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別れ
しおりを挟むケイトにとって幸いだったのは、その後すぐ学園が長期休暇に入ったことだった。ひと月ほどではあるが、その間アーサーと顔を合わせないで済む。
「ケイト、休暇明けには殿下に返事をしなければならないぞ。殿下は恐らくこのひと月で陛下や重臣達に諮るだろうから、私も情報を集めておこう」
夕食時、ベンジャミンはケイトにそう話した。
「わかりました。覚悟を決めておかなければなりませんね」
ケイトは答えたが、あまり気の入っていない返答だった。
「それよりお父様。ブライアンはまだ帰れないんでしょうか」
「ああ、もう一週間も軍に缶詰めだな。バーリストンの警備のため軍を増員するらしいから、隊の編成などで忙しいのだろう」
「ブライアンも派遣されたりするかしら?」
「いきなりそんな事はないだろうが……情勢次第ではあるかもしれんな」
隣国ノートルとの国境に近いバーリストンという地域で、半年程前に金の鉱脈が発見された。かなりの埋蔵量が見込まれるため、他国に奪われてはならぬと警備に人員を割くようになったのである。
「情勢が悪くなるかもしれないんですか?」
「ノートルという国は資源の無い国でな。少しでも土地や資源を増やそうと昔から周辺国と国境付近で小競り合いを繰り返している国なのだ。バーリストンはノートルとの国境に近い。目の前に広がる金鉱脈を武力で奪おうと考えてもおかしくはない」
「戦争になるのかしら」
「そうならないように今調整しているのだ。我が国はもう長いこと戦争をしていない。私の父の時代には戦をして領土を広げたりしていたようだが」
もしそうなったら軍に属しているブライアンは行かねばならないだろう。カイルだってそうだ。
(どうかそんな事が起こりませんように……)
たがケイトの願いとは裏腹に、情勢はどんどん悪くなっていった。
そして遂に、戦いが始まってしまった。ノートルが闇に乗じて進軍し、小さな町を一つ落としたのである。
すぐさま全軍を国境に派遣することになり、また大規模な徴兵も行われ、各町村から若い男性が集められることになった。
にわかに暗い雰囲気を帯びていく国内に、ケイトは言いようのない不安を感じていた。学園も無期限の休校となり、いつ再開されるかもわからなくなった。
「旦那様! ブライアン様がお帰りになりました」
それを聞いてベンジャミンとケイトが玄関ホールに走る。
「ブライアン!」
「父上、ただ今戻りました」
「ブライアン、どうなのだ。お前もバーリストンへ行くのか」
「はい。我が部隊にも出動命令が出されました。歩兵は明日の朝、私は三日後に出発します」
「そんな、ブライアン……もう行ってしまうの?」
「ケイト、バーリストンを守る事は我が国にとって大事なことだ。そして奪われた町を取り戻さねばならない」
「この三日間は家で過ごせるのか?」
「会議もありますから、あまりゆっくりは出来ません。二日目の夜だけは家で過ごせるでしょう」
今は着替えに帰っただけだと言って、ブライアンは部屋に入った。そして着替えを済ませるとすぐにまた出て行った。
出て行く時、ケイトに早口でこう言った。
「ケイト、今夜カイルに屋敷を訪ねる許可を出している。来たら会ってやってくれ」
「あっ……カイルも出征なのですね」
ブライアンは頷き、「頼んだぞ」と言って出発した。
その夜、ブライアンの言った通りカイルがやって来た。ケイトは日持ちのする焼き菓子を焼いておき、カイルに持たせようと準備をしておいた。
「ケイト」
「カイル! もう明日出発なのね」
「ああ。覚悟はしていたが、やはりいざとなると震えるよ。初めての実戦なんだからな」
「誰だって初めてなんでしょう? 今の若者に戦争経験者はいないんですもの」
「そうだな。どんな戦いになるのか不安だよ……俺は歩兵だしな。上の言う通りに戦うしかない」
「カイル……」
ケイトはカイルの手を取った。
「カイル、どうか無事で帰って来て。マークおじさんもクライトンのみんなも待ってるわ。もちろん私も」
「ああ。なあ、ケイト」
「なあに? カイル」
「この戦争が無事に終わって俺が帰って来たら……俺と結婚してくれないか?」
「……結婚?」
「そうだ。俺は小さな頃からずっと、ケイトの事が好きだった。軍に入ったのも、もしかしたら万が一にでもケイトに会えるチャンスがあるんじゃないかと思っての事だ。本当に、こうやって会えるようになるとは想像していなかったけど」
「カイル……」
「貴族と平民が結婚なんて出来ないのはわかってる。こんな時に……ケイトが断りにくい状況の時に言うのが卑怯なことも。でも、もしかしたら死んでしまうかもしれないと思ったらさ……言わずにはいられなかったんだ」
ケイトは下を向いて黙り込んだ。私も好き、無事に戻ったら結婚しましょう……そう言えばカイルを喜ばせることは分かっている。けれど、こんなに真剣に告白してくれている人に偽りの気持ちを告げるなんて出来ないと、そう思ってしまったのだ。
「カイル、ありがとう。私を……私なんかを好きになってくれてありがとう。でも私……好きな人がいるの。叶わぬ恋なのだけど、それでもその人を想い続けていたい。だからあなたの気持ちに応えることは出来ないの……ごめんなさい」
辛い。ケイトはとても苦しい気持ちを噛み締めながら言葉を紡いだ。今から戦地に向かう人に、何て酷い事を言っているのだろう……そう思うと堪らなかった。
ふふっ、とカイルは笑いを漏らした。
「嘘だよ、嘘! この歳になってもまだ告白なんてした事なかったからさ、出征前にちょっとやってみたかったんだよ! 本気にしたんならごめんな? 俺の演技もなかなかのもんだったろう」
「カイル……」
今言ってることが嘘なのはケイトにはよく分かっていた。昔から、カイルは嘘をつく時には右の眉が下がるのだ。
ふいに、カイルがケイトを抱き締めた。
「ケイト……ケイトの想い人の名前、俺だけには教えてくれないか? ……それで、諦めるから」
ケイトは、その人の名を小声でそっと告げた。
「……そっか」
カイルはケイトから身体を離し、ゆっくりと顔を近付けて来た。ケイトの肩がピクッと跳ねる。カイルはそっとケイトの頬にキスをすると、もう一度抱きしめてから無言で立ち去った。
「カイル……!」
追いかけたかった。追いかけて、ごめんなさいって言いたかった。でも、出来なかった。これ以上、何を言えただろう。
ケイトはその場にしゃがみ込み、静かに声を殺して泣いた。
その二日後、アークライト家はブライアンの出発を明日に控えていた。夕食は彼の好物が並べられ、デザートはケイトが腕によりをかけて作った。
「ブライアン、命を守ることを第一に考えろよ。私は名誉の死など望んでいない。どんな形でも生きて帰ってこい」
「わかりました、父上。必ず帰って参ります」
「ブライアン、これを……」
ケイトは良い香りのする匂い袋を渡した。
「眠れないと身体に悪いから持っておいて欲しいの」
「ありがとう、ケイト。懐かしいな。初めて寄宿舎に送ってくれたのもこれだった」
「ブライアン、絶対に帰って来て。私、ずっと待っています」
「大丈夫だよ、ケイト。我が軍は絶対に負けない」
その夜は遅くまで三人で過ごし、誰も寝ようと言わなかった。だが遂にベンジャミンが口に出した。
「これ以上遅くなってはブライアンの身体に障る。明日から過酷な進軍なのだから。名残惜しいがもう寝よう」
「はい。お休みなさい、ブライアン」
「お休み、ケイト」
いつものように頭をポンと叩いてブライアンは部屋に入って行った。ケイトは自分の部屋に戻り、もしかしてブライアンが中庭に出てくるのではないかとしばらく窓の外を眺めていたが、やがてブライアンの部屋の明かりが消えるのが見えた。ケイトはため息をつくとベッドに潜り込んだ。
翌朝、軍服をピシッと着こなし馬に乗ったブライアンをベンジャミンとケイト、そして使用人全員で見送った。
「では、父上」
「ブライアン、幸運を祈る」
「ケイト、父上を頼んだぞ」
「はい、ブライアン。ご武運を」
去って行くブライアンの後ろ姿を皆、見えなくなるまで見送った。
それから、何ヶ月かが過ぎた。現地から戦況が届くには一週間以上かかるので、とにかく戦死者名簿が出る度に見に行く必要があった。その中にブライアンやカイルの名前が無いことを確かめるために。
ベンジャミンは領地の民の様子を週に何度も見に行き、彼らの生活を支えるべく動き回っていた。
ケイトは自分も何か出来ないかと、町の人々への炊き出しを始めた。働き手を徴兵に取られて困っている家族が多いのだ。
マークやトムに力を借りて、スープやパンを貧しい人々に配る。その列に並ぶ人は日に日に多くなっていった。
「ケイト様」
ある日、忙しく働くケイトのもとにミレーヌがやって来た。
「ミレーヌ様! どうなさったのですか?」
「アークライト公爵家による炊き出しが行われていると聞いて見に来たのです」
「あっ、すみません、このような格好で」
ケイトはエプロンをつけ、髪もまとめていた。
「さすが平民育ちですわね。このような考えは私には浮かびませんわ」
「はい、人々が飢えていることはすぐに想像出来ましたので。町の人に協力してもらって、結構美味しいものを提供出来ているんですよ」
ミレーヌはじっと人の列を眺め、それからケイトを眺めた。そしてお付きの者に何かを耳打ちするとケイトの所に歩み寄って来た。
「ミレーヌ様! 汚れてしまいますわ」
「いいのよ。手伝います」
「ミレーヌ様……」
ケイトは嬉しくなった。貴族らしさの塊だったミレーヌが、平民のために動いてくれようとしているのだ。
「ぼんやりしてないで、何をしたらいいか教えなさい」
「はい、ミレーヌ様!」
ミレーヌが参加したことにより、多くの貴族令嬢が手伝いを申し出てきた。炊き出しの材料費もアークライト家が全て出していたが、シェルダン家も多く寄付をし、他の貴族もそれに続いた。人手が多くなったことで、町の何ヶ所かに分けて炊き出しを行うことも出来るようになった。
こうして日々一緒に活動する中でケイトは令嬢達と打ち解けていった。中でもミレーヌとは特に仲良くなり、「ケイト」「ミレーヌ」と呼び合う仲になれたのである。
「ケイト、アーサー殿下とはその後どうなったのかしら」
さすがミレーヌ、まだ水面下の段階だというのにこの話を知っているようだ。
「あの後すぐ戦争が始まったので、一度だけお手紙をいただいたわ。『このような時期だから話を進めることが出来なくなった。戦争が終わるまで待っていて欲しい』と」
「そう……。殿下は本当に本気なのね。あなたは、それでいいのかしら」
「ミレーヌ、私は出来れば辞退したいくらいなの。でも、それが出来ないのもわかってる」
「あなたは殿下のこと、愛していないの?」
「優しい方だし尊敬しているけれど……愛かと言われたら違う気がするのよ」
遠い目をしたケイトにミレーヌが言った。
「ケイト、他に好きな人がいるのね」
「えっ」
ケイトは驚いてミレーヌを見た。
「顔を見ていたらわかるわ。でもその気持ちは殿下に悟られないように隠さなくてはならないわよ。貴族なら、それくらい出来なくては」
「そうね、そうよね……」
「私は、幼い頃から殿下の妃になるように言われてきたし、ずっと殿下の事を見てきたわ。でもあなたに出会ってから殿下は変わった。急にしっかりなさって王族らしくなった。あなたが殿下を変えたのよ」
「ミレーヌ。あなたは殿下のことを……?」
ふっ、とミレーヌは笑った。
「好きという感情はないわ。そのような感情は貴族にとって邪魔になるだけ。殿下に輿入れ出来ないのなら別の人に嫁ぐ、ただそれだけのことよ」
本当に、そうなのだろうか? ケイトに好きな人がいる事を見抜いたミレーヌだ。自分にも好きな人がいるからこそ敏感に気がついたのではないだろうか。だが詮索はするまい。
(ミレーヌのことだからきっと、誰にも悟られないように心の一番奥深いところにその想いはしまってあるんだわ)
それを無理に掘り起こしたくはない。いつかミレーヌが話したい時が来たらその時は聞いてあげよう、とケイトは思った。
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