暗殺ギルドの下っ端さん

海蛇

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三章.商人ギルドと王国騎士団

二十話.さらわれた『エリー』(後編)

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 黒に包まれた夜。
深化した闇は、本来ならば人々を眠りへと誘い、新たな今日と言う日の朝へ運ぶ揺り籠となるはずであった。
鐘の一つ鳴る頃。指定された通りにバーレン伯爵の館に赴いたクロウ。
その入り口の扉の前には、紙切れが一枚貼り付けられていた。

『そのまま入って来い』

(……随分とご丁寧な)
言われずとも入ってやる、と、扉を押し込むと、重厚な見た目とは裏腹に扉はそのまま開いてしまう。
すぐには踏み込まず数秒置き、闇の先に何がしか・・・・がないかを確認してから足を入れた。


 館の中は、既に異様な雰囲気が漂っていた。
濃密な死の香り。赤を黒く腐らせたような鼻をつく臭いが、クロウの警戒を更に強めさせる。
あかりなどは持たない。
フィアーを誘拐しただけの相手である、敵は腕利きの暗殺者であると考えられた。
わざわざ目印になるような物を持ってきてやる事もない。自身は夜眼が利く。それで十分だとばかりに。

 エントランスの中心、がつ、と、靴先に当たる何かに即座に飛び退いたが、靴先に一瞬伝わった感触からその正体を察する。
肉である。重みのある肉の塊。足先から伝わった感触は、そんな感想をクロウに抱かせた。

「これは……」

 落ち着いて近づき、目を凝らして見れば、それは首のない女の死体。
顔が確認できないので「まさかフィアーか」と一瞬嫌な事を考えてしまったものの、残された身体のシルエットを見るに、彼女にしては太りすぎているようにも見え、わずかばかり安堵する。

 階段の前にはまた張り紙。
『そのまま上がってきな』
書きなぐりの一文に、クロウは苦笑する。
どの道一階に何もなければ同じことだろうに、これである。
よほど余計なものを見られたくないのか、あるいは書かれた通りに従わせたい、仕切り屋気質なのか。
きっと、これは何かの誘導に違いない。
自分に「そんなの解ってる」と思わせておいて、どこかで不意を打ってくるつもりなのだ、とクロウは警戒心を強める。
中々の策士らしいが、これくらいの誘導・操作は彼には慣れたものであった。
人と付き合うのは苦手だが、人を動かすのは彼の得意とする事であった。
そんな彼だからこそ、とも言えるのだが。


 そのまま二階へと上がり、いくつも扉がある廊下を進むと、一番奥にある、左側の扉にまた張り紙。

『そのまま入れば愛しの娘とご対面だ』

 そこで立ち止まるや、なんとなしに部屋の中に人の気配を感じる。
なるほど、確かに彼女はこの先にいるのだろう、と。
だが、部屋の中にある気配は一人分。それ以外は何も感じない。
殺気すらなさそうな辺り、恐らくそういう事・・・・・なのだろう、と考えながら。
ドアノブに手をかけ――背後に迫るモノを感じながら、勢いよく開いて中へ飛び込んでいった。

 ガコン、という鈍い音が真後ろから聞こえたのはその直後。
にわかに明るくなる世界。
目の前には椅子に縛り付けられたフィアー。
気を失っているのか、眼を閉じたままでうなだれていた。
近くに置かれたままの燭台のおかげで、瞬時にそれが把握できた。

「はっはっはぁ!! 中々勘が鋭いねえ。大した兄ちゃんだぜ!」

 
 部屋の入り口には、柄モノのシャツを着た遊び人の風体をした男。
手には血まみれの斧を持ち、空振りに終わり穴が空いた床を見ながら、にやにやと口元を歪めていた。
「お前が……ギルドの関係者を殺して回ってた奴か?」
「おうよ。ホントはメルセリウス子爵を護衛しろって命令だったんだけどよう。どうにも運が悪く間に合わなくって。そんで、殺した張本人を探してぶっ殺さないと、俺の立場もちょっとやばいからさー」

 聞いたところでまともに答えるものだろうか、とダメ元で聞いたつもりだったが、これにはクロウも驚かされる。
事もあろうに、この男、自分で犯行を吐いたのだ。
よほどの自信家か、よほどの馬鹿者か。
いずれにしても常識が通じない奴だ、と即座に判断する。

「……メルセリウスを殺したのは確かに私だが、私と直接関係のない他の奴を殺したのは何故だ?」
その上で、聞けるなりの情報があるならば、と、更に追及してゆくのも忘れない。
狂人であれ殺人鬼であれ、今後のこの手の組織対策に役立つ傾向があるならば、それを知りたかったのもある。
「探すのが面倒くさかった。それっぽい奴を皆殺しにしちまえば間違いないだろう? その内、ぶっ殺そうとした一人が泣きわめきながらお前さんの話をしてくれたからさあ……まあ、そいつも殺したけど」
クロウの問い詰めに、男は躊躇ためらい一つ見せず白状する。
何かを計算してという風でもなく、なんとも軽薄というか、危機感の薄い様子であった。
(あるいは本当に頭の弱い男なのか……? しかし……)
クロウは困惑した。
関係者三人を殺し、フィアーまで誘拐してみせたこの男が、その癖あまりにも愚かに見えてしまい、逆に罠か何かなのではないかと思えてきたのだ。
だが、その実張り紙を使って心理的優位を取ろうとしたり、油断ならない面も持ち合わせている。
危険な奴だ、と、クロウは歯を噛んだ。


「ああ、お前さんの恋人には手を出してないから気にしなくて良いよ。俺、生きてる女の子にはあんま興味なくてさ。首が落ちた女の子にならいくらでも欲情できるんだけど」
何が楽しいのか、目を細めながらに意識の墜ちたままのフィアーを見つめ、斧を後ろに隠した。
とんだ異常者であった。面倒この上ない。
腕利きの異常者なんてロクな相手じゃないと、そんな相手と戦うハメになり、クロウは自分の不運を呪った。
同時に、飛び込んでくるのを察して、先んじてダガーを取り出す。
「ま、首が落ちた男にも欲情できるけどなっ!!」
「――この変態が!!」
ニタニタといやらしい笑みを浮かべながら、いきり勃たせながら襲い掛かってくる変態。
クロウはフィアーを庇うように前に立ち、応戦した。
ぎに振られる斧をダガーで弾こうとし、受け流し損ねて弾かれてしまう。
「ちぃっ」
得物えものを吹き飛ばされ、手先は痺れた。それでも刃は逸れた。
だが、すぐに振り上げ、にぃ、と笑う男の顔が見えた。
――フィアーを狙ってるのかこいつ。
縛られたままのフィアーを突き飛ばし、自身も横に跳ぶ。
「――おらぁっ!!」
両腕の力を込めての体重が乗った一撃。
斧の軌道は、クロウではなく、椅子のあった場所に向けて。
辛うじて回避が間に合い、ズドン、と斧先が床板をえぐり割った。

「やっぱ斧じゃ重過ぎるなあ。弱い奴ならこれで十分だったんだが。プロ相手じゃ遅すぎたか」
首をこきこきと鳴らしながらめり込んだ斧を手放し、腰からナイフを抜く。
その動作も無駄がなく、それでいて愉しげで、戦闘狂気質な面をのぞかせていた。
「……この館の持ち主はどうした?」
同じリーチ同士の戦いになると察するや、脇下のナイフホルダーからダガーをもう一本取り出し、構えを取るクロウ。
「別室で家族皆で仲良く眠ってるよ。首はないけどなぁ!」
肉薄から振り下ろしまで、斧とは比べ物にならないほど速く、そして的確にクロウの喉元狙いの一撃を撃ち込んでくる。
技術自体はそこまで洗練されたものではないが、フィアーを庇いながらの戦いでクロウが動ける範囲など限られており、どうしてもかわしきれない部分が出てくる。
「うぐっ――」
腕を軽く切られ、血がバシャリと零れ落ちる。
この距離で被害を被るレベルの相手だった。

――今下がればフィアーが死ぬ。

 そう悟ればこそ、前に出るしかなかった。
いや、彼にとって、これこそが至高だったのだ。
「このっ、ロクデナシがぁっ!!」
気合を込め、声と共に踏み込み。
左腕で喉元と心臓をカバーしながら、右手のダガーで打ち込まれたナイフを弾き返す。
「ぎゃははははっ、よく言われるよっ! 言った奴は皆土の中だけどなあっ!!」
ガキリ、とナイフとダガーとが舐め合う。体格は互角。
だが、勢いの差もあり、クロウはじりじりと押し込んでいった。
「きぃ……強ぇなあ。ナイフでも、押されるのか、よっ!!」
男は、これをなんとか耐えながら後じさり、一気に部屋の外に飛び退いていく。
「しっ!!」
「おっと危ねぇ!」
追撃の鉄杭を投げつけたが、ギリギリ間に合わずかわされてしまう。
恐ろしく俊敏な男。それでいて、勘の方も鋭かった。

「いやあ悪いねえ。俺はあんま力もないし、あんたらみたいに一芸に秀でてる訳じゃないんだ。何せただの殺人狂だからさあ。だから、ここは逃げさせてもらうよん」
けたけたとやかましく笑いながら、殺人狂はクロウに背を見せながら走り出す。
「……」
すぐに追いかけるべきか一瞬迷ったクロウは、意識を失ったままのフィアーを見た。
なるほど、確かに胸は前後している。息はあるらしい、と安堵する。
今あの男を逃がせば取り返しがつかないことになるかもしれないとは思いながらも、クロウはフィアーの縄をダガーを斬り、解放してから男を追いかけた。


「――うぉっ!?」
そして、階段へと戻った直後に真上からの声無き不意打ちであった。
男の手には飾られていた壷が一つ。これで頭をかち割ろうとしていたらしい。
なんとかかわしきるが、距離を空ければニタニタと笑う男の顔が目に入る。
「きひっ、良くかわせたじゃ~ん。折角壊れたジャム瓶みたいにしてやろうと思ったのによー」
「うるさいっ、大人しく死ね!!」
段々とその声に苛立ちを感じながら、男が抱えたままの壷をどうするのかを注視する。
不意打ちが決まればそれが致命傷にもなりえただろうが、武器として考えるに、壺はいささか大きすぎる。
これでは単にデッドウェイトになるだけで、動きの自由度まで奪われてしまう。
だが、男は笑顔を崩さない。愛おしそうに壺に口づけし、うっとりとした表情になっていた。
怖気が走る光景である。クロウは戦慄した。

「生憎と、俺は死なないよ? 『ゾンビー』って知ってるかい? うちの教団はそういう・・・・儀式もやってる。死体になっても蘇るぜ? 死んでも人をクビれるなんて、最高だよなあっ!!」

 そのまま壷を振りかぶり、突っ込んでくる。
まさかこんなもので近接戦闘をするつもりか、と、驚くクロウを見て笑いながら。
「こいつは――こう使うのさぁっ!!」
「ぐっ!?」
壷を地面へと叩き付け、がしゃりと砕け飛ぶ破片を目くらましに、変態男はクロウの真横をすり抜けていった。
そう、真横を。先ほどの部屋に戻っていったのだ。
「しまった!!」
その先には、未だ意識を失ったままのフィアーがいるはずだった。



「きひひひっ! お帰りなさいベルク君!! 君の彼女は間男とランデブー中だぜぇ!?」
急ぎその後を追ったクロウ。
部屋では既に、フィアーの首にナイフを向けている男の姿があった。
「さあ、楽しい自殺ショーの始まりだよ。ベルク君、そのダガーで自分の首を刺せよ。可愛い恋人を傷つけたくはないだろう?」
これ見よがしに空いた手でフィアーの頬をなぞるように触って見せ、男は口元を歪めた。
「……恋人?」
フィアーを人質に取られるのはある程度予想できていた事ではあったが。
そういえば、と、クロウには一つ、この男について違和感を覚えていた。

 この男は、今でもフィアーの事を『ベルクの恋人』だと呼んでいる。
この様子を見るに、彼女とクロウの関係が『職業上の上司と部下』というものではなく、本当に恋人同士だと思いこんでいるのではないか? と、その可能性に気づいたのだ。

「確かにエリーは私の恋人だ。愛しい人だ。失えば……辛いだろうな」
だから、クロウは念の為、演技でその反応を見てみる事にした。
関係ないが、その言葉でぴくり、フィアーの眉が動いたのが見えて、彼女の気絶したフリ・・・・・・にも気づく。
「きひっ、そうだろう? 誰だって自分の恋人は可愛いよぉ。まして、自分の正体を隠してまで付き合ってる恋人だもんなあ!」
我が意を得たりとばかりにはしゃぎだす変態男。
その様その言葉で、クロウは確信した。

(こいつ、フィアーの事を本当にパン屋の娘としか思ってないんだな)

 この瞬間演技の続行が確定された。
彼がそう思い込んでいてくれるなら、その方が都合が良いからだ。
ついでにフィアーの覚醒にも気づいていないようなので、クロウにとって二重で好都合だった。
「解った。私の負けだ。だが頼む、エリーには手を出さないでくれ……その娘を失ったら、私は……」
敢えて敗けの風を見せ、懐から取り出した真新しいダガーを首に押し当てる。
「そうかい。この娘をさらって正解だったなあ。もう一人の男の方はなんかやばそうな感じがしたからやめたんだ。良かったぜ、女の子の方で」
男は、にやけた顔でそんなよく解らないことをのたまいながら、油断した様子でクロウに注視していた。
このまま、『自殺ショー』とやらを楽しむ腹積もりなのだろう。
だからクロウは、少しでもこの男の注意を惹くつもりで大きく息を吸い……覚悟したように、緊張をにじませた顔をした。
「――ふんっ!!」
わずかばかり首から刃を離し、勢い良く突き刺す――直前で手が止まった。

「がっ――あっ、ああぁぁぁぁっ!?」

 同時に部屋に響く絶叫。
見れば、男の股間にぐさりと、太めの針が数本、突き刺さっていた。
まさかの急所攻撃に男は悶絶もんぜつし、青い顔になってフィアーに向けていたナイフを落としてしまう。
「油断しましたね?」
フィアーが立ち上がりざまに右ひじを顔に叩き込み、振り返りながらひざ蹴りをみぞおちへと打ち込んでいく。
「あがっ、ぎひぃっ……がぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「……っ」
獣のようにうめきながら頭を垂れる男の顔に蹴りを入れ、それでも尚気を失わず振り回してきた腕を一息にかわし、飛び退く。
「クロウっ!!」
「うむっ」
入れ替わるようにクロウが前に飛び出て、ダガーを振りぬく。
「じょ、冗談じゃねぇっ!? こんなの、冗談じゃねぇぞぉっ!!」
半狂乱となって暴れていた男はしかし、徒手での格闘に何ら正確性がなく、あっさりとクロウの接近を許してしまう。

「お前には――次の明日など要らん!!」

 どんな極悪人でも次の明日を祈るのがギルドの習わしであったが、クロウは今回に限り、それを捨てた。
一撃が男の喉元を過ぎ、やがて赤が噴き出した。
「あっ、はあっ、ひんじまう――オレ、死んじゃ……」
ひゅー、ひゅーと、空気の抜けたような音を出しながら搾り出した声は、そんな間の抜けた言葉であった。
首元を手で押さえ、なんとか踏ん張ろうとするも……足腰が身体を支えきれなくなってその場に崩れ落ちる。
「ゾンビーに……ゾンビーになれ、ねぇよう……ひぬ時は、ひゃんと、ほひきにほろんなひゃ……」
うろうろと揺れる濁った瞳はやがて動かなくなる。
そのまま、息を切る音は聞こえなくなり――終わった。


「――とんでもない奴だった」
戦いが終わり、ようやく収束した死の気配。
この上何者かが潜んでいたなら相当の神経戦になっただろうが、幸いにしてそれはないらしく、クロウもフィアーも安どのため息をついた。
「ごめんなさいクロウ。貴方に迷惑をかけてしまったようですね」
殊勝しゅしょうなことに、フィアーは申し訳なさそうな顔でぺこりと頭を下げる。
だが、クロウはそんな彼女を見て、つい、口元を緩めてしまった。
「あんたの事だ。わざとだったんだろう?」
特に毒を受けた様子も無く、切り傷を抑えながら笑い飛ばす。
さほどの傷も受けず、フィアー自身も無事だったのだ。組織に仇成す愚か者も死んだ。
これ以上ない勝利だと思えたのだ。
だが、当のフィアーはそう簡単にはいかないらしく、困ったように眉を下げていた。
「それはそうですが……まさか、情報を聞き出す間も無く貴方を呼んでくるとは思いもしませんでした。あの男、かなりイカれてましたね。行動に統一性が無い……」
「ああ。この館の伯爵一家も皆殺しらしいしな……とんだ災難だっただろうよ」
ただこの舞台を用意するためだけに殺されたのだとしたら、彼らは不幸だったとしか言いようがない。
「罪の無い伯爵一家には不憫と言うほか無いですね……せめて、できる限りの手向けをしたいものですが」
フィアーにも思うところがあったのか、沈痛な面持ちで地面に突き刺さった斧を見つめていた。



「今回の一連の流れは、どうやらラグバウトの一件から始まったことのようですね。私達に警戒した『何者か』が、自分達に刃が向く前にカウンターとしてこの変態を送り込んだ、と言ったところでしょうか」
傷の応急処置を施し、ようやく落ち着いたところで、フィアーは縛られていた椅子を戻し、腰掛ける。
死体は放置されたままだが、すぐに動く気にはなれなかったらしい。
クロウも付き合う形で反応する。
「メルセリウスの件に間に合わなかった、と言っていたのだから、本来ならこの男とはあの娼館で戦うことになっていたのかもな」
あの人の多い娼館でこの男と戦うなど冗談ではない、と、クロウは苦い顔になる。

 わざわざ人質を取っておいて人質諸共殺そうとする男である。
その癖戦い方に規則性が無く、良くも悪くも常識の通じないプロ泣かせの殺人鬼。
そんな男が人の多い娼館を舞台に暴れれば、どれほど被害を出す事になるかも想像がつかない。
戦う羽目になったことそのものは不幸という他ないが、せめてこの館が舞台になった事だけはクロウにとって幸運という他なかった。

「彼の言っていた『教団』とやらは、まあ、『夜の裁き』のことなんでしょうけど。問題は、そこに依頼した者の存在でしょうかね。フライツペルとメルセリウスは多少なりとも関わりがありますが、ラグバウトには何ら関わりが無いはずですから」
「メルセリウスが依頼したならともかく、あの様子では彼が教団に護衛を依頼したとも思えんしな」

 むしろメルセリウスは死にたがっていたのだ。
愛する娘のいない世を耐え難いものと感じていた。
ならば、と、クロウは思考を巡らせる。
やはり、メルセリウスの護衛を依頼した者は別にいるのだ。
それも、ラグバウトの死から危機感を感じるような『関わり』を持っている者が。

「ラグバウトの粛清には違和感を感じていましたが、どうやら、私が思った以上の大物が釣れたようですね。ある意味マスターの狙い通りだった、という事でしょうか」
「結果として、狙った通りにプレッシャーを掛けることに成功した、という訳か」
その結果がコレである。正直笑えなかったが、先を考えるとそれどころではないともクロウには思えた。


「この変態が私達の、もっと言うなら貴方の情報を誰にも伝えてなければ良いのですが。まあ、そんな楽観はできないでしょうね?」
「――潮時しおどきか。事態が落ち着くまでは、街には戻れそうに無いな」
敵に自分の居場所が割れてしまっている可能性がある。これは非常に不味い。
今回はフィアーだったから救出に成功したが、これが他の知人や近隣の住民なら難易度は更に跳ね上がる。
そして、その時に救出が成功するとは限らない。
ギルドとは無関係の人間を巻き込むのは、流石にギルドの意向という意味でも、クロウ自身の気持ち的にも問題であった。
「仕方ないですね。街でのお仕事はアンゼリカに一任して、しばらくの間、旅に出るとしましょうか」
ため息混じりながら、さほど残念でもなさそうにさっぱりとした顔で提案するフィアー。
「あんたもか? 狙われているのは私だけではないのか? この男も、あんたの事はただのパン屋の娘だと思っていたようだが……?」
「そうかもしれませんが、逆に言えば『あのパン屋の娘をさらえば隠れているクロウを引きずりだせる』と考えるかもしれませんし。その場合、私の周りにいる一般人が巻き込まれる恐れもありますからね」
結局、二人で離れるしかないのだ。そういう結論になる。
二人してため息をついていた。こんな所ばかり似ている二人。
「恐らくはこの辺りもマスターの想定の中にあるのでしょうね。本当、憎たらしいったらない。昔からあんまり好きではありませんでしたが……解ってるなら先手くらい打てたでしょうに、全く」
悪態をつきながら、服についた埃を叩き落とし、立ち上がる。
そしてそのまま、とても自然な仕草でクロウの前に立ち、見上げてくる。
「とりあえず、貴方の家に戻りましょう。明るくなり次第私も家に帰りますが、この時間帯に別々に帰るよりは自然なはずですし」
あくまでそれまでは恋人として振舞いましょう、と、はにかみながら手を差し出してくる。
「……ああ」
妙に機嫌が良くなったように見えるのは気のせいか。
クロウはそんなフィアーの様子に違和感を覚えながら、その手を握り、先を歩き出した。


 こうして、翌日の内に二人は街から旅立つこととなる。
向かう先すら告げず、いつ戻るのかも報せず。
それが、恋人同士の、とても幸せな旅であるかのように振舞いながら。
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