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篠原

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第四章 あの日 以降 ~3人の物語~

第四章 ⑨

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教室には、まだ誰も来ていません。
まこちゃんが来たら、男子たちが
変なことを言う前に、
すぐに駆け寄ってあげ、守てあげよう。
私はまこちゃんを待っていました。
でも結局、まこちゃんは、その日、
学校に来ませんでした。


私は、その日、学校を出て、家とは
正反対の方向にある、まこちゃんの
アパートに向かいました。
何度も遊びに行ったことのある
まこちゃんのアパートには、学校から
15分位で着きました。
途中、なぜか迷ってしまったのです。
ランドセルを背負った私は、
汗ばんでいました。
途中から走ったので……。
はっはっと、私は息をしながら、
まこちゃんの住む103号室を
目指しました。
そして、扉の前に立ったのです。
緑色の扉だったのを今でも
思い出します。

小学生の私は、いつものように背伸びを
してインターホンを押そうとしました。
その瞬間、押そうとした瞬間、扉の
真横に置かれている、そう、新聞紙の
上に置かれているまこちゃんの靴を
見てしまったのです。
そうです。
靴が、乾かしてありました。


まこちゃんの靴です。
そして、私が、履いているのと同じ靴。
当然です。二人、お揃いの靴を履く、
履き続けると約束していた
のですから……。
私とまこちゃんは、約束したのです。
まこちゃんが9歳の誕生日の日、
遠くにいるおばさんから
誕生日プレゼントにもらった靴。
私は一目見て、気に入りました。
私も欲しくなりました。
それで、母に同じ靴を買ってもらい、
そして二人でお揃いの靴になったの
です!どんなに嬉しかったことか!
私とまこちゃんは、
「一生、友達だよ!この靴を履いて、
中学校も高校も大学も一緒にいこうね!」
と約束しあったのです。
ついでに、お互いの結婚式にも
呼び合おうねと、小学生ながらに
堅い約束もしていました。

その靴が干されている……。
私は、インターホンに伸ばしかけた
手を下ろして、その靴を見つめて
しまいました。
「昨日のおっしこでぬれたんだ。」
と分かりました。

小学生の私は、まこちゃんのアパートの
扉の前で立ち尽くし、
思わず泣いてしまいました。
みんなの前でおもらししてしまった
まこちゃん。
私がその立場だったらと思うだけで、
胸が痛くなりました。

私は、まこちゃんを励まし、
慰めたかった。
いや、大好きなまこちゃんの顔を
一目でも見たかったのです。
だから、涙を手で拭って、笑顔を作って、
インターホンに再度手を伸ばしました。

でも、あの靴にまた目が行って
しまったのです。
そして、その瞬間、私は気づきました。
ハッと、いいえ、ゾッとしました。
恐ろしい事実に気づいてしまったのです。
何で、幼い、まだ小学校の3年生の
自分がそう気づけたのか、そこまで
考えれたのかは今でも不思議で
分かりませんが、とにかく、
私は気づいたのです。

「犯人は義時ではない」と。
そして、
「まこちゃんに、おもらしさせたのは、
自分なんだ!!」と!
私は、自分の自己義が打ち砕かれて、
冷水をかけられたような感覚でした。
もう、真子ちゃんにあわす顔がない、
そんな心情になりました。

私は、くるっと扉に背を向けました。
そして、走り出したのです。
自分の家へと。
結局、まこちゃんの家のインターホンを
押すことはせず、まこちゃんに会う
こともできませんでした、その日。

あの、まこちゃんの靴を見て、
まこちゃんの恥ずかしさ、そして、
味わっている苦しみが分かったのです。
それから、憎たらしく思い、裁いていた、
義時が犯人なのではなく、まこちゃんの
大の親友だと自他ともに認めるみどり、
そう、自分こそまこちゃんに
おもらしをさせた犯人なんだと、
知ったのです。
私は必死に走って、家に駆け込み
ました。



その後も、私はあの靴を履き続けました。
まこちゃんが、学校に来なくなり、
「奥中は不登校になった!」と
男子たちが面白そうに言い出した頃も
履きました。
4年生になっても、そして卒業式の時も。


その日、「この靴を一生履く。」と
誓ったのです。
そして、貯金をおろして、その週のうちに
靴屋に向かって、人生最大の注文、
買い物をしたのです。

とにかく、私は、本当にまこちゃんに
会いたかった。
クラスには仲の良い子は、いっぱい
いました。
でも、本当に気が合い、一緒に笑い合い、
泣き合い、助け合えたのは、
まこちゃんだけでした。
だから、まこちゃんに会いたくて
しょうがなかった。
学校に来れないなら、家で
会いたかった。
でも、そうできませんでした。


そうだ……。あの冬、まこちゃんが、
入院して手術を受けると言うことが
クラスの中で噂になりました。
ある女子は「口の中を切る手術する
みたいだよ」と言います。
ある男子たちは「おもらしが
とまらなくなって、手術するんだ」と
笑いながら、ふざけていました。
私は、居ても立っても居られなくなり、
教室を出た管原綾子先生を追いかけて、
廊下で訊いたのです。
寒い廊下で、先生の吐く息が
白かったのを今でも思い出します。
でも、先生はいつもの笑顔で
優しく答えてくれました。
先生は私に、
「真子ちゃんはね、風邪をひかないよう
になるために、喉の奥の扁桃腺の
手術をするのよ。麻酔もするから
真子ちゃんは痛くないし、すぐに
終わる手術よ。心配しないで。
みどりちゃん」と教えてくれました。
私は、ホッとしました。
そして、どんなにお見舞いに
行きたかったことでしょう!

でも、私は、先生に
「まこちゃんの入院する病院は
どこですか?」と訊くことが
できませんでした。
だから、お見舞いに行くことも、
手紙を出すこともできませんでした。

勇気がなかったのです。
自分が行ったら、もしかしたら
まこちゃんは怒って、私のことを
追い出すかもしれないと、
思ってしまったのです。

私は犯人なんだから、まこちゃんに
謝らないといけないと、毎日考えて
いました。
でも、まこちゃんの家にも病院にも
行けなかったのです。

まこちゃんに「あなたなんか知らない!」
と言われるのが怖かったのです。


でも私は、まこちゃんの方が
いつ笑顔で戻って来てくれるかも
わからないと、淡い希望を抱いて、
その時のためにと、あの靴を
履き続けました。
幸い、あの靴は大人用のサイズも
販売されていました。
なので、その後も中学生時代も、
高校時代も履き続けることが
できました。
中学に入ってすぐに、私は
インターネットのサイトで、
大量に注文したのです、その靴を。
「もうこれ以上は、靴のサイズ
変わらないだろう。」と考えて、
貯金を切り崩して。
母に、バレて、かなり怒られましたが、
結果として、私のその判断は
当たりでした。
と言うより、私の
「この、いっぱい買ってしまった
靴を無駄にはできない!」と言う思い、
必死の思いが、足のサイズが大きく
なるのを、つまり足の成長を止めて
しまっていたのだと思います。

私は、三つの理由で、この靴を
履き続けると決めていたのです。
まこちゃんのことを忘れないためです。
大親友だったまこちゃんを
忘れないために。
今後、大親友と言う存在が
現れなくても、自分には確かに
奥中真子と言う大親友が
いたんだと言う証拠とする
ためです。

そして、約束を守るためです。
小学3年の春休みに、確かに
まこちゃんと私は約束をしたのです。
まこちゃんに対してこれ以上ない
悪いことをしてしまった自分。
さらに、まこちゃんとの約束を
破るなんてしたくなかったのです。
この約束だけは絶対に自分だけでも
守り続けよう、ずっと、この靴を
履き続けよう、このように考えて
いたのです。

そして、自戒のためです。
自分のしてしまったことを
忘れないためです。まこちゃんの
苦しみ、悲しみ、恥ずかしさを
自分が忘れず、共に負うためです。



先ほど、私は、私がお見舞いに
行ったら、まこちゃんが怒り出し、
私を追い出すのではないかと、
考えたと言いましたよね。
また、私がインターホンを
押せなかったと。
自分が犯人だと気づいて……と。


そうです。あのインターホンを
再度押そうとしたその瞬間、
私は気づいたのです。
誰が、まこちゃんにおもらしをさせた
犯人なのかが分かったのです。
恐ろしいことでした。
私が、突きつけられた事実は。
それは、
「昨日、まこちゃんに
おもらしさせたのは、
義時じゃなくて、自分だ!」でした。

皆さん。私は分かったのです。
学校の廊下を必死に走っていた
まこちゃんは、私の所に
来ようとしていたわけでは
なかったのです。
私の前を通り過ぎて、行こうと
していたのです。

皆さん。まこちゃんは、
どこへ行こうとしていたと
思いますか?
あの学校の造りを知っている方なら
分かるかもしれません。
そうです。
私のそばを通り過ぎて、
まこちゃんは女子トイレへ
駈け込もうとしていたのです。
いや、確かに駆け込むべきだった
のです!
でも、それを私が妨げて
しまった……。

私が、まこちゃんの腕をつかんで
しまった位置から、ほんの少し行けば
女子トイレの扉でした。


私は、分かったのです。
まこちゃんは、女子トイレに
行きたかったのだ、と……。



(著作権は、篠原元にあります)
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