追う者

篠原

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第九章 東京へ ~敵は、『男』、全員。~

第九章 ⑤

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あの頃の私は、どのお店でも、女の子たちと
仲良くなることは、しませんでした。
正直、女の子たちは敵ではありませんが、
私の『念願』、つまり、敵から奪い、
かすめ取ることのを、邪魔する存在でした
から。
邪魔なヤツら……、それが私の秘かな、
思いでしたね。
彼女たちが、私の『狙い』を、奪って行く
こともありました。
それに、彼女たちには、体を明け渡すと
言う方法も、それから、店外やアフターも
同伴だってありましたから、彼女たちに、
獲られた敵も、数え切れません。
でも、私は、それらは放っときました。
こっちに来る奴からたっぷり奪い、
かすめれば良いのですから。


そんなわけで、女の子たちと仲良くならず、
お店と自宅の往復のような毎日でしたから、
ハッキリ言ってすごく孤独です。
孤独な一人きりの日々でした。
そんな中、私は、自然と、お酒、そして、
タバコと仲良くなるのです。


酒とタバコが、私のお金の使い道に
なりました。
奪った金で、一番高いタバコを吸い、
最高級のお酒を真昼から浴びるほど飲む。

友達がいなくても、酒とタバコさえ
あれば、満足でした。

お昼頃に起きて、シャワーを浴びて、
その後の一服が、たまらないものでした。
「このために生きてると言っても、
過言じゃないわぁ」と思えるほどでした。
そして、「あいつらは、真昼からこんな
高い酒、飲めないもね!!あいつらが、
今頃汗を流して働いて、そして得る金が、
私に流れて来て、その金で、私はこんな
贅沢できるんだ!!」と思いながら、
優越感に浸り飲むお酒は、
『最高そのもの』でした。
それが、私のやる気を、上げてくれるの
です!
敵から奪った金で、飲む、高値のお酒の
美味しさ!それはそれは、もう、
やめられない……、あの快感に憑り
つかれました。

…亡き母も、その頃の私にとっての
唯一の身寄りだった雪子おばさんも
タバコを吸わず、また、お酒も飲まない
人でした。
私は幼い頃、絶対にタバコは、
吸わないと、決めていました。
母や雪子おばさんから、
「タバコは、すごく体に悪いのよ」と、
よく聞いて育ったからです。

でも究極な『戦いの日々』、そして、
孤独感に苛まれる日々…。
私の逃げ場、快感、お金の散財は、
タバコと酒だけでした……。


最近は正直なところ、
「ホストなんかに貢がなかったん
だから良かったわ。
まだ、タバコとお酒で……」とも
思うのですが、今から考えれば、
本当に異常なほど、私は、お酒と
タバコにはまってしまっていました。
あれは、中毒でした。
タバコは1日に5、6ケース、
お酒だって、お店でもかなり飲むのに、
自宅でも真昼からワイン1,2本は
空にしていましたから…。




真昼と言えば、朝は寝ていましたから、
お昼に、その日初めての食事です。
朝食と昼食を兼ねたものです。
いつも、出前を取って、テレビを
見ながら食べていました。
同年代のOL達や、または女子大生達が、
同僚や友達と仲良くランチをしている
時間帯に、私は、一人侘しく、
テレビに視線を向けながら、食べる
のです。
ただ口に入れるだけです。
誰と話すこともなく…。
「これ、美味しいね」とか
「聞いてよ!昨日こんなことが、
あったのよ」と言うような会話がない、
ひっそりと、暗い、時間でした。
何でって、しゃべる相手が、誰も
いないのですから!

フッと、涙が溢れ出すことが、
ありました。
「私も、普通に生きたかった。
あの日 のことさえなければ……」と
思ったり、死んだクズの頭・父を
呪ったものです、よく。


それと、思い出すのは、母のことでした。
亡き母との想い出に、よく浸りましたね。
食べるのを中断して……。

目の前に並ぶのは、普通のOLや女子大生
が滅多に注文できないような金額の
特上寿司。
または、お店で一番高い値段の
ピザです…。
あっ、ちなみに、その頃の私は、
今の私と違って、『普通』では、
ありませんでした。
だから、「今日は、あれが食べたいな」
とか
「これ美味しそう。これにしよう……」
とか言う注文は、絶対にしません!
奪った金を使って、思い切り贅沢をする
ことが生きる意味でしたからね、
品書きを見て、「一番高いからこれに
しよう」とか「本当は、これ食べたく
ないけど、これが一番高いから、
これにしよう」と言う注文です!!
安い店屋物とか普通のお蕎麦とか、
特に『お得価格』とか『ランチセット』
なんて、絶対頼む気になれませんでした。
とにかく、高いモノ、一番高値のやつを
注文することに、こだわる異常な女で
したから…。




話しを戻しますね。
でも、どんなに高級な店のお寿司を
食べていても、高いピザや、老舗店の
鰻重を目の前にしていても、
思い出すのは、あの母の味です、
それも、頻繁に。


本当に、母の峯子は立派な人で、
そして、優しい人でした。
いいえ、優しすぎる人でした。
学生時代に突如として凶悪犯罪に
巻き込まれ、レイプの結果、
妊娠してしまい、そして、強姦犯の
娘を産むという決断をするのです。
その最悪の強姦犯の娘を、
自分の娘として愛情をたっぷり注いで
育ててくれました。
心から私を愛してくれていました。

昨今、自分の実の子どもに暴力をふるう
親、挙句の果てに子どもの命を奪って
しまうような極悪非道な親が多いです。
でも、母峯子は自分を襲って、
あらん限りの悪行を自分にした
クソ強姦犯の娘なんかをちゃんと愛して、
ちゃんと養ってくれたのです。
しかも、クタクタになるまで働いて……。

優しかった母は、どんなに忙しくても、
絶対に、私一人で食事をさせることは
しませんでした。
家事がどんなに残っていても、
私の洋服や体操着の裁縫があったと
しても、それらは私が眠りについてから、
そっと布団を抜け出して、夜中に、
せっせとする。

それらは脇に置いて、娘との食事の
時間を大事にしてくれる人でした。
娘一人で食べさせて、その間に、
家事をこなしたり、裁縫をしたら、
どんなに楽だったことでしょう。
でも、話し好きで、話しながら
食べて、食べ終わるのが遅い私に、
最後まで付き合ってくれて、
ウンウンと笑顔で話を聞いて
くれました、母は……。

そんな母の愛、優しさ、思いやり…を
思い出して、泣けて泣けてしょうが
ないのです。
そんな、母が生きていた頃と違って、
完全に孤独な食事の時間…。




もちろん、母と私の食卓には、
特上寿司や鰻重とかが、並ぶことは
決してありませんでした。
でも、温かさと幸せと笑顔が、
あったのです、あの食卓には。
私は、いつも、その夕食の時間が、
楽しみで、幸福でした。
その食卓には、母の愛がいっぱい
並んでいたのです!
私の大好物だった、ニラと玉ねぎと
ニンニクがたっぷりのニラレバ。
また、母の得意料理、ビーフシチュー。
そして、母と私の共通の好物でしたが、
高いので中々食べることのできない、
大トロの刺身。
あの頃、大トロの刺身が食べれるのは、
半年に一度位でしたか。
そう、母の誕生日と私の誕生日だけ、
でした。
もう、大トロのお刺身が食べれると
言うことだけで、私は大騒ぎ、
大興奮でした。
狭いアパートの中を飛び回って、
母に怒られたものです。

そんな子供の頃のことを、
思い出すのです。
何のためらいもなく特上寿司を
注文して、真昼から大トロの
お寿司を感動もなく食べる時に。

そう、普通に、いつでも、大トロを
真昼から食べれるのです、昔とは、
違って…。
でも、幸せは、感じませんでした。
「あの頃に戻りたいなぁ」と、
よく思いました。

あの頃…小学時代には、確かに母も
いたし、大親友のみどりもいたし、
学校には仲の良い女の子たちが、
いっぱいいたのです。


でも、大人の私には、家族もいません。
愛媛に雪子おばさんはいましたが、
「雪子おばさんの意に反して、
ずっとこの仕事をしている……」と
言う自責の念があって、自分から電話を
かけたり、手紙を書くことは、
出来ませんでした…。



そして、大人の私には、友人、親友が、
いないのです。
一緒に出かけることのできる、
一緒にショッピングに行ける
同年代の同性の友人が、一人もいない…。

本当のことを言うと、本当に本当に、
同性で同年代の友達が、
欲しかったのです。

家族も友人もいない。
同僚にも仲の良い子は、いない。
そんな私でしたから、お店では、
敵共に囲まれて騒いで、
お昼は、ずっと孤独に、部屋で、
一人、膝を抱え過ごしました…。



今思えば、私から、お店の子に
近づけばよかったのです!
でも、それが出来なかったし、
あの頃は、人間関係が、本当に、
下手くそでした。
とにかく、「男から奪う、かすめ取る!
それに専念するのみ!」だった。
考えるのは……。

自己中心だったのです。
周りは、どうでもよかった。
周りの子と合わせようとか、
全く思いませんでした。
自分だけの世界に、私は完全に、
入っていたのです!
それでいて、「同年代の女の子の
友達が欲しいなぁ」と、時々、
真剣に思っていたのですから、笑えます。
今思えば、友達が出来ないのも当然です。
「ねぇ。そんなんじゃ、絶対に、
友達なんかできないよ」と、昔の私に、
言ってあげたいです。




それで、負のオーラと言うか、闇の力の
おかげで、私の人気は、うなぎ上りに
上がっていくのでした。
全く、同僚と口を利かない私の人気が。
私の指名や固定が、どんどん増える
ので、他の女の子たちは、良い気は
していなかったでしょうね。
やっかみや嫉妬や意地悪が多発して
いましたが、当然です、あの頃の
私の態度なら……。



でも、そんな私にも、ある時期、本当に
そのある時期だけでしたが、
仲の良い女の子がいたのも、事実です。






(著作権は、篠原元にあります)
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