暗殺ギルドの下っ端さん

海蛇

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五章.暗殺ギルドの終焉

四十一話.再会

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 王都、貴族街にて。
内政に関わる多くの貴族やその家人が生活するこの貴族街は、平民らが生活する平民街から大きなへいで隔絶されており、静かな夜の雰囲気を醸し出していた。
この堀の間に掛かる大橋は、昼こそは貴族街や王宮への御用商人や意見陳情ちんじょうの為来場する者、貴族らの使用人などで活発な行き来があるものの、夜ともなれば静まり返り、平素などは人一人通る事が無い。

 橋の貴族街側には、一時期の暗殺ギルド騒動によって緊急の関が設けられ、夜間は許可なしには出入りする事が出来ぬようにもなっていた。
関の前に立つのは王宮を中心に貴族街を警護する王宮近衛隊の若き兵士が二人ばかり。
夜間であっても気を抜く事無く、ぴしりと、頬を引き締め武器を構えていた。

「そこの娘。止まりなさい」

 そんな中、更けた夜だというのに似合わぬ若い娘が一人歩いてくるのだ。
すぐに近衛の一人が反応するが、娘は構わず兵達の前まできてしまう。
見た目には栗色髪の、品のよさげな美しい娘であるが、近衛らは警戒気味に武器を前に出そうとする。

「そこを通してくださいな。私は、その中・・・の者ですわ」

 かすかに皮肉げに微笑みながら、娘は近衛らを前にぴたり、足を止める。
近衛らは互いに顔を見合わせるが、とりあえずは武器を下げ、それでも警戒は解かずに娘を左右から見下ろした。

「この中と言うと、貴族か、あるいはその使用人なのかね? どこの家中かちゅうの者だ。言ってみなさい」
「すまないが、これも仕事だからね。確認だけはさせてもらう」

 口々に問うてくる近衛に、娘は「はあ」と、小さくため息。
やがて、下からじ、と、近衛らを見つめ、薄い紅色の唇を開いた。

「――貴族、ではありますが。エレメント隊長に火急の用があるのです」
「隊長に?」
「火急の用件とは? そもそも、君は一体――」

 娘の言葉に驚いた様子で詰め寄る近衛たち。
娘はというと、それを手で制し、目を細めながらに言葉を続けた。

「私は……シルビア=エレメンタ。エレメント隊長の長女ですわ」




「火急の用があるからとはデリックが言っていたが。ここには来るなと言っておいたはずだが?」

 それからの彼女は、実にスムーズに目的地にたどり着くことができた。
名を明かし、それを証明する家名を示す胸飾むねかざりを提示した後は、近衛の一人が王宮まで案内するというおまけつきで、ここ、王宮近衛隊の本部まで入ることが出来たのだ。
そうして今、シルビアは自身の父親であり、王宮近衛隊の長であるグリーブ=エレメントと面会していた。

「お前はいまや騎士団の隊長であろう? 我ら近衛隊とは道が異なる。だからこそ、お前には家を出るように言ったはずだぞ」
「それは解りますわ。ですが、今回ばかりは事情が事情ですので」

 シルビアとしてもあまり得意ではないこの厳格な父グリーブは、厳しい白髪眉をぎろ、と、娘に向け、不機嫌そうに対応していた。
対するシルビアも、普段の騎士としての出で立ちや街を歩く時と異なり、王宮を歩くなりに相応しい、貴族のレディとしての出で立ちでこれに正面から立ち向かう。

「騎士団が目も当てられない事になっているのは、父上もご存知かと思いますが。何故、放置しているのですか? 民を犠牲にする事は、陛下としても本意ではないのでは?」
「それは陛下や政治家の考えることだ。我々近衛隊の管轄とも異なる。何より、それ・・はお前達自身の問題であろう?」
「ですが、直近にあって騎士団を制するだけの力を持っている近衛隊が動かないのは、不自然ですわ」

 本来ならば自分達でどうにかしなければならないところを、管轄の異なる近衛隊に直談判するというのは、確かに筋違いである。
だが、シルビアはそれでも、直ちに騎士団をどうにかできるのは、この近衛隊以外には存在しないと思っていたのだ。
衛兵隊が管轄する街の外からではなく、同じ王都を管轄に置く、隣り合った街の管轄の近衛隊ならば、迅速に動く事も可能だったのではないか、と。

「……口を慎めよシルビア。お前は、騎士にあるまじき事をしようとしているのだぞ? 陛下のご采配を、誤りだと言うつもりか?」

 娘の言葉に、しかし、グリーブは眉をぴくりと動かし、ぎり、と、奥歯を噛むようにして睨み付ける。
威圧感の篭った言葉は、それだけで場の空気を凍りつかせる冷度を持っていた。
だが、シルビアとてこの父親の娘である。この程度で怯んだりはしない。

「陛下のご采配を疑うつもりはございませんわ。ですが父上。という事は、近衛隊が動かないのは、陛下のご采配によるところが大きい、と取って構わないのですね?」
「……お前」

 してやったりと言った表情の娘。
驚愕の表情に、怒りすら噴出しそうになり、それを必死に抑える父親。
場の空気は、娘主導で変わろうとしていた。

「我ら騎士団を放置せよという命は、陛下よりのご采配であったと。民が犠牲になるのを顧みず、騎士団が潰れればそれで良いと、陛下はそうお考えなのですね?」
「騎士団長はもう死んだのだ。ならば、そうなるのも仕方あるまい」

 圧し気味にずずい、と、顔を寄せる娘に、グリーブは苦しげに視線を逸らし、なんとか反論しようとする。
だが、それがより、シルビアに調子付かせる。
団長の死。そのフレーズが父の口から出たのを良しとして、微笑みすら湛えて見せた。

「団長殿は、亡くなっておられませんわ」
「――なに!?」
「レイバー団長は、あえて騎士団から離れる事によって、いつまでも消える事のない腐敗を、今度こそ根底から無くそうとしていたのです。結果としては、思った以上に酷いことになりましたが――団長殿は、未だ健在。そして、陛下の求めておられる腐敗の断絶も、これにより解決されるのではないでしょうか?」

 いかがですか? と、したり顔で下から見つめてくる娘に、グリーブは歯を噛み、睨み付ける。
どこか腹立たしげな、そして、どこか悔しげなその顔に、シルビアはなんとなく、胸のすくような気持ちになっていた。

(お父様でも、こんな顔をする事があるのね……)

 それは、幼い頃から抱いていた父という畏怖すべき存在に対しての、新たな見え方。
大人になった自分が、改めて父という存在と向き合って、初めて気付く事の出来た、父の人間臭い一面であった。

「今は、街の外にて隠れ機会を窺っておりますわ。近衛隊長殿。これでもまだ、騎士団は潰れるべきだと仰るのですか!?」
「……むぅ」

 シルビアの強い言葉に、グリーブは思わず黙りこくってしまう。
娘としてではなく、一人の騎士の言葉として、その一言はグリーブには重く感じられてしまったのだ。
娘も父の知らぬ一面を見たと感じたが、父もまた、娘の成長した一面を見せられ、圧されてしまった自分を自覚してしまっていた。
だが、この父、それだけで崩れるほどに容易くはなかった。

「……たとえ。たとえ騎士団長が生きていたとしても。この状況をどう変えると言うのだ? 民は腐敗に晒され、絶え間ない痛みを感じてしまっている」
「それは……直ちに問題を解決して――」
「今更騎士団が蘇ったとて、腐敗を絶つ事ができたとて、民衆は、今の痛みを忘れる事はない。お前達を見る目は、賊を見る時のソレと何ら変わらなくなるはずだ!」
「そんな事ありませんわ! 団長殿ならば必ずや、民衆の希望を取り戻せるはずです! 私は、そう信じておりますわ!!」
「お前の理想を民衆に押し付けるな! 我ら騎士は、騎士として生きているのだ! 民衆とは、見え方も、生き方も違うのだぞ!! 生まれすら違うお前が、民草たみぐさの何を理解した気になっている!!」
「――!?」

 圧していたと思っていたシルビアは、その実、父の考えのほとんどを理解していなかった。
一面的な部分ではシルビアの考えどおりではあった。
だが、実際問題、理想と現実はかけ離れてもいたのだ。
それを理解していたのは、シルビアではなく、グリーブであった。

 彼女は、貴族である。騎士の娘として育てられ、厳しいながらも豊かな家庭で何の不安にさらされる事なく育ってきたのだ。
騎士として叙勲じょくんを受け、騎士団に入団してからも、それは変わらない。
民衆から騎士になった者達が多い騎士団にあってすら、貴族出身のシルビアは扱いが一回りも二回りも重く、彼女が若くして隊長という立場になれたのも、間違いなくそれが影響していた。

 街で暮らし、街を歩き、民と話し、民衆の気持ちを理解したつもりになってはいたが、実際にはそれは上辺だけで、根底まで民衆と同化できていた訳ではなかった。
話し方から仕草から、彼女は『貴族の娘』のままでありすぎたのだ。
ついぞ、それだけは忘れることが出来なかったのだ。

「お前が自分の事を騎士だと言うのなら、何故鎧をまとってここにこなかった? 貴族の娘のようなひらひらとした浮ついたドレスを着て、自分の『女』を前面に出して私の前に立つ。それがお前と言う生き方なのだ。私はお前に騎士としての在り方を叩き込んだ時には、そんなものは捨てろと言ったはずだがな」
「ですが……私は、私は女ですわ! 騎士として生きて尚、それを捨てることなんて、できるはずがございません!!」
「ならば騎士であろうとするな! お前ももう子供ではない。騎士として生きられぬなら、そんなものは捨ててしまえ。お前のような期待はずれの娘など、娘とも思わん」
「女性でありながら騎士であるというのが、何故許されないのですか!? 父上は……いいえ、お父様は、あまりにも極端すぎますわ!!」
「その辺りにいるような騎士ならばどうでもいい。だが、近衛隊の隊長である為には必要な事だ! そしてその娘である、後継者であるお前にも、それは必要な事のはずであった! 陛下のお傍に仕える騎士が女では、陛下のお心を惑わすかもしれぬ! お前は都合の悪い事に容姿も整っていた! ならば尚の事、臣下として陛下のお心を惑わさぬよう、一切の女を捨てさせる必要があったのだ!!」
「そんなっ!? そんな事の為に、私は――」

 幼い頃からの疑問が溢れ、ずっと抱いていた疑念が、苦痛が、父の言葉によって強く噴出してくるのを、シルビアは感じていた。
同じくらいの年頃の娘と友達になる事すら許されなかった幼少時代を、女として振舞う事すら許されなかった少女時代を思い出し、シルビアはいつしか、目の端から涙が溢れるのを感じていた。
それでも女でいたかった、捨てたくなかった自分が、何故そんなにまで追い詰められたかの真相を今更になって聞かされ、そうしてやはり、納得がいかないのだと、その理不尽に強い憤りを感じてしまっていた。

「騎士団などという腐った組織に属したからそんな甘えた考えが治らぬのだ。やはり、病巣は元から取り除いてしまわねばならん」
「騎士団は病巣等では……必ず、必ず、再生して見せます! 貴方の驚く顔を、絶対に見てやりますわ!!」

 悔しげに歯を食いしばりながら、涙に滲む瞳をそのままに、シルビアは部屋から駆け出した。
こんな場所、もう居たくもないとでも言わんばかりに。


「――ふん。女で居たいなら、騎士など捨てて女になればいいのだ。誰ぞの妻にでもなり、街を出て幸せに暮らせばよいものを」

 そんな父の言葉を聞く者など、もうどこにもいなかった。




(私、何してるんだろう――)

 貴族街から出て、平民街へ。
途方に暮れたまま、橋をぽつり、ぽつりと歩くシルビアがいた。
目的は果たせていた。今の騎士団が取り巻く政治的な状況。これは、間違いなくこの国の王がそのように指示してのもの。
そして、団長が不在だからこそ潰せる状況に持っていく為のシフトに転換されたであろう事も、父との会話で確認ができていた。
だが、そんなことがどうでも良くなるくらいに今、シルビアは自分の人生というものを考えてしまっていた。

 彼女は、恋すらしたことがないのだ。友達もいたことがない。
妹達の中には結婚して、既に幾人かの子供に恵まれている者までいるというのに、彼女はそんな妹達の人生の、わずかな部分すら女として知らないのだ。
自分だけが男として在る様に育てられ、騎士として生きるように強制され続け、嫌で嫌で仕方なかったそんな暮らしに、いつの間にか順応していて、絶望した事もあった。
それでも、悩み続けて、苦しみ続けて、騎士として生きて。
少しずつだが、人々の笑顔や同僚との心温まるひと時は、彼女を癒してもいたのだ。
騎士として生きるのも悪くないかもしれないなんて、そんな幻想を抱いてしまうくらいには。

 だからこそ、騎士団の腐敗はとても悲しく、辛く、心苦しかった。
大切な仲間だと思っていた者達が平然と汚職に染まってしまった事に、失望以上の悲嘆を覚えてもいた。
拠り所だと思った組織が、自分の知らぬ間に穢れてしまったことが、どうしようもなく虚しかった。
だからこそ、取り戻したいと思ったのだ。
人々を笑顔にさせる騎士団へと。人々を護る事の出来る、騎士達の組織へと。

 だが、やはり気弱になってしまうと、自分は女なのだと自覚させられてしまう。
父に言葉で追い詰められ、反論すらまともに浮かばなくなった時に、それ・・が甘えのように前に出てきてしまったのだ。
こんな時、構わずに目的のまま走れる強さが、彼女には無かった。
頼れる誰かが欲しかった。自分を抱き止めてくれる、そんな相手が欲しかった。

 そんなこと、今まで何度だってあったのだ。
そしてその都度、彼女は途方に暮れてしまう。
男を異性だと思って接した事などほとんどないし、どう接すればいいのかも解らないのだ。
恋人どころか気になった異性すらおらず、頼れるはずだった仲間達は、皆女としての自分を抱き止めてくれるかは怪しいようなのばかり。
どうすればいいのか解らず、結局一人寂しく不貞寝ふてねするか、酒に潰されるかしかできず、嫌な気分を忘れられずにしばしアンニュイになる。



「……む?」
「――あっ」

 ただ、それまでと違うことがあるとしたならば。
今の彼女には、『自分を抱き止めてくれるかもしれない』という男性の姿が、うっすら、浮かんでいたことであった。
その顔と橋の出口で出会い、そして、陰鬱にしまいこまれそうになっていた辛い気持ちが、突然のように溢れ出る。
一度心から放たれてしまえば、後はもう、止める事などできはしなかったのだ。
弱かった彼女は、もう、強がることすらできなくなっていた。

「君は――うぉっ!?」
「う……わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

 恥も外聞もあったものではない。
妙齢の大人の女が、出会い頭に男に抱きつき、大泣きしていたのだ。
その胸に強くしがみついて、確かめるように額を、鼻先を埋めながら。
硬く感じた胸に温かみすら感じて、シルビアは泣いた。泣いてしまった。抑え切れなかったのだ。

 彼女は自分でも知らぬ間に、この、ベルクという名の非現実に、恋してしまっていた。
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