという妙な音を立てて、部屋に入ったグーシュとミルシャを目のように追っていた。

 するとその甲冑らしき物は、手のひらを額に充てる仕草をした。
 先程のニャルと少女たちのやり取りを見ていたグーシュは『敬礼』だととっさに悟り、拳をみぞおちにあてる騎士団式の答礼をした。
 それを見てミルシャも慌てて拳をみぞおちにあてた。

「ようこそいらっしゃいました、グーシュリャリャポスティ皇女殿下」

 手を下げると、流暢なラト語で甲冑もどきは喋った。
 声色は男の物で、年は二十から三十くらいの若い声……意外なことに見た目に反して、ニャル達とは違う随分と人間味のある声だった。

「いや、助けていただいた上にこの様なもてなし……感謝しかない。帝国皇女として、この事は正式にお礼申し上げます」

「いやあ、皇女殿下にジャージなど着せて申し訳ない……サイズが合う服がそれしかなかったのです」

 耳慣れない言葉だ……流れからすると、どうもこの着心地のいい服はあまり公的な場にはふさわしくない物のようだ。

「大変よい着心地に、お付き騎士のミルシャ共々喜んでおりました。お気になさらずに」

 グーシュの言葉を聞くと、甲冑もどきはどこかホッとした様な身動きをする。そしてこちらに向かって近づいてくると、長椅子に座るように促した。

 動きは滑らかで、それが甲冑を着慣れたグーシュには逆に不自然だった。
 あのサイズの甲冑を着込んでいれば、どんな大男でもあんな歩き方は出来ないだろう。

「ああ、申し遅れました。私はあなた達の認識で言うところの、海向こうから来た使節の現地指揮官をしている者です。地球連邦軍異世界派遣軍第049機動艦隊所属、第四四歩兵師団師団長、一木弘和代将と申します。グーシュリャリャポスティ皇女殿下、こちらにいらっしゃった経緯はあまり良いものではありませんが、それでも我々はあなた達を歓迎いたします」

 そう言って一木という甲冑もどきは手を差し出してきた。
 とてつもなく大きい手だ……なんのつもりだかグーシュには分からない。

「司令、この国に握手の習慣はありません……」

 一木の隣に移動していた女が小さく呟くと、うろたえた様な仕草を見せる一木。
 グーシュは困惑する。
 全権大使相手に随分と間の抜けた男……でいいのだろうか? のようだ。
 海向こうの意図が読めず、迷いが生じる。
 どうするべきか……。
 海向こうはなんの”利”がほしいのだろうか。

「い、いやー、申し訳ない。これは握手という故郷の習慣で、お互いに手を握り合うという信頼の挨拶でして……」

 しどろもどろになって弁解するこの甲冑もどきを見て、グーシュは元気が湧いてきた。
 海向こうの者たちは恥らい、褒めると喜び、失敗すれば慌てるこちらと同じ存在のようだ。
 たとえ空を飛ぼうが気味悪いほど美人揃いだろうが、指揮官が甲冑もどきのお化けだろうが、心の内が同じなら何とかなる。

 グーシュはしどろもどろになる一木の大きな右手を、しっかりと掴んだ。

「イチギ代表、ルーリアト帝国第三皇女、グーシュリャリャポスティである。以後よろしく頼むぞ」

 そう言って顔にある硝子の向こうにある丸い部品をハッキリと見据え、笑顔を向ける。
 この笑顔は数多の官司や兵士を骨抜きにしたのだ。どうだ? 

「こちらこそよろしくお願いします」

 そういってグーシュの手を握り返す力は、まるで小鳥を触る時のように優しく、弱かった。
 そして目元の部品はキュイキュイと揺れた。

 照れているのか? 随分と純情な男? のようだ。
 アクシュという挨拶を終えると、グーシュ達と一木は長椅子に座った。
 やはり座り心地はよかった。

「それでイチギ代表、私は詳しい情報を求めている。聞きたいことが山ほどあるのだ」

「ああ、ご安心ください。きちんと説明しますよ。とりあえず緊急を要する事と致しましては、あなた達二人以外の兵士の方々ですね。それに関してはご安心、と言っていいかはわかりませんが、十二名の生存者を含む百五十名の方全員を収容しています。生存者の十二名はきちんと治療中ですのでご安心を」

「そうか……あなた達に感謝を。あの状況で遺体と生存者を救ってくださるとは……」

「気になさらずに。それでですね、詳しい説明の前に、ひとまず見ていただきたい物があります。シキ、例のものを」

「司令、私はマナです」


 部屋に冷たい沈黙が訪れた。
 一木の後ろにいる女。マナという女は、気にした様子もなく何やら二つ折りになった、まな板程の大きさの黒い板を持ってきて、机の上においた。
 板を開くと、白く光る硝子がはめ込まれていた。

「いや、本当にごめん……マナ?」

「司令、お気になさらずに。殿下、こちらを」

「これは? 」

「今からここに、音と動く絵が映し出されます。私達の事を口頭で説明するのは難しいので、一旦こちらを見ていただきたいのです」

 一木の言葉とともに、硝子にラト語で文字が映し出される。
 それとほぼ同時に、女の声で文字が読み上げられる。

『これを聞いている方へ。これは映し出されている物の中に人間がいるわけでもありません。これはずっと以前に喋った声を機械で記録して、再び聞かせているだけです。同じように、動いている私の姿もずっと前に記録されたものを物体に映し出しているだけです』

 話しているのは若い女だった。
 あまり極端な背格好では無い、マナに似た服装の中肉中背の女だった。

 隣ではミルシャが呆然としていた。
 グーシュの手をしっかりと握り、理解の範疇を超えた物を見ていた。
 もっともそれはグーシュも一緒だった。
 ただ、グーシュの場合驚きよりも歓喜が勝っていた。

 今、自分はとてつもない未知に接している。
 その事への歓喜だ。

「では、地球連邦という国の成り立ちからご説明しましょう」

 聞いたことのない楽器による、聞いたことの無い音楽が流れ始める。
 右下に曲名、『美しく青いドナウという川』とラト語で記載されていた。
 楽団も無しに曲が流れることにグーシュとミルシャはさらに驚いた。
 だが、そんな驚きは怒涛のように訪れる情報に、すぐに消し飛んでしまうのだった。
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