追う者

篠原

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第五章 あの日以降 ~事件翌日からの真子の物語~

第五章 ⑩

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フッと、あの【髪の毛の薄い】
牧師先生の言ってたことを、
思い出した!

そう、真子が雪子の手伝いで、畑仕事を
していると知って、言ってくれたんだ。
「人類最初の人間のアダムは、農業を
しとったんですよ!
だから、農業は、素晴らしい仕事です
ねぇ。
あっ!そうだ、リンゴ!!
よく、アダムとエバがエデンの園で、
リンゴを食べたとか言うでしょ?
でもね、何の果実を食べたんかは、
実を言うと、聖書に書いとらんの
よ、実は。
だから、よう分かりません。
あの二人が、何を食べたんかはね!」と。


そう……、そういえば、
「聖書をいっぱい読んで、ここにおる
皆さんに、話しをする。
だけどね、私だって、まだ分からん
ことが、たくさんありますわ!
天国に行くまで、ずっと勉強です」とも
言ってたなぁ…。
真子は畑仕事をしながら思った。
「あの牧師先生、本当に正直な人
だったなぁ。
私もそうならないといけないなぁ」と。
一瞬、あの牧師先生にまた会いたい
なぁ、と思ったが……、すぐに打ち消す。
そんな感情を抱いてしまった自分が、
何か不思議に思えた…。



それからは、日曜日に教会に行かない
のが普通になった真子だったが、
本が大好きなので、雪子からもらった
聖書を毎日読むようにはなった。
最初は、興味があったわけでは、
なかった。
ちょっと、【罪責感】のようなものを
感じていたから、だった。
一緒に住まわせてもらっていて、
美味しい食事も用意してもらい、
いろいろと心を配ってもらっている…。
絶対に、おばさんは、「真子ちゃんも、
教会に行ってほしいなぁ」と思ってる
と分かる…。
でも、分かっているのに、教会に、
行こうとしない自分。
行きたくない自分……。
そんな罪責感、後ろめたさ、
だった。


だから、色々考えて、雪子にある日、
言った。
「おばさん。聖書を読んでみたいん
ですが……。日曜日、教会には、
行けないけれど、キリスト教のこと
とか、勉強したいので、聖書を読んで
みます。おばさんの聖書、貸してもら
えますか?」
案の定、雪子は大喜びして、聖書を
貸してくれた。
「この聖書は真子ちゃんにあげる!
私の聖書はあるからね!
何か分かんないとこがあったら、
いつでも訊いてね」と言って、
喜んでいた。
そんな雪子を見て、ホッとした。
「これで罪滅ぼし完了。教会には、
行かないけど、聖書を読むし、
おばさんを喜ばせてあげたんだから!」
と思って、満足している真子。


その日、真子は聖書を手に、2階に
上った。
部屋で、真子は初めて、聖書を
開いてみた。
小さな文字ばっかりだった!
「ウワッ!文字が小さいし、
絵も図もないんだ!これは、読んで
いくの難しいな」と思った。
けど…、真面目な真子。
読むと言った以上は絶対に読まないと
いけないなと、考える。

とにかく最低1ページは、毎日、
聖書を読むことにした。
最初の頃、雪子は、「真子ちゃん。
どう?聖書読んだ、今日も」と、
よく訊いてきた。
絶対に1ページは読んでいたのから、
真子は「はい。読んでます、毎日」と
答えた。
雪子は、満足気にうんうんと頷くの
だった。


ちなみに、雪子が教会へ出かける
日曜日は、教会に行かない罪滅ぼしと
して、いつもの2倍の2ページ、
聖書を読むことにした、真子。
でも、徐々に―読書好きだったから―、
聖書を読む時間が自然と増えていく。
「あれ?聖書って、良いこと書いてる!
面白い話しも、結構あるじゃん」と、
思った。
布団に横たわりながら、夜が更けるのを
忘れて聖書を読み耽る、そんな日も
あった。




そんなある日、真子は興味深い話しを、
見つけた、旧約聖書を読んでいて…。
それは、足が非常に速い男の話し。


彼は、敵方の軍人を追いかけていた。
彼は、カモシカのように速く走った。
そして、ついに敵の軍人を捕らえた
……のではなかった。
なんと、あまりにも、走るスピードが
速すぎたがゆえに、敵が差し出して
来た槍を、避けることができなかった。
で、その槍が突き刺さり、彼は死んだ。
そんなに足が速くなければ……、
または、途中でその敵を追いかけるのを
やめてたら、彼は死ななかったのに…。

あまりに足が速くて、また、追いかけ
続けたから、その人は死んだのだ、と
真子は思った。

その瞬間、嫌な顔を思い出して
しまった!
心の中に封印し、記憶からも
消し去っていたはずの、
アイツらの名前!
自分を辱めたあの義時……!!


真子は、「不平等だ!」と思った。
アイツ、義時はどうか?
聖書に出て来る、足の速かった男は、
追いかけ続けて、結局自分の、
その足の速さゆえに死んでだ。
そして、追いかけられていた敵方の
男は逃げ切った。

でも、自分と義時は!
アイツに追いかけられた自分は、
とんでもない屈辱を味わい、
その後の人生を壊された、今も
壊れてるだろう!!
不登校になり、今でも人付き合いが、
正直怖い!
特に、男子には、
近寄られることすら嫌悪してる、
この自分!

だけど、義時は……!!
アイツは、私を追いかけまわし、
そして、とんでもないことを!


聖書の中では、追いかけまわした
男の方が死んだけれど、
義時はもちろん死んでもないし、
何の恥だって、かいてないじゃない!?
逆に、私の方が!!
こっちは…、どんなに心を傷つけられ、
笑いものにされたて……!!


なのに、なのに、あのクソ義時は!
その後だって、普通に学校に行き
続けたんだろうし、アイツは
金持ちの息子だったから、何不自由
ない生活を送って、良い学校に
進学して、今も自由生きている
んだろう……!!



心が真っ暗になり、頭が締め付けられる
ように痛くなってきた!
真子は、聖書を床に置いた。
そして、思った。

同じ一つのことをしていても、
ある人は罰を受けるけど、あるヤツは
逃げおおせて、罰を受けないで、
のほほんと暮らしてやがる!
悪いことをしていて早死にする人も
いれば、それでも長生きするヤツも
いる…。
この差、この違いは、何なのだろう!?


真子は、「不公平、不平等だ!!
この世界は!」と思った。
そして、真剣に考えた。
「こんな世界なのに……、本当に、
神様はいるの?」。
考え込んでしまった。
でも、自分の中で結論は、
出なかった。


「この聖書を読んでいけば、納得のいく
答えが出てるかもしれないなぁ…。
もっと、読もっ。うん、そうだ、最後の
ページまでチャレンジしてみよっ」と、
真子は、決めて、その日は眠った……。





そして、日曜日の夜……。
決まって、小西さんの奥さん
―真子は親しみを込めて
「小西のおばさん」と呼ぶようになった―
が、やって来る。毎週だ…。
家の都合で、日曜日の朝に、教会へ
行けないと言う小西のおばさんは、
日曜日の夜に、雪子と聖書を読んだり、
お祈りしたり、讃美歌を歌ったりする
時間を持っていた。
「この時間が、うちにとって一番の幸せ
なんよ。聖書を読んで、お祈りする……。
あぁ、生きとって良かったなぁって、
本当に思える時間なんよ」と言う、
小西のおばさん。

「雪子おばさんも、小西のおばさんも、
神様の存在を信じ切ってる。
それで、幸せそう……。やっぱり、
神様はいるのかな?
うん、多分、いるな」と、
真子は思うようになった。




時は流れ、松山での生活も慣れていき、
畑仕事もそつなくこなせるようになった
中1の冬休みの時期……。
正直、学校では、うまくいかないことが
多い。
そんなこと、ばかりだった。
小学校に行っていた頃のように、
うまくクラスメイトと接することが、
できない!
普通にしゃべり、普通に笑い、普通に物の
貸し借りをしようとするのに……!!
頑張ろうとしても、体と心が、
追いついてくれない。
理性では分かっているのに、
いざ行動に移せない、葛藤する真子。
いつも葛藤が、学校ではあった。
自分の弱さ、惨めさが、中学生の真子には
辛い。
それでも、『学校』に戻ると決心して、
しかも、松山にまで移って来たのだから、
絶対に『学校』からは逃げない…と、
決めていた。


冬休みの間、内心ホッとしていた。
逃げているわけでなく、学校が休み
だから、学校に行かないので、
良いのだから。


真子は、誰かと遊びに行くわけでもなく、
家の中で聖書を読んだり、
勉強したり、畑へ出たりして、
その冬を過ごした。


そんな真子に、ある日、雪子が
「今日は、ちょっと遠出しようか?
あのね、梅津寺の近くに、おばさんが、
ずっとお世話になった先生がおんのよ。
一緒に会いに行かない?」と言う。
たまには遠出したいと思っていた、
真子。
朝食後に二人は、車で出かけた。
お昼前に、二人は、高浜町にある
老人ホームの前に着いた。
海の目の前にある、キレイな老人ホーム。
真子は、どっかの偉い先生の家に、
行くものとばかり思っていたので、
「えっ?老人ホーム……。ここに?」
と拍子抜けした、正直。

そんな、老人ホームを見上げて、
立ち尽くしている、真子に、
雪子が言った。
「真子ちゃん。ここにね、私が、
一番尊敬しとる先生がいるんよ。
命の恩人でねぇ、天道先生って言う
素晴らしい人なんよ。
私ねぇ、先生がいなかったら、
もう死んでたかもしれないって言う
くらい、お世話になったの!
だから、一度ね、真子ちゃんにも
会ってほしかったんだけど、
なかなかチャンスがなくてねぇ……。
だから、今日にって思ったんよ」。

そう話しながら雪子は、
老人ホームの中に入って行く。
真子もそれに続いた。
初めて入る老人ホームは、
ツンとくる消毒液の強い
においが、した。






(著作権は、篠原元にあります)
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