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6章 時に囚われた皇女

#6-1.エリーゼの真相

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 もう秋に差し掛かる頃の話である。
反魔王の動きで魔界が揺れていたころ、もう片方の当事者である大帝国も同じように、世界初、いや、人類史上初の魔族との会談の是非について、政治的な大揺れを繰り返していた。

 更に言うならば、解決したとはいえ、有事の際に最も信頼すべき衛兵隊がクーデターを起こしたという異常事態も混乱に拍車をかけていた。
危機に陥っていた皇族側に対して魔族が救援に駆けつけたことそのものも不可解だが、まずはこの問題の根本に何があったのか、それを知る必要があると感じたシフォン皇帝は、捕らえた元衛兵隊長エリーゼを詰問する事にした。

「こちらです」
「うむ」
兵に案内させ、シフォンは城内地下の牢獄にきていた。
「……陛下」
シフォンらが足を止めた先。
薄暗く狭い牢の中、黒髪黒目の若い女が一人、佇んでいた。エリーゼである。
「久しいなエリーゼ。まさか君が反乱を起こすとは思いもしなかった」
「起きるべくして起きた事態ですわ」
牢に放り込まれてから既に一週間経過していたはずだが、エリーゼに疲弊した様子は見られず、強い視線を遠慮なくぶつけてくる。
「それなんだが、私には、君達が何故あんな行動に出たのかがよく分からないのだ。特に、君が行動を起こした中心らしいが、その動機が分からない。何が不満だったのだ?」
「……そんな事、わざわざ陛下が牢まで出向いてまで聞く様なことなのですか?」
白々しい、とばかりに小さくため息をつき、呆れたようにそっぽを向く。
「貴様っ」
すぐに傍に控えた兵が詰め寄ろうとするが、シフォンはそれを手で制した。
「いい。エリーゼよ。私は皇帝となってから日も浅い。まだまだ人の心の機微というものが、父上程には理解できていないのだ」
「先代も、何も分からない方でしたわ。きっと」
諭すような口調のシフォンに、エリーゼは静かに目を瞑り、呟くように返す。
それを聞いて、シフォンはエリーゼの中の、皇族に対する見方に一種の偏りがあるように感じられた。
「皇族に恨みでもあるのか? どうも、君の言葉の節々には、そのように見受けられるものが――」
「父をっ――」
それを指摘しようとしたシフォン。エリーゼは、その途端に目を見開き、声を大にする。
「父を、皇族の無策で殺された娘が、それを聞いてどう思ったかご存知ですか!?」
がちゃ、と、隔たりを握り締め、シフォンに顔を近づける。
「――っ」
心の叫びとも言える、それまでと違った感情のこもった声に怯み、シフォンは一瞬、後ずさってしまう。
「私の父フランシスは、南部の攻撃を受けた際に先代の護衛として防衛戦に参加したらしいですが。シブースト帝は無謀にもゴーレムに挑みかかり、その守りのために父はゴーレムにっ――ゴーレムに、踏みつぶされたらしいじゃないですか」
細めた瞳に涙を湛えながら。次第に小声になり、そして、崩れ落ちた。
「……フランシスの復讐の為に、クーデターを企てたというのか?」
エリーゼの口から出た恨みつらみは、極めて個人的なことながら、一国民の、皇族に対する一つの見方でもあった。
国民すべてが皇族を支持しているわけではない。そんな当然な事を、シフォンは今更のように思い知らされていた。
「父の復讐と……この国の、いいえ、人類圏の未来の為にも、愚かな皇族を、一人残らず粛清する必要があると思ったのです」
「……初めからそのつもりで衛兵隊長に志願したのか。クーデターに参加した衛兵は、そのすべてが君が入隊させた者だったようだが」
逆に、参加しなかった衛兵は全てエリーゼ以前より衛兵隊に就いていた者であり、そして、その内半数は魔王軍の間者であった。
これもシフォンには胃の痛くなる話であったが、ここでは黙っている。
「皇族に恨みのある者。皇族にいてもらっては困る者。この国には、そんな人間は沢山おりますわ」
「もし本当にそうなら、私達は在り方を考えなければならないのだろうが――」
エリーゼの言葉には、一つのねじれがある。
それは、皇族への恨み。ただ一つの強い感情が、彼女の視界を歪めているように、シフォンは感じていた。
だから、シフォンはそれを鵜呑みにはしない。
「だからと言って、話し合いの道を模索するでもなく、多くの人間を騙して起こしたクーデター。これは正当化されて良い物ではない」
「大罪である事は初めから自覚しておりますわ。でも、そんな事どうでも良くなる位に、私は皇族を恨んでおりました」
罪科を超越した怨恨とは、こうも厄介なものなのか。
今は落ち着いた様子のエリーゼであるが、その言葉にシフォンは驚愕せざるを得なかった。

「もう話すこともないでしょう。早く処刑するなりすればいいですわ。なんなら、『反政の愚者の末路』として、見せしめに市街にでも吊るしますか?」
一通り言いたいことを言ったからか、「もうどうにでもすればいいわ」と、そっぽを向くエリーゼ。
シフォンは「いいや」と食い下がり、話を続けた。
「勝手に話を終えたつもりでいられては困る。君はさっき、『皇族を一人残らず粛清するつもりだった』と言ったな? それはつまり、私の妹のタルトや、エリーシャ殿も含まれるという事か?」
「――エリーシャ様は例外ですわ」
無理矢理続けられた話に、エリーゼはあまり乗り気ではないのか、そっぽを向いたまま返す。
「……それは何故だ? いや、エリーシャ殿が粛清の対象にならないのは私としてはありがたいが、君の対象から外れた理由がよくわからない」
「エリーシャ様は、私と同じ境遇の方ですから。いえ、よりお可哀想に感じましたわ。皇族の無策で偉大なる父を失い、挙句、勇者として良いようにこき使われて。勇者ゼガだって、国が全力でバックアップしてあげてれば、もしかしたら死なずに済んだかもしれないのに」
「……エリーシャ殿は、そのような事でわが父を恨んだりはしていなかった」
少なくとも、シフォンの知る限りエリーシャは先帝に悪感情を抱いてなかったし、自分やヘーゼルも含め、家族のような関係であったと思っていた。
だからこそ、このエリーゼのような意見には同意しかねていた。

「エリーゼよ。何故君は南部を恨まず、皇族を恨む。憎しみの連鎖が良いことだとは私も思わない。だから、恨めば良いというものではないとは思うが……」
同時に、疑問にも思っていた。シフォンの知る限り、エリーゼは優秀な人間だったはずだ。
少なくとも、物事の優先順位が分からないほど愚かではないと思っていた。
「……世界を救うのは、愚かな皇族でも、勇者でもないわ。唯一つ、女神様の叡智のみが、私達人間を救ってくださる――」
疑問に対しての答えなのか、曖昧な呟き。そして、空に向かって十字を切る。
「教義に背き、愛しき女神への崇拝を私達から奪った皇族には、相応の罰を与える必要があると思ったわ」
錠のかかった両手を組み、静かに祈りを捧げる。
「教会か。君は、熱心な信徒だったんだな」
見覚えのあるその仕草に、シフォンは納得してしまう。
「ええ。私の家は代々、聖地巡礼も欠かさない古くからの信徒でした。先代によって宗教廃絶を申し付けられた時、あの時に、一家揃って南部に逃げればよかったのだけれど――両親がそれを良しとしませんでしたから」
「フランシスは勤勉な男だったと聞く。国に対しての忠誠心も強かったのだろう」
「……違いますわ。母の足が悪かったのを気にしたのです。父も正直、この国には嫌気が差し始めていましたわ。女神の教えなしでは、人々の心は荒む一方ですもの」
シフォンの知るフランシス像と、エリーゼの語るそれとは、まるで見え方が違っているらしかった。
人の心と自分が見えているものの齟齬の大きさに、シフォンは経験の少なさを痛感させられていた。
エリーゼが皇族をそのようにしか見ていないのと同じで、自分もやはり、人を外面でしか見られないのだと、気付いてしまった。
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