姉はすべてを支配する。さればわれらも姉に従おう。

さいきごそ

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年上のひと

誘惑Ⅱ

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「年上の彼女が来たんだって?」
 アイカワさん経由で知ったのだろう、時間的に僕が仕事に入る頃に休憩しているシオノさんは興味深げに聞いてきた。
「いえ、姉の親友ですよ」
「……ほう」
 その語感には疑念がうっすらと滲んでいる気がした。
「キミは実にモてるんだねえ」
 感心しているようでしていない話しぶりでそんなことを口にすると、シオノさんは意味ありげにそこで切った。なんとなく、次の言葉が想像できる。
「特に年上の女性にさ」
 さ、のところを強調する。視線は追ってはいなかったけれど、たぶんニカイドウさんに向けたのだと思う。
「その年上の女性にはシオノさんも入っているんですか」
「……いうねえ、キミ」
 切り返されるとは思わなかったのか、一瞬、息を呑みながら何とか言葉を押し出すシオノさんに笑いそうになる。
 化粧っ気はなく、話し方もフランクなシオノさんとは年上でありながらも同級生のように気軽に話せるのでけっこう会話が弾んだりする。いい意味でセックスアピールには縁遠い軽くパーマをあてたショートヘアも僕としては警戒心を抱かせない長所だと捉えている。
「そんなこというと、こっちも本気になるぞ」
「どういうことですか」
「今度デートしてよ」
 ニカイドウさんの方から忙しなく聞こえていた梱包用のPPバンドのかさかさという音が一瞬、止まるのが分かった。
「デートくらいキミなら日常茶飯事なんでしょ」
 自慢じゃないけれど、デートと呼べるような体験は未だにない。一時期、上四元クシナに振り回されていたことはアタマを過ぎったけれど、あれは違う。違うと思いたい。
「そんなこと、ないです」
「そうなのかあ?」
 シオノさんは拍子抜けしたようにいうと、デートのこと考えておいてなと捨て台詞と共に売り場へ舞い戻っていった。
 ぎゅうううううっとストッパーに通し終えたPPバンドを残酷に締め上げる音がバックルームに響く。まるで今のニカイドウさんの気持ちを表すかのような不穏で不吉な音に身が縮まる思いがする。
「……終わった、と」
 ニカイドウさんは返本雑誌が詰まった梱包済みのダンボールを持ち上げると、バックルームの入り口に積み上げた。これらは閉店後に風除室に運ばれ、翌朝、雑誌を配送している運送会社の人が回収するのだ。
 今日のニカイドウさんは何ごともなかったように、普段通りであった。
 いつものように挨拶し、いつものように仕事に励んでいる。
「じゃあ、一君は文庫の方やってくれるかな」
 その日も時間いっぱいまで返本作業に勤しみ、問題の帰宅時間になった。
 心のどこかではまだみっともなく、アツミさんがまた迎えに来てくれないかなと願っていたりしたけれど、そんなことはないまま、ニカイドウさんが着替え終えてしまうのだった。
「お待たせ」
「………あ」
 ニカイドウさんはオフショルダーのフリルカットソーにティアードのミニスカートを大胆に組み合わせていた。仕事中は薄めていた化粧も濃い目になっている。
「お先に失礼します」
 いつもより高い声でそう挨拶するニカイドウさんは誰から見ても機嫌がよかった。
「……えっ、あの」
 ニカイドウさんは僕の腕を取ると、身体をぴったりと寄せてきた。
「おいおい、不倫とか勘弁してくれよ」
 店長の困惑の混じった冷やかしと同時に、店内が色めくのが分かった。
 明日からどう対応すればいいのかと不安になる僕をよそにニカイドウさんの腕の締めつけはどんどん強くなっていく。
「見せつけちゃったね」
 まるで恋人同士のような体で店を出、車に乗り込んだ途端にニカイドウさんは満足そうに笑った。
「どういうつもりですか」
 抗議というにはあまりに情けない僕の問いにニカイドウさんは分からせてあげたの、とだけいうとキーを回した。
 四つ目はいつもとは明らかに違うコースを走っている。
「昨日、一君と行きたいところがあるっていっていたでしょう?」
 戸惑っているのが分かったのか、そう説明してくれるけれど、さっきの突飛な行動を含めて不安しか感じられない。
 車はすぐに止まった。
 どうやら公園のようだ。
「ここよ」
 どう出たらいいのか思案していると、ニカイドウさんは先に車を出て歩き始めた。
 断固として降りないという選択肢もあるのだろうけれど、それならそれで別の手段に出るのは経験則からおぼろげに理解していた。
「結婚前によく旦那とここに来たの」
 外に出て後を追ってくる僕の気配を感じたのか、こちらを振り向くことなくそんなことをいう。
「あそこの噴水で初めてキスしたんだ」
 なるほど、ライトアップされた公園の噴水はムードを持ち上げるのにひと役買っていた。もっとも、恋人たちの感情をかき乱す目的で設置されたものではないであろうけれど。
「ホテル代が惜しいからかそういう趣味かは知らないけど、ここに連れてきてはよくセックスしてたのよ。噴水をバックにしてこのベンチで励んだり、あっちの球場ではスタンドの芝生の上で頑張ったり」
 まるで他人事のようにそんなことをいうニカイドウさんは至極楽しげであった。
「たまに覗かれているのを感じるんだけれど、かまわず最後までしちゃったり。本当、若かったなあ」
 今でもじゅうぶん若いですよ、とでもいえばいいのだろうけれど、現状を鑑みればニカイドウさんのペースに巻き込まれるのは好ましくはない。
「ふたり揃って初体験が青姦なんておかしいでしょう」
 ……アオカンといものはよく分からないけれど、きっとあまりいい意味ではないであろうことは想像に難くない。
「ねえ、一君」
 振り向いたニカイドウさんは噴水を引き立てているたくさんの光源と相俟って、とても、とても美しかった。
「抱いて」
 めまいがした。
 その直接的な根源が何なのか分からないけれど、いろいろなものが歪み始めているのはぼんやりと理解できていた。
「この服、一君のために着てきたのよ」
 スカートの裾を持ち上げながらゆっくりとこちらにやって来る。そのままでも見えそうなミニなので、完全に布地が露出している。
「このパンティも一君に脱がせて欲しくてお気に入りを穿いてきたの」
 編み上げのサンダルがコンクリートを踏みしめる音が止む。ニカイドウさんは僕の手を取ると、身体を密着させてしどけない息を吐いた。
「私、覚悟決めてきたんだ」
 何のことかと発言の意図を探っていると、ニカイドウさんは表情と声に狡猾な妖艶さを乗せて耳元で囁いた。
「今日ね、危ない日なの」
 握った手に力が入る。思いが果たされるまで絶対に離さないという決意表明に思えて逃れようのない恐怖を細胞レベルで感じる。
「私、一君の赤ちゃんが欲しい」
「………あ、あの」
 さっきから歪みはじめている眼前の光景がさらに混沌とし、呼吸が乱れ、胸が苦しくなってきた。
 いくらなんでも、誘われていることぐらい理解はできた。
 しかし、相手は人妻だ。いや、立場もあるけれど、そういうことではない。こういうときはオトコとして素直に身を任せればいいのだろうけれど、やはりダメなものはダメだ。
「一君の元気でたくましい精子で妊娠したいの」
 どうして僕のが元気でたくましいと分かるのかと聞きたかったけれど、今はそこまでの余裕はない。
 そんなことを軽はずみに口にしたら一気に食いつかれる恐ろしさが今のニカイドウさんからは感じられる。
「……だ、ダメですよ、ダメです」
 必死の抗議もむなしくこっちは準備万端じゃない、とアタマとは逆に滾りまくっている股間に手を伸ばされる。今まで誰にも触られたことのない未開地をあっさりと攻略されて目の前が真っ暗になる。
「しっかり種付けしてくれるまで帰さないんだから」
 このニカイドウさんはきっと僕の知っているニカイドウさんではない。そんなことを考えながらなんとかこの状況から脱する手立てを考えてみるも、そうそう捻り出るものでもなく、時間だけがむなしく過ぎていく。
「……ほらあ」
 待ちきれないといった風に僕の手を自分の臀部に誘導する。僕のために身につけてきたという面積の少ない生地に覆われたニカイドウさんのヒップはとてもきめ細やかで張りがあり、未成熟な煩悩をぶざまに肥大させるにはじゅうぶんであった。
 ある劇作家曰く、誘惑から逃れる唯一の方法は抗うことなく屈することだという。
 けれど。
「……いじわる。いつまで我慢する気なの?」
 ニカイドウさんに誘われた僕の手は淫靡な割れ目に沿って下へと落ちてゆく。
「………! い、いや、ダメです、無理です」
 指先に粘膜のような感触を覚えて、一気に引き出す。これは汗だと思いたかった。
「ニカイドウさん、やめましょう。こういうのよくないです」
「恥をかかせないで」
 少し怒ったように息を漏らすと、ふたたび僕の手を取り、秘部へと導こうとする。
 と、後方で人の気配を感じた。
 これ幸いと、誰かいますよと小声で囁くと、ニカイドウさんは観客がいた方が燃えるじゃないと情欲をいっそう増幅させるかのように身悶える。外でどうとかいっていたあれは旦那さんの方ではなく、ニカイドウさんの趣味なのではないのだろうか。
「若い子ね。ちょっと刺激が強いかな」
 おそらく期せずして猥雑な現場に遭遇してしまったであろうその若い子をからかうように眺めながらニカイドウさんは笑った。
「それにしても、ずいぶんと大きい子ね」
 もう興味もなさげにいい放つと不穏当なカタチで子孫繁栄を望んでいる人妻さんはよりいっそう、身体を押しつけてきた。
 大きい子、という言葉になんとなく引っかかりを覚えて、密着状態から脱却を必死で試みている状況を小賢しくアピールしながら、その大きい子を目の端で確認しようとし、確認してしまったことを激しく後悔した。
「……………あ」
 白いヘアバンドをした女子にしては非常に背丈のある彼女は驚愕に目を見開いていた。
 その名前を口にしそうになり、なんとか押しとどめる。ニカイドウさんには知っている子だと悟られたくなかった。
 この世でもっとも醜いものを見たかのように顔を歪めて踵を返して足早に立ち去っていく彼女を僕はただ見送る他なかった。
 セックスレスを公言する人妻さんを抱きかかえながら――。
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