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四章.旅路の果てに待つもの
二十七話.フライツペルへ
しおりを挟む「会長。今度はエルドラです! 前国王の側近だった者が殺されました。共に暮らす家族や使用人もろともに」
「ま、またか……どういう事だ。何故こんなに活発に動き始める!? き、騎士団や衛兵隊は何をしているというのだ!?」
マドリス商会の拠点、セリウスの街にて。
商会の本社では、マドリスが秘書アドルフの報告を受け、愕然としていた。
騎士団長らが王都から旅立ってからというもの、そして、クロウとエリーが行方知れずとなってからというもの、連日のようにこのような事件が発生していたのだ。
まるで、何かのスイッチでも入ってしまったかのように。
続けざまに起こる事件の、その犠牲者のほとんどが、『改革』に何らかの形で関わっていたか、先代の国王に近しい、近しくあろうとした者達ばかり。
ただ、その括りにこだわりらしいものは何ら感じさせず、例えば当事子供であったり、権力とは縁の薄い民間人であっても、何らか関わりがあったならば断じられているようだった。
そして何より特異なのは、それまで人目に付かぬよう、あくまで表面的にはギルドの関与を疑われぬよう、と、影に徹して『仕事』に掛かっていたはずの彼らが、殺人の現場に必ず一通の『手紙』を置くようになった事。
その手紙の内容はいずれも似たような物で、改革の際に国王派についた事や、当時改革派の者達にとって不利になる行いをした事などを糾弾する文章、そしてそれらを理由に断罪するとの趣旨でまとまっていた。
これらは事件の証拠として騎士団やその街の自警団によって保管されていたが、この数があまりにも多く。
いずれも全く同様の手口で、しかも容易には殺害には至れないような状況でもそれが成されている事から愉快犯の仕業とも考えられなかった為、暗殺ギルドの規模の大きさ、組織力の高さが初めて浮き彫りになった。
「一連の事件に関して、バルゴア国王はどうしているのだ? ここまで広がっている事件だ。王族が知らぬはずがなかろう」
渡された書類をくしゃりと曲げてしまいながら、マドリスは秘書の顔をじ、と見る。
「特別に動きを見せておりません。王宮近衛隊が動いた様子も、城内の警備体制が強化された様子も無く。『全く気にしていない』といった感じでしょうか」
「馬鹿なっ!? 民間人のみならず、貴族が殺されているのだぞ!? それも街住まいの弱小貴族などではなく、各地を支配する領主や、政治に深く関わってきた者達までもが。だというのに、何の感心もないと言うのか!?」
「幸いながら、国政に関しては現国王寄りの側近達は全員無事、というのと、領主らが、実際にはその土地の民には好かれていなかった、というのもあって、多少の混乱はあれ、代官を派遣する事によって事なきを得ているケースがほとんどのようです」
興奮気味にまくし立てる主人に、しかし、秘書は揺るぎ一つ見せずに、手元の書類を見ながらに説明しきってしまう。
(こ、これでは……)
何ら国政に影響がない。
ただこれだけで、マドリスはもう『それを企てた者達』の意図を察して、頬に汗を流していた。
「――つまりは、標的になった者達は、国政の上ではあまり国王から重要視されていなかった。あるいは、消えて貰った結果得をした、という者ばかりだったのではないでしょうか?」
それが偶然であれ何らかの策略の末であれ、国王は今回の件で得をし、暗殺ギルドという謎の組織がその汚名を全て被っている。
そういった事実が、確かにそこには存在していたのだ。
マドリスは、気づいてしまったのだ。
(これでは、まるでバルゴア国王の邪魔になる存在を、暗殺ギルドが消して回っていたようなものではないか……バルゴア国王は、何ら手を汚すことなく政治改革を成し遂げてしまった、のか……?)
自分達が暗殺ギルドなどという正体不明の組織を潰すことに躍起になっている間に、全く歯牙にもかけていなかったバルゴア国王が、その手のうちに全てを抱きかかえてしまっていたのだ。
そして、それを止める事が出来る勢力は、今バルゴア国内のどこにも存在しない。
商人ギルドの、ひいてはマドリス商会の干渉を妨げていた、その真の理由がここに在った事に、マドリスは今、ようやく気づかされていた。
(……目先の敵にうつつを抜かし過ぎたか。本来の敵は、別の場所に居たのだな。食わせものの王め。まだ若いと侮っていたようだ。無能だった先王とは訳が違うな)
同時に、自身の認識の甘さ、今最優先で対処すべきが何なのかも、理解させられていた。
これは全て、主宰たる自身の判断ミスによるもの、と。
その侮りの末のツケを、苦々しい思いをしながらも受け入れていた。
読んでいた書類を手渡しながらに、秘書は更にこう、付け加える。
「会長。今回の一件。手を引いたほうがよろしいのでは?」
書類を受け取ろうとして、秘書からの想定外の言葉に、マドリスはまた、驚きに眼を剥いてしまう。
受け取ろうとした書類はデスクへと落ち、手が震える。
「どういう事かね、アドルフ君。君は、私に手を引けと言ったのか? この程度の事で諦め、引き下がれと?」
「折角今まで温めていたものから手を引くのは、確かに勇気が要りますが。だからと、無理にこのまま手を出そうとし続ければ、いずれは会長の身にまで危険が及びかねません」
だが、怒りと共に睨みつけてくる上司の眼にアドルフは怯みもせず、淀みなく言葉を続けた。
「まして、このような事態。何が元で商会に打撃が与えられるかも解りませんし。何より、今無理に手を出し続けるよりは、少し時を置いて、沈静化してから再び介入したほうが、コストもリスクも低く収まるのでは、と私は思うのですが」
あくまで商会の為、と念を置いて話すアドルフに、マドリスは表面上こそは落ち着きを取り戻した風を装いながら、小さくため息をつき、組んだ手の前に顔を置く。
「……そうはいかんよ。君だって解るだろう。今まで私がどれほどバルゴアに気を向け、投資を続けてきたのかを。ここで恐れを成して引いて見ろ。『マドリスは年老いた』と、他の者達に軽視されるかもしれん。特に、トネルコの奴は何を考えてるか解らんし、な……」
マドリスとて、ただ座して商人たちのトップに立っている訳ではない。
それは数多くの場数を踏み、数多の商人としての、そして人としての苦境を乗り越えた末の高みであった。
ただ商才があるだけではたどり着けない、ただ大商人の家に生まれたからでは維持できない、そんな重みが、マドリスには確かにあったのだ。
その重みが、経験が、マドリスを不退転とさせる。
ここで退がって見せれば、後に待つのは他の大商人たちによるバルゴアという果実の独占である。
商会としてもかなりの額、投資し、国内整備に費やしたことを考えれば、これはギルド内での序列すら揺るがしかねない痛恨の打撃と成りうる。
そう考えればこそ、身の安全などよりも重視すべきであると考えてしまうのだ。
「アドルフ君。私は自分の命などさほど惜しくはない。今は君という後継者候補もいる。だが、今までの私の血肉を吸わせ続けたこの商会、これを失う事は許されん。私の眼が生きているうちは、商会の没落などあってはならんのだ」
彼は、この商会に対し、強い自信を持っていた。強い愛着を持っていた。
彼の誇りであり、誉であり、全てであった。
時として傲岸不遜とすら揶揄される彼の、紛れもない本音がそこにはあった。
「今バルゴアという巨大な市場を手放せば、必ずや他の大商人どもが手を出してくる。トネルコやアルセウスなどは喜んで喰いついて荒らしまわる事だろう。そうなっては、ギルド内での勢力も維持できなくなってしまうかも知れん」
同じ商人ギルドを形成する大商会ではあるが、マドリスは自身の対抗馬足り得る者達に、あまりいい感情を抱いていなかった。
ここで引き下がれば間違いなく、彼らの思うままにバルゴアの市場は荒らされることになる。
それもまた、マドリスの懸念の一つだった。
「ですが、事実、バルゴアは今危険な状況となっております。無闇に手を出し、火の手がこちらに回ってからでは遅いのでは?」
「火に纏わられるならば、燃えながらでも益を掴む。それが大商人というモノだ。ただ店を出し、売り買いするだけの者は、このような益を得ることが出来ん」
構わんのだ、と、決意に燃えた目で秘書を見つめ、くしゃくしゃになった書類を部屋の隅へと投げ捨てる。
「この一件、私には退がるつもりは微塵もない。だが、バルゴア国内の動きと、国王周り。どうも、何がしか連動があるのではないかと思えてしまう」
「……確かに。暗殺ギルドと現国王に、何らか関わりがないとも言い切れません。その方向で調査を回しておきましょう」
有能な彼の秘書は、主の言わんとする事を理解し、部屋の隅に転がった書類を拾って、そのまま一礼する。
一応は、本心で決意を語る主人に従う体を装って。
「うむ。そうしてくれたまえ。君には苦労をかけるが、これからも頼むよ」
自分の言葉を理解してくれたと思い込んだマドリスは、そんな彼の瞳が濁っていた事など気にもせず、満足げに頷いていた。
「……勘が良いな、マドリス。まさか、国王とギルドの関係に勘付くとは。いささか話しすぎたか?」
そうして部屋を出て、一人きりになってから。
アドルフは、指を噛むようにしてぽつぽつ呟きながら、マドリスという男の勘のよさに驚かされていた。
「いずれは必ず、と思っていたが。早めに始末しなければならんかもしれんな。今すぐは無理としても、早めに――」
心の声を隠し切れないのは彼の悪癖か。
しかし、それを聞く者もいないのだ。
マドリス=ヘルマンは、かなり猜疑心の強い、人避けする人物であった。
部下であっても容易には二人きりにはならず、商談の際には常に相手のボディチェックと身元確認を入念にし、その上で自分の周りを部下で固めるほどであった。
人を信用するという事が苦手なのか嫌いなのかは解らないが、彼自身、秘書として採用されて信用を得るまでの間、かなりの年数を要していた。
そんなマドリスの、人と成りを表す最たるものがこの、三階建ての商会本社である。
一階は巨大なマーケットがあり、この物欲の街の象徴するほどに様々な品が他の街では考えられぬほどのお手ごろ価格で売られている。
二階は各地の支店や関係各所との連携を取るための本社機能を持っており、百人ほどの有能な人材によって、非常に強力な運営体制を維持していた。
そうしてこの三階。マドリスの別邸とも言える、マドリス以外には誰一人居ない階層である。
彼くらいの成功者になれば、妻子どころか孫や愛人の一人も居てもおかしくないはずだが、彼は生涯通して未だ独身であった。
まるで商売そのものが妻なのだと言わんばかりに熱心な彼の姿勢は、確かに商人として学ぶべきところも多く、アドルフはその点に置いては尊敬すべき師であると考えてもいた。
だが、同時にだからこそ、人間味の薄い、利益のみを追及し続けるその姿勢、次々に目標を変え手を伸ばし続けるその欲の強さには辟易としてもいた。
何より、そして何より。
(……父の仇なのだ。とことんまで苦しめ、絶望を味わわせてやらねば気が済まん)
アドルフは、マドリスに深い憎しみを抱いていた。
秘書となる以前からの、いや、秘書となった根源の動機ですらあるそれは、未だアドルフの『裏の』行動原理であった。
「今はまだ、良い。祭りは始まったばかりだ」
逃げ場のないどん底に落としてやるとばかりに、アドルフは口元を歪め、下階へと降りていった。
「様子見がてらに、教団を見て来い、と?」
「ええ。しばらくの間、私達は身動きを取らない事に決めました。情報は逐一集めていきますが、どうも今の状況、私達には何かを出来たものではないと判断できましたので」
ラークの屋敷、客間にて。
クロウは、自室に訪れたフィアーからこう告げられ、その瞳をじ、と見つめていた。
それに対し、フィアーはにこりと微笑んでみせる。まるでエリーのように。
「仕事の話そのものはマスターからの指示、という形でちょくちょく送られていました。ですが、これが本当に意味のあるモノなのか。そもそも、ギルドの仕事としてこれは正しいのか。私はこれが納得できませんでした。できませんでしたので」
「だから、今はできる事をしろ、という事か」
「はい。この街に居ても貴方にできる事なんて釣りくらいでしょうから。そんなくだらないことをするくらいなら、以前貴方を襲撃した『フライツペルの宗教組織』とやらを見てきて欲しいのです。勿論、できるようなら叩き潰してくれて構いません」
むしろそれを推奨します、と、フィアーは上機嫌な様子で語っていた。
「……釣りはくだらなくなんてないぞ」
だが、クロウはそれとは別の部分で苛立ちを覚え、つい、反論してしまう。
「下らないですよ。折角の余暇を釣りになんて使うのは、無能のする事です。貴方は有能なのですから、その能を晩御飯を釣り上げる以上のことに活用しなさい?」
ばっさりと斬り捨てるスタイルのフィアー。
「む……」
クロウもそれ以上は怒る気にはなれず、そのまま黙り込んでしまう。
先日のラークとの釣りは、調子に乗りすぎて大量に釣ってしまい、数日の間、魚ばかりが食卓に並んだのだ。
流石に毎食魚料理ばかり出されてはフィアーも飽き飽きとしたのか、この辺り皮肉に鋭さが増していた。
「例の教団『夜の裁き』は、フライツペル第三の都市と呼ばれる、リョーク公爵領『カルッペ』に拠点を置いているようです。これを調査し、邪魔する者は撃滅してください」
いつものようにベッドに腰かけ、『仕事』を伝えるフィアー。
「潜入調査、という形になるかもしれんが。そもそも、フライツペルに入り込むには関を抜ける必要があったはずだが?」
「それに関しては、ラークの協力によって問題なく通過できるように計らっておきます。この街からカルッペには、直通の聖馬車が回っていますから、それを使ってください」
聖馬車とは、教会組織が僧侶や巡礼者といった旅をする信徒の為に用意したもので、これに乗っている者は国境の関や街の入り口などでの通行税の支払いや身辺調査が不要となる。
無論、聖職者以外でも利用は可能であるが、誰でもタダで乗り込める訳ではなく、相応に所属する街の聖堂教会に対して寄進していたり、信仰に関して何らかの寄与が見られなくては許されない。
だが、この辺りはラークの協力で気にする必要がなくなったと言えた。
「さすが貴族様ともなると、教会へのコネ回しも十分なようでして。ありがたい限りですね?」
嬉しいでしょう、と、押し付けがましく笑いながら、胸元からの手紙をクロウに差し出す。
壁際からベッド前へ。フィアーから手紙を受け取り、開かずにその顔を見る。口角が吊り上がっていた。
「……これは?」
「馬車が到着した後の、貴方がお世話になる教会への紹介状です。貴方は『悩める旅の剣士・ベルク』として、昼の間はあちら側の教会の使用人として働く事になると思いますが……教会での作法はご存知ですよね?」
「それくらいは解かるが……やはり、向こうでもベルクを演じなくてはならんのか。というか、旅の剣士が教会の世話になるのか」
「気になるところはいくらかあるかもしれませんが、私達暗殺ギルドの特性上、いかなる状況下でも『職人』の素性が割れるようなことがあっては困るのです。さ、それがわかったら、早く支度をしてください。聖馬車の出立時間、鐘七つの時刻ですから」
「――それを先に言えっ!!」
現在、五つ半。長旅の支度をするにはあまりにも短い時間であった。
クロウは顔を真っ青にし、クローゼットの中のサックを取り出し、服や装備品を詰め込み始める。
「ああ、向こうにつくまでの食料は既に用意済みで馬車に積み込んでありますから、貴方が支度をするのは身につけるものと武器類、それから暇を潰すための何かだけで良いと思いますよ?」
幸い、事前に支度は整えてくれていたらしく、それだけはありがたいと素直に思ったクロウであったが。
「――でも、釣り道具はいらないですよね? まさか、向こうに行ってまで釣りなんてしないですもんね、クロウは」
あくまでも釣りだけはさせたくないらしく、そんな皮肉をわざわざ聞かせてくるのだ。
これにはクロウも眉を潜めたが、それと同時にフィアーの意図になんとなく気づき、頬に汗した。
「……当たり前だ。趣味と仕事とは一緒には考えない。だが、へし折るなよ? 居ない間に折るんじゃないぞ?」
「さあ、約束はできませんね。もしかしたら猫がやってきて踏みつけて折ってしまうかも? まあ、私はやりませんよ。私はね」
ふふふ、と、愉しげに微笑みながら、フィアーはゆったりとした仕草でクロウの前に立つ。
「――頑張ってくださいねクロウ。無理してもいいですから、たくさんの成果を挙げてください」
そしてまた、にっこりと満面の笑みを見せ、そのまま出て行った。
「……ああ」
二度目ともなれば見慣れたもので、クロウは毒気を抜かれた気になりながら、その背を見送っていた。
こうして、クロウはフライツペルへと旅立つ。
自分達と敵対する教団の、その実態を知る為に。
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