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編入編
蠢く悪意
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日曜日の夜、異能専科の生徒会室は蜂の巣を突いたような喧騒に包まれていた。
「車じゃ間に合わない、すぐにヘリを回して! 私も同行するわ!」
大騒動の中、生徒会長の諏訪彩芽はケータイ電話に向かって焦りの混じった指示を飛ばす。
「許可なんて後にしなさい! 私が飛ばせって言ってるのが分からないの⁉」
時に怒声を交え、電話口の相手からすれば理不尽極まりない要求を浴びせ続ける。
事の発端は先ほどの一報。異能専科に籍を置く霊官で、彩芽の部下である猫柳瞳からの電話だ。
その内容は、要観察対象である異能混じりの少年、大神大地の異能具の作製を異能具職人である日野甚助に依頼した帰り、複数体の妖獣と遭遇した事。
妖獣自体は難なく撃退に成功したが、その過程で大神大地の異能が飛躍的な能力の向上を見せた事。
そして、当の大地がそのまま意識を失い、彩芽が彼にあつらえた封印用異能具、『レージング』が破損したこと。
(読み違えた……。いくらなんでも早すぎる……!)
大地が昏倒した理由は彩芽には分かっていたし、いずれどこかのタイミングで起こるであろうことも予想できていた。
しかし、それは彩芽の予想よりも大幅に早く起こってしまった。
「いいから言う通りにしなさい!」
彩芽は怒鳴るだけ怒鳴り、舌打ちをしながら乱暴に通話を切った。
(ネコメには、バレたかもね……。八雲に言ってなければいいんだけど……)
首筋に冷たい汗を流しながら、彩芽は事務処理を終えて車椅子のタイヤを回した。
「ましろ、留守をお願い! 叶は付いてきて!」
生徒会室の二人に素早く指示を飛ばし、自身のボディーガードである烏丸叶を従えて彩芽は部屋を飛び出した。
飛び込むようにエレベーターに入り、箱が降りるのをもどかしく待つ。
「お嬢様」
右手親指の爪を噛み、左手の人差し指で車椅子の手すりをトントンと叩く、彩芽らしからぬ苛ついた様子に叶が口を挟んだ。
「何?」
苛立ちを隠そうともしない彩芽の粗雑な言い方に、叶は気分を害した様子もなく淡々と告げる。
「もし大神がすでに暴走していた場合、どうしますか?」
「ッ‼」
予想しうる最悪の事態を想定した叶の言葉に、彩芽は爪の先端をガリッと噛み砕く。
大神大地が狼の異能生物であるリルの力を制御できないこと。それはすなわち、異能の暴走を意味する。
異能が暴走すれば異能生物であるリルの本能により、大地は他の異能を取り込み力を得ようとするかもしれない。
そうなったとき真っ先に被害に遭うのは、ネコメと八雲の二人だ。
「……ネコメがいるのよ? 暴走したって……」
万一の暴走に備え、彩芽は大地に二つの安全策を講じていた。一つが大地の異能を抑圧する異能具、『レージング』。もう一つが、動物の異能に対して圧倒的な優位を持つ『ケット・シー』の異能混じりであるネコメだ。
しかし、破損した『レージング』では大地の異能を抑えられないことは容易に想像できる。
残った安全策は、霊官としての経験も豊富で大地に対して相性のいい異能を持つネコメしか無い。
「しかし、本格的な暴走が始まればその優位性も危ういものです。殺すことはできても……」
「黙りなさい‼」
ネコメと八雲の二人なら、大地を殺すことは可能でも、それ以外の方法で無力化することは難しい。そんなことは彩芽にも分かっていた。
「……ネコメは、大地は気を失っていると言っていた。目を覚ます前にもう一度異能具で封印を施すわ」
彩芽はスカートのポケットに手を入れ、その中に忍ばせた『レージング』とよく似たチョーカー型の異能具を握りしめる。
「間に合う算段は?」
「……分からないわ」
叶の言葉に、彩芽は横に首を振った。
彩芽は出来る限りの手を打った。
家の所有するヘリコプターを手配し、最速で大地たちの元に向かおうとしている。
しかし、異能の暴走で気を失った人間がいつ目を覚ますかなど分かりはしない。
数日間眠り続けるかもしれないし、今この瞬間にも目を覚ますかもしれない。
タイムリミットは、大地が目を覚ますまで。
(運次第ね……)
運が良ければ間に合う。
気を失っている本人の預かり知るところでは無いが、これは大地の命運を左右する一世一代の賭けだった。
エレベーターが下の階に到着し、ゆっくりとドアが開く。その機械的な動きさえ緩慢に見えて、彩芽は再び苛立ちを募らせた。
飛び出すようにエレベーターを降り、校舎の外に出て校庭に向かう。
「チッ、多いわね……!」
校庭を薄明るく染め上げる異能場の光、それに群がる妖蟲は、昨日大地たちが大多数を退治したにも関わらずかなりの数がいた。
「お嬢様、ここは私が……」
「うるさい……‼」
妖蟲の群れに対し、腰に携えた日本刀の柄に手をかけた叶を、彩芽は低い声で抑え込んだ。
「ッ‼」
苛立つ彩芽とは正反対にいつも通り冷静でいた叶は、ここで初めて表情を強張らせる。
(マズイな……)
主人の苛立ちが頂点に達したことをその表情から悟った叶は、恭しく頭を下げて一歩後ろに下がった。
「邪魔なのよ……」
彩芽はゆっくり呟きながら、タイヤに掛けていた手を妖蟲の群れに向ける。
「邪魔」
ブワッ、と、彩芽の長い髪が重力に逆らって揺らめき立つ。
「邪魔」
周囲の空間が歪み、後ろの景色が捻じ曲がる。
「邪魔」
妖蟲の群れの周りに歪みで出来た透明な膜のようなものが現れ、一匹残らず妖蟲を囲ってしまう。
「邪魔邪魔邪魔邪魔、邪魔ァァ‼」
彩芽が妖蟲に向けた手をグッと握りしめ、その絶叫に呼応するように歪みの膜が押し潰される。
グシャッッッ‼
周囲の空間ごと圧殺された妖蟲の群れは、直径一メートルほどの丸い塊となって校庭に転がった。
彩芽が異能術を解除したにも関わらず、妖蟲を潰して出来た団子はあまりの圧力にその形を保っている。
(全く、恐ろしいお方だ……)
感情のままに異能を使った彩芽は、大きく息をついて額に汗を滲ませる。その彩芽の後ろで、叶は首筋を伝う冷たい汗を拭った。
異能専科の生徒会長にして、学内最強と謳われる諏訪彩芽は、遠くに見えるヘリを眺めて眼を細めた。
「間に合ってよね……」
・・・
「とりあえず、出来るだけのことはしましたけど……」
湿気の多い夜の山奥で猫柳瞳は不安の声を漏らした。
舗装されていない土の地面に横たわる友人の少年、大神大地は、青白い顔で額に汗を浮かべ、苦悶の声を漏らしながら意識を失っていた。傍らには大地と混じった異能生物、狼のリルも意識を手放して横たわっている。
「気を失っている大地君にこんなこと……ごめんなさい、大地君」
彩芽からの指示で大地の身体には八雲の異能の糸が何重にも巻かれ、手も足も全く動かせないようになっている。
「大地君……」
ネコメは手の中の壊れたチョーカー、封印用異能具『レージング』をぎゅっと握った。
大地は『レージング』を失い、リルから流れる異能の制御が効かなくなっている。そんな状態で目を覚ませば、大地の異能が暴走するであろうことはネコメにも分かっていた。
だから万一大地が目を覚ました場合、ネコメと八雲が大地を止めなければならない。その為に気を失った大地に拘束を施していた。
「記念に撮っとこうか」
カシャカシャ。
心配するネコメをよそに、八雲はケータイのカメラでぐるぐる巻きの大地の様子を写真に撮っていた。
「うーん、何かイマイチ……あ、そうだっ!」
閃いた、とばかりに八雲は荷物を漁り、筆記用具の中からサインペンを取り出す。
キュポ、とキャップを外し、一切の躊躇いなく大地の額に『肉』と書いた。
「ぶふうっ!」
自分の落書きに思いっきり噴き出す八雲。
しかし盛り上がったのもつかの間、「あーいや、これじゃベタだよね……」と顎に指を当て、思うがままに書き足していく。
額から鼻筋にかけて縦に『焼肉定食』、額を横断するように『肉離れ』と交差するように書いた。
「何をやっているんですかァ⁉」
大地の顔面でクロスワードを始めた八雲に、大気を震わせんばかりのネコメの絶叫が響いた。
「あなたこの状況を分かっているんですか⁉ 大地君が起きるまでに会長が間に合わなかったら、大地君は……‼」
あまりにも緊張感のない八雲の行動にネコメは激怒し、その手を掴んでグイっと大地から引き剥がす。
「平気だよ」
八雲はべっと舌を出し、「ほら見て」と横たわる大地を示す。
「こ、これって……⁉」
瞠目するネコメの目に映ったのは、異能の光に包まれる大地の姿だった。
見た目には何の変化も及ぼしていないその異能は、どうやら大地の手を中心にその体を包む光を構成しているらしい。
「幸運の加護、しっきーの異能だよ」
「あ、あの時の……!」
大地の体を包む異能は、昨日の昼にクラスメイトの里立四季に施された異能。座敷童の幸運の加護によるものだ。
本来は運による不確定な乱数に挑む際、その結果を効果対象にとって有益なものに偏らせるという能動的な異能である。決して大地が危惧したように藤宮の下着姿を見てしまうような異能ではない。
しかし、効果対象が『死』や、それに準ずる致命的な悪運に晒された時にのみ、反動的にその原因の一端から回避するという効果も持つ。
この場合は大地が目を覚ますことが、大地にとって致命的な悪運になる為、異能の効果でそれを遅らせることになる。
「これなら間に合うよ。しっきーの異能が発動したってことは、大神くんの悪運は回避されたってことだから」
八雲の言う通り、回避が不可能か、もしくは致命的な悪運ではなければ、四季の異能は発動しない。四季の異能が発動するということは原因の回避が可能ということである。
逆に言えば、四季の異能がなければ大地にとって致命的な悪運になっていたはずの事態に、ネコメは胸を撫で下ろした。
「よかった……。大地君、よかったです……」
ネコメはその目尻に涙を溜め、大地の額をそっと撫でた。
ネコメと八雲の間に弛緩した空気が流れた頃、見計らったように空気を裂く駆動音が聞こえてきた。
「ほら、間に合ったよ」
八雲の示す方向にネコメが顔を向けると、暗い空の端に点滅する光が見えた。
低空を飛行するその光は、タイミングから見て彩芽の乗ったヘリに間違いない。
「会長、ここです‼」
ネコメはケータイのライトを誘導灯代わりに掲げ、ヘリに乗っているであろう彩芽に合図を送る。
ぶんぶんと手を振るネコメを尻目に、八雲はつまらなそうに口をへの字に歪め、再びサインペンを大地の顔に走らせる。
そして、大地の口元にヒゲの落書きを追加し、ネコメに聞こえないようにそっと呟いた。
「……妬けちゃうなぁ」
・・・
ピコン。パソコンのデスクトップにメールの受信を知らせるアイコンが表示される。
そこは暗い部屋だった。窓はなく、LED照明も電源が落とされ、パソコンの画面とマウスの赤色、ハードディスクの電源を示す明かりだけが真っ暗な部屋に不気味な光を灯している。
その人物はカチカチとマウスを操作し、受信したばかりのメールを表示する。
「…………」
メールの内容にニヤリと笑みを浮かべた顔が、デスクトップの明かりに照らされる。
続いてその人物は、パソコンの中にある資料を表示した。
何かの実験データであるらしいそれを、誇らしいような愛おしいような、恍惚とした表情で眺める。
実験体一、失敗。
実験体ニ、失敗。
いくつもの失敗が簡単に記される中で、七番目の項目にだけは多くの写真と考察が書かれていた。
実験体七、失敗。これまでの実験体より遥かに成功に近づくも、耐久性に改善の余地有り。このサンプルにより、次の実験体にて成功を予測するに充分な結果となった。
そしてそこに続く文字をそっと指でなぞり、その人物は席を立つ。
資料の散らばった部屋を歩き、ドアを開けて隣の部屋に入る。
その部屋は隣の部屋と同様に灯りが点いていないが、薄気味悪い緑色の光に満たされていた。
部屋は体育館のように広く、無数の円柱形の物体が所狭しと並んでいる。
全体が透明なガラスで出来た円柱形の物体は、直径が三メートル、高さが四メートルほどで、下部には液晶画面とキーボードのようなものがある。
中には半透明な緑色の液体が満たされ、底の方には部屋の光源にもなっているライトが灯っている。
緑色の巨大な瓶詰め。そんな表現が適切だろう。
そして瓶詰めのいくつかには、『鬼』が入っていた。
昨晩ネコメと大地が退治したものと同種の、赤銅色の肌を持つ鬼。
その人物は太古の昔から人類にとっての脅威である鬼を、ガラスに息のかかる距離まで近づき、恍惚の表情で眺める。
ピー、という電子音が響き液晶画面に作業完了の文字が表示される。
そして、瓶詰めの中で、鬼が白く濁ったその目を開けた。
・・・
『ダイチ……ダイチ……』
誰かの声が聞こえる。
俺の名を呼ぶ声は、聞き覚えのない幼い声だ。
『ダイチ!』
強く名前を呼ばれ、目を開けると、そこは真っ白な空間だった。
上も下もどこまでも真っ白で、果てが見えない。
キョロキョロと辺りを見回していると、自分の首に重い感覚があることに気付いた。
そっと触れてみると、慣れたチョーカーとは微妙に違う感触があった。
『ソレジャ、マダ、ヨワイ』
「え?」
声に振り向くと、足元に小さい影があった。
「……リル?」
声の主、リルは俺を見上げ、キラキラ輝くビー玉のような目で、声にならない声を紡ぐ。
『ボクト、ダイチ、モット』
トテトテと近寄り、俺の足にそっとその首を摺り寄せる。
『モット、ツヨク、ツナガル』
「な、なんの話だ? つか、お前喋れるのか⁉」
動揺しながらリルを抱え上げると、リルは眼を細めて笑みのような顔を浮かべた。
『コレハ、ユメ。キット、メガサメタラ、オボエテナイ』
「何を、言ってるんだ……?」
抱えたリルの姿が白くぼやけ、周囲の白と混ざっていく。
「お、おいリル!」
真っ白に染まった視界に、リルの声が残響する
『ナマエヲ、ヨンデ……』
・・・
覚醒を拒む気怠い体に無理矢理力を込める。
鉛で出来ているのではと錯覚するほど重い瞼をこじ開けると、俺の顔を覗き込む獣の顔と目が合った。
「うおっ⁉」
ビクッと体を強張らせ、硬直した全身がビキリと痛む。
リルにはだいぶ慣れたと思ったのだが、急に来られると犬に対する恐怖心が蘇ることがあるな。
リルを押しのけて重い体を起こし、顔を上げる。どうやらここは寮の部屋で、俺はベッドの下の段に寝かせられていたらしい。まるでこの部屋で最初に目を覚ました時の再現だな。
「今何時だ?」
部屋は暗く、時間が分からない。ケータイで時間を確認しようと枕元に手を伸ばすが、無い。
「目ぇ覚めた?」
「す、諏訪先輩、何でここに?」
枕元ではだるそうにベッドにもたれかかり、諏訪先輩が半開きの目でこちらを見ていた。
「ケータイはポッケじゃない?」
「え、ああ」
先輩に言われ改めて自分の姿を確認すると、俺は私服姿のままだった。ケータイや財布もポケットに入ったままだ。
取り出して時間を確認すると、今は深夜の二時を少し回ったところだった。
「先輩、一体なにがあったんですか?」
俺は確か怪しい異能具職人の日野に異能具の作成を依頼して、その帰りに妖獣と戦って……。
「……大地、大切な話があるわ」
先輩はベッドにもたれかかっていた身体を起こし、真剣な顔で俺に向き直った。
「な、なんすか、改まって……」
先輩のただならぬ雰囲気に飲まれ、俺も思わずベッドの上で居直る。未だに全身が気だるく、何だか体中に重りを付けているみたいだ。
「大地、あなたは……」
俺の様子に先輩は眼を細め、慎重に言葉を選びながら語り始めた。
「あなたは、リルとの繋がりが強くなった。異能混じりとして、一足飛びに強くなってしまったわ」
「つよく、なってしまった?」
まるで強くなったことがマズいことのように言う先輩の言い分に、俺は首を傾げた。
(いや……)
確かにマズいことなのかもしれない。
俺はあの時、強くなりたいと思った。
ネコメの友達として、霊官を目指すものとして。
でも、あの力。
妖獣の足を千切り飛ばすようなあの力は、強すぎる。
あんな力は、軽はずみに振るっていいモノじゃない。
「……リルは、異能生物としてはかなり強い力を持っているわ。それにあなた達は他の異能混じりとは根本的に違う存在だから」
「リルが、生きているから?」
俺の返答に先輩はこくりと頷いた。
俺とリルは、生きたまま異能混じりになっている。
ネコメや八雲、鎌倉なんかの普通の異能混じりは、異能生物の残滓と異能の資質が高い人間が混ざることで生まれる。
「生きた異能生物と混ざった例は極端に少ない。だからこれは私の推測なんだけど、生きた異能生物から流れる力には上限がないんだと思うわ」
「上限がない?」
オウム返しする俺の言葉に、先輩は「つまり」と言葉を続ける。
「異能生物の持つ異能の力の純度を100とするなら、異能混じりの持つ異能の力は個人差もあるけどいいとこ20。異能混じりはその20の異能の力を、任意のパーセンテージで発現させる。常に1、2%は無意識に使っているものだから、上限が20ってことね」
つまりネコメや八雲が本気で異能を発現させれば、それは人間の身体に20の異能を足したことになるってことか。
「それは体内にある異能の力がそれしかないから。文字通り上限ね。ただし、大地の場合は生きた異能生物から異能の力を受け取っている。20という上限が存在しないのよ」
上限のない異能混じり、それが俺とリルって訳か。
「大地はその気になれば、リルの力の限界まで自身の力にできる。上限をつけるとするなら99ってことよ。もちろんそれは異能の暴走に他ならないけど」
異能の暴走、俺の身体にリルの力が混ざり過ぎれば、コントロールが効かなくなるってことか。
「普通の異能混じりも、自分のコントロールできる力を超えて異能を発現しようとすれば暴走する。誰もが20の異能を扱えるわけじゃないの。鍛錬次第で20の異能を扱えるようになるって感じね」
つまり普通の異能混じりの異能の上限は20、その20の異能の内から個人の力量に合った異能を発現させる。
対して俺は、異能の上限がない。あとは俺の力量次第で、自在にリルの異能を扱えるってことか。
「……じゃあ俺が強くなったってのは」
「扱える力の上限が上がったってこと。そしてその力に、チョーカーが耐えられなくなった」
「チョーカーが?」
言われて改めて首元に触れると、そこには確かにチョーカー型の異能具があった。俺とリルを繋げる異能具が。
しかし、妖獣と戦った時にチョーカーは壊れてしまったはずだし、今首に巻いてあるものは微妙に手触りが異なる。
おそらく別物だろう。
「そのチョーカーは、リルから大地に流れる異能を制限する弁の役割を果たしているの。普通の異能混じりと違って力に上限がないあなたたちは、それがないと異能が流れ過ぎてしまう」
先輩はそこで「でも」と言葉を切り、険しい顔で俺を指さす。
「あなたの扱える力の上限はさっきの妖獣との戦いで上がってしまった。その結果、前のチョーカーでは耐えられなくなってしまったの。だから新しいチョーカーで再封印を施したわ」
異能の暴走を防ぐため、俺にチョーカーは必須ってことか。
「じゃあ、もう大丈夫なのか? あんなバカみたいな力はもう出ないんだよな?」
あの力は異能の暴走のようなもの。異能混じりとして扱える力を超えた、使ってはいけない力だ。
「まあ、それはそうなんだけど……。一度上がった力の上限は下がることがないわ」
先輩は言葉を濁し、懐から俺の首に巻かれているものと同種のチョーカーを取り出した。
「あなたのために用意したチョーカーは全部で三つ。『レージング』、『ドローミ』、『グレイプニール』。レージングはさっき壊れて、今巻いてあるのはドローミ。ドローミはレージングより扱える力の上限が高いわ。もちろんグレイプニールは更にね」
「ぐれいぷ?」
どこかで聞いたような名前だが、それよりも気になるのは、なぜそんな順を追うようなことをするのだろうか、ということだ。
「なあ、最初からそのぐれいぷ何とかって上限の高いやつを付けてくれればいいんじゃないのか?」
最初から上限の高いチョーカーを付けてくれれば今回みたいな暴走まがいのことは起こらなかったのでは、と思ったが、どうやらそれは違うらしい。
「そんなことしたら扱える力以上の異能が流れ込んできて暴走するわ。あなたの力量に合った封印をしないと意味ないもの」
「なるほど……」
つまり俺の異能混じりとしての成長に合わせて、ちょうどいいチョーカーが必要ってことか。
「本当はもっと時間がかかると思ったんだけどね、予想よりはるかにあなたの成長が早かったのよ」
先輩はため息交じりにぼやき、恨みがましい視線を俺に向けて来る。
何で成長したのにこんな目を向けられにゃならんのだ。
「ホントに、今日は疲れた……」
先輩はそう言って再びベッドに身体を預けた。なんだか本当にしんどそうだ。
「先輩、どうしたんですか?」
普段は余裕綽々というか、常に上から俺を見下しているような人なのに、さっきから怠そうだし、今日はやけにぐったりしている。
「体調でも、あっ……いや、何でもないっす……」
俺はそこで言葉を切り、咳払いして今の失言を改める。
「……なによ?」
「何でもないっす」
先輩も女子。体調が悪い日があるのは当然だし、そこに触れるのはデリカシーのないことだ。
「……何勘違いしてるのか知らないけど、今日はちょっと異能を使いすぎたのよ。邪魔な妖蟲にでっかい異能術使っちゃったし、あんたの封印にも異能術使ったし」
「……もちろんわかってますよ」
ふう、と息を吐き、ジト目で睨んでくる先輩の視線から目を背ける。
先輩はのそのそと腕の力で移動し、部屋の中に置いてあった車椅子に身体を預ける。
「今日はもう帰るわ。あ、そうだ」
先輩は忘れていた、とばかりに俺の腕に視線を向けた。
「大地の左腕、接合したところが歪んでたわ。完全に治るまでもう無茶するんじゃないわよ」
そう言い残し、先輩は俺の部屋を出て行った。
残された俺はベッドの上に座ったまま、右手でリルを撫でてやり、自分の左手を見る。
一見して変わったところは無いが、そういえば藤宮先生にも似たようなことを言われた。
これ以上左手に無茶をさせてはいけないとは分かっていたが、俺はグッと左手を握って笑みを浮かべた。
(強く、なった)
無茶をするなと言われた。
暴走スレスレの危ういところだった。
それでも一歩、ネコメに近づけた気がしたから。
「車じゃ間に合わない、すぐにヘリを回して! 私も同行するわ!」
大騒動の中、生徒会長の諏訪彩芽はケータイ電話に向かって焦りの混じった指示を飛ばす。
「許可なんて後にしなさい! 私が飛ばせって言ってるのが分からないの⁉」
時に怒声を交え、電話口の相手からすれば理不尽極まりない要求を浴びせ続ける。
事の発端は先ほどの一報。異能専科に籍を置く霊官で、彩芽の部下である猫柳瞳からの電話だ。
その内容は、要観察対象である異能混じりの少年、大神大地の異能具の作製を異能具職人である日野甚助に依頼した帰り、複数体の妖獣と遭遇した事。
妖獣自体は難なく撃退に成功したが、その過程で大神大地の異能が飛躍的な能力の向上を見せた事。
そして、当の大地がそのまま意識を失い、彩芽が彼にあつらえた封印用異能具、『レージング』が破損したこと。
(読み違えた……。いくらなんでも早すぎる……!)
大地が昏倒した理由は彩芽には分かっていたし、いずれどこかのタイミングで起こるであろうことも予想できていた。
しかし、それは彩芽の予想よりも大幅に早く起こってしまった。
「いいから言う通りにしなさい!」
彩芽は怒鳴るだけ怒鳴り、舌打ちをしながら乱暴に通話を切った。
(ネコメには、バレたかもね……。八雲に言ってなければいいんだけど……)
首筋に冷たい汗を流しながら、彩芽は事務処理を終えて車椅子のタイヤを回した。
「ましろ、留守をお願い! 叶は付いてきて!」
生徒会室の二人に素早く指示を飛ばし、自身のボディーガードである烏丸叶を従えて彩芽は部屋を飛び出した。
飛び込むようにエレベーターに入り、箱が降りるのをもどかしく待つ。
「お嬢様」
右手親指の爪を噛み、左手の人差し指で車椅子の手すりをトントンと叩く、彩芽らしからぬ苛ついた様子に叶が口を挟んだ。
「何?」
苛立ちを隠そうともしない彩芽の粗雑な言い方に、叶は気分を害した様子もなく淡々と告げる。
「もし大神がすでに暴走していた場合、どうしますか?」
「ッ‼」
予想しうる最悪の事態を想定した叶の言葉に、彩芽は爪の先端をガリッと噛み砕く。
大神大地が狼の異能生物であるリルの力を制御できないこと。それはすなわち、異能の暴走を意味する。
異能が暴走すれば異能生物であるリルの本能により、大地は他の異能を取り込み力を得ようとするかもしれない。
そうなったとき真っ先に被害に遭うのは、ネコメと八雲の二人だ。
「……ネコメがいるのよ? 暴走したって……」
万一の暴走に備え、彩芽は大地に二つの安全策を講じていた。一つが大地の異能を抑圧する異能具、『レージング』。もう一つが、動物の異能に対して圧倒的な優位を持つ『ケット・シー』の異能混じりであるネコメだ。
しかし、破損した『レージング』では大地の異能を抑えられないことは容易に想像できる。
残った安全策は、霊官としての経験も豊富で大地に対して相性のいい異能を持つネコメしか無い。
「しかし、本格的な暴走が始まればその優位性も危ういものです。殺すことはできても……」
「黙りなさい‼」
ネコメと八雲の二人なら、大地を殺すことは可能でも、それ以外の方法で無力化することは難しい。そんなことは彩芽にも分かっていた。
「……ネコメは、大地は気を失っていると言っていた。目を覚ます前にもう一度異能具で封印を施すわ」
彩芽はスカートのポケットに手を入れ、その中に忍ばせた『レージング』とよく似たチョーカー型の異能具を握りしめる。
「間に合う算段は?」
「……分からないわ」
叶の言葉に、彩芽は横に首を振った。
彩芽は出来る限りの手を打った。
家の所有するヘリコプターを手配し、最速で大地たちの元に向かおうとしている。
しかし、異能の暴走で気を失った人間がいつ目を覚ますかなど分かりはしない。
数日間眠り続けるかもしれないし、今この瞬間にも目を覚ますかもしれない。
タイムリミットは、大地が目を覚ますまで。
(運次第ね……)
運が良ければ間に合う。
気を失っている本人の預かり知るところでは無いが、これは大地の命運を左右する一世一代の賭けだった。
エレベーターが下の階に到着し、ゆっくりとドアが開く。その機械的な動きさえ緩慢に見えて、彩芽は再び苛立ちを募らせた。
飛び出すようにエレベーターを降り、校舎の外に出て校庭に向かう。
「チッ、多いわね……!」
校庭を薄明るく染め上げる異能場の光、それに群がる妖蟲は、昨日大地たちが大多数を退治したにも関わらずかなりの数がいた。
「お嬢様、ここは私が……」
「うるさい……‼」
妖蟲の群れに対し、腰に携えた日本刀の柄に手をかけた叶を、彩芽は低い声で抑え込んだ。
「ッ‼」
苛立つ彩芽とは正反対にいつも通り冷静でいた叶は、ここで初めて表情を強張らせる。
(マズイな……)
主人の苛立ちが頂点に達したことをその表情から悟った叶は、恭しく頭を下げて一歩後ろに下がった。
「邪魔なのよ……」
彩芽はゆっくり呟きながら、タイヤに掛けていた手を妖蟲の群れに向ける。
「邪魔」
ブワッ、と、彩芽の長い髪が重力に逆らって揺らめき立つ。
「邪魔」
周囲の空間が歪み、後ろの景色が捻じ曲がる。
「邪魔」
妖蟲の群れの周りに歪みで出来た透明な膜のようなものが現れ、一匹残らず妖蟲を囲ってしまう。
「邪魔邪魔邪魔邪魔、邪魔ァァ‼」
彩芽が妖蟲に向けた手をグッと握りしめ、その絶叫に呼応するように歪みの膜が押し潰される。
グシャッッッ‼
周囲の空間ごと圧殺された妖蟲の群れは、直径一メートルほどの丸い塊となって校庭に転がった。
彩芽が異能術を解除したにも関わらず、妖蟲を潰して出来た団子はあまりの圧力にその形を保っている。
(全く、恐ろしいお方だ……)
感情のままに異能を使った彩芽は、大きく息をついて額に汗を滲ませる。その彩芽の後ろで、叶は首筋を伝う冷たい汗を拭った。
異能専科の生徒会長にして、学内最強と謳われる諏訪彩芽は、遠くに見えるヘリを眺めて眼を細めた。
「間に合ってよね……」
・・・
「とりあえず、出来るだけのことはしましたけど……」
湿気の多い夜の山奥で猫柳瞳は不安の声を漏らした。
舗装されていない土の地面に横たわる友人の少年、大神大地は、青白い顔で額に汗を浮かべ、苦悶の声を漏らしながら意識を失っていた。傍らには大地と混じった異能生物、狼のリルも意識を手放して横たわっている。
「気を失っている大地君にこんなこと……ごめんなさい、大地君」
彩芽からの指示で大地の身体には八雲の異能の糸が何重にも巻かれ、手も足も全く動かせないようになっている。
「大地君……」
ネコメは手の中の壊れたチョーカー、封印用異能具『レージング』をぎゅっと握った。
大地は『レージング』を失い、リルから流れる異能の制御が効かなくなっている。そんな状態で目を覚ませば、大地の異能が暴走するであろうことはネコメにも分かっていた。
だから万一大地が目を覚ました場合、ネコメと八雲が大地を止めなければならない。その為に気を失った大地に拘束を施していた。
「記念に撮っとこうか」
カシャカシャ。
心配するネコメをよそに、八雲はケータイのカメラでぐるぐる巻きの大地の様子を写真に撮っていた。
「うーん、何かイマイチ……あ、そうだっ!」
閃いた、とばかりに八雲は荷物を漁り、筆記用具の中からサインペンを取り出す。
キュポ、とキャップを外し、一切の躊躇いなく大地の額に『肉』と書いた。
「ぶふうっ!」
自分の落書きに思いっきり噴き出す八雲。
しかし盛り上がったのもつかの間、「あーいや、これじゃベタだよね……」と顎に指を当て、思うがままに書き足していく。
額から鼻筋にかけて縦に『焼肉定食』、額を横断するように『肉離れ』と交差するように書いた。
「何をやっているんですかァ⁉」
大地の顔面でクロスワードを始めた八雲に、大気を震わせんばかりのネコメの絶叫が響いた。
「あなたこの状況を分かっているんですか⁉ 大地君が起きるまでに会長が間に合わなかったら、大地君は……‼」
あまりにも緊張感のない八雲の行動にネコメは激怒し、その手を掴んでグイっと大地から引き剥がす。
「平気だよ」
八雲はべっと舌を出し、「ほら見て」と横たわる大地を示す。
「こ、これって……⁉」
瞠目するネコメの目に映ったのは、異能の光に包まれる大地の姿だった。
見た目には何の変化も及ぼしていないその異能は、どうやら大地の手を中心にその体を包む光を構成しているらしい。
「幸運の加護、しっきーの異能だよ」
「あ、あの時の……!」
大地の体を包む異能は、昨日の昼にクラスメイトの里立四季に施された異能。座敷童の幸運の加護によるものだ。
本来は運による不確定な乱数に挑む際、その結果を効果対象にとって有益なものに偏らせるという能動的な異能である。決して大地が危惧したように藤宮の下着姿を見てしまうような異能ではない。
しかし、効果対象が『死』や、それに準ずる致命的な悪運に晒された時にのみ、反動的にその原因の一端から回避するという効果も持つ。
この場合は大地が目を覚ますことが、大地にとって致命的な悪運になる為、異能の効果でそれを遅らせることになる。
「これなら間に合うよ。しっきーの異能が発動したってことは、大神くんの悪運は回避されたってことだから」
八雲の言う通り、回避が不可能か、もしくは致命的な悪運ではなければ、四季の異能は発動しない。四季の異能が発動するということは原因の回避が可能ということである。
逆に言えば、四季の異能がなければ大地にとって致命的な悪運になっていたはずの事態に、ネコメは胸を撫で下ろした。
「よかった……。大地君、よかったです……」
ネコメはその目尻に涙を溜め、大地の額をそっと撫でた。
ネコメと八雲の間に弛緩した空気が流れた頃、見計らったように空気を裂く駆動音が聞こえてきた。
「ほら、間に合ったよ」
八雲の示す方向にネコメが顔を向けると、暗い空の端に点滅する光が見えた。
低空を飛行するその光は、タイミングから見て彩芽の乗ったヘリに間違いない。
「会長、ここです‼」
ネコメはケータイのライトを誘導灯代わりに掲げ、ヘリに乗っているであろう彩芽に合図を送る。
ぶんぶんと手を振るネコメを尻目に、八雲はつまらなそうに口をへの字に歪め、再びサインペンを大地の顔に走らせる。
そして、大地の口元にヒゲの落書きを追加し、ネコメに聞こえないようにそっと呟いた。
「……妬けちゃうなぁ」
・・・
ピコン。パソコンのデスクトップにメールの受信を知らせるアイコンが表示される。
そこは暗い部屋だった。窓はなく、LED照明も電源が落とされ、パソコンの画面とマウスの赤色、ハードディスクの電源を示す明かりだけが真っ暗な部屋に不気味な光を灯している。
その人物はカチカチとマウスを操作し、受信したばかりのメールを表示する。
「…………」
メールの内容にニヤリと笑みを浮かべた顔が、デスクトップの明かりに照らされる。
続いてその人物は、パソコンの中にある資料を表示した。
何かの実験データであるらしいそれを、誇らしいような愛おしいような、恍惚とした表情で眺める。
実験体一、失敗。
実験体ニ、失敗。
いくつもの失敗が簡単に記される中で、七番目の項目にだけは多くの写真と考察が書かれていた。
実験体七、失敗。これまでの実験体より遥かに成功に近づくも、耐久性に改善の余地有り。このサンプルにより、次の実験体にて成功を予測するに充分な結果となった。
そしてそこに続く文字をそっと指でなぞり、その人物は席を立つ。
資料の散らばった部屋を歩き、ドアを開けて隣の部屋に入る。
その部屋は隣の部屋と同様に灯りが点いていないが、薄気味悪い緑色の光に満たされていた。
部屋は体育館のように広く、無数の円柱形の物体が所狭しと並んでいる。
全体が透明なガラスで出来た円柱形の物体は、直径が三メートル、高さが四メートルほどで、下部には液晶画面とキーボードのようなものがある。
中には半透明な緑色の液体が満たされ、底の方には部屋の光源にもなっているライトが灯っている。
緑色の巨大な瓶詰め。そんな表現が適切だろう。
そして瓶詰めのいくつかには、『鬼』が入っていた。
昨晩ネコメと大地が退治したものと同種の、赤銅色の肌を持つ鬼。
その人物は太古の昔から人類にとっての脅威である鬼を、ガラスに息のかかる距離まで近づき、恍惚の表情で眺める。
ピー、という電子音が響き液晶画面に作業完了の文字が表示される。
そして、瓶詰めの中で、鬼が白く濁ったその目を開けた。
・・・
『ダイチ……ダイチ……』
誰かの声が聞こえる。
俺の名を呼ぶ声は、聞き覚えのない幼い声だ。
『ダイチ!』
強く名前を呼ばれ、目を開けると、そこは真っ白な空間だった。
上も下もどこまでも真っ白で、果てが見えない。
キョロキョロと辺りを見回していると、自分の首に重い感覚があることに気付いた。
そっと触れてみると、慣れたチョーカーとは微妙に違う感触があった。
『ソレジャ、マダ、ヨワイ』
「え?」
声に振り向くと、足元に小さい影があった。
「……リル?」
声の主、リルは俺を見上げ、キラキラ輝くビー玉のような目で、声にならない声を紡ぐ。
『ボクト、ダイチ、モット』
トテトテと近寄り、俺の足にそっとその首を摺り寄せる。
『モット、ツヨク、ツナガル』
「な、なんの話だ? つか、お前喋れるのか⁉」
動揺しながらリルを抱え上げると、リルは眼を細めて笑みのような顔を浮かべた。
『コレハ、ユメ。キット、メガサメタラ、オボエテナイ』
「何を、言ってるんだ……?」
抱えたリルの姿が白くぼやけ、周囲の白と混ざっていく。
「お、おいリル!」
真っ白に染まった視界に、リルの声が残響する
『ナマエヲ、ヨンデ……』
・・・
覚醒を拒む気怠い体に無理矢理力を込める。
鉛で出来ているのではと錯覚するほど重い瞼をこじ開けると、俺の顔を覗き込む獣の顔と目が合った。
「うおっ⁉」
ビクッと体を強張らせ、硬直した全身がビキリと痛む。
リルにはだいぶ慣れたと思ったのだが、急に来られると犬に対する恐怖心が蘇ることがあるな。
リルを押しのけて重い体を起こし、顔を上げる。どうやらここは寮の部屋で、俺はベッドの下の段に寝かせられていたらしい。まるでこの部屋で最初に目を覚ました時の再現だな。
「今何時だ?」
部屋は暗く、時間が分からない。ケータイで時間を確認しようと枕元に手を伸ばすが、無い。
「目ぇ覚めた?」
「す、諏訪先輩、何でここに?」
枕元ではだるそうにベッドにもたれかかり、諏訪先輩が半開きの目でこちらを見ていた。
「ケータイはポッケじゃない?」
「え、ああ」
先輩に言われ改めて自分の姿を確認すると、俺は私服姿のままだった。ケータイや財布もポケットに入ったままだ。
取り出して時間を確認すると、今は深夜の二時を少し回ったところだった。
「先輩、一体なにがあったんですか?」
俺は確か怪しい異能具職人の日野に異能具の作成を依頼して、その帰りに妖獣と戦って……。
「……大地、大切な話があるわ」
先輩はベッドにもたれかかっていた身体を起こし、真剣な顔で俺に向き直った。
「な、なんすか、改まって……」
先輩のただならぬ雰囲気に飲まれ、俺も思わずベッドの上で居直る。未だに全身が気だるく、何だか体中に重りを付けているみたいだ。
「大地、あなたは……」
俺の様子に先輩は眼を細め、慎重に言葉を選びながら語り始めた。
「あなたは、リルとの繋がりが強くなった。異能混じりとして、一足飛びに強くなってしまったわ」
「つよく、なってしまった?」
まるで強くなったことがマズいことのように言う先輩の言い分に、俺は首を傾げた。
(いや……)
確かにマズいことなのかもしれない。
俺はあの時、強くなりたいと思った。
ネコメの友達として、霊官を目指すものとして。
でも、あの力。
妖獣の足を千切り飛ばすようなあの力は、強すぎる。
あんな力は、軽はずみに振るっていいモノじゃない。
「……リルは、異能生物としてはかなり強い力を持っているわ。それにあなた達は他の異能混じりとは根本的に違う存在だから」
「リルが、生きているから?」
俺の返答に先輩はこくりと頷いた。
俺とリルは、生きたまま異能混じりになっている。
ネコメや八雲、鎌倉なんかの普通の異能混じりは、異能生物の残滓と異能の資質が高い人間が混ざることで生まれる。
「生きた異能生物と混ざった例は極端に少ない。だからこれは私の推測なんだけど、生きた異能生物から流れる力には上限がないんだと思うわ」
「上限がない?」
オウム返しする俺の言葉に、先輩は「つまり」と言葉を続ける。
「異能生物の持つ異能の力の純度を100とするなら、異能混じりの持つ異能の力は個人差もあるけどいいとこ20。異能混じりはその20の異能の力を、任意のパーセンテージで発現させる。常に1、2%は無意識に使っているものだから、上限が20ってことね」
つまりネコメや八雲が本気で異能を発現させれば、それは人間の身体に20の異能を足したことになるってことか。
「それは体内にある異能の力がそれしかないから。文字通り上限ね。ただし、大地の場合は生きた異能生物から異能の力を受け取っている。20という上限が存在しないのよ」
上限のない異能混じり、それが俺とリルって訳か。
「大地はその気になれば、リルの力の限界まで自身の力にできる。上限をつけるとするなら99ってことよ。もちろんそれは異能の暴走に他ならないけど」
異能の暴走、俺の身体にリルの力が混ざり過ぎれば、コントロールが効かなくなるってことか。
「普通の異能混じりも、自分のコントロールできる力を超えて異能を発現しようとすれば暴走する。誰もが20の異能を扱えるわけじゃないの。鍛錬次第で20の異能を扱えるようになるって感じね」
つまり普通の異能混じりの異能の上限は20、その20の異能の内から個人の力量に合った異能を発現させる。
対して俺は、異能の上限がない。あとは俺の力量次第で、自在にリルの異能を扱えるってことか。
「……じゃあ俺が強くなったってのは」
「扱える力の上限が上がったってこと。そしてその力に、チョーカーが耐えられなくなった」
「チョーカーが?」
言われて改めて首元に触れると、そこには確かにチョーカー型の異能具があった。俺とリルを繋げる異能具が。
しかし、妖獣と戦った時にチョーカーは壊れてしまったはずだし、今首に巻いてあるものは微妙に手触りが異なる。
おそらく別物だろう。
「そのチョーカーは、リルから大地に流れる異能を制限する弁の役割を果たしているの。普通の異能混じりと違って力に上限がないあなたたちは、それがないと異能が流れ過ぎてしまう」
先輩はそこで「でも」と言葉を切り、険しい顔で俺を指さす。
「あなたの扱える力の上限はさっきの妖獣との戦いで上がってしまった。その結果、前のチョーカーでは耐えられなくなってしまったの。だから新しいチョーカーで再封印を施したわ」
異能の暴走を防ぐため、俺にチョーカーは必須ってことか。
「じゃあ、もう大丈夫なのか? あんなバカみたいな力はもう出ないんだよな?」
あの力は異能の暴走のようなもの。異能混じりとして扱える力を超えた、使ってはいけない力だ。
「まあ、それはそうなんだけど……。一度上がった力の上限は下がることがないわ」
先輩は言葉を濁し、懐から俺の首に巻かれているものと同種のチョーカーを取り出した。
「あなたのために用意したチョーカーは全部で三つ。『レージング』、『ドローミ』、『グレイプニール』。レージングはさっき壊れて、今巻いてあるのはドローミ。ドローミはレージングより扱える力の上限が高いわ。もちろんグレイプニールは更にね」
「ぐれいぷ?」
どこかで聞いたような名前だが、それよりも気になるのは、なぜそんな順を追うようなことをするのだろうか、ということだ。
「なあ、最初からそのぐれいぷ何とかって上限の高いやつを付けてくれればいいんじゃないのか?」
最初から上限の高いチョーカーを付けてくれれば今回みたいな暴走まがいのことは起こらなかったのでは、と思ったが、どうやらそれは違うらしい。
「そんなことしたら扱える力以上の異能が流れ込んできて暴走するわ。あなたの力量に合った封印をしないと意味ないもの」
「なるほど……」
つまり俺の異能混じりとしての成長に合わせて、ちょうどいいチョーカーが必要ってことか。
「本当はもっと時間がかかると思ったんだけどね、予想よりはるかにあなたの成長が早かったのよ」
先輩はため息交じりにぼやき、恨みがましい視線を俺に向けて来る。
何で成長したのにこんな目を向けられにゃならんのだ。
「ホントに、今日は疲れた……」
先輩はそう言って再びベッドに身体を預けた。なんだか本当にしんどそうだ。
「先輩、どうしたんですか?」
普段は余裕綽々というか、常に上から俺を見下しているような人なのに、さっきから怠そうだし、今日はやけにぐったりしている。
「体調でも、あっ……いや、何でもないっす……」
俺はそこで言葉を切り、咳払いして今の失言を改める。
「……なによ?」
「何でもないっす」
先輩も女子。体調が悪い日があるのは当然だし、そこに触れるのはデリカシーのないことだ。
「……何勘違いしてるのか知らないけど、今日はちょっと異能を使いすぎたのよ。邪魔な妖蟲にでっかい異能術使っちゃったし、あんたの封印にも異能術使ったし」
「……もちろんわかってますよ」
ふう、と息を吐き、ジト目で睨んでくる先輩の視線から目を背ける。
先輩はのそのそと腕の力で移動し、部屋の中に置いてあった車椅子に身体を預ける。
「今日はもう帰るわ。あ、そうだ」
先輩は忘れていた、とばかりに俺の腕に視線を向けた。
「大地の左腕、接合したところが歪んでたわ。完全に治るまでもう無茶するんじゃないわよ」
そう言い残し、先輩は俺の部屋を出て行った。
残された俺はベッドの上に座ったまま、右手でリルを撫でてやり、自分の左手を見る。
一見して変わったところは無いが、そういえば藤宮先生にも似たようなことを言われた。
これ以上左手に無茶をさせてはいけないとは分かっていたが、俺はグッと左手を握って笑みを浮かべた。
(強く、なった)
無茶をするなと言われた。
暴走スレスレの危ういところだった。
それでも一歩、ネコメに近づけた気がしたから。
0
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