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5章 『勇者に勝ってしまった魔王』のその後

#13-4.魔王の告白

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「君の告白に便乗して、私も一つ告白しよう。私は戦争が大嫌いだ。相手のことを何一つ考えず、戦争などという馬鹿げたことに国力や技術や人員や物資を浪費するその行いが、私は何より愚かに思える」
「それは……そうなのではないかと思ってはいましたが、やはり陛下は――」
魔王の告白に、しかし有り得ないものだとは思わなかったのか、さほど戸惑いは見られない様子だった。
「解かっていたか。まあ、正直好きになれない。そんなことする位なら、私は自分の人形たちや……君とこうしておしゃべりしていた方が、よほど建設的で、楽しく過ごせると思っている」
「ん……そ、そうですか……?」
「ああ、これは偽りのない本音だ」
突然の口説き文句に、黒竜姫は露骨に戸惑っている様子だった。
視線を揺らしながら、そわそわとしてしまう。
サラァンを手でぎゅっと掴みながら、炎に照らし出される頬は朱に染まっていた。

「私は、人間世界の技術が好きだ。あちらの本や創作物……サブカルチャーと呼ばれるそれらが、たまらなく好きだ。人類の滅亡によってそれらが失われるというなら、私はそれを防ぎたいと思っている」
魔族は、それらを生み出す事が出来ない。だから、魔王は戦争を嫌っていた。
作り出すことも出来ないのに人類を滅ぼしてしまったら、二度と手に入れる事ができなくなってしまうからだ。
「魔族にも作り出せればいいんだがな、サブカルチャー。生憎と、そういう趣味を持っている者は魔族ではとても少ないらしい」
「私にも、陛下の趣味はよく分かりません。エルゼもたまに、変な動物の絵等を見せてきますが、正直……」
「それが魔族としては正しい感性なのかもな。だが、それでも魔族には全く可能性がないとは思っていない。いつの日か、魔族自身が、自分たちでそういったものを生み出せるようになるんじゃないかと、私はそう信じている」
人類の滅亡は、それまで待ってからでも遅くはないんじゃないかと、魔王は思うのだ。
そもそも、滅ぼす必要性そのものがあるとも思っていなかったが。
「ですが陛下、サブカルチャーを魔族が扱えるようになったとして、それが何のメリットになるのですか……?」
「……想像する事が出来るようになる。今よりも、わずかばかり先を。途方もなく遠い、いつの日かの未来を。一人ひとりが、考えられるようになるかもしれない。サブカルチャーには、そういったものを想像させる力があるのだ」
人間のたくましい想像力。イメージする力。それは、魔王がどこまでも強く望み、それでいて容易には手の届かない、理想のようなものであった。
それ自体はメリットもデメリットもあるものであるが、魔族にはことさら、この『想像する力』が欠落しているのだと、魔王は思う。
「わずか先を考えられるだけで避けられる悲劇もある。遠い未来に訪れる絶望を、今想像できれば乗り越えるための準備を整えることもできるかもしれない。だが、何も考えずに今日を迎えれば、その日に出来る範疇でしか、動くことは出来ない」
何も出来ないのだ。今の魔族には。目先に訪れた問題を解決する事しかできない。
その先に更なる問題が待ち構えている事や、それを解決してしまったが故に起こり得る問題を想像する事が出来ない。
結果、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。その恐れが、この世界の魔族にはなかった。

「私は、とても辛い世界を知っている。何もかも滅んでしまって、魔族だけになってしまった世界だ。魔族以外、人間も、動物も、全てが滅びてしまった世界だ……今思えば、あの世界で暮らす彼らは、ひどくつまらない、きっと何一つ楽しみのない生涯を送ったのだろうなと思う。無責任ながら、な」
過去に思い馳せれば、今のこの世界の未来は見えていた。
魔王は『今』その時に立っているのだ。あの取り返しのつかなくなってしまったその世界の過去に、今立っていたのだ。
「ただひたすら戦い続けられる世界は、確かにバランスが取れた、見ようによっては平和な世界なのかもしれない。どちらの種族も滅亡し得ない、安定の上に成り立った戦争なら、間違いなくそれは、均衡と言えるのだろう」
魔王はそれを否定する。そんなものはいらない。そんなものは壊れてしまえと、本気で願う。
「私は、終わるようになった世界の方がいいと思う。何かのバランスが崩れただけでどちらかが滅亡してしまうような世界でいいと思う。そんな中ですら取れた均衡こそが、そんな中ですら続く平和こそが、真にかけがえのない、命を賭して守り抜く価値のあるものなのだと私は思う」

 ただ存続するだけではダメなのだ。成長させたかった。乗り越えさせたかった。
いつの日か来るかもしれない壁を、どのような手段ででもいい、自力で乗り越えられるようにしてやりたかった。
それこそが、あの日女神に与えられた『命題』の答えなのではないかと、彼は思うのだ。
同時に、あの世界に置き去りにしてしまった忠臣達に対しての、一つの悔恨でもあった。

 戦争は終わらない。終わらない戦争が続く限り、魔族はいつまでも人間を敵と憎む。
それは安易な思考停止に過ぎず、後々の問題を全て投げ出して、目先の人間という敵に全ての責任を押し付けているに過ぎない。
ただ戦えればいい。ただ殺しあえればいい。それだけである。何も考えていない。
千年先、一万年先、十億年先。魔族世界がどうなっているかなど考える者は誰一人としていない。
マジック・マスター崩御の際、ラミアですらその後の事は考えておらず、何の対策もなかったが為に魔界は大混乱に陥った。
自分が死んだ時にも同じようになるのだと考えると、魔王には馬鹿らしく思えてしまって仕方がなかった。
だから、そんな馬鹿らしい世界を変えてしまいたいと思っていた。
その為に、サブカルチャーは必要なのだと気づき、今に至る。

(……陛下のあの趣味に、そんな崇高な理由があっただなんて)
魔王に本気で惚れていた黒竜姫ですら、魔王のやってる事は『変わった趣味』の一言で片付けられていたというのに。
その事実に触れ、黒竜姫は先ほどとは違う意味で震えてしまっていた。
怖いのだ。そんな先の事を見通し、考えられる目の前のこの中年が、その底の知れない思考が、そら恐ろしく感じてしまっていた。
「この世界の顛末は私にも解らんよ。私も魔族だ。先の見通しが下手な一人の魔族だ。だから、最終的、結末的にどうなるかなんて私には解からない」
魔王は哂う。その愚かな魔族という生き物に対し。愚かだったかつての自分に対し。
「だが、私には解かる。魔族は、人類を滅ぼしてはいけない。人類が滅びたその世界に、何一つ得るものがなくなるからだ。実りのなくなった世界は、なんとも寂しいものだという事だ」

 それでも、魔族たちは何も解からず生き続けるかもしれない。
自分が愚かなる道を選択していたこと等知りもせず、気にもせず、今度はひたすらに魔族同士で殺し合いを始めるだけかもしれない。
魔王は、気づいてしまっていた。
それがどうしようもなく実りのない事であると。
ただ戦い続けることの、なんと虚しき事か。ただ殺してしまうことの、なんとつまらない事か。
そんなつまらないことを自ら選択することがいかに浅はかな事であるか。
目先に釣られ先を考えられない事が、どれだけの過ちを生んでしまうのか。

「この世界には、そんな風になってほしくないなあ」

 記憶に残るその風景をうっすら思い出しながら、魔王はぽつり、呟き、静かに目を瞑った。



 後には、途中から何も応えることのできなくなった黒竜姫だけが残されていた。
静かに寝息を立て始める魔王を見て、ようやくそれに気づき、自身が息をする事すら忘れかけていたのだと気づく。
「こふっ……こふっ――」
途端、苦しさが肺から喉に迫り、小さくむせてしまっていた。
「はぁ……っ」
それがようやく落ち着き、ため息のように安堵となって吐き出され、ようやく黒竜姫は身体の力を抜く事が出来た。
目の前にはすやすやと眠る魔王。彼女はそれを見ながらにして、その恐ろしさの片鱗を味わってしまっていたのだ。
(……なんて恐ろしい方)
話している間中、魔王は別に黒竜姫を睨みつけたりしていた訳ではなかった。
ただじっ、と見つめ、視線を逸らさずにいただけで、時には口元に笑みを浮かべたりもしていたものの、視線そのものの強弱は一貫して変わらないままであった。

 深遠すぎる世界だった。
魔王の言葉の一つ一つが、言われてみればそうなのだと納得してしまっていた。
不思議と疑問の一つも浮かばないほどはっきりと肯定できてしまって、それがただ魔王がそう思っているだけの妄言かもしれないのに、そんな気が全くしないのだ。
まるで見てきたかのような言葉であった。
未来をはっきりと予言、いや、明言しているように感じられたのだ。

 ぞくり、ぞくりと背筋がしびれっぱなしだった。
魔王にそんな風に見つめられていただけで、黒竜姫の胸は高鳴っていくばかりだった。
恐怖と連動した恋心が、その時の自分が魔王を恐れていたのだと自覚させる。
自然、頬に汗が伝わる。普段、滅多に流すことのない珠の汗だ。
静かに眠る魔王は、どこか侵し難い存在のように感じられて、恐れ多く感じられた。
それでも、触りたいと思ってしまう。そんな怖いものに触れられたら、自分はどうなってしまうのだろう、と。
「…………」
つい、欲望の方が勝ってしまい、恐る恐るながら、魔王に手を向けてしまう。
「あ……」
それは、案外簡単に触れられてしまった。
寝息を立てる魔王の頬に指先を触れる。
ただそれだけの事が、自分にはどうしようもなく勇気の要る事なのだと、彼女は今更のように自覚した。
そして、触れてしまう事に、とても強い安堵と、充足感を感じてもいた。
とても幸せな気分になり、そして同時に、より強い欲望が噴出してしまう。
(……ダメよ)
それをなんとか自制する。そんなはしたない事は、自分のしていいことではないから、と。
きゅっと口元を締め、黒竜姫は長い夜を耐え抜く道を選んだ。
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