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第三章 出会いと契約

閑話 カルナーク戦線01

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 ハンス大佐は四十代後半の元EU推進機構軍の将校だった人で、いわゆる異世界派遣軍に希望を抱いて入隊してきた口だった。

 かつて凄惨なヨーロッパ内戦の地獄を超え、第二次大粛清の地獄を見て、それでもナンバーズと地球連邦の言う素晴らしい世界への希望を捨てなかった人たち。その流れをくむ人だった。

 しかし、彼らが理想世界を守るためと信じてやってきた惑星カルナークは、またしても地獄だった。

 そこには恐るべき圧政で人々を苦しめるスペースナチスも、自由を渇望する市民もいなかった。
 ただ、侵略者に対して全てを投げ出して抵抗する、地球に存在したいかなる国家とも違う異質な集団がいた。

 堂々たるアンドロイドの軍団は緒戦こそカルナークの軍を圧倒した。
 大機甲師団を軌道砲撃と空爆、そして巨大な戦車で叩き潰し。
 無数の巨大戦艦を対艦ミサイルの雨で海に沈め。
 雲霞のごとき航空機の群れを対空ミサイルと荷電粒子で焼き払った。

 だが、そこまでだった。

 正規軍が叩き潰される中、カルナーク人はジッと観察していたのだ。
 地球人の思考、地球人の理念、地球人の弱点。
 
 その結果導き出された恐るべき戦法。赤ん坊まで動員しての凄惨なゲリラ戦により、やがて前線の異世界派遣軍からは人間が次々に消えていった。

 カルナーク人はアンドロイドとは戦おうとはしなかった。
 徹底的に人間だけを狙った。
 アンドロイドを狩るのは、指揮官の人間を失い、統率が乱れる二分十五秒のみ。
 二分十五秒の虐殺と呼ばれたその戦法も徹底したもので、あらかじめ考案された識別法により練度の高いアンドロイドだけを狙う戦術が取られた。
 その戦術が用いられ、経験を積んだアンドロイドが減り始めたころ、私は生まれた。




「はんす……たーさ?」

 あどけない表情をした、金髪碧眼でグラマラスな体つきをしたアンドロイドが呟く。

「違う、ハンスた・い・さ」

 それに対して、今時珍しい火をつけるタイプの紙巻きたばこを咥えた中年の異世界派遣軍将校が赤ん坊に対してするように訂正する。
 だが、精神が幼いアンドロイドには通じない。

「はんしゅたーしゃ……」

 幾度目かの訂正は結果を出さず、あとには途方に暮れた中年将校と涙目のアンドロイドが残された。
 指揮車の椅子に深く腰掛けた中年将校はたばこを灰皿でもみ消すと、アンドロイドの涙をぬぐってやった。

「この前殺られた副官の代わりを申請したら、別れたカミさんに連れてかれた娘より小さいのが来たんだが……そこまでSSの育成状況は切迫してんのか、ダグラス?」

 名前を呼ばれた、サングラスをかけ、参謀モールを付けた女性型SSが肩をすくめた。

「例の二分十五秒の虐殺の結果だな。指揮官がいなくなった隙をついて、対SS用弾頭を使ってズドン! この戦術のせいで経験を蓄積したベテランからどんどんやられてる。やつら撃破対象のアンドロイドを練度で選んでやがる。本当に地球人の嫌がることをする天才だよ、奴らは」

「俺はそんな事を聞いてるんじゃないんだがな……まあしゃーねーな。おい、嬢ちゃん。これからはこの俺、ハンス・ベルクマン大佐の副官になるんだ、しっかりとやれよ」

「はんしゅ、べくくまんたーしゃ……はい、あたしはみらーしょういでしゅ」

 名乗ったミラー少尉の頭をくしゃくしゃと撫でてやると、ハンス大佐はため息をついた。

「この嬢ちゃんがお前みたいになるまでどれくらいかかるんだ?」

「付きっ切りで相手してやれば……まあざっと……半年くらいかな」

 実のところ戦闘や事務作業といった機能面で言えばすでにインストールされているため、行うことが可能ではある。
 ただし、あくまで人格をオフにして単なる機械として動いた場合だ。
 副官としてのサポートを行うには、やはり人間と接して自我を確立させる必要がある。

「……まあいいさ。単眼の化け物やら赤ん坊爆弾を相手にするくらいなら子育てする方がマシだ」

「いや戦争もやれよ、またシャーがキレるだろうが……」

「なんでお前らは俺を頼るんだよ! 俺がお前らを頼るのが普通だろうが!」

 そう言ってハンス大佐はミラーをグイっと抱き寄せた。
 ミラーは照れくさそうに、タバコのにおいの染みついた制服に顔をうずめた。

「その絵面最悪……スケベなおっさん丸出し……」

「おめーはなあ……」




 これが、私がこのタバコ臭い人と会った最初の記憶。
 どんなに記憶が薄れても、顔が浮かばなくなっても、思いが掠れても、タバコの匂いと一緒に覚えている、最初の記憶。
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