姉はすべてを支配する。さればわれらも姉に従おう。

さいきごそ

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拳塔町に行くの巻

悲劇

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 予想を上回る大盛況、とはまさにこういうことをいうんだろう。
 桃姐のやってる海の家の裏側、国道沿いに設置された大型駐車場に場所を構える集会所はそのアクセスの良さもあり、ヤジうまを含め人が減る様子もない。
 赤湖の音頭で始めた町おこしイベント、〈ノックアウト・イン・ケントウタウン〉はチャレンジャーがひっきりなしだ。
 大方は無料ということもあって、圧倒的に女ばかりだが、本来の目的を考えれば、計画通りなんだろう。
 いかにも自信ありげな男共もやって来はするが、赤湖の軽いフットワークと屈強な身体の前では無念の終了ゴングを聞くはめになる。
 参加者には残念賞という名目で桃姐のところのドリンク無料券やお食事割引き券を配布しているので、イベントの体は一応、なしている。
 部屋の奥に鎮座している、ホテル・クインズベレーの宿泊券やら大型液晶の目録はまだ誰の手にも渡ってはいない。
「絶対これ、カタチ・・・だけだろ」
 緑池と黄沼のツッコミに赤湖は無言であった。商品を奪われない自信があるんだろうし、ここはやつの真意を汲み取って、あえて追求しないことにした。
 本日、これで何人目のチャレンジャーかすでに数えていないが、次もやはり赤湖が目当ての水着ギャルである。ナイロン素材なのか、テカテカしたアイスブルーの紐ビキニはいかにも赤湖が好きそうだ。ジーンズ一丁で赤コーナーにふんぞり返ってるチャンピオンはやはり、ずっとにやけていた。
「お好きなグローブをどうぞ」
 手の保護用に手袋感覚ではめられるワンタッチのバンテージを装着してもらい、彼女がチョイスしたピンクのグローブをその上から被せ、紐を巻きつけていくのは桃姐の凶悪なパンチをたっぷり浴びたあとがまだ生々しく残る緑池の係。やはり女にはピンクのグローブが大人気のようだ。赤湖はこういう読みは抜け目がない。
「うわあー、ボクシングのグローブなんて初めて着けたよー」
 このセリフも高確率で女から飛び出す。普通に生活してりゃ、確かにこんなものは無縁なシロモノだ。女のくせにプライベートでボクシングのグローブをアクセサリー感覚で揃えてる女なんて桃姐くらいだろう。
 連れの女友達に向かってシュッシュと勇ましくパンチを繰り出してはしゃぐニューチャレンジャーの耳元に、俺はそっと囁いた。
「クリンチって知ってる? 相手に抱きつく技術なんだけど、あいつにはそれが効くよ」
 テカテカ紐ビキニのギャルは、ちょっと考える仕草を見せると、ふんと鼻息も荒く、颯爽と階段を上がってリングに臨場した。
 集会所を揺るがすような大歓声の中、初めてボクシングのグローブを着けたという水着ギャルが右腕を振り回しながら観客に応える。その様子はいっぱしのファイターに見えるから不思議だ。
 集会所にリングを持ち込んだとき、わざわざ土台付きの本格的なリングにしなくてもスポーツジムにあるようなマットを敷いた簡素なものでいいんじゃないかとも思ったが、赤湖はこういう方が参加者も乗り気になれるからいいんだと断言していた。そして、実際にその通りであった。初めてグローブを着けてリングに上がるなんて体験は日常的なものじゃない。だからこそ、参加意欲を高めるんだよ。女受けを狙ったピンクのグローブといい、本当にこういうことには抜け目のないやつだと呆れを通り越し、感心する。
 当初は緑池が選手コールの真似事もしていたが、盛況なのが仇になって時間がかかるし、だんだんと煩雑になったということでいつの間にかやらなくなっていた。最大の理由は緑池が喉の酷使による痛みを訴えたからなんだが。
「みゆー、ファイトー!」
 仲間の声援を受け、ビキニギャルのみゆさんは、ゴングと共に赤湖に抱きつく。
 確かにそういうアドバイスはしたが、一応、ボクシングらしくパンチを打つ振りくらいはして欲しいところだ。
「おっほー!」
 随喜の極みといった風に赤湖が絶叫する。
 みゆさんは胸や太ももをこれでもかと押しつけ、すり寄せて、赤湖を徹底的に骨抜きにしていく。その淫猥な様子はどこぞの風俗プレイに見えなくもない。
「ちゃんとボクシングしろー」
「エロ過ぎだ、自粛を要求」
「おねーちゃん、今だ、ぶっ飛ばせー」
 嘲笑、失笑、爆笑、さまざまな歓声の中、やはり桃姐の凶悪なパンチをたっぷり浴びたあとがまだ生々しく残るゴング係の黄沼がぼそっと吐き捨てる。
「……さっさと負けちまえ」
 その気持ちは痛いほど分かるが、まあ、ここは赤湖を立てて協力に徹しよう。
「えいっ」
 チャンピオンから離れた挑戦者・みゆはだらしのないその顔面に向かって体重をたっぷり乗せた右ストレートを押し込むように放った。
 革と肉とが圧迫し合う嫌な音と共に赤湖は大の字になって倒れ込んだ。
 沸き起こる大歓声の中、緑池が故意に負けさせたいのだろう、露骨な早口でカウントを取りはじめる。
「ワンツースリーフォー……」
「おいおい」
 悪友の仕打ちに赤湖が足の反動だけで慌てて立ち上がる。
「ああー、もう、立たないでー!」
 みゆさんの願いもむなしく、赤湖はテンカウントを聞くことなく回復した。
「えいっ、とう、やっ、と!」
 ビキニギャルの軽そうなパンチを効いているようにさりげなく受け流しながら、赤湖は1ラウンドを守り切った。
「あーあ」
 仲間と共にため息をつくみゆさんの背中を見送りながら、赤湖はたいへん満足そうに瞑目していた。おそらく彼女を今夜のおかずにでもするつもりなんだろう。
「交換どきだな」
 パンチを打たないとはいえ、試合っぽい気分を出すためにグローブを装着している赤湖は要所要所でそのグローブを替えている。新しいバンテージを巻き直し、新たなグローブをはめていると入り口がざわつきはじめた。
「あれ、やばくね?」
 受け付けに現われたのは筋肉隆々の、いかにもな体型のソフトモヒカン男だった。緑池じゃなくても危機感を抱くのはムリはない、が―――。
「兄ちゃんを二度と立てなくすりゃあいいんだな」
 チョイスした黒いグローブの感触を確かめるように、グーパーを繰り返す。
「俺は何度もゲーセンのパンチングマシーンを壊したことがあるんでな、次は人間を壊してみたいと思ってたんだ」
 笑いが込み上げるのを必死に堪える。仮にもお客様だ、不快な思いをさせてはいけない。それは赤湖も同じらしく、グローブで口元を押さえて、なんとかごまかしている。
「わりーな兄ちゃん、今日があんたの命日だ」
 いい。実にいいキャラだ。
 顔面蒼白な黄沼がおっかなびっくりゴングを打ち鳴らした。
 おりゃあああああああああああ!
 モヒカン君が威勢よく赤湖に迫る。しかし、渾身のパンチはむなしく空を切る。
 どりゃあああああああああああ!
 モヒカン君が威勢よく赤湖に迫る。やはり、渾身のパンチはむなしく空を切る。
 そりゃあああああああああああ!
 モヒカン君が威勢よく赤湖に迫る。そして、渾身のパンチはむなしく空を切る。
 いいようにあしらわれ続け、モヒカン君の息も上がってきた。
 ド、ン………ッッッ!
 いかにもでたらめに振った感ありありなボディアッパーが赤湖の鳩尾に入った。
「へ、へへへへへ……」
 まぐれとはいえ、会心の一発だったんだろう、モヒカン君が戸惑いながら引きつった笑みを覗かせた。
 くの字に身体を折った赤湖の動きが止まる。素人・・とはいえ、千載一遇のチャンスを見逃すはずもなく、続けざまにジャブやフックを乱打し始めた。
「おりゃあ! どりゃあ! そりゃあ! 兄ちゃん、安心して逝けやあああ!」
 赤湖は風にたゆたう枝の枯れ葉のように黙って打たれていた。
「な、なんだよ、赤湖のやつ。マジでやばくないか」
 緑池はモヒカン君の正体にも、赤湖の思惑にも気づいていないのか、黄沼同様、顔面蒼白だった。
「これで終わりだァ!」
 ファーストアタックのボディアッパーにあやかったのか、ふたたびボディアッパーが赤湖の腹部に襲いかかる。
 ドン―――ッッッ!
 決まった、そう思ったのだろう、モヒカン君のくちびるが歪んだ。
「……いい、パンチ持ってますねえ、お客さん」
 それをさらに上回るように赤湖が口をひん曲げる。そろそろ時間のようだ。
 ほどなく終了を報せるゴングが室内の空気を切り裂くように響いた。
「………くそッ!」
 すでにアタマの中では景品を手に入れていたのだろう。それが叶わず憤懣やるかたないといった体で肩を怒らせながら集会所をあとにするモヒカン君を目で追いながら、緑池が話かけてきた。
「やばそうなわりに赤湖もお前も余裕あったな」
「プロの歌手がカラオケの採点で高得点取れないのと同じだ」
「……なんだよ、それ」
「ああいうパンチングマシンは技術自慢のボクサーより単純な力自慢のやつがいい点取れたりするもんだ」
「でもあの筋肉見たとき、終わったと思ったぞ」
 俺と緑池の会話に入ってきた黄沼はどこかホッとしていた。なんだかんだで赤湖に負けて欲しくなかったようだ。
「筋肉がイコール、ボクシングに役立つわけじゃないからな。あれは典型的な筋トレで作り上げたボディビルダー型だ。パンチ力や瞬発力向きじゃねえ」
「なんかお前、ボクサーみたいだな」
「ああ」
 赤湖の解説に緑池も黄沼も感嘆していたが、断っておくと一応、そいつはボクサーだ。
 今度こそKOシーンを拝めるかと期待した群衆からは新たなチャレンジャーは当然のように現われなかった。今日はもう、潮時かと思った矢先、
「あのー、俺、やってみたいんですけど」
 おそらく高校生か、ワックスで髪をほどよくあちこち撥ねさせた男が手を上げていた。
 リング上ではチャンピオンが余裕のへらず口を叩いている。
「おお、いいねえ。いかにも童貞クンって感じの少年だな!」
 ………お前も童貞だろ。
 その後ろからは連れだろうか、シンプルな三角ビキニの女がふたりとごっつい一眼のカメラを手にしたアンダーリムっつうんだったか、そんな眼鏡をかけた痩せ型のいかにもオタクっぽい男が現われた。
 瞬間、心臓が止まった気がした。
 まるで小学校のときの担任だったユウコ先生だ。
 ピンクのビキニを着たその女は背が高く、赤湖や俺にあまり見劣りはしない。シンプルな水着はしかし、手入れのよく行き届いたロングヘア同様、よく似合っていた。完璧な身体である分、むしろ、彼女には必要最低限なもので構成されたこういうビキニの方がその姿態を引き立てるんだろう。
 もうひとりの、おそらく年下だろう白いビキニの方は花の髪留めが清楚な感じがするが、なぜだか若干不機嫌そうだ。
 ふたりは最初、姉妹にも見えたが、よくよく見ると似てはいない。ただどちらも器量もスタイルも文句のつけようがないくらい抜群だった。
「いろんなグローブがあるんですねー」
 童貞クン(仮称)が目を輝かせながら、グローブを吟味する。まあ、こうやって選ぶ楽しさというものは悪くないかもしれない。これも赤湖の戦略勝ちか。
「んじゃあ、これにします」
 選んだのはピンク。男にしてはめずらしい。この年頃によくある受け狙いかと思ったが、ピンクのビキニ女に向かって指し示しているところをみると、合わせたらしい。少女の顔がさらに不機嫌になる。
「おっしゃー! いきますよ」
 拳の武装も終えて気合い入りまくりな童貞クン(仮称)にユウコ先生似の女から声援が飛ぶ。
「頑張ってね、ロクタンゾノ君」
 童貞クン(仮称)、改めロクタンゾノ君はその声援に勇気100倍といった感じでシャドーを繰り返していた。
「この勝負、あなたに捧げます!」
 ロクタンゾノ君はビシッとグローブをユウコ先生似の女に向け、後方にいる少女はさらに表情を強張らせる。なるほど、そういうことか。
 開始のゴングとともに、ロクタンゾノ君はつたないながらもキャンバスを滑るようにして赤湖に迫った。
「とぅ!」
 なんてことのないストレートだった。ロクタンゾノ君の放ったそれは、本当に凡庸なただの右ストレートのはずだった。素人のパンチは目をつむってでも避けられる、原因があるとすればその過信が招いたハプニングだということだと思う。
 ロクタンゾノ君の大砲を浴びた赤湖は仰け反ったものの、体勢を整えて、ふたたび相対するはずだった。しかし、ロクタンゾノ君は狡猾な追撃を赤湖の下半身に向けて打ち込んだ。それはジーンズのベルトの辺り、ややローブロー気味の一発。さらに若きチャレンジャーの追い撃ちが容赦なく赤湖のあごを狙った。
「………くっ」
 かすったか、かろうじて回避できたかは微妙なところだったが、赤湖はまだ生きていた。いや、むしろ闘争心に火がついたというべきか。
 ここがチャンスとばかりにさらに迫るロクタンゾノ君に対して赤湖が動いた・・・
「おい、バカ!」
 攻撃してはいけないはずの赤湖は戦闘体勢に入り、とどめを刺すつもりだったロクタンゾノ君にボクサーとしてもやってはいけないことをやらかし、本来なら起こり得ない相手の動きが止まるという事態を招いてしまう。形勢逆転となった赤湖が取った行動は明らかな素人をボクサーのパンチでもって屠るという最悪なものだった。
 肉と骨を強打するようないやな音とともにロクタンゾノ君は後方へ吹き飛び、キャンバスに叩きつけられる。ユウコ先生似の女はすぐに微かな痙攣を繰り返す彼に駆け寄ると、ガリガリのカメラ小僧と共にリングからそっと降ろしていた。
 集会所内は明らかに凍りついている。攻撃は絶対しないという必要最低限のルールを自ら破ったおかげで能天気な町おこし名目のイベントは事実上強制終了となった。
 文字通り潮が引くように観客が消え去り、残ったのは俺たちとロクタンゾノ君の連れだけになってしまった。
「バカ野郎、お前、なにやってんだよ!」
 緑池の怒鳴り声にも赤湖はヘラヘラと反省の色がなかった。
「いや、この少年があんまりいい動きを見せるからつい本気になっちまったんだよ。この俺をその気にさせたんだから、そこは自慢していいぜ? 手を出しちまったのはホントにすまないと思ってる。知り合いの海の家で好きなだけ食事できるように取り計らってやるから勘弁してくれねえかな、って聞こえちゃいねえか、あっはははは! ホント、わりいな」
 気絶しているロクタンゾノ君を母親のように介抱しているユウコ先生似の女の背中はなにも語ってはいなかった。いや、静謐な中にも怒りのようなものがオーラとなって立ち上っているようにも見えるが、ここからはその表情は読み取れない。
「誰もいなくなっちまったし、今日はお開きだな」
 自分がノックアウトしてしまった挑戦者にはすでに興味がなくなったのか、赤湖は他人事のように嘯くと、リングを降りるべく、階段に向かった。
「あの」
 やさしく、どこか茶目っ気のある声がした。
「よろしいですか?」
 声の主は相当なひねくれ者でもない限り、誰でも虜にできそうな魅力的な笑顔で右手を申し訳なさげに上げている。
「私、チャレンジします」
 さっきの赤湖の愚行は予想外だったが、それ以上の展開が俺たちを待っていた。
「名前はニノマエナナミ。よろしくお願いします」
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