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貝原凪沙

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 私は絶対、不幸だと思う。

 私はお金持ちの家に生まれた。
 何不自由なく育った、と言われることは多い。でも、金持ちには金持ちなりの苦労があるって、誰にもわかってもらえない。
 小さい頃から習い事ばかりさせられて友達と遊ぶことなんかできなくて。
 
「公立小学校の子供となんか仲良くする必要はないわ」
 
 それが母の口癖。ここは田舎の地方都市なので、私立の小学校なんてない。都会から嫁いできた母にはそれが信じられないみたいだ。
 
「私立の中高一貫に行くこと」
 
 これが私たち姉弟に与えられた至上命令だ。
 
 ところが人生そうそう上手くいくもんじゃない。一つ上の姉は受かった。翌年私は落ち、その翌年、一つ下の弟は受かった。つまり落ちたのは姉弟のなかで私だけ。私は完全に不出来で親不孝の娘と成り果てたのだ。
 
 とはいえ私にとっては公立中学も高校も、ぬるま湯に浸かっているようなもので居心地はとても良かった。
  やがて進路を決める時期になると、母に言われた通りに東京の女子大への推薦を決めた。母が卒業した大学だ。
 
「偏差値は高くないけれど、花嫁修行にはもってこいの大学だから」
 
 なんだそれ、と思わないでもなかったが、東京に行けるのは単純に嬉しかった。
 
 最初の二年間は厳しい女子寮で真面目に暮らし、後の二年は東京の医学部に通っている姉と一緒にマンションで暮らした。ちなみに弟は京都の大学に行ったので東京には出て来なかった。良かった。三人で住むとかやってられないもの。
 
 姉は私のお目付け役を仰せつかっていたようだ。卒業したら就職することなく見合い結婚させられるのが決まっている私は、『清い身体』のままでいなければならない。
 だが勉強に忙しい姉はその役目を放棄していた。
 
「わかってるでしょうね。これは自己責任よ。自分一人で生きていく覚悟があるのなら勝手に遊びなさい。そうでないのなら、自分で自分を律するのよ」
 
 そう言い渡された。そんなの、私だってわかってる。何の資格も無い私には専業主婦になるしか選択肢は無い。それならば、清い身体を守るに決まってる。
 だけど裏を返せば、『処女』を守ればそれでいいってこと。私は最後の二年間は飲みに行ったりクラブに行ったり合コンに行ったりと、寮にいる間にできなかったことを楽しんで過ごした。
 
 その中で、好きな人もできた。よく行っていた『時遊』という居酒屋のバイト店員、渡良瀬さん。一つ年上の彼はワイルドな見た目なのに面白くてファンも多かったけど、通い詰めて顔と名前を覚えてもらい、電話番号やLIMEの連絡先も手に入れた。
 彼は誘えば寝てくれるって言われているのは知っていた。だから私も誘ってみようかと思ったこともあるけれど、それだけは我慢した。
 その分LIMEで話をするようにした。たわいのない、返事がしやすい話題。しつこくしないこと。時々、悩み相談なんかして。
 彼はいつもすぐにレスをくれたし、悩みにも真剣にアドバイスをくれた。彼とのトークは私の宝物だ。
 
 女子大の卒業式を明日に控え、最後にデートをしてくれないかと言ってみた。返事は、彼女できたからごめん、だった。ショックだけど、そんな彼も好きだ、と思えた。だからお幸せに、と返信しておいた。

 そして私は実家に戻り、親の勧める十歳年上の医者と結婚した。今までと変わらずお金に困ることのない生活。でも姑とマザコンの夫との三人暮らしは、息ができなくて苦しい。
 幸い、すぐに妊娠したので私は子育てに心を集中することにした。女の子が生まれ、美波と名付けた。子供は本当に可愛い。年の近い姉弟が欲しいからすぐに二人目を作った。今度は男の子、秀人と名付けた。姑が大喜びし、自分の子のように扱い始めた。
 
「この子は我が家の跡取りよ。必ず医者にさせないといけないの。凪沙さん、あなたはあまり頭の出来がよろしくないから、この子の教育は私に任せなさい」
 
 私立受験に落ちた私のことを、姑も夫もバカにしているのだ。悔しいけど言い返せない。
 
 私はストレスが募ると高校時代の親友奈津を呼び出す。彼女はずっとこの地元で暮らし、高校の同級生と結婚している。子供の多い賃貸マンションに住んでいる奈津は、いつもマンション下の広場で子供たちを遊ばせていて、ママ友と賑やかに過ごしているらしい。だから、私と会う時はママ友に子供を預けて来る。
 
「いつも急よね、凪沙は。今日は一時間くらいしかいられないわよ?」
「ごめんごめん、奈津。私も急に時間が空いたからさ。美波がピアノ行ってて、秀人が義母と買い物に出かけた隙に、ね」
 
 それから私は奈津に愚痴をバーっと吐き出す。優しい奈津はうんうんと頷きながら聞いてくれ、慰めてくれる。
 
「ありがとう奈津。私、ホントに今の生活しんどくて。奈津はいいわね。圭太くんは優しいし、夫婦仲も上手くいってるんでしょう。うちは、歳も離れてて会話も無いしマザコンだし。結婚してる意味なんかないわ」
「でも、お医者さんだし不自由なくて羨ましいよ」
「ううん、やっぱり結婚ってお金より愛よ。つくづくそう思うわ。奈津は幸せよ。私、なんであんな人と結婚したんだろう」
「なら、離婚したらどう? 今ならまだ、凪沙も三十二歳で若いんだし」
「そんなの無理よ。私の母が許すわけがないし、実家に帰らせてもらえないもん。あーあ、旦那が浮気でもして、有責で離婚になったらいいのにな」
 
 私は本気でそう思っていた。夫が浮気して、慰謝料をたっぷりもらって実家に戻る。それなら母にも責められないだろうし、子育ても母に手伝ってもらえて楽になる。
 
「あ、そろそろ時間だわ。じゃあ凪沙、またね。頑張って」
 
 奈津は自分のお茶代をテーブルに置くと、急いで店を出て行った。私はいつも、一人の時間を満喫したくてギリギリまで店に残る。今日義母は秀人に本を買ってやって、その後百貨店でパフェを食べさせると言っていた。だからもう少し大丈夫だろう。
 
 行き交う人をガラス越しにぼんやり見つめながら、私は楽しかった大学時代のことを思い返していた。
 
 
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