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6章 時に囚われた皇女

#1-2.エリーゼとサバラン

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「そういえば、セーラはなんでお城にきてたの? 何か用事あったんでしょうけど……」
そもそも根本的な疑問がまだ残っていた。セーラがここにいる理由である。
「あ、言い忘れてました。そうなんです。実は、ヘーゼル様が御懐妊されたというお話で――」
「うん、まあ、それは知ってるけど」
多分真っ先に気づいたの私だし、と、当然のようにエリーシャは笑った。
「それで、『新しく生まれる子供の為に、何か、その事を記念する新しいパンかデザートを考えていただけませんか』って、お願いされてしまいました。ヘーゼル様から直々に」
「それは……中々大変な事になってたのね。プレッシャーきつそうだわ……」
まだ生まれてもいない子供の為にパンやデザートを考えろとは、無茶振りもいいところである。
これが以前のセーラであったなら、あまりの恐れ多さに卒倒していたかもしれない。
だが、今のセーラは違った。自信ありげに白い歯を見せかわいらしく笑う。
「大丈夫です。実は既にいくつかアイデアがあって。レシピなんかももう考えてあるんですよ。これから工房に帰って、弟子の子達と色々試してみるつもりです」
実に頼もしく、歴戦のパン貴族は笑っていた。
「何より、大恩あるヘーゼル様からのお願いとあっては、張り切るしかないじゃないですか!」
その瞳はめらめらと燃えたぎっている。パン貴族は案外燃える性質であった。
「そう、まあ、貴方がやる気に燃えてるなら何よりだわ。どんなのができるか期待してる」
「えへへ、はい。期待しててください。でも新作ができたら、エリーシャさんに一番に見てもらいたいなあ」
「私に?」
「だって、ヘーゼル様と同じ位、エリーシャさんにも感謝してますから。今の私があるのは、お二方のおかげですもん」
「まあ、そういうことなら……」
屈託のないその笑顔は、エリーシャには眩く見えていた。
なんだかんだ、大人になって汚れてしまった自分と比べ、このセーラのなんと純粋な事か。
エリーシャとて別に恥じるような人生を生きたつもりはないが、それでもセーラのまっすぐな生き様には感心させられてしまうのだ。
あのパン娘が、よくもまあここまで立派に成長したものだわ、と。
エリーシャは、感慨深げに微笑んでいた。


 忙しいらしいセーラをいつまでも引き止めるのもなんだからと、エリーシャは適当なところで話を打ち切り、セーラと別れた。
そもそもエリーシャが城の外にいたのは、街にある自身の家に、昔の本を置いたままだった事を今更思い出したからである。
シブースト帝と婚姻した際に全て持っていければよかったのだが、流石皇后の私室ともなると調度は完璧と言っていいほどに整っており、既に本棚にはエリーシャ好みの、それでいてお堅い書籍がぎっちりと詰まっていた。
読んでみれば味のある本ばかりで敢えて入れ替える気にもなれず、結局自分の家にあったやわらかい本は持って来れずじまいのまま、エリーシャは大切な人形たちとその手入れ道具のみを持参して城に入る事となったのだ。
なので、長期にわたるであろうラムでの滞在に備え、今まで持って来れなかった本を、幾冊か城に持ち帰った。
これらは旅の間に読む為の本で、私室にある本とは違って教養らしいものはあまり感じられないが、何かと世知辛い世の中において数少ない癒しというものを与えてくれる素敵な本達であった。

 こうして本を持ち帰り部屋に帰ると、当たり前のようにトルテがそこに居座っていた。
ベッドに横たわりくつろいだ様子で本など読んでいる。ちょっとだけだらしがない。
「あら、おかえりなさい、姉様」
エリーシャの帰還に、顔を綻ばせながら起き上がる。
「ラズベリィ、姉様にお茶をお出ししてください」
「既に用意してありますわ。テーブルの方へどうぞ」
まるで来客のような態度であった。そして手品のようなすばやい給湯術であった。
(相変わらず謎の多い侍女ねぇ……)
トルテが平然と居座ってることには特に何も感じず、エリーシャはひたすらに侍女の仕事の速さに驚いていた。
「ただいまトルテ。それとラズベリィも。一応確認するけど、ここ、私の部屋よね?」
「はい、もちろんですわ。何故ですか?」
「いや、別に」
不思議そうな顔で「なんでそんな事聞くんです?」とばかりに返すトルテに、エリーシャは追求するのをやめる事にした。
別に、トルテがいるのはおかしなことじゃないのだから、と。

「姉様とおしゃべりしたくて遊びにきたのに居ないんですもの。こうしてればすぐ戻ってくるんじゃないかなって思ったんです」
特に追求しようとしないエリーシャに、何か面白くないものを感じたのか、トルテは自分から部屋を訪れた経緯を説明した。
「なるほどね。私は自分の家に戻ってただけよ」
「共の者もつけずにですか? 姉様大胆すぎます」
ラズベリィに促されるまま卓につくエリーシャとトルテ。
出されたカップに静かに唇をつけ、トルテは目でかわいらしく抗議する。
「衛兵隊も今は忙しいみたいだし、それに街中の自分の家に戻るだけだもの。帝都の治安は信頼してるわ」
一方、すまし顔で妹分の視線を受け流すエリーシャ。
「もう。仮にも皇太后なのに。それに、街に出るなら私も誘って欲しかったですわ」
どちらかといえば、トルテの抗議はこちらに傾いているらしかった。城の外に出たかったのだ。
「そんな長時間出るつもりもなかったし。私だってたまには一人でいないと、息が詰まるわ」
この一月。エリーシャはほとんどプライベートな時間を作らず、城内外で多忙な日々を送っていた。
具体的なラムでの滞在期間の設定とその間のスケジュール調整を官僚らと話し合ったり、身重なヘーゼルを労わってその代行としてシフォンと近隣の街を視察したり。
衛兵隊の御前試合を見るのはそれなりに退屈しのぎにはなったが、それ以外は連日のように息の詰まる日常だったのだ。

「最近は帝都大学で『勇者学』なんてのまではじめたから、空いた時間はその特別講師として呼ばれる事も多いしね……」
勇者として引退したエリーシャの代わりに、歴史に残る偉大な勇者を世に送り出す。
そういった目的で作られた勇者学部。
学問を志す者が多い大学にとってはやや異質な存在であるが、勇者を目指す若者らが集まり、時代時代の英雄についての研究や、いずれ国を支える大切な役目を果たす為の知識を学んでいる。
個人が独学で学び、自力で勇者として名を挙げていくそのシステムを根本から変える新しい仕組みとして試験的に導入したらしいが、これが中々、有望そうな若者を多く集められているのだという。
実際エリーシャも暇で仕方ない時に呼ばれて以来、何度か講義を受け持つ事をしており、その時の生徒達の熱心さには驚かされた。
「姉様も時代を代表する勇者の一人として数えられるようになってますし、生徒達にとっては偉大なる英雄の話を直に聞ける貴重な機会ですものね」
「私はできる事をやっただけなんだけどね。まあ、私がわかる限り、知っている限りの事を若い世代に教えられるっていうのは、生き残った者の大切な役目だとは思う」

 何せ、勇者というのは短命で終わる事が多いのだ。
デビューして一年以内に生き残れる勇者なんて一割いるかどうか。
腕に覚えのある者でも、たった一人で賊の群れや凶悪な魔物相手に生き残れる者などほとんどいない。
何の活躍も出来ず夢破れる勇者など後を絶たない。
特にエリーシャが結婚した際に『私も勇者になってお金持ちと結婚したい』と浅はかな夢を持った新米女勇者達の多くは、辛い日々に耐え切れず何の名声も残せず引退したり、時には悲惨な結末を以ってその勇者生命と自身の人生の終わりを迎える事となっていた。
そういった新米勇者の絶望的な最後は、エリーシャ自身もなりたての頃に何度か迎えそうになった事もある為、決して想像できない事ではなく、だからこそ、こうして教育する事の大切さも身にしみて分かっていた。

 生き残った者は、どのようにして生き残ったのか。
死んだ者たちは、どのような事をして、何故死んでいったのか。
それを教えなくてはならない。同じ事を、同じ悲劇を、少しでも減らせるように。
少しでも彼らが生き永らえるように。
だから、エリーシャはどれだけ疲れていても講義に呼ばれれば顔を出すようにしていたし、若者らの質問にはできるだけ丁寧に、彼女としては珍しく、しつこく聞かれても怒らずに答えるようにしていた。
魔法の遣い手として有望そうな者には、進んで魔法の手ほどきをしたり、自身の持つ改良型の『衛星魔法』を伝授しようとしたりもした。
若者らは、戦地で直に生き抜いてきたエリーシャの言葉を素直に聞いていたし、教えられた事はなんでも吸収し、覚えていく。
次はどのくらいまで覚えているか。次はどれ位までできるようになっているか。
エリーシャ自身、楽しみにもなっていた。

「そういう人生も悪くないと思いますわ。勇者として戦地を駆け回っていた姉様は確かに格好良かったのでしょうが。ただ戦うのだけが、人の生き方ではないですもの」
エリーシャ自身は落ち着いてしまった自分をまだ素直に受け入れられずにいて気にしていたのだが、トルテは、エリーシャのそんな生き方を肯定的に受け入れていた。
「私も、結婚して子供を生んでっていう生き方を捨てたら、途端に世界が拓けましたわ。読みたい本がいっぱい。知らなくちゃいけない事がいっぱいです」
「捨てちゃったのね……」
「捨てちゃいました。だって、私には無理ですもの」
トルテは苦笑していたが、そんな道を歩まざるを得なくなった彼女のその心の闇は、結局いつまでも晴れる事はないらしかった。

 事件からもう何年も経過しているが、トルテの男嫌いは全く治る様子はない。
トルテを想うサバラン王子も最近は言い寄るのを完全に諦め、部屋から出たトルテをただ遠巻きに眺めたり、トルテの絵を眺めながら自身との会話を想像したりと色々変な方向に落ち着いているらしい。
彼は彼なりに方法を変えて、それでもトルテの近くに居たいのだろうと、エリーシャもその歪な努力は認め、必要以上に王子を排斥しようとする事はなくなったのだが。
やはりというか、この妹分が、幸せになれたかもしれない未来を捨てて別の道を歩んでしまったのは、すごく残念だと思っていた。


「それでは姉様、また食事の時にでも」
「ええ、また後でね」

 両親の墓参りの為、シナモン村への旅支度をするつもりだったので、トルテらには悪いと思いながらも部屋から追い出すと、エリーシャは一人、衣服の選択や村へ持ち帰る品々の整理を始めた。
長らく帰っていない故郷の村である。
ラムへの退避期間は、あくまで中央部が落ち着くまで、戦域が帝都から離れるまでという話だが、実際に落ち着くまでどれだけの期間かかるかも解からない。
恐らく二度とシナモンに帰る事はないだろうと思い、墓の中の両親に、最後の別れをするつもりであった。
だから、エリーシャはできるだけのお土産を持っていきたいと思っていた。
ただの村娘から勇者になり、皇后となり、今は皇太后。その全ても、始まりの村があってのものなのだから。
両親を亡くし孤独となった自分を、村の子として大切に育ててくれた村の人たちには感謝してもしきれないのだから。
せめて、持てる限りのお土産を手に、精一杯の笑顔で帰りたいと思ったのだ。

「こんなものでいいかしら……」
帝都周辺の特産品やお土産になりそうな品を多数。
バッグに詰め切れるだけのそれらを詰め、エリーシャは帯で閉じる。
小さな子が喜ぶおもちゃや、年頃の娘が欲しがるような都会の装飾品と化粧品。
老人達が愛用する葉巻や村の男達が欲しがるであろう度数の強い酒など。
自分自身で用意できて、詰められるだけの品がこれでもかと詰まっていた。
皇太后ともなれば量も質も揃ったものがいくらでも用意できるはずだが、それは何か違うと思い、自分だけでできる範囲にとどめた。
流石にシナモンまでの旅路は従者がつくだろうから一人旅のようにいかないが、それでもあくまで個人として、村にお礼をしたいと考え、そうなっていた。

「やだ、もう暗いわ」
一通り支度が済み、気がつけば、陽は既に落ち始めていた。
窓の外では小さな蝙蝠が飛び回り、今宵の贄を求め闇を謳歌している。
夜の王であるカラスが銀色の瞳でその蝙蝠に狙いを定めたりもしている。
夜とは、そうした戦いの時間であった。
夜とは、このような弱肉強食の世界であった。
「まだ食事の時間には早いみたいだし、トルテの所にでも行こうかしらね」
特にする事もなくなったので、先ほど追い出したトルテとおしゃべりの続きでもしようと、部屋を出たエリーシャ。

「あら……?」
自室から出て廊下を歩き、二階のバルコニーの前を通り過ぎた辺りで、ふと足を止めた。
そこには二人分の影。
衛兵隊長エリーゼとサバラン王子という、なんとも意外な組み合わせであった。
(……どういう組み合わせなのかしら?)
遠巻きに眺めてみるも、どうもあまりいい話ではないのか、エリーゼの表情はやや暗く、少なくとも恋人同士の密会、というようにも見えない。
サバラン王子の表情も、普段見ない険しさが面に出ており、二人がどういうつながりなのかがとても気になる光景であった。

 ほどなくしてエリーゼはバルコニーから別の扉を抜け出て行ったが、サバランはエリーシャの居た入り口から出てきた為、はちあわせてしまった。
「こ、これはエリーシャ殿……」
サバランは心底驚いた様子で唖然としていたが、すぐに取り繕おうとする。
「二人はどういう関係なのかしら?」
なので、取り繕いきる前に、エリーシャは問い詰め始めた。相手の流れにさせない為に。
「二人、と言いますと?」
「ごまかす気なの?」
「……言っておきますが、先ほどの衛兵隊長とは何の関係もありませんよ。ただ、タルト殿の事が心配なので、旅の際にはきちんとした者をつけてもらう為、念を押していたのです」
はっきりと視線をぶつけ問いただすと、サバランも真剣な目つきとなり、説明を始めた。
「勝手な事と思うかもしれません。ですが、これは私が発端となって始まった事。責任は、私だけでなくラムクーヘンにも及ぶ事なのです」
「――そう。まあ、貴方に限って今更トルテ以外の女に色目使うとも思えないし、そういうことなら別にいいんだけど。ただ、うちの衛兵隊長に貴方がどうこう言うのはやめて頂戴。彼女は優秀よ。私も認める」

 先帝が健在の折、エリーゼが自ら提案した衛兵の増員は、エリーゼ自身が見事果たし、優秀な者たちばかりが集まったのだ。
どれも忠義に厚く、そして与えられた職務をきちんとこなせる腕利きばかり。
その質の高さは先日の御前試合でもしっかりと確認されたもので、エリーシャ視点から見ても彼らはとても屈強。心配のない人材ばかりであった。
それを、王子とは言え他国の人間にどうこう言われたくはない、という気持ちがエリーシャに働いていた。

「それを聞いて安心しました。いえ、余計な事をして申し訳ない。慎みますよ」
サバランも食い下がる事はせず、素直に非礼を詫びた。
「ん、ならいいわ。今回の滞在はラムクーヘンにも迷惑をかけることになるから、私もあまり強く言うつもりはないの。よろしく頼むわね、サバラン王子」
「お任せを。タルト殿やエリーシャ殿が退屈なさらぬよう、出来る限りの心を尽くさせてもらうつもりです」
彼にとっては久しく戻らなかった国許への帰還であるが、その故郷に、タルト皇女という最愛の女性を迎えられる事に大層緊張している様子であった。
あくまで彼にとってはエリーシャはおまけであり、皇女の怖いお目付け役、位の認識でしかないのだが。
それでも迎える以上は国賓であり、皇女同様、出来うる限りの歓待をする用意があるらしかった。
「まあ、私は平穏に過ごせればそれでいいから、そこまで気を遣わなくてもいいけどね」
元平民の皇太后としては、あんまり豪奢すぎるのもどうかと思うので、あまり歓待されすぎてもどうかと思ったのだが。


 特に王子と長話する気もないので、そのまま適当な理由をつけて別れたエリーシャであったが、ふと、妙な違和感が頭に浮かんできてしまった。
それは、彼と話していたときの、エリーゼの表情である。
王子が険しい面持ちだったのは、話の内容的にそれだけ真剣に頼み込んでいたのだと取れなくもないが、では、何故エリーゼは複雑そうな、ともすれば後ろ暗そうな重い表情をしていたのか。
少なくともエリーシャの知るエリーゼは、常に自信に溢れており、部下に対しては的確に指示を飛ばすし、誰の前であっても毅然としていた。
気の強そうな釣り目を更に吊り上げ、きりっとした面持ちで自分にも他人にも厳しい印象である。
確かに何か失敗すれば落ち込む事もあるだろうが、王子の説明した通りの内容なら、少なくともエリーゼはそんなに暗い顔はしていなかったのではないか。
エリーゼならむしろ、『お任せください』と、自信に溢れた表情で胸を張って言い放つのではないか。
あるいは、王子自身が何も感じていないだけで、エリーゼ自身がサバランに何か好意的なものを抱いていないとも限らないが、いずれにしても、彼が説明した以上の何かが存在しているような気がしてしまう。
「……考えすぎかしら」
一人ごちりながら、エリーシャはトルテの部屋へと向かう。
何かがおかしい。だけど、おかしいと思った何かは、それでいて決定的な物事がない為に結論付ける事が出来なかった。
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