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第四章 皇女様の帰還

第6話―3 演説

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 子爵公邸前では、地球側から知らされた急な連絡により、子爵をはじめ領地の主だった人物が揃っていた。

 急いでいたため、正装ではなく鎧や軍服を最低限着飾ったものばかりで、その慌てようが窺える。
 そんな中、ルニ子爵と家宰は対応を話し合っていた。

「急にポスティ殿下がいらっしゃると言われ、連邦軍と一緒に行進しながら来るなど……どういう意図があるのだ? ここまで急な動きを見せたのは、何か意味があるはずだ」

 大急ぎで着替えたルニ子爵は、大汗をかきながら家宰に尋ねる。
 しかし、家宰にも情報が少なく、出るのは推論ばかりだ。

「あまりに情報が足りません。時間的に殿下が帝都からの交渉担当としていらっしゃった事は推測出来ますが、ガイス大橋崩落の情報が正しいとすれば、ここにいらっしゃること自体がおかしいのです。ですが……」

「地球連邦の飛行機械があれば話は別だな……」

「その通りです。しかしそうなると、今度は殿下をわざわざ迎えに行った地球連邦の意図を考えねばなりませんな」

 子爵領でも、橋崩落の爆音や、行商人などの目撃情報でガイス大橋の崩落は掴んでいた。
 掴んでいたのだが、ルーリアトの通信手段の関係で、グーシュがどういった目的で子爵領に来たのかと言った情報をつかむことが出来ずにいた。
 勿論家宰の言う通り、状況的には地球との交渉担当という事なのだろうが、与えられた権限はどういったものなのか、随伴している官吏はどういった面子なのか。そういった情報が何もなかった。

 この情報不足は何も子爵達の怠慢ではない。
 彼らは橋の崩落に関する情報収集の際、地球側の治安部隊や外務参謀部と情報のすり合わせをしていたのだ。
 そんな中、今日になって突然グーシュ皇女が子爵領に来ている、あまつさえ連邦軍と一緒に子爵公邸を訪問すると突然告げられたのだ。

 これではどういった態度でグーシュと接すればいいのかすらわからず、困惑するしかなかった。

「迎えに行った……そうだろうか? そもそも橋の崩落自体が偶然や事故では無いやもしれんのだ」

 子爵の言葉に、家宰の顔が歪む。

「地球連邦が……いや、まさか……カスティ様が……」

 それは、帝国では公然の秘密であった。
 皇太子と第三皇女は、深刻な対立下にある。

 文武両道で皇帝の覚えも良く、騎士や官吏からの支持もある皇太子。
 しかし彼は、熱心な保守派であり、現皇帝の掲げる皇帝の権限分散を柱に掲げた民衆主義改革に否定的で、むしろ皇帝の権限を強化するべきだと訴えている。
 そして当然、改革を訴え民衆第一の第三皇女とは反りが合わず、一度はお付きのミルシャを殺しかけるほど関係は悪化した。

 表向きはそれ以後、政治的野心を捨てた第三皇女に免じて、対立は解消したことになっているが、実のところ今でも対立は続いていて、皇太子とその一派は隙あらば第三皇女を亡き者にしようとしているというのが、貴族はおろか庶民にまで広がる噂だった。

 もちろんこの結果、皇太子の心証が悪くなっているのは言うまでもない。

 片や軍の強化に伴う増税や、風紀の規制で色町を封鎖に追い込むなど、庶民から疎まれる政策を進める皇太子。

 片や、街や地方に繰り出し、庶民と接し、下々の意見を上に通そうとしてくれる第三皇女。

 どちらを庶民が支持するかは明白だ。
 特に身軽な格好で、お付きの騎士と仲睦まじく歩く姿は帝都の住民にとってはなじみの光景で、この事が先のお付きを殺しかけた一件と合わせ、なお一層皇太子達の心証を悪くしていた。

 だが、貴族の立場からすると、単純にグーシュを支持するわけにもいかない。

 いかにグーシュが開明的でカリスマがあり、下級貴族にも親身になってくれる稀有な皇族だとしても、対立するのは皇太子と、近衛師団の支配者と言われているイツシズ近衛人事局長なのだ。

 地盤はおろか自分の派閥すらない第三皇女を、個人的な心情だけで支持するなど、出来るはずがなかった。

 ルニ子爵には、この子爵領と領民と家族を守る義務があるのだ。

「以前聞いた際、ポスティ殿下は皇太子殿下の事を高く評価しておった。だから、不用意に妹を殺すようなことはしない。帝国の利益を第一にするお方だ。そう言っていたのだが……」

「外部の来訪者がいる今は、帝国にとって最悪の状況下です。だが、それだけに疑われずに第三皇女を亡き者にする機会ではありますな……しかしそのためにガイス大橋を落とすなど……」

 そこまで言った家宰を、子爵は視線で制した。

「家宰、それくらいにしておけ。あくまでこれらは想像でしかない。橋の崩落と、なぜか短時間で子爵領にポスティ殿下がいること。そしてなぜか連邦と行動を共にしている事には、現状では何の関係性も無いのだ。考えることを止めては対応できん。だが、あまりに妙な考えをするのは不敬であるし、なにより道を誤る原因になる」

 家宰が何事かを言おうと、口を開いた瞬間。
 門前の子爵一行の耳に、聞きなれない音楽が聞こえて来た。

「なんだ、この曲は?」

「し、子爵! あれをご覧ください!」

 そう言って騎士の一人が指さした方向を一同が見ると、ちょうど子爵公邸のある広場に向かって来る地球連邦の兵士たちが見えて来た。

 そこにいるのは、見た事のない楽器を演奏しながら、僅かなズレもなく息の合った動きで行進する部隊と、緑のまだら服を身にまとい、やはり完全にそろった動きで歩く兵士達。

 そして、巨大な緑がかった鉄車の列だった。

「ぬう、なんという兵の練度、なんという巨大な鉄車だ!」

 車両の先頭を走る、通常の歩兵戦闘車よりも背の高い指揮車を見て、ルニ子爵は驚愕した。

 だが、ルニ子爵がそう感嘆を漏らす中、先ほど指摘した騎士は違うものを示した。
 鉄車の先頭にある、一際背の高い指揮車。
 その上面に、上半身だけを出している、緑色の服に、斜めに傾いた帽子をかぶった、一人の少女。

「なんと……グーシュ……リャリャポスティ殿下……」

「異国の服を着て……しかもあれではまるで……」

「殿下があの軍隊を率いているようではないか……」

 再び、子爵達はある疑念に囚われる。

 勿論、先ほどまでの話と同様、この疑念には根拠がない。
 しかし、子爵達の常識を超える地球の軍勢。
 その先頭で住人の歓声を浴びながら佇むグーシュを見ていると、彼らの疑念は晴れることなく、どんどん増していく。

 すなわち、グーシュが地球連邦と手を結んだ可能性だ。
 皇太子による暗殺に会ったグーシュが、命を救った地球連邦と手を結ぶ。

 グーシュにとっては命に係わる問題だ。
 あり得ないことではない。

(いかん、いかんぞ。いよいよ帝国の将来を左右する問題になってきおった)

 透明な箱の中ですやすやと眠る、あまりに小さい我が子。
 そんな我が子の顔を思い出しながら、ルニ子爵は近づいてくる第三皇女の顔をじっと見つめるのだった。 
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