姉はすべてを支配する。さればわれらも姉に従おう。

さいきごそ

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パラサイト

変心

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 早めに目覚めた日曜の朝。
 散歩に出るべく階段を下りて行くと玄関に人影があった。
 上四元クシナは襟ぐりが大きく開いた黒のブラウスにミニスカート姿で佇んでいた。その色合いや不規則に存在するフリルなどアバンギャルドなデザインぶりから、失礼ながら凶兆の使者を想像させる。ブラウスのフロントに他の生地とは独立して垂れ下がっているジップは実用性は皆無でただデザインとして存在しているのであろう。
「おはよう、一君・・
 昨日の夜、ほとんどの同級生たちが帰ったあと、ずっと寝室に引っ込んでいたこともあり、へそを曲げているもかとも思ったけれど、表情だけ見る限りそれは杞憂のようであった。
 悠然たる笑みを浮かべる彼女の傍らには黒地に白い水玉のキャリーバッグが鎮座している。
「お世話になりました」
 恭しく頭を垂れる様は一切の装飾を取り払ったかのような潔さを感じさせ、出会ってからこっち見たことのない一面であった。
「ナナミさんによろしく」
 そういってドアノブを回す。
「……ま、待って」
 慌てて三和土に下り、スニーカーを履く。
「送るよ」
 なぜそういったのか、自分でも分からないけれど、玄関で見送るのも憚られる気がした。

「……急、だね」
 この時期は明るくなるのも早い。今頃の時間になるとウォーキングやジョギングなどで身体を動かす人の数が増える。
 彼女のブラウスは背面も大きく刳られており、横に一本渡された紐は真ん中で行儀よく結ばれていた。大胆なデザインの服装と露出した肌は朝の住宅街では非常に浮いており、すれ違う人たちが判で押したように振り向くのが分かる。
「いい加減、迷惑でしょう」
 うつむきながらそうつぶやく彼女はいじけてるようにも皮肉をいっているようにも見えず、また演技などをしているようには感じられず、いつもの饒舌さは影を潜め、挑発的な態度は霧散したかのようであった。
 上四元クシナは自分からは何も話すことはなく、かといってこちらから話を振るのもなんだか躊躇われ、そんなちっぽけな葛藤を繰り返しているうちに駅が見えてきた。
「見送りありがとう」
 券売機で切符を買ったあと、改札へ向かいながらごく自然な声音で礼を口にする。
 昨晩、いやにあっさりと寝室に引っ込んだことも意外であったけれど、突然の帰宅といい、今日の言動といい、調子が狂いっ放しだ。
 もちろん、彼女のことだから演技といってしまえばそうなのかもしれないけれど、悟ったかのような、申し訳程度の笑みは知計の類を感じさせないくらい自然だった。
 自動改札を抜けると、ぴたりと足が止まった。
 休日、それも早朝の構内は人影はなくしんと静まり返り、いつも以上に冷え込んでいる気さえする。
 華奢な、しかし情けの一切を拒絶するかのようなその背中からは何事も読み取れない。
「一君」
 振り向いた彼女の端正な顔には何の感情も浮かんではいなかった。
「羽二生さんだったかな。すごく素敵な人よね。一君とお似合いだと思うな」
 思考が一瞬止まる。
「さよなら」
 口元に笑みを覗かせると、こちらの反応を待つことなく颯爽と立ち去っていった。

               *

 家に帰る道すがら、彼女が去り際に発した言葉の意味を考えてみたけれど、腑に落ちる答えには辿りつけなかった。気になるといえば僕を呼び捨てではなく、一君・・と呼んでいたのには深い意味でもあるのだろうか。
 こちらの態度に合わせるように言動を臨機応変に変えては面白がるのが彼女の常套なのだけれど、今日はまるでそんなことなど気にもかけないといった風であった。
「おはよう、一君」
 帰ると、制服を着た十鳥さんがダイニングテーブルに座っていた。
 リビングには布団が畳んであり、隣に並べられた布団にはまだシギが丸まっているのか、こんもりと盛り上がっていた。
 自分の家ではないから強制的に起こされる心配はなく、休日で時間も気にせずに思う存分眠れるから朝の弱いシギからすればさぞかし至福のときなのだろう。
「上四元さん、帰ったのね」
 先ほどの玄関先でのやり取りを聴いていたのかもしれない。小声なのはシギを気遣っているだろう。
 他人の家だから勝手ができないということもあるのだろうけれど、ただ座っている十鳥さんはどうにも手持ち無沙汰に見えた。
「お茶、淹れるね」
 普段は出番のない急須や湯呑みも昨日今日と大活躍だ。
 お湯沸かす一方で、朝食の準備に取り掛かった。シギの仕事を取るのも何だけれど、未だ夢心地なのをわざわざ起こすこともないだろう。
 カリカリに焼いたベーコンと目玉焼き、トーストという定番にして手抜きのブレックファストなので時間もかからない。
「パンでよかった?」
 フォークで崩した目玉焼きをパンに乗せて品よくかじる十鳥さんは不思議と我が家のダイニングに馴染んでいる。
「ええ。一君も器用なのね」
 この程度の準備でそういわれるのも不本意な気がするけれど、十鳥さんには他意などないのだろう。
 カリカリベーコンを噛み砕きながら、ふと気になっていたことが思い出される。
「十鳥さん、ひょっとして上四元さんがうちにいるの知ってたの?」
 昨日、彼女が来たのは偶然には思えなかった。ただ知っていたとしてなぜそれをという疑問は残る。なにしろ誘ったロクたちにすら上四元クシナの存在は黙ったままだったのだ。
「ええ。アツミさんに聞いたの」
 ……なるほど。十鳥さんはアツミさんの勤めるデパートの常連で顔見知り。分かってみれば簡単なことではある。
「妹、上四元さんが一君のところに押しかけてるって困り顔だった。彼女、一君だけじゃなく実のお姉さんにも迷惑かけているのね」
 呆れているようにも怒っているようにも感じられない口調であった。むしろ――本人は否定するだろうけれど――親友・・に対する憂慮に思えなくもない。
 と、リビングからシギの唸り声が上がった。未だに夢の中らしい。
 それを聞いた十鳥さんは心の底から可笑しそうに微笑んだ。
「七ツ役さん、何度も一君の名前呼んでいたのよ」
「シギはよくうなされるからなあ……迷惑かけたんじゃない?」
 保護者みたいねとふたたび可笑しそうに笑う。
「あれは魘されるというより、何か楽しいことをしているような感じだった」
「何かをたくさん食べてる夢かな、大抵そういう内容だから」
 十鳥さんはじっとこちらを窺うように、一君は何でも分かるのねとつぶやいた。
「う~ん……ナギちゃん、もうムリだよ、お腹いっぱい」
 狙ったようにシギの寝言が飛んでくる。いったい何を召し上がっているのやら。
「本当、何でも分かるのね」
 十鳥さんは布団の中でうごめく幼なじみを眩しそうに、しかしどこか憂いを帯びた目で見つめていた。
 この日シギはお昼くらいまでたっぷり睡眠を取り、のっそり起き上がりながらの最初のひとことは「お腹空いた」であった。
 浮遊感たっぷりの言動を見るに料理に取りかかれるような状態ではないようなので、僕がキッチンに立った。
 シギのリクエストはホットケーキ。アイスクリームにチョコレートソースをかけたものが大好物で食べたいものは何かと訊くとまずこれになる。
 さっくりと焼いたパンケーキを重ねてアイスクリームにチョコレートソースなどご所望のトッピングを載せ、切ったバナナを付け合せたら完成。
 いただきまーすと元気にホットケーキに取り掛かるシギの声を聞きながらリビングの隣、書斎に目を向ける。
 シギが寝ている間、父が本をたくさん持っている話になり、十鳥さんがとても興味深げだったので書斎へ案内したら、すっかり気に入ってしまったようで部屋から出てくる気配がまるでない。
 今は姉専用といった感じで美術関係の本もちらほら見受けられるけれど、それでも圧倒的に父の蔵書が多い。とはいえ読書家というわけではなく本人曰くかっこつけでお高くて著名でよさげな古典の本を買い続けていたら、こうなったとかで所有者のくせにほとんど手付かずというのが真相らしい。むしろ姉の方が積極的に読んでいるみたいで、父が明け渡しを申し出るまでもなくこの書斎は完全に姉のテリトリーである。
 最初、招き入れたときにここは姉の部屋みたいなものだといったらわずかに躊躇を見せていたけれど、美術書を除けばほとんどは父の買ったものだといったら安心していたのが印象的だった。十鳥さんは本当に姉が嫌いなようだ。
「いいの見つかった?」
 全集だろうか、パラフィンに包まれた茶色い函を大切そうに棚に戻していた。
「一君のお父様って物を大切にされる方なのね。どれも新品みたいにきれい」
 感激している十鳥さんにはなんだけれど、きれいなのは買うだけ買って読まずに放置していたからである。
「本当にすごい」
 とても幸せそうな表情で居並んだ背表紙を見つめる。僕の人生にはなんの関わりも興味もないカタカナのオンパレードで見ているだけで逃げ出したくなる。
「これは何かしら」
 書棚の横にこぢんまりと存在している四角い箱を指差す。父が子供の頃に買ったレコード群を納めたカラーボックスだ。シングルやLP盤、左側の抽斗にはカセットテープもある。僕らの世代には馴染みのないメディアのオンパレードだ。
 十鳥さんが一枚のレコードを手に取る。ジャケットは煙草を吸っているアーティストが火の付いた先でLOVEと書いてあるのが印象的なアルバムだった。
「その人、父さんのヒーローだったんだって」
 十鳥さんがビニールに包まれた正方形からふと顔を上げた。
「他の子供みたいに漫画とか特撮とかには見向きもしなかった父さんが唯一夢中になったのがその人だっていってた」
 抽斗からカセットテープを取り出す。オレンジ、イエロー、ブルー。色とりどりのカセットテープは今の時代には逆に新鮮に映る。
「レンタルレコード店とか出来たとき、こういうテープに録音したいんだけれど、レコードプレイヤーしかなかったからこうやって……」
 思わず父から聞いた際のポーズを再現する。
「ラジカセをスピーカーに近づけて録音していたみたい。だから音を立てないようにじっとしているのが辛かったとか外を車が通るたびに心の中で悪態をついたとかいってた」
 自分でもこうも饒舌になるのは意外だったけれど、じっと聞き入り、ときおり笑い声をこぼす十鳥さんを前に舌も滑らかだった。
「もうレコードもカセットもプレーヤーがないから無用の長物なんだけれど、母さんの方が捨てるのはイヤだって取ってあるんだ。父さんの思い出は自分の思い出だっていって」
 手にしたレコードやカセットを眺める十鳥さんは感慨深げに、ご両親はとても仲がいいのねとつぶやいた。
 しまった、と思った。と同時に彼女がそういうことを気にするタイプではないのは理解してはいた。でも軽率なのは事実だ。
「ナギちゃん?」
 シギが顔を覗かせた。ホットケーキを食べ終えたらしい。
「あ、どうだった? ホットケーキ」
 微妙な空気になりかけた中、渡りに船とばかりに幼なじみに向き直る。
「おいしかった」
 シギは後ろでに手を組みながら入ってきた。
「ナギちゃんの作るものはなんでもおいしいよ」
 何度聞いたか分からない、粉飾を排した嘘偽りのないセリフを口にする。
 シギは十鳥さんの手にしていたレコードを見ると、懐かしいと顔をほころばせた。
「ナギちゃんの隣にいた頃によく聴いてたね」
 あの頃はまだレコードプレーヤーがあった。とはいえ父が十代の頃に買ったものなので大層なアンティークっぷりだったけれど。レコードで音楽を聴くということは、ポリエチレンの袋から取り出したり、クリーナーで表面を拭いたり、レコード針をこまめにメンテナンスしたり、聞き終わったらいちいちひっくり返したりとずいぶん煩雑なんだなと子供心に思ったりした。
 そんな昔話をしている間、十鳥さんはじっとレコードを見つめたままであった。最初はシギとふたりで勝手に盛り上がって孤立させたのかもしれないとも考えたけれど、すぐに答えに行き着いた。
「……それ、聴いてみたい?」
 顔を上げた十鳥さんの表情はそれを雄弁に物語っていた。
「でもプレーヤーはもうないのでしょう?」
 喜びの中にも諦観がたゆたっている、そんな眼差しであった。
「それ、CDで買い直してるんだ」
 リビングに戻りマガジンラックの片隅からCDを取り出すと、ダイニングにあるCDプレーヤーに挿し込む。料理をするときに母が愛用している低音再生技術が売りの逸品だ。
 軽快なラテンのイントロが流れる。
 十鳥さんはダイニングテーブルに座って目を閉じていた。
 シギと頷き合うと邪魔にならないようにふたりでリビングに移動した。
 こうしてゆったりとした日曜日は過ぎていき、慌しい週末は終わりを告げた。

 そしてそれは、少なくとも僕にとっては悪夢のはじまりでもあった。
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