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2章 賢者と魔王

#7-3.堕ちた天使の剣

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 翌日。魔王は昼の内に書類を読み終え、ラミアの定時報告と先日のスパイ配置の見直し点を評価・承諾したりしてするべき事をこなしてしまった。
そうして昼過ぎにはアリスを伴い、ネクロマンサーの元を訪れるべく、エルヒライゼンを訪れたのだった。
「お父様、元気でしょうか?」
人間サイズ。歩きながら、アリスは自分の父親を思う。
「さあな。生きてるとは思うが。正直、気弱になっていてくれたほうが助かる」
元気だととても鬱陶しいのだ。黒竜姫とは真逆で、あちらが明るめな鬱陶しさなら、ネクロマンサーは陰鬱な鬱陶しさである。
どちらも鬱陶しい事に変わりは無いが、一緒に居るだけで気が滅入るので、正直魔王は面倒くさかった。
「やれやれ、やっと城についたぞ」
話しながら、二人は森の中の城に辿り着く。
かつての魔王の城砦。使用人一人居ない孤独な牢獄である。
そんな天然の城砦を、二人は静かに歩いていった。
埃の積もった城内。換気はほとんどされず、そこを歩くだけで瘴気に蝕まれそうな、よどんだ空気が深まっていく。
一応、魔王が居た頃はここまでひどくもなかったのだが、城主不在の城など荒れるに任されるままであり、静寂に反して荘厳さは微塵も感じられなかった。

「旦那様、牢獄はこちらです。階段ですので足元にご注意を」
「うむ」
薄暗い城内。カンテラをかざしてアリスが先導する。
宝石のようなアリスの瞳が、カンテラの光を反射して美しく輝いていた。
「ほぅ――」
魔王は、思わずその美に目を奪われてしまった。
「どうかなさいまして?」
「いや、なんでもない」
主人の感嘆の吐息に、アリスは不思議そうに顔を見るが、我に戻った魔王は場をごまかした。
「それにしても、相変わらず辛気臭い所だな牢獄という奴は」
「そうですわね。お城自体がこうなってしまっては、もうどこもそんなに違いはありませんが……」
階段の下は牢獄である。いくつもの牢が用意されているが、実際にそこに入っていた者は居らず、実に無駄なスペースであった。
その最奥、誰も居ないような牢獄の一番最後の牢に、ぽつん、と一人、土色の床に座っている影が見えた。

「ネクロマンサー、久しいな。まだ生きていたか」

 魔王がさほど感慨深くもなく、その名を呟く。
少し間を置いて、男の目がぎょろりと魔王達の方を向いた。
「誰かと思えば、伯爵殿ではありませんか」
その声は、とても長期間に渡り放置されていたとは思えない程若々しく、そして高い声であった。
「懐かしい呼び名だ。先代が生きていた頃を思い出すね」
こつり、こつり、と、魔王達が牢の前まで歩く。
カンテラでその顔を照らすと、辛そうに掌で目を覆っていた。
「眩しいですよ。やめてください。目が暗さに慣れてしまい、眩しいのが辛いのです」
様子とは裏腹に、声は物静かで丁寧である。
「すまなかったな。しかし元気そうで何よりだ」
「全く、そのまま放って置いていただければよろしいのに。何か御用なのですか、伯爵殿」
「お父様、今は伯爵様ではございません。魔王陛下ですわ」
横から、アリスが父の不敬を嗜める。
ネクロマンサーも、「おっと、そうだったか」と、申し訳なさそうに頭をぽりぽりと掻いていた。
「そういうことだ。お前は知らないかもしれないが、先代はもう亡くなられた。今は私が魔王だ」
「ふふふ、そうですか。あの女は死んだのですか」
魔王の言葉に、ネクロマンサーは目を見開いていたが、次第にその顔はにやついていった。
「嬉しそうだなネクロマンサーよ。私としては面倒ごとばかり押し付けられてとても迷惑だったのだが」
「それはご愁傷様ですね。貴方は本当に運が無い方だ」
悪びれもせず笑うのだ。魔王も少しばかり不快になった。
「まあ、お前が彼女を嫌うのは解らないでもないがな」

 ネクロマンサーは、先代魔王と深い因縁がある。
かつて魔王が伯爵と呼ばれていた頃、先代魔王が先々代の魔王に取り入ろうとした際に、先々代の側近として、そして、次期魔王の最有力候補者として魔界に名を轟かせていたのがネクロマンサーである。
先代が実権を握り、魔王となる際にはそれと対峙し、半ば魔王軍全軍を一人で相手にしながらも、最終的に一対一の戦いに持ち込まれ、壮絶な死闘の末に敗北したという経緯を持っている。
魔界でも間違いなくトップクラスの実力者であり、先代さえいなければ名実共に魔王になってもおかしくない男であった。
それが、今はこんな辺境の牢獄の住民である。世の中どうなるか解らないものである。

「だが、私が魔王の座についた以上、お前としては裏切りのように感じるのではないか? ダブルスタンダードだろうこれは」
魔王も、不快にさせられた分の仕返しはするつもりであった。
「いいえ別に。私はあの女が気に入らなかったから反発しただけで、貴方が魔王の座に付くというのならそれは反対しませんよ」
ネクロマンサーは、しかし魔王の意図に反して、先ほどとは別のさわやかな笑顔を見せていた。
この男、死者の魂を操るなどという性質の悪い魔族であるが、顔立ちは整っており、品も漂わせている。
知性の高さを感じさせるその口調は、慇懃すぎず、適度に調整されていた。
「それに、今の私は昔ほどの力がありません。貴方も解ってやったのだと思いますが、このエルヒライゼンに魔力を吸い取られ続けているというか……」
「そのようだな。まあ、当時の私としては、お前に力を取り戻させるのは少々癪だったから、気まぐれで牢屋に放り込んだだけなんだがね」
先代魔王との権力闘争に敗れ、瀕死の重傷だった彼を助けたのは、他でもない魔王である。
一応アリスを始めとして様々な友達を作ってくれたこともあり、その借りを返す為に魔王は彼を生かしたのだ。
だが、同時にこの男には並々ならぬ恨みに近い感情を抱いていたのも事実で、そちらの方が勝ってしまい牢獄に放り込む事となった。
「はは、気まぐれでしたか。それは恐れ入りました」
気にする様子はなかった。というより、この男には皮肉はあまり通用しないらしかった。
「相変わらず訳の解らん男だ。お前と話していると疲れるから嫌なんだ……」
魔王も変わり者として昔から魔族の間でネタにされていたが、このネクロマンサーも大概に変人で、しかも迷惑な事に天然であった。
意図してやっているなら言って聞かせれば理解もしようが、知らず知らず取っている態度なのだ。指摘のしようもない。
「ああ、懐かしいですねこのやり取り。何もかもが感動的です」
相変わらず空気の読まないこの知人に、魔王は早くも苛立ちが募り始めていた……


「それで、私がお嫌いな貴方が、わざわざこうして出向いたのは何故ですか?」
「アリスちゃん達の元になった者について、聞きたいことがあってな」
話は仕切りなおし、魔王はカンテラを持つアリスの顔を見やりながら、話を続ける。
「アリスちゃんだけでなく、他の自動人形にも――お前は、あいつ・・・の魂を使ったんだろう?」
「その通りです。アリスを始めとして、貴方に渡した全ての人形には、貴方の従者の魂が使われています」
聞くもおぞましい製造工程を経て、アリス達はこの世界に存在している。
無から一は作り出せない。故に、材料が必要だったのだ。
「その身に着けていた衣服はアリスちゃん達の服に変えられた。では、アレの持っていた武器はどうなった?」
「封印の果てに分割し、人間世界に放り込みました。あれは神聖過ぎて、魔族の私には長時間触れられなかったので」
その笑顔に、魔王は小さく溜息をつく。
「やはりそうか。見覚えのある剣を人間が持っているのを見かけたのでな」
他でもなく、知り合いの勇者の手持ちの宝剣である。人間の国家においては皇族に伝わる至宝らしいが、そんなのは知らない。
「それは妙ですね? あれは『神聖』過ぎるのです。生まれながらに穢れている人間の手になど、持てるはずは無いのですが」
私ですら命を削ったほどなのですが、と、ネクロマンサーは不思議そうに首をかしげていた。
「そうなのか? 斬りつけられた私自身、そこまで危険な力は感じなかったが……」
「貴方は四六時中彼女と一緒に居たから耐性があったのでしょう。ですが彼女は堕ちたとはいえ天使でしたから、その存在は地上の者にはあまりにも眩しすぎるのです」
目を覆うジェスチャーをしながら、口元を歪ませていた。
「地に堕とされて尚、穢れる事のなかったその魂、その身体、その剣。全てが私には美しく、そして、眩しすぎました」
ネクロマンサーは笑う。先ほどからずっと笑っていたが、何かが違う笑いだと魔王は気づいた。
それは陶酔するような惚けた笑いである。不気味にも頬を染め、一人のその女を今も忘れられぬ、初恋の少年のような表情であった。

「不快だな。貴様如きが私の従者に懸想するなどと」

 その様に本気で腹立たしくなった魔王は、牢を軽く蹴る。
ガン、という音と共に鋼鉄製の牢は容易く捻じ曲がり、歪な形をさらしていた。
しかし、それ以上は怒りを面に出す事はせず、落ち着き、魔王は再びネクロマンサーの顔を見た。
「だが気になる事はある。やはり、その剣の持ち手、人とは違うのか?」
「恐らくは。彼女同様地に堕ちた天使やその末裔であるだとか、あるいは、『魔王』の眷属なのかもしれませんね」
中々に興味深い話だった。場合によっては、更に面倒な事になる可能性すら秘めているのが問題であるが。
「『魔王』の眷属とは……というより、お前がその言葉を知っているのが驚きだな」
「私もかつてはその座を狙っていたものですから。貴方が今ついている、『魔族の盟主としての魔王』など、本来踏み台のつもりでしかなかったのです」
見た目に反して中々に野心の強い男であった。
とはいえ、今の彼にはそこまでの力は無いのだが。
「私以外では……そうですね。ラミアの母君位しか知らなかったことでは。場合によってはラミアも伝え聞いているかもしれませんが」
ラミアは5億7千ちょっと程生きているが、その母親も長命で数億年生きていたという話はラミアから聞いていた。
魔族の初代の年代から生きていた最古参の魔族だったらしく、当然初代魔王の事も知っていておかしくはない。
まっこと、爬虫類型の魔族は長命である。
「まあ……『魔王』に関しては、本当にそれ位にさかのぼらないと知りえない事であるか」
「私も、ラミアの母君に直接聞いた故知っていただけです。その後関連書物が無限書庫にあると聞き、死ぬほど探し回って辛うじて見つけられましたが、あの時は本当に苦労しました」
魔王には、いつ頃の話かも不明な上に、この男が死ぬほど探した上に苦労してやっと見つけた書物など、今の時代において探す気は全く起きなかった。
「まあ、私は調べるまでもなく知っているが」
「そうなのですか? 初代魔王の時代まで遡って調べた私の苦労は、貴方には何の価値も無い物のようですね……」
ここにきて、初めてネクロマンサーは声を震わせ、涙目になっていた。
どうやら相当に苦労したらしい。本人としては話したくて仕方ない事だったのかもしれない。
だが魔王は聞くまでもなく知っていたのだ。
ネクロマンサーの若干悔しげな顔に、少しだけ気分が良くなった。
「そう言うな。私とお前とでは、年季が違いすぎる」
それは、なろうとしてなれなかった者と、なった者の違いである。
曖昧なようで明確な差は、決して埋められることは無い。
「しかし、そうか。彼の魔王が初代として、その眷属がまだこの世界に生きているとは……」
「天使とその末裔の可能性を除けば、他には考えられませんね。あの剣は触れたものの魂の穢れを感知して滅する力を持っていますから、封印を解いた状態では、地上の存在にはそもそも触れる事すら叶わないはずです」
「つまり、本来なら魔族どころか人間相手でも無敵なのか」
かつての従者がそんなすごいものを持っていたとは思いもしなかった魔王であった。
「無敵というか、勝負になりませんな。あれの遣い手は間違いなく世界最強に名を連ねられるでしょう」
魔王の背筋に嫌な汗が流れた。もし自分がその力を使われていたら一瞬で溶かされていたに違いない。
余裕こいて回復魔法連打とか訳の解らないことをしていたが、あれは一歩間違えれば自殺行為以外の何物でもなかったのではないか。
だが、よくよく考えてみれば自分は斬られても無事だったのだから、気にする事は無いかとあっさり恐怖を放り投げた。
「面倒だな。なんというかその、そんな武器持ったのが人間側に居るってのは」
剣は二本ある。一本は知り合いの勇者が持っていて対魔族戦で猛威を振るっていた。
もう一本はどこにあるのか解らないが、何にしても恐ろしい話である。
「初代魔王・アルフレッドの眷属は優れた魔法使いだったと聞きます。その血脈がもし人間世界に残っているのだとしたら、それは相当な魔法の遣い手となっているのかもしれませんね」
「反則まがいの武器を持った魔法使いとか、まるでスパイ小説に出てくる悪役だな」
「最後には大爆発で大勝利したいですわね」
それまで話の流れでずっとだまっていたアリスも、ここにきてようやく話すタイミングがつかめたのか、話に入り込んできた。
「スパイ小説? 大爆発とは一体……」
にこやかに笑う主従に対し、ネクロマンサーは不思議そうに首をかしげていた。

 こうして、魔王は知りたかったことと、ついでにアリス達の細かいメンテナンスの仕方を聞き、用事を済ませたのだった。
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