追う者

篠原

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第ニ章 あの日~登校前の出来事~

第二章②

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さて、少し時間を巻き戻そう。
その日の早朝、義時の家。
あの真子を揶揄う大柄の男子、義時である。

義時の家は、いすみ市では長い歴史を誇る
『会傘の湯』と言う銭湯を経営。
義時の曾祖父が始め、今は義時の父が
三代目だ。

義時は、父と母と兄と、4人で
暮らしている。
兄とは9歳も年が離れているので、
喧嘩したことはない。いや、兄とは
話すことも遊ぶこともない。
兄は高校野球球児で、毎日夜遅くまで
野球部の練習に励んでいるから。
暗くなってから泥まみれになって帰って
来て、一緒に銭湯に連れて行ってくれる。
この兄が、義時の自慢だ。



義時は、兄は将来、プロ野球選手だと
思っている。
巨人軍の4番打者になってほしいと、
弟として願っている。
そうしたら、「俺の兄ちゃんは
プロ野球選手なんだ!」と自慢できる。



義時も野球が好きだが、観るのが専門だ。
球技が苦手なのだ。でも、兄の高校の
試合を観に行ったり、父や兄と
野球観戦にいくのが楽しみだ。
千葉海浜球場や、ときには東京スタジアムに
3人で試合観戦に行く。いつもは怖い父が、
野球を観に行くと興奮して、
ビールを飲みながら大声で贔屓のチームを
応援する。そして、いろいろと
食べさせてくれる。
また、贔屓のチームが勝つと機嫌が
良くて、お土産も買ってくれる。
だから、義時は野球が好きだ。



義時は柔道に励んでいる。週に三日、
柔道教室に通って連鎖琢磨している。
自転車で20分の道のりを走り、
東警察署の道場で、柔道。
その成果もあり、体はガッチリしているし、
いじめられることもないし、どちらかと
言うと逆側だ。



今朝、義時は寝坊してしまった。
だから、大急ぎで朝食をとり、家を出た。
義時は、ウキウキしながら走った。
そう。今日は銭湯の定休日。
父と自分の2人だけで、千葉海浜球場に
行くのだった。
義時は、昨日から楽しみで楽しみで
仕方なく、興奮してしまい、なかなか
寝付けなかった。




義時は、ハッと走っていた足を止めた。
前方にパトカーや救急車が何台も
とまっている。
いっぱい、おじさんやおばさんが
集まっている。

何があったのかと思い、そこに
近づいた。
パトカーや救急車とは別に、
1台の青い車が止まっていた。
そして、その車のすぐそこには道路の
ところどころに赤い血らしきものが……。
義時は、目をそらした。

一か所、血が溜まっている場所が
あった。
幼心にショックだった。
呆然として、義時はそこに
立ち尽くしてしまった。
辺りにいるおじさんやおばさんの声が
耳に入ってくる。

『銀の髪の毛で目に眼帯をしたホームレスの
男の人が、信号は赤なのに、歩道を
わたろうとして、青い車に
はねられたんだ』、義時は頭の中で
整理した。そういう事なんだ。
大変なところに来てしまった、
義時はそう思った。

また、あの血の溜まっている方を
そっと薄目で見やった。
あの血は、そのホームレスの男の人の
血なんだ!
義時は、ゾッとした。

異様な雰囲気、血を見てしまったことでの
興奮、また多くの警官の姿で時間を
忘れていた、義時。
どれ位経っただろう?
ハッとした。
「遅刻だ!」 
もちろん、周囲に自分と同じ小学生の
姿はない。




学校へと急ごうと、学校への方へ
歩き出した義時は見た。
いつも近くの交番にいる、またさっきまで
見ていたお巡りさんたちとは
違う格好の人がいっぱいいた。
その人たちが、道路にひざまずいて
何かしているのだ。
みんな、帽子をかぶって、マスクを
している。
その人たちが、道路をカメラで撮ったり、
道路に何かチョークで書いている。

学校へ急ぐのも忘れて、義時は、
その人たちやその人たちが道路に
何を書いているのかを見たいと思った。

義時は、大人たちに混じって、
道路をキョロキョロと見まわした。
色々なマークや数字が道路に描いて
あった。
何か板みたいなものもいっぱい
置いてあった。

また、道路の真ん中あたりに
茶色の腕時計と100円玉が3個
おちていた。
それらを、あの人たちがカメラで
撮っている。
それから、写真が3枚バラバラに
落ちていた。

義時の位置から写真の内容は、
はっきりと鮮明には見えなかったが、
遠目にも、女の人の裸の写真だとわかった。
義時の視力はかなりいいのだった。

小学生の義時は、びっくりした。
何で、女の人の裸の写真が、
こんな道路に落ちているのだろう。

義時が、そう思いながら、さらに目を
凝らして写真を見ようとしていると、
隣に立っていたおばさんが
「こら!子どもの見るもんじゃないわよ。
あんた、学校はどうしたの」と叱るように
言ってくれた。

義時は、再度ハッとした。
本当に大変だ。遅刻する! 




次の瞬間、義時は、地域課の警官や
交通課の鑑識係員たちに背を向け、
一目散に学校へ走り出した。

義時は全速で走った。チャイムが
鳴るまでになんとかして学校に
つかないと。

間に合うか間に合わないかの心配、
そして、さっき見てきた交通事故の現場、
それから、女の人の裸の写真のことも
頭によぎり、興奮しながら義時は
学校へと走った。
もう周りにも前にも学校の子はいない。






やっと学校が見えてきた。
ここからは、坂道だが、
学校の正門まで一本道だ。
歩いたら2分。
義時は坂道を走った。

義時はホッとした。前の方を
一人の女の子が速足で歩いている。
長い髪の毛とスカートで女の子
だと分かる。
帽子の色からして自分と同じ3年か、
4年だ。
遅刻しそうなのは、
自分だけじゃないんだと。

走り続け、その子に近づくにつれて、
義時は三度ハッとした。
前を急いでいるのは、同じクラスの
奥中真子だ!

奥中真子。1年の時も同じクラスで、
3年になってまた同じクラスになった
女子。
幼馴染の葦田みどり
―みどりの家は、自分の家の隣で、
みどりとは同じ愛隣幼稚園の出身―
といつも一緒にいる女子。
笑うとえくぼができ、笑い声も
かわいくて、音楽の時間満面の笑みを
浮かべキレイな声で歌う
奥中真子のことが、義時は好きだ。

だから、奥中真子に近づきたくて
しょうがない。
だけれど、どうしたらいいか、
よく分からない。義時の初恋だから。
でも、奥中真子はいつもみどりと
一緒にいる。
だから、みどりに話しかけるふりをして、
奥中真子とも仲良くなろうと
作戦を立てた。
でも、なぜか、奥中真子を
前にすると緊張してしまう。
思ってもいないことを言ってしまったり、
からかってしまうのだ。
それで、みどりに怒られて、
追いやられてしまうし、奥中真子も
嫌そうな顔をする。

義時は、奥中真子が好きだが、いったい、
どうしたらいいのか分からない。
まだ小学3年生になったばかり、
しかも淡い初恋なのだ。


義時が、後姿だけで前の女の子が
奥中真子だと気づいたのには
わけがある。
いつも、教室で、ぼーっと眺めている
奥中真子の後姿。
それから、中身が気にある
あの水色のランドセル。
奥中が背負うと大きく見える……。
それから、奥中のランドセルに
いつもぶらさがっているウサギ型の
ネーム入れ。
何より、絶対に間違いないのだ!
義時が「かわいいなぁ。
奥中に似合っているなぁ。」と
心ひそかに思っている、あの奥中の
トレードマーク、ポニーテール。
みどりは、今は髪の毛を三つ編みに
している。
その時、その時の気分でよく髪形が
かわる女の子だ、みどりは。
でも、今3年2組に、ポニーテールの
女子は奥中一人なのだ。






義時は、驚いた。不思議な感覚だった。
なんで、奥中が今、目の前に
いるのだろう、一人で?
もう、チャイムが鳴るか鳴らないかの
ギリギリのはずだ。

そんな時間に、あの奥中が
なんで歩いているのだろう?
しかも、石出がいないじゃないか?
義時は一瞬、思った。
「これは夢なのかな?」

最近いつも石出と一緒に登校している、
また、学校ではいつもみどりと一緒にいる。
そんな奥中が、憧れの奥中真子が一人で
目の前を歩いている。
義時は、ドキドキした。
「絶好のチャンスだ!」

妬ましい奴である石出もいないし、
奥中の警備員みたいな口うるさい
みどりも今はいない!
追いついて、「おはよう。」と声をかけ、
仲良くなる大チャンスだ!
義時は、思った。





走るスピードを落として義時は、
自分を落ち着かせた。
「落ち着け、落ち着け。カッコ悪いと
思われちゃダメだぞ!」と。
その瞬間、ひらめいた。
あの事故現場のことを
教えてあげよう、と。
奥中の家と自分の家は学校を
はさんで全く反対方向だから、
奥中はあの事故のことを絶対に
知らない。
さっき、見てきた事故のことを
話してあげたらビックリして、
興味を示すだろう、義時はそう考えた。

「あっ。早く、奥中を止めないと、
学校に近づきすぎるぞ。このままじゃ、
あまり話せなくなる!」
義時は、早く奥中に追いつき、
声をかけて、話しを聞かせてあげ、
仲良くなろうと、足を速めて、
声に出した。
「奥中!」








この声に、奥中真子は
ビックとしたかのように、
歩を止めて、立ち尽くした。
そして、ポニーテールの小柄の女子、
奥中はそっと後ろを振り向いた。
奥中は、内心思った。
「ウワッ。義時だ。何で!嫌だなぁ」






振り向いた奥中の視線。
走る義時の視線、
両方の視線が一瞬交差した。
が、すぐに、奥中の目は、
鋭い目となって義時を睨んだ。
そして、学校の正門へ向けて
駆けだした。
早歩きではなく、走って……。





義時は、何で声をかけたのに
奥中が自分を無視するかのようにして
走り出したのか分からなかった。
だから、叫んだ。
「奥中!待って。すごい話が
あるんだよっ!」






でも、奥中は走り続けた。
「義時の話しなんて、くだらないこと
でしょ。
どうせ、あたしをバカにする
つもりなんでしょ。」




ポニーテールをゆらしながら走る
奥中を見て、義時は「かわいい!」と
思った。
また、「遅刻しないように
走ってるんだな。一緒に
並んでやろう。」と思い、
心を決めて追いかけた。



正門が見えてきた。
義時は、
「奥中!待って。一緒に行こうよ!」と
大声で叫んだ。
義時は、奥中と二人きっりで、
鬼ごっこをしているかのような
錯覚がしてきた。
甘酸っぱい気持ちと、また大好きな女子を
つかまえて、触りたいと言う
男子ならではの感情を抱いて、
さらに義時は奥中を追いかけて走った。











(著作権は、篠原元にあります)
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