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パラサイト
益鳥
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「いきなり押し掛けてしまってごめんなさい」
以前に買い物に行ったとき同様、制服姿の十鳥さんは大福と思しき和菓子の包みを差し出しながらばつの悪そうな苦笑を見せた。
「お友達、たくさん見えているのね」
シギたちの靴に目をやる十鳥さんをダイニングへ招き入れるべく、スリッパを出す。
「……あ、十鳥さん?」
彼女を認めて、リビングから声を上げたのはシギ。直接会ったのは初めてかもしれない。十鳥さんは一礼すると、一点をじっと見つめていた。
その先に居座っているかりそめの同居人が、この日初めて機嫌のいい声で微笑んだ。
「やっぱり呼んでるんじゃない。ナナギのうそつき」
「呼ばれてないわね」
上四元クシナの好意的な非難に躊躇していると、十鳥さんがステンレスでも仕込んだかのような硬質な声で答えた。
「勝手に来たの」
アームチェアに両ひざを抱え込むように身体を捻っていた上四元クシナはやっと対等な相手が来たとばかりにそれを解除すると、居住まいを正し、まっすぐに十鳥さんを見据えた。
「図々しいのね、あなた」
「ええ。図々しいの、私」
挑発的な言葉や視線をぶつける上四元クシナに対し、十鳥さんはどこまでも平静であった。背中しか見えないけれど、口調から察するに表情はいつも通りなのであろう。
「十鳥さん、ここでいい?」
さっきまで自分が座っていた一人用アームチェアを引く。
リビングに一堂に会する女子たちの視線を浴びながら、十鳥さんはありがとうと微笑むとゆったりとした仕草で腰を下ろす。
なんとなくだけど、紅茶は飲まない気がしたので所望の飲み物を訊くと、果たして十鳥さんは日本茶をリクエストした。
お湯で温めた急須に玉露を入れ、浸出のためにしばらくして待ってから姉や僕がたまに使っている湯呑みに注ぐと、みずみずしくてきりっとした香味が立ち上ってきた。
「ありがとう、一君」
十鳥さんが手にした雀が描かれた湯呑みに最初に反応を見せたのは左衛門三郎のお嬢様。
「九谷焼ですね」
「……そうなの?」
左衛門三郎のお嬢様はこれを手がけた伝統工芸士の名前まで口にしながら、九谷焼の歴史などを滔々と語った。両親が愛用している夫婦湯呑みも同じ柄だけど、姉も僕もあまりお茶は嗜まないので、出番はそんなにない。
自分の場所を譲ったので、どうしたものかと思案していると、シギが羽二生さん側に身体を寄せて一人分の空間を作ってくれる。気を利かせてくれたシギには悪いけれど、すぐそばにいる羽二生さんのこととかいろいろ考えてしまってなんとなく素直に従う気にはなれず、ダイニングから椅子を一脚引っ張ってきて、十鳥さんとシギの間くらいに引き気味に座った。
あらためてリビングを見渡してみる。
パッと見、女子会の様相を呈してはいるけれど、気心の知れた者同士の集まりでは決してないのが厄介である。
居候として君臨する上四元クシナ、こちらから誘ったシギ、そのシギが誘った三苫さんと左衛門三郎のお嬢様、その流れで来ることになった羽二生さんは姉目当て。
よく分からないのが十鳥さんだ。
「で、今日は何しにいらしたの?」
上座に坐す上四元家のご息女が欣喜に堪えないといった風に端麗な貌を歪めて、玉露を啜る十鳥さんを睨めつける。
「明確な理由がなければ来てはいけないのかしら」
「明確な理由があるからこそあなたはここに来たんでしょう?」
上四元クシナはその理由とやらを見越した上で訊いている、と思った。
「もう一度訊くわ。今日、ここに何しに来たの」
「邪魔しに来たの」
十鳥さんの放ったひとことは明快であった。
「誰の、かしら」
「あなたの、よ。上四元クシナさん。私は今日、ここにあなたの邪魔をしに来たの」
間違いなく、今、十鳥さんと上四元クシナを結ぶ直線上では見えない火花が散っていた。不愉快そうな十鳥さんと愉快そうな上四元クシナはしかし、同じ熱量でもって舌戦を繰り広げている。うかつに間に入ると、火傷では済みそうにない。
「突然やって来てもナナギが迷惑するだけじゃない」
ね、ナナギ? とこちらに視線を投げて寄越す。
「よいことのためには招かれてはじめて出かけて行くけれど、不幸なことのためには自分の方からすすんで出かけて行く。友だちとはそういうものなの」
十鳥さんの言葉には迷いがなかった。
「一君、迷惑ならいって。私は一君に従うから」
同居人の判断は仰ぐ気などないというように敢然といい切る。こういう状況で迷惑だといえるはずもないし、そもそも迷惑でもない。
「……せっかく来てくれたんだし、ゆっくりしていって」
十鳥さんはええ、と頷くとふたたび玉露を啜った。
上四元クシナはお冷を口に含みながら、本当に楽しそうにしていた。
「あなたって面白いわね。ナナギが迫ってきたら喜んで身体を許すんじゃない?」
異議申し立てをすべく口を開きかけたとき、左衛門三郎のお嬢様が眉間に皺を寄せた。
羽二生さんも整った眉を歪めて不快さを露にしている。
三苫さんも一瞬、色を作したけれど、さっきやり込められたのが効いているのか、すぐに滾った情念を引っ込めるのが分かった。
シギだけは不思議そうな表情で上四元クシナを見つめながらロールケーキを頬張っている。そういえばシギは小さい頃からこの手のお菓子はそのままパクついていたけれど、いつからこうなのだろう、器用にフォークを使って横倒しにしたロールケーキを放射状に切り分けて口に運んでいた。
「ナナギが笑えっていったら笑うの、あなた」
上四元クシナの挑発は止むことなく、ニューカマーたる十鳥さんに襲いかかる。
「ねえ、ナナギのいうことなら従うんでしょう。踊れっていったら踊るのかしら」
愉悦に酔い痴れるかのように身体を乗り出し、執拗に迫る様はあの日の名演を髣髴とさせるけれど、空気を読んでいるのか、そこまで狂気に彩られてはいない。
無反応の十鳥さんに畳みかけるように攻勢は続く。
たとえば、と上四元クシナが口角を吊り上げた。
「死ねっていわれたら、死ぬの? 十鳥さん」
ねえ、とテーブルの端を両手で掴みながら、ずいと詰め寄る。見開かれた瞳孔がブラックホールのごとくすべてを吸い尽くすみたいに思えてぞっとした。
十鳥さんが立ち上がった。応戦するのではないかと思わず緊張した刹那、小さな笑い声が上がった。
シギはロールケーキの乗った皿を置いて上四元クシナを見つめていた。
「ナギちゃんは、そういうこと絶対いわないよ」やさしい声と表情だった。
上四元クシナと十鳥さんが虚を衝かれたような表情でシギを眺めている。
左衛門三郎のお嬢様はカップを手にしたまま、目を閉じて静かに頷いていた。三苫さんも自分を納得させるみたいに小刻みに何度も頷いている。口元を固く閉じ、どことなくこわばった表情を見るに、さきほど自分をやりこめた同居人への当てつけにも思える。
羽二生さんだけは一人、事の成り行きに身を任せることを拒否しているみたいに、優雅にティータイムを堪能していた。
十鳥さんは何ごとかをいいかけていたようだったけれど、それを口から出すことはなく、ゆっくりとした仕草でふたたび腰を下ろした。
「上四元さんも座ろう?」
取り残されたかたちの上四元クシナにシギが声をかける。淀んだかのようなジト目に若干の不快感を乗せていたけれど、それはすぐに消して澄ました顔で上座に身体を丸めた。
シギはふたたび芍薬がモチーフのプレートを手にし、ロールケーキに取り掛かっていた。
幸せそうに渦巻きのスポンジケーキを頬張るその横顔を見ているうちに、さきほどの小さな笑い声や発言、上四元クシナへのフォローは張り詰めた場の雰囲気を緩和させるつもりだったのかもしれないと考えたりした。
今日の私服姿といい、ケーキの食べ方といい、シギも大人になっているんだなとロクみたいな親心に似た感想を人知れず抱く。
「一君」
平常を取り戻したリビングの沈黙を破ったのは十鳥さんだった。
「テレビ、いいからしら」
すっとリビングの端にある大型液晶を指差す。環境を整えればネットにも繋げられるらしいけれど、家族の誰も興味がないので機能は生かされていない。
「……あ、うん、どうぞ」
リモコンを手渡すと、十鳥さんはありがとうと微笑んで主電源ボタンを押した。見たい番組のチャンネルなのだろう、すぐさまBSに合わせていた。
リビングにいる皆が注視する中、浮き出た映像は町娘といった体の女性が何者かに追われているところであった。時代劇らしい。
袋小路に追い詰められ怯える町娘。覆いかぶさる影。見開かれる目。
と、ここで「てぇへんだ、てぇへんだ! おやぶんてぇへんだァ!」という叫び声とともに妙に能天気なイントロが流れ始めた。
「これ、おばあちゃんが観てるのだ」
反応したのはシギ。
画面には時代劇には似つかわしくないポップな書体で【ひょっこり十兵衛】と出ていた。
オープニングが終わりCMが明けると、町人たちがむしろを被せた亡き骸を囲んでいる画が飛び込んできた。
その中の一人が「てぇへんだァ」と絶叫しながら居酒屋に転がり込むと、「なんでぇ騒がしい」と精悍な顔つきの着流しが振り向く。
おそらくこれがひょっこり十兵衛なのだろう。
いわゆる岡っ引きコンビと思われるこの二人が事件の真相を暴き、町娘の仇を討ち、懐妊していたその妹が産まれたばかりの我が子に亡き姉の名前を付けて大団円――。
左衛門三郎のお嬢様も三苫さんも羽二生さんも、そして上四元クシナもみな呆気に取られていた。
唯一、シギだけが身内が観ている番組ゆえの慣れからかミニケーキをもごもごと頬張りながら興味深げに観ていた。
十鳥さんが満足げにリモコンで液晶の電源を切る。
ふたたび訪れる静寂。空気は明らかに停滞していた。
ゲストが来て以降、ずっと挑発的な言動を隠すことなく振りまいていた上四元クシナはこれを機に大人しくなった。これを狙ってテレビを付けたのだろうかと勘ぐりたくなるくらいの効果である。
お茶を啜る十鳥さんを眺めながら、そんなことをぼんやり考えたりした。
以前に買い物に行ったとき同様、制服姿の十鳥さんは大福と思しき和菓子の包みを差し出しながらばつの悪そうな苦笑を見せた。
「お友達、たくさん見えているのね」
シギたちの靴に目をやる十鳥さんをダイニングへ招き入れるべく、スリッパを出す。
「……あ、十鳥さん?」
彼女を認めて、リビングから声を上げたのはシギ。直接会ったのは初めてかもしれない。十鳥さんは一礼すると、一点をじっと見つめていた。
その先に居座っているかりそめの同居人が、この日初めて機嫌のいい声で微笑んだ。
「やっぱり呼んでるんじゃない。ナナギのうそつき」
「呼ばれてないわね」
上四元クシナの好意的な非難に躊躇していると、十鳥さんがステンレスでも仕込んだかのような硬質な声で答えた。
「勝手に来たの」
アームチェアに両ひざを抱え込むように身体を捻っていた上四元クシナはやっと対等な相手が来たとばかりにそれを解除すると、居住まいを正し、まっすぐに十鳥さんを見据えた。
「図々しいのね、あなた」
「ええ。図々しいの、私」
挑発的な言葉や視線をぶつける上四元クシナに対し、十鳥さんはどこまでも平静であった。背中しか見えないけれど、口調から察するに表情はいつも通りなのであろう。
「十鳥さん、ここでいい?」
さっきまで自分が座っていた一人用アームチェアを引く。
リビングに一堂に会する女子たちの視線を浴びながら、十鳥さんはありがとうと微笑むとゆったりとした仕草で腰を下ろす。
なんとなくだけど、紅茶は飲まない気がしたので所望の飲み物を訊くと、果たして十鳥さんは日本茶をリクエストした。
お湯で温めた急須に玉露を入れ、浸出のためにしばらくして待ってから姉や僕がたまに使っている湯呑みに注ぐと、みずみずしくてきりっとした香味が立ち上ってきた。
「ありがとう、一君」
十鳥さんが手にした雀が描かれた湯呑みに最初に反応を見せたのは左衛門三郎のお嬢様。
「九谷焼ですね」
「……そうなの?」
左衛門三郎のお嬢様はこれを手がけた伝統工芸士の名前まで口にしながら、九谷焼の歴史などを滔々と語った。両親が愛用している夫婦湯呑みも同じ柄だけど、姉も僕もあまりお茶は嗜まないので、出番はそんなにない。
自分の場所を譲ったので、どうしたものかと思案していると、シギが羽二生さん側に身体を寄せて一人分の空間を作ってくれる。気を利かせてくれたシギには悪いけれど、すぐそばにいる羽二生さんのこととかいろいろ考えてしまってなんとなく素直に従う気にはなれず、ダイニングから椅子を一脚引っ張ってきて、十鳥さんとシギの間くらいに引き気味に座った。
あらためてリビングを見渡してみる。
パッと見、女子会の様相を呈してはいるけれど、気心の知れた者同士の集まりでは決してないのが厄介である。
居候として君臨する上四元クシナ、こちらから誘ったシギ、そのシギが誘った三苫さんと左衛門三郎のお嬢様、その流れで来ることになった羽二生さんは姉目当て。
よく分からないのが十鳥さんだ。
「で、今日は何しにいらしたの?」
上座に坐す上四元家のご息女が欣喜に堪えないといった風に端麗な貌を歪めて、玉露を啜る十鳥さんを睨めつける。
「明確な理由がなければ来てはいけないのかしら」
「明確な理由があるからこそあなたはここに来たんでしょう?」
上四元クシナはその理由とやらを見越した上で訊いている、と思った。
「もう一度訊くわ。今日、ここに何しに来たの」
「邪魔しに来たの」
十鳥さんの放ったひとことは明快であった。
「誰の、かしら」
「あなたの、よ。上四元クシナさん。私は今日、ここにあなたの邪魔をしに来たの」
間違いなく、今、十鳥さんと上四元クシナを結ぶ直線上では見えない火花が散っていた。不愉快そうな十鳥さんと愉快そうな上四元クシナはしかし、同じ熱量でもって舌戦を繰り広げている。うかつに間に入ると、火傷では済みそうにない。
「突然やって来てもナナギが迷惑するだけじゃない」
ね、ナナギ? とこちらに視線を投げて寄越す。
「よいことのためには招かれてはじめて出かけて行くけれど、不幸なことのためには自分の方からすすんで出かけて行く。友だちとはそういうものなの」
十鳥さんの言葉には迷いがなかった。
「一君、迷惑ならいって。私は一君に従うから」
同居人の判断は仰ぐ気などないというように敢然といい切る。こういう状況で迷惑だといえるはずもないし、そもそも迷惑でもない。
「……せっかく来てくれたんだし、ゆっくりしていって」
十鳥さんはええ、と頷くとふたたび玉露を啜った。
上四元クシナはお冷を口に含みながら、本当に楽しそうにしていた。
「あなたって面白いわね。ナナギが迫ってきたら喜んで身体を許すんじゃない?」
異議申し立てをすべく口を開きかけたとき、左衛門三郎のお嬢様が眉間に皺を寄せた。
羽二生さんも整った眉を歪めて不快さを露にしている。
三苫さんも一瞬、色を作したけれど、さっきやり込められたのが効いているのか、すぐに滾った情念を引っ込めるのが分かった。
シギだけは不思議そうな表情で上四元クシナを見つめながらロールケーキを頬張っている。そういえばシギは小さい頃からこの手のお菓子はそのままパクついていたけれど、いつからこうなのだろう、器用にフォークを使って横倒しにしたロールケーキを放射状に切り分けて口に運んでいた。
「ナナギが笑えっていったら笑うの、あなた」
上四元クシナの挑発は止むことなく、ニューカマーたる十鳥さんに襲いかかる。
「ねえ、ナナギのいうことなら従うんでしょう。踊れっていったら踊るのかしら」
愉悦に酔い痴れるかのように身体を乗り出し、執拗に迫る様はあの日の名演を髣髴とさせるけれど、空気を読んでいるのか、そこまで狂気に彩られてはいない。
無反応の十鳥さんに畳みかけるように攻勢は続く。
たとえば、と上四元クシナが口角を吊り上げた。
「死ねっていわれたら、死ぬの? 十鳥さん」
ねえ、とテーブルの端を両手で掴みながら、ずいと詰め寄る。見開かれた瞳孔がブラックホールのごとくすべてを吸い尽くすみたいに思えてぞっとした。
十鳥さんが立ち上がった。応戦するのではないかと思わず緊張した刹那、小さな笑い声が上がった。
シギはロールケーキの乗った皿を置いて上四元クシナを見つめていた。
「ナギちゃんは、そういうこと絶対いわないよ」やさしい声と表情だった。
上四元クシナと十鳥さんが虚を衝かれたような表情でシギを眺めている。
左衛門三郎のお嬢様はカップを手にしたまま、目を閉じて静かに頷いていた。三苫さんも自分を納得させるみたいに小刻みに何度も頷いている。口元を固く閉じ、どことなくこわばった表情を見るに、さきほど自分をやりこめた同居人への当てつけにも思える。
羽二生さんだけは一人、事の成り行きに身を任せることを拒否しているみたいに、優雅にティータイムを堪能していた。
十鳥さんは何ごとかをいいかけていたようだったけれど、それを口から出すことはなく、ゆっくりとした仕草でふたたび腰を下ろした。
「上四元さんも座ろう?」
取り残されたかたちの上四元クシナにシギが声をかける。淀んだかのようなジト目に若干の不快感を乗せていたけれど、それはすぐに消して澄ました顔で上座に身体を丸めた。
シギはふたたび芍薬がモチーフのプレートを手にし、ロールケーキに取り掛かっていた。
幸せそうに渦巻きのスポンジケーキを頬張るその横顔を見ているうちに、さきほどの小さな笑い声や発言、上四元クシナへのフォローは張り詰めた場の雰囲気を緩和させるつもりだったのかもしれないと考えたりした。
今日の私服姿といい、ケーキの食べ方といい、シギも大人になっているんだなとロクみたいな親心に似た感想を人知れず抱く。
「一君」
平常を取り戻したリビングの沈黙を破ったのは十鳥さんだった。
「テレビ、いいからしら」
すっとリビングの端にある大型液晶を指差す。環境を整えればネットにも繋げられるらしいけれど、家族の誰も興味がないので機能は生かされていない。
「……あ、うん、どうぞ」
リモコンを手渡すと、十鳥さんはありがとうと微笑んで主電源ボタンを押した。見たい番組のチャンネルなのだろう、すぐさまBSに合わせていた。
リビングにいる皆が注視する中、浮き出た映像は町娘といった体の女性が何者かに追われているところであった。時代劇らしい。
袋小路に追い詰められ怯える町娘。覆いかぶさる影。見開かれる目。
と、ここで「てぇへんだ、てぇへんだ! おやぶんてぇへんだァ!」という叫び声とともに妙に能天気なイントロが流れ始めた。
「これ、おばあちゃんが観てるのだ」
反応したのはシギ。
画面には時代劇には似つかわしくないポップな書体で【ひょっこり十兵衛】と出ていた。
オープニングが終わりCMが明けると、町人たちがむしろを被せた亡き骸を囲んでいる画が飛び込んできた。
その中の一人が「てぇへんだァ」と絶叫しながら居酒屋に転がり込むと、「なんでぇ騒がしい」と精悍な顔つきの着流しが振り向く。
おそらくこれがひょっこり十兵衛なのだろう。
いわゆる岡っ引きコンビと思われるこの二人が事件の真相を暴き、町娘の仇を討ち、懐妊していたその妹が産まれたばかりの我が子に亡き姉の名前を付けて大団円――。
左衛門三郎のお嬢様も三苫さんも羽二生さんも、そして上四元クシナもみな呆気に取られていた。
唯一、シギだけが身内が観ている番組ゆえの慣れからかミニケーキをもごもごと頬張りながら興味深げに観ていた。
十鳥さんが満足げにリモコンで液晶の電源を切る。
ふたたび訪れる静寂。空気は明らかに停滞していた。
ゲストが来て以降、ずっと挑発的な言動を隠すことなく振りまいていた上四元クシナはこれを機に大人しくなった。これを狙ってテレビを付けたのだろうかと勘ぐりたくなるくらいの効果である。
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