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パラサイト
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夕食はプッタネスカとカプレーゼだった。上四元クシナのリクエストらしい。
クセの強い食材が多いので、僕は苦手なメニューだけれど、母はお気に入りで父の元へ行く前まではよく姉と作っていた。
姉は気を利かせてアンチョビーやオリーブなどを投入する前に僕の分だけ取り分け、アラビアータにしてくれた。
サラダもトマトの酸味とモッツァレッラの歯応え、バジリコの鼻腔を突き抜けるスパイシー加減が楽しい逸品であった。
食後、先にお風呂を勧められた上四元クシナは客人扱いはしないで下さいと丁重に辞退し、姉が先に入ることとなった。
期せずして訪れる静寂。
リビングのソファーに座っている上四元クシナがダイニングキッチンのテーブルから動かない僕ををじっと見ていた。
ひとことも発することなく、こっちに来いとも、目障りだから消えろともどちらにも取れる暴力的な瞳でこちらを注視している。
取り扱いを間違ったら最後、部屋ごと吹き飛びそうな危うい空気に居た堪れずに出て行こうとしたとき、電話が鳴った。
好機とばかりに飛びつくと、それはアツミさんだった。
「……あ、ナギ君?」
応答した瞬間、安堵とも躊躇とも取れるアツミさんの息が漏れた。
「ごめんね、ナギ君。あの子が迷惑かけちゃって」
いえ、といいかけて刺すような視線を感じて言葉を呑む。案の定、妹君はこちらを睨みつけている。
「なに考えているのか、電車通学したいとかいい出して、ナナミに連絡したみたいなの」
アツミさんは微かに怒りを滲ませた呆れ声でため息を吐いた。
「うちの親、特に父親があの子にすごく甘いし、ナナミのところなら問題ないってあっさりオーケーしちゃって」
ふと、上四元クシナがいっていた伯父さんを思い出す。姪のためにボクシング用具を買い与え、貸しビルのワンフロアーを好きに使わせているという伯父さんといい、周りの大人にはずいぶん可愛がられているようだ。
「ああ見えていいところもあるの」
こういう発言が出るところはさすがに血の繋がった姉妹だなと思っていたら、それはすぐに打ち消された。
「といいたいところだけど、あの子、すごいわがままだから」
実姉の容赦のないダメ出しに気圧されながら、電話が切られるまで繰り返し謝られた。
「何かあったらいってね、力づくで連れ戻すから」
受話器を置くのと同時に上四元クシナが口を開いた。
「お姉ちゃんでしょ」
彼女はつまらなそうに親指とひとさし指で交互に下唇を何度も弾いていた。
「君のことよろしくって」
「へえ」
おそらくアツミさんの話した内容を把握しているのだろう、まるで信じる気などなさそうにせせら笑った。
「本当はお姉ちゃんも来たいのよ。ここから仕事に通いたいの」
アツミさんと姉は社会人になってからはなかなか一緒に遊ぶ機会も減っているし、学生時代は何度か互いの家に泊まりに行ったりしていたのだから、それはそうだろうとは思う。
「そういうことじゃないのよ」
上四元クシナは言動に険を宿すと、僕のそばまで近づいてきた。
何もしゃべらず、硬い表情のまま顔を寄せ、くちびるを重ねようとする。
彼女の両肩を掴んで突き放し必死に抵抗を試みると、両腕を下からくるりと回すように振り上げて僕の手を払い除けた。そのまま一回転させた右の拳で僕の顎をしたたかに打ちつけると、すかさず顔面にストレートを打ち込んで止めを刺す。
バスルームの扉が開く音が聞こえた。
冷ややかな視線で倒れ込んだ僕を見下していた上四元クシナは何もいわずにリビングを出て行った。
廊下で姉と会ったのだろう、聞こえてくる彼女の声はとても機嫌がよさげでさきほどまでの峻険さは影を潜めていた。
ブラトップにパンティというくつろぎスタイルにして戦闘服で戻って来た姉は髪を拭きながらミネラルウォーターを取り出した。
家族以外の前ではさすがに何かしら着込む姉だけど、この格好を見せているのは上四元クシナとの仲のよさを証明しているのだろう。
「クシナちゃん苦手?」
バカラのタンブラーに天然水を注ぎなら、いきなりそんなことを訊かれた。
「……に、苦手って?」
自然に振舞ろうと意識しすぎてどもってしまった。
「あなたに嫌われているかもしれないって落ち込んでいたわよ」
出会ってからさんざん浴びせられてきた言葉と拳が心に身体にフラッシュバックする。
「……嫌ってはいないよ」
苦々しい思いでなんとか言葉を押し出す。
だったらいいけれど、と姉は椅子に腰かけてタンブラーをじっと見つめた。
「彼女ぐらいの年頃の子ははナイーブだし、気をつけてあげてね」
橋の一件が胸をざわつかせる。アツミさんも姉も飛び降りの理由はきっと知らないのだろうけれど、手と背中にじんわりといやな汗が伝った。知られたらどうしようという体面を気にする自分の醜さにうんざりする。
「アツミさんから電話があった」
ごまかすつもりでもないけれど、報告がてら話題を逸らす。
「あなたが帰って来る前に用があるからって一度電話があったの。アツミ、何だって?」
「い、妹、上四元さんをよろしくって」
そう、と微笑むと姉は寝床の準備に向かった。
姉は両親が家を空けて以降はスパーリングで使用する自分の部屋ではなく、ほとんど一階の寝室か仕事など調べ物があるときは書斎やリビングで寝起きしている。寝室は上四元クシナに明け渡すようだ。
昨日の今日で疲れていることもあり、この日はもう寝ることにした。
翌朝。
いつもより早めに起床し、軽くシャワーを浴びてダイニングに行くと、エプロン姿の上四元クシナが甲斐甲斐しく動き回っていた。
「ナナギ、おはよう」
テーブルにはすでに朝食の用意がしてある。焼き鮭に出汁巻き卵、味噌汁は細かく切ったわかめと賽の目の木綿豆腐、油揚げ、さやいんげんが入っていた。
「これ、ナナギの好きな具なんでしょ」
上四元クシナがご飯をよそう。
母でも姉でもない女性からこんな風にご飯をよそってもらうなんてすごく新鮮な気分だ。
ほぐした鮭と振りかけたレモン果汁を混ぜていると姉が起きてきた。
「ごめんね、クシナちゃん。甘えちゃって」
「私がしたいっていったんですから、気にしないで下さい。あと、これお弁当です」
いかにも女子高生らしいランチボックスを姉と僕に差し出すと、一足先に家を出た。学生時代の姉がそうだったように今ぐらいの時間に出ないと間に合わないのだろう。
出汁巻き卵に大根おろしを乗せて頬張ると、姉が嬉しそうに訊いてきた。
「クシナちゃん、お料理上手でしょう?」
ふわふわでよく火の通った出汁巻き卵は文句なく旨かった。
「御味御汁、あなたの好きなものばかりね」
「姉さんが教えたの?」
「いけなかったかしら」
すごく真剣にあなたの好きなもの訊かれたのよと味噌汁を啜る。なるほどご飯にしても僕の好きな硬めに炊いてるし、
「お弁当はサンドイッチらしいわよ」
サンド系に弱いことまで知っているとはリサーチは万全なようだった。
「本当、おいしいわね」
姉はしあわせそうに朝食を消化しながら僕を見た。
「クシナちゃんがお嫁に来てくれたら……お姉ちゃん、いうことないな」
その笑みは慎重に口に運ぶはずだった味噌汁への注意を疎かにさせ、僕の舌を痛めつけるのに貢献するのだった。
クセの強い食材が多いので、僕は苦手なメニューだけれど、母はお気に入りで父の元へ行く前まではよく姉と作っていた。
姉は気を利かせてアンチョビーやオリーブなどを投入する前に僕の分だけ取り分け、アラビアータにしてくれた。
サラダもトマトの酸味とモッツァレッラの歯応え、バジリコの鼻腔を突き抜けるスパイシー加減が楽しい逸品であった。
食後、先にお風呂を勧められた上四元クシナは客人扱いはしないで下さいと丁重に辞退し、姉が先に入ることとなった。
期せずして訪れる静寂。
リビングのソファーに座っている上四元クシナがダイニングキッチンのテーブルから動かない僕ををじっと見ていた。
ひとことも発することなく、こっちに来いとも、目障りだから消えろともどちらにも取れる暴力的な瞳でこちらを注視している。
取り扱いを間違ったら最後、部屋ごと吹き飛びそうな危うい空気に居た堪れずに出て行こうとしたとき、電話が鳴った。
好機とばかりに飛びつくと、それはアツミさんだった。
「……あ、ナギ君?」
応答した瞬間、安堵とも躊躇とも取れるアツミさんの息が漏れた。
「ごめんね、ナギ君。あの子が迷惑かけちゃって」
いえ、といいかけて刺すような視線を感じて言葉を呑む。案の定、妹君はこちらを睨みつけている。
「なに考えているのか、電車通学したいとかいい出して、ナナミに連絡したみたいなの」
アツミさんは微かに怒りを滲ませた呆れ声でため息を吐いた。
「うちの親、特に父親があの子にすごく甘いし、ナナミのところなら問題ないってあっさりオーケーしちゃって」
ふと、上四元クシナがいっていた伯父さんを思い出す。姪のためにボクシング用具を買い与え、貸しビルのワンフロアーを好きに使わせているという伯父さんといい、周りの大人にはずいぶん可愛がられているようだ。
「ああ見えていいところもあるの」
こういう発言が出るところはさすがに血の繋がった姉妹だなと思っていたら、それはすぐに打ち消された。
「といいたいところだけど、あの子、すごいわがままだから」
実姉の容赦のないダメ出しに気圧されながら、電話が切られるまで繰り返し謝られた。
「何かあったらいってね、力づくで連れ戻すから」
受話器を置くのと同時に上四元クシナが口を開いた。
「お姉ちゃんでしょ」
彼女はつまらなそうに親指とひとさし指で交互に下唇を何度も弾いていた。
「君のことよろしくって」
「へえ」
おそらくアツミさんの話した内容を把握しているのだろう、まるで信じる気などなさそうにせせら笑った。
「本当はお姉ちゃんも来たいのよ。ここから仕事に通いたいの」
アツミさんと姉は社会人になってからはなかなか一緒に遊ぶ機会も減っているし、学生時代は何度か互いの家に泊まりに行ったりしていたのだから、それはそうだろうとは思う。
「そういうことじゃないのよ」
上四元クシナは言動に険を宿すと、僕のそばまで近づいてきた。
何もしゃべらず、硬い表情のまま顔を寄せ、くちびるを重ねようとする。
彼女の両肩を掴んで突き放し必死に抵抗を試みると、両腕を下からくるりと回すように振り上げて僕の手を払い除けた。そのまま一回転させた右の拳で僕の顎をしたたかに打ちつけると、すかさず顔面にストレートを打ち込んで止めを刺す。
バスルームの扉が開く音が聞こえた。
冷ややかな視線で倒れ込んだ僕を見下していた上四元クシナは何もいわずにリビングを出て行った。
廊下で姉と会ったのだろう、聞こえてくる彼女の声はとても機嫌がよさげでさきほどまでの峻険さは影を潜めていた。
ブラトップにパンティというくつろぎスタイルにして戦闘服で戻って来た姉は髪を拭きながらミネラルウォーターを取り出した。
家族以外の前ではさすがに何かしら着込む姉だけど、この格好を見せているのは上四元クシナとの仲のよさを証明しているのだろう。
「クシナちゃん苦手?」
バカラのタンブラーに天然水を注ぎなら、いきなりそんなことを訊かれた。
「……に、苦手って?」
自然に振舞ろうと意識しすぎてどもってしまった。
「あなたに嫌われているかもしれないって落ち込んでいたわよ」
出会ってからさんざん浴びせられてきた言葉と拳が心に身体にフラッシュバックする。
「……嫌ってはいないよ」
苦々しい思いでなんとか言葉を押し出す。
だったらいいけれど、と姉は椅子に腰かけてタンブラーをじっと見つめた。
「彼女ぐらいの年頃の子ははナイーブだし、気をつけてあげてね」
橋の一件が胸をざわつかせる。アツミさんも姉も飛び降りの理由はきっと知らないのだろうけれど、手と背中にじんわりといやな汗が伝った。知られたらどうしようという体面を気にする自分の醜さにうんざりする。
「アツミさんから電話があった」
ごまかすつもりでもないけれど、報告がてら話題を逸らす。
「あなたが帰って来る前に用があるからって一度電話があったの。アツミ、何だって?」
「い、妹、上四元さんをよろしくって」
そう、と微笑むと姉は寝床の準備に向かった。
姉は両親が家を空けて以降はスパーリングで使用する自分の部屋ではなく、ほとんど一階の寝室か仕事など調べ物があるときは書斎やリビングで寝起きしている。寝室は上四元クシナに明け渡すようだ。
昨日の今日で疲れていることもあり、この日はもう寝ることにした。
翌朝。
いつもより早めに起床し、軽くシャワーを浴びてダイニングに行くと、エプロン姿の上四元クシナが甲斐甲斐しく動き回っていた。
「ナナギ、おはよう」
テーブルにはすでに朝食の用意がしてある。焼き鮭に出汁巻き卵、味噌汁は細かく切ったわかめと賽の目の木綿豆腐、油揚げ、さやいんげんが入っていた。
「これ、ナナギの好きな具なんでしょ」
上四元クシナがご飯をよそう。
母でも姉でもない女性からこんな風にご飯をよそってもらうなんてすごく新鮮な気分だ。
ほぐした鮭と振りかけたレモン果汁を混ぜていると姉が起きてきた。
「ごめんね、クシナちゃん。甘えちゃって」
「私がしたいっていったんですから、気にしないで下さい。あと、これお弁当です」
いかにも女子高生らしいランチボックスを姉と僕に差し出すと、一足先に家を出た。学生時代の姉がそうだったように今ぐらいの時間に出ないと間に合わないのだろう。
出汁巻き卵に大根おろしを乗せて頬張ると、姉が嬉しそうに訊いてきた。
「クシナちゃん、お料理上手でしょう?」
ふわふわでよく火の通った出汁巻き卵は文句なく旨かった。
「御味御汁、あなたの好きなものばかりね」
「姉さんが教えたの?」
「いけなかったかしら」
すごく真剣にあなたの好きなもの訊かれたのよと味噌汁を啜る。なるほどご飯にしても僕の好きな硬めに炊いてるし、
「お弁当はサンドイッチらしいわよ」
サンド系に弱いことまで知っているとはリサーチは万全なようだった。
「本当、おいしいわね」
姉はしあわせそうに朝食を消化しながら僕を見た。
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