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シナリオ
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たかが一週間。
されど一週間。
久しぶりに制服に腕を通すときはなんだかこそばゆさを感じて、意味もなく頬がアツくなるのを感じた。
一週間という長いのか短いのかよく分からない微妙な期間は、ただでさえ威圧的な校門をさらに近づけ難くさせ、そこを潜るのにもちょっとした気合いを必要とした。
引きこもりの生徒が勇気を出して学校へ行くものの、途中で引き返すシチュエーションはよく聞くけれど、気持ちはとても分かるような気がする。
学園の名物とまでいわれている校門に吸い込まれていくたくさんの緑をひとごとみたいに眺めていると、肩を叩かれた。
「おっ、ニノマエ、復活か」
クラスメイトの男子が冷やかすように笑った。
「久しぶり、ニノマエ君。もう大丈夫?」
小学校からずっと顔馴染みの女子も気遣うように声をかけてくれる。
次々とクラスメイトや同級生問わずたくさんの生徒たちからの声や視線、歓迎するみたいな平手打ちを浴びながら、校舎へ向かう途中、ひときわ元気な声が上がった。
「ナギちゃん!」
ちょっと見ない間に髪が伸びたように思える幼なじみが嬉しそうに駆け寄ってくる。
たった一週間でそんなに変化があるわけはないのに、ぐっと女らしさを感じる。顕著だったのはあの週末のお泊まり会。久しぶり見た私服やお菓子の食べ方とかいつの間にか大人っぽさを漂わせていたのも影響があるのかもしれない。
「わざわざ家に来てくれたのに、ごめん」
シギはううんと首を振る。女っぽっさと子供っぽさがちょっとした仕草一つで入れ替わる微妙なバランス。今がまさにそういう年頃なんだろうなとしみじみ痛感する。
「チーズケーキ、ありがとう。あとで三苫さんにもお礼いわなきゃ」
気がつくと大勢の同級生に囲まれながら下駄箱にいた。
「なになに?」
「二組のニノマエ君がやっと登校してきたんだって」
「あいつ休んでたのか」
「誰だよ、ニノマエって」
「有名人でも来たのか」
なんだかマスコミに群がられる世間の耳目を集める時の人にでもなった気分だ。
「おはよう、一君」
生徒の中に、ひときわ凜とした女子生徒がこちらを見ていた。
「十鳥さん、おはよう」
かすかな笑みと小さな会釈で僕を迎えてくれた十鳥さんは周りの生徒たちの邪魔にならないように静かに道をあけていた。
彼女とすれ違うとき、そっと目礼を交わす。何気ない挨拶だったけれど、ホッとするような安らぎを感じた。
十鳥さんともお泊まり会を通して、友人としてとてもいい関係を築けた気がする。
大名行列のごとき生徒の塊にもみくちゃにされながら、職員室へ行くと、先生たちからも次々に声をかけられた。
迷惑をかけた詫びを入れて、やっとクラスについた頃にはまだ授業も始まっていないのに、披露困憊の体であった。
◇
下駄箱の辺りが騒がしい。
聞こえてくる生徒たちの声からどうやらナギが登校したようだ。
やっぱあいつは人気者だ。
俺が謎の無断欠席をした挙げ句、久しぶりに出てきてもああはならないだろう。この間それを思い知らされたばかりだ。
今すぐ人を掻き分けていきたい衝動を堪えて少し離れてその様子を見つめる。
たった一週間なのにずいぶん時間が経ったようにも昨日のことのようにも感じる。
ともかくよかった。気分のいい騒動ではなかったけれど、ナギが元気ならそれでいい。
込み上げるものをぐっと我慢していると、おはようと声をかけられた。
そこにいたのは十鳥オガミ。先週のことがあるまでは接点らしい接点もなかった女子。
ナギの一件が円満――といい切るもの癪だが――解決したのはこいつのおかげだろう。
「よ、よう」
十鳥オガミは上手くいえないがなんとなく、苦手だ。
「そんな警戒をせずとも取って食うようなことはするつもりはないのだけれど」
………そうはいっても、な。
「一君と挨拶はしたのかしら」
「いや。あの中に入って行く根性はないな」
「そんなデリケートなタイプには見えないのだけど、人は見かけによらないものね」
……ああ、やっぱ苦手だ。
「あの翌日に一君の家に行ったそうよ、羽二生さん」
「そう、か」
十鳥オガミはナギへの謝罪は羽二生の自主性に委ねていたようだが、いちいち強制せずとも動くと判断したんだろう。
「本当はその日、一君の家に一緒に行って欲しいといわれたの」
「ついてってやらなかったのか」
「私も忙しいし、それに一君に謝るのは私ではなくて彼女だもの」
「シビア、だな。付き添いくらいしてやれよ」
俺のささやかな嫌味を含んだ抗議に十鳥オガミはため息をついた。
「彼女がどういう謝罪をしたのか分からないし、聞くつもりもないけれど、謝るからにはなぜああいうことをいったのか説明せざるを得ないわけだし、避けられないことでしょう」
「そりゃ、そうだ」
「そこに私が同伴していたらどうかしら。彼女が一君にぶつけた発言のきっかけ、あの噂を第三者である私も知っていたことになる」
………あ。
「少なくともそんなもの彼女と唆した人物以外は誰も知らないということにしておくに越したことはないでしょう」
俺はそこまで考えちゃいなかった。
「デマを流したやつのことは話したのかな」
「つまびらかにする必要はないわね。彼女もいっていないでしょう」
釈然しないが、ナナミさんと上四元クシナの関係を思えば、確かにそれがいいのか。ただ、あの女がこのまま大人しくしているとは思えない。
「たぶんしばらくは大丈夫。仮に妙な動きを見せたとして、私がそんなことさせない」
「自信ありげだな。上四元クシナに直接会ったのか」
「わざわざ自分からは会いに行ってはいないわね。ただ同じ町に住んでいるからこちらが気をつけていてもなかなか思い通りにはいかないものよ」
面倒で気になるいい回しをしなさる。
「しかしなあ」
大勢の同級生に囲まれるように職員室にでも行くのか左側の通路へ消えて行った親友を見送りながら、思わずひとりごちる。
「たかだか女子ひとりに罵られたショックで学校休むとかナギのやつはメンタル弱すぎだろ」
視線を感じ、横を向くと十鳥オガミがじっとこちらを見ていた。何かいいたげだ。
「………なに?」
「あなたはメンタル強そうね」
「おう、しょっちゅう女子に罵られたりしてるけれど、平気だ」
十鳥オガミは相手にもよるものよとつぶやいていた。そういうものだろうか。
「一君にとって問題だったのは内容ではなかったのよ」
「どういうことだよ?」
ふたたび向けられる切れ長の目には若干の侮蔑が混じっている気がする。
「あなたは一君の親友なのでしょう」
「ああ」
「その看板は今日限りで下ろした方がいいわよ」
どういうことだよ?
「内容っていや、ナギが吐かれた暴言って何だったんだ」
けっきょくそれは謎のままだ。隠しておかなければいけないようなものでもないと思うのだが。
十鳥オガミは歩き出しながら、ひとこと「汚らわしい」と冷たくそう言い放った。
「は?」
「二度と近づかないで」
さらなる追い打ち。さっきから何だよ。
「いくら俺が嫌いだからってそんないいかたしなくてもいいだろう」
その背中に不満をぶつけると、十鳥オガミは足を止め、振り返ることもせずに毅然といい放った。
「もし同じことを一君のお姉さんにいわれたら、あなたは堪えられるのかしら」
自慢じゃないが泣く自信がある。つか、もう生きてられない。
「だったら、一君がなぜ休んだのか、分かるはずよ」
………いや、意味が分からない。
「やっぱりあなたは一君の親友の看板は外すべきだと思うわ」
呆れた声でそう言い残し、十鳥オガミは一年の教室棟へ向かった。
………やっぱ、苦手だ。十鳥さんは。
されど一週間。
久しぶりに制服に腕を通すときはなんだかこそばゆさを感じて、意味もなく頬がアツくなるのを感じた。
一週間という長いのか短いのかよく分からない微妙な期間は、ただでさえ威圧的な校門をさらに近づけ難くさせ、そこを潜るのにもちょっとした気合いを必要とした。
引きこもりの生徒が勇気を出して学校へ行くものの、途中で引き返すシチュエーションはよく聞くけれど、気持ちはとても分かるような気がする。
学園の名物とまでいわれている校門に吸い込まれていくたくさんの緑をひとごとみたいに眺めていると、肩を叩かれた。
「おっ、ニノマエ、復活か」
クラスメイトの男子が冷やかすように笑った。
「久しぶり、ニノマエ君。もう大丈夫?」
小学校からずっと顔馴染みの女子も気遣うように声をかけてくれる。
次々とクラスメイトや同級生問わずたくさんの生徒たちからの声や視線、歓迎するみたいな平手打ちを浴びながら、校舎へ向かう途中、ひときわ元気な声が上がった。
「ナギちゃん!」
ちょっと見ない間に髪が伸びたように思える幼なじみが嬉しそうに駆け寄ってくる。
たった一週間でそんなに変化があるわけはないのに、ぐっと女らしさを感じる。顕著だったのはあの週末のお泊まり会。久しぶり見た私服やお菓子の食べ方とかいつの間にか大人っぽさを漂わせていたのも影響があるのかもしれない。
「わざわざ家に来てくれたのに、ごめん」
シギはううんと首を振る。女っぽっさと子供っぽさがちょっとした仕草一つで入れ替わる微妙なバランス。今がまさにそういう年頃なんだろうなとしみじみ痛感する。
「チーズケーキ、ありがとう。あとで三苫さんにもお礼いわなきゃ」
気がつくと大勢の同級生に囲まれながら下駄箱にいた。
「なになに?」
「二組のニノマエ君がやっと登校してきたんだって」
「あいつ休んでたのか」
「誰だよ、ニノマエって」
「有名人でも来たのか」
なんだかマスコミに群がられる世間の耳目を集める時の人にでもなった気分だ。
「おはよう、一君」
生徒の中に、ひときわ凜とした女子生徒がこちらを見ていた。
「十鳥さん、おはよう」
かすかな笑みと小さな会釈で僕を迎えてくれた十鳥さんは周りの生徒たちの邪魔にならないように静かに道をあけていた。
彼女とすれ違うとき、そっと目礼を交わす。何気ない挨拶だったけれど、ホッとするような安らぎを感じた。
十鳥さんともお泊まり会を通して、友人としてとてもいい関係を築けた気がする。
大名行列のごとき生徒の塊にもみくちゃにされながら、職員室へ行くと、先生たちからも次々に声をかけられた。
迷惑をかけた詫びを入れて、やっとクラスについた頃にはまだ授業も始まっていないのに、披露困憊の体であった。
◇
下駄箱の辺りが騒がしい。
聞こえてくる生徒たちの声からどうやらナギが登校したようだ。
やっぱあいつは人気者だ。
俺が謎の無断欠席をした挙げ句、久しぶりに出てきてもああはならないだろう。この間それを思い知らされたばかりだ。
今すぐ人を掻き分けていきたい衝動を堪えて少し離れてその様子を見つめる。
たった一週間なのにずいぶん時間が経ったようにも昨日のことのようにも感じる。
ともかくよかった。気分のいい騒動ではなかったけれど、ナギが元気ならそれでいい。
込み上げるものをぐっと我慢していると、おはようと声をかけられた。
そこにいたのは十鳥オガミ。先週のことがあるまでは接点らしい接点もなかった女子。
ナギの一件が円満――といい切るもの癪だが――解決したのはこいつのおかげだろう。
「よ、よう」
十鳥オガミは上手くいえないがなんとなく、苦手だ。
「そんな警戒をせずとも取って食うようなことはするつもりはないのだけれど」
………そうはいっても、な。
「一君と挨拶はしたのかしら」
「いや。あの中に入って行く根性はないな」
「そんなデリケートなタイプには見えないのだけど、人は見かけによらないものね」
……ああ、やっぱ苦手だ。
「あの翌日に一君の家に行ったそうよ、羽二生さん」
「そう、か」
十鳥オガミはナギへの謝罪は羽二生の自主性に委ねていたようだが、いちいち強制せずとも動くと判断したんだろう。
「本当はその日、一君の家に一緒に行って欲しいといわれたの」
「ついてってやらなかったのか」
「私も忙しいし、それに一君に謝るのは私ではなくて彼女だもの」
「シビア、だな。付き添いくらいしてやれよ」
俺のささやかな嫌味を含んだ抗議に十鳥オガミはため息をついた。
「彼女がどういう謝罪をしたのか分からないし、聞くつもりもないけれど、謝るからにはなぜああいうことをいったのか説明せざるを得ないわけだし、避けられないことでしょう」
「そりゃ、そうだ」
「そこに私が同伴していたらどうかしら。彼女が一君にぶつけた発言のきっかけ、あの噂を第三者である私も知っていたことになる」
………あ。
「少なくともそんなもの彼女と唆した人物以外は誰も知らないということにしておくに越したことはないでしょう」
俺はそこまで考えちゃいなかった。
「デマを流したやつのことは話したのかな」
「つまびらかにする必要はないわね。彼女もいっていないでしょう」
釈然しないが、ナナミさんと上四元クシナの関係を思えば、確かにそれがいいのか。ただ、あの女がこのまま大人しくしているとは思えない。
「たぶんしばらくは大丈夫。仮に妙な動きを見せたとして、私がそんなことさせない」
「自信ありげだな。上四元クシナに直接会ったのか」
「わざわざ自分からは会いに行ってはいないわね。ただ同じ町に住んでいるからこちらが気をつけていてもなかなか思い通りにはいかないものよ」
面倒で気になるいい回しをしなさる。
「しかしなあ」
大勢の同級生に囲まれるように職員室にでも行くのか左側の通路へ消えて行った親友を見送りながら、思わずひとりごちる。
「たかだか女子ひとりに罵られたショックで学校休むとかナギのやつはメンタル弱すぎだろ」
視線を感じ、横を向くと十鳥オガミがじっとこちらを見ていた。何かいいたげだ。
「………なに?」
「あなたはメンタル強そうね」
「おう、しょっちゅう女子に罵られたりしてるけれど、平気だ」
十鳥オガミは相手にもよるものよとつぶやいていた。そういうものだろうか。
「一君にとって問題だったのは内容ではなかったのよ」
「どういうことだよ?」
ふたたび向けられる切れ長の目には若干の侮蔑が混じっている気がする。
「あなたは一君の親友なのでしょう」
「ああ」
「その看板は今日限りで下ろした方がいいわよ」
どういうことだよ?
「内容っていや、ナギが吐かれた暴言って何だったんだ」
けっきょくそれは謎のままだ。隠しておかなければいけないようなものでもないと思うのだが。
十鳥オガミは歩き出しながら、ひとこと「汚らわしい」と冷たくそう言い放った。
「は?」
「二度と近づかないで」
さらなる追い打ち。さっきから何だよ。
「いくら俺が嫌いだからってそんないいかたしなくてもいいだろう」
その背中に不満をぶつけると、十鳥オガミは足を止め、振り返ることもせずに毅然といい放った。
「もし同じことを一君のお姉さんにいわれたら、あなたは堪えられるのかしら」
自慢じゃないが泣く自信がある。つか、もう生きてられない。
「だったら、一君がなぜ休んだのか、分かるはずよ」
………いや、意味が分からない。
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