上 下
242 / 474
6章 時に囚われた皇女

#6-2.愚かなエリーゼの真相

しおりを挟む

「確かに、宗教の排斥は、仕方ないとはいえ多くの国民を苦しめる結果を生んでしまったのかもしれない。それは、申し訳ないと思うが。だが、一つだけどうしても認められないものがある」
だが、だからこそ、と、シフォンは考える。
「……なんですか?」
祈りを解き、また見上げるエリーゼ。黒い瞳が、警戒するように細まっていく。
「君のした行動によって、私はもしかしたら死んでいたかもしれない。妻だけが生き残る状況もあったかもしれない。知ってるだろうが、もう少ししたら私には息子か娘ができるのだ。その子供らが、君と同じ思いをしてしまう所だったかも知れない」
それでいいのか、と、シフォンは、真摯にエリーゼの黒い瞳を覗き込む。
「君は自分と同じ思いを、私の息子か娘に味わわせるところだったのだ。だから私は、君のした事、しようとした事を絶対に認められない」
「――それはっ」
シフォンの言葉に、またもエリーゼが激昂しそうになるが、シフォンはそれを言わせず、はっきりとした口調で続ける。
「私は君の言いたい事を、聞いて解かったつもりだ。だが、それはあくまで外面でしかない。君の内面がどれほどの憎悪に取り込まれているのか、それは私には解からない。解かりたくもない」
「……そんな、身勝手な」
「人とは、そういうものだと思う。どれだけ信頼しあった関係でも解からないことは沢山ある。なのに、他人の全てを知らないと許されない事もある。君にとっては、皇族はどこまでも許せない存在なのだろう」
「そうよ、皇族なんて滅びてしまえば良いわ」
抗議じみて発せられたエリーゼの声は、最早シフォンを止める力すら感じさせない。
「私は、君と同じ感情を、魔族に、そして南部諸国にも抱いた事がある。妹が誘拐されたと聞いたあの事件の時など、世界中から宗教と名の付くものが消え去れば良いとすら思った。恐らく、父も同じだったのだろう。だから、この国から宗教が排斥されたのだ」
「……」
それは、教会組織の一つの汚点とも言える事件であった。
熱心な信徒であるエリーゼも、この明確な宗教批判には声を上げられない。

「人とは、本当にどうしようもない理不尽なものに直面すると、誰かに助けて欲しくなってしまうのだと思う。その救いを求める相手が、君にとっては女神だったのかもしれない。だが、私は、私にとっては、女神はそんなに必要なものではなかった」
「なんですって――?」
シフォンの言葉に、信じられないモノを見るように目を見開き、絶句するエリーゼ。
「私はきっと、恵まれていたんだろう。いつだって私の前には父が居た。隣にはヘーゼルが、後ろには妹が。困った時には、エリーシャ殿が力添えしてくれた。城の者達も、私の言葉に耳を貸してくれた。私にとって、女神などより、この、誰より親しみを感じる周りの人たちこそが、掛け替えのない、何より重んずるべき存在だったのだ」
「そんな人、私にはいなかったわ」
「本当にそうなのだろうか? 君の事を気にかけてくれる人はいなかったのか? 少なくとも私は、君やクーデターを起こした衛兵達も、その『掛け替えのない人達』に入れたつもりだったのだが」
だからこそクーデターはショックだった、と、シフォンは力なく笑う。

「……私のことを気にかけてくれる人なんて――」
――そんなの、居るはずがない。
反論しようとした言葉は、しかし、喉から先に上がらない。
エリーゼは、思い出してしまった。
自分の事を覚えていてくれる人が、確かにいたのだ。
父の復讐ばかり考えていて、周りの事など全く気にしていなかったが、そんな自分に話しかけてくれた、昔なじみのパン屋の娘。
「あ――」
かつて同じ教会に通っていた、丸顔の、笑顔が可愛らしい明るい女の子。
教会で会う度にいつも自分に話しかけてきて、鬱陶しいとすら感じたその子は、今どうなっているのか。
考えるまでもない。パン貴族・セーラは、もうこの世にはいなかった。
「私は……」

『――君と南部につながりがあると、気付かれる可能性があると?』
『はい……ただ、教会に通っていたのを知っているだけで――私のことなんて、気にもかけないかもしれません』
『関係ないな。少しでも危険があるというなら、消した方が良いだろう。私も君も、この計画に関してはわずかなほころびも許されないはずだからね』
『……ですが』
『エリーゼ。わずかな失敗も許されないんだ。唯一つの見落としが、私達全員の首を絞めることになるかもしれない』
『……はい』

 計画の為セーラを殺めたのは、他でもないエリーゼ自身だった。
それが本当に必要な死だったのか、それは彼女にも解からない。
ただ、必要な事なのだからと自身に言い聞かせ実行したそれは、果たして何の意味があったのだろうかと、今更のように彼女は思う。
セーラの死とは関係なしに計画は崩れ、こうして自分は牢に繋がれている。
粛清するつもりだった皇族は、少なくとも城内にいる彼らは誰一人手に掛けられず、復讐は失敗に終わった。
共謀したもう一人がどうなったかは解からないままだが、目の前の皇帝が何一つその件に触れていないのを見る限り、恐らくそれも失敗に終わり、エリーシャらは何事もなくラムクーヘンにたどり着いたのではないか。
考えればそれほどに、エリーゼは虚しくなっていった。
そして、後悔を強める。

(私は……自分の心に支配されて、何ら罪のないあの娘を、殺めてしまった――)

 その無意味な死に、その不必要だった死に、これほどの重みがあるのだ。
死ななくても良かった、死なせる事はなかった、自分を知ってくれていた人。
笑いながら話しかけてくれていたその人を、エリーゼは、こともあろうに自分で手にかけてしまった。
もしかしたらそれは、自分が変な方向に思いつめてなければ、あるいは、もうちょっと自分に社交性らしきものがあれば、ただの勘違いで済んだ話だったのではないか。

 もしかしたら、友達になれたかもしれなかった。
子供の頃から、何度も向こうから話しかけてくれたのだ。きっかけはいくらでもあった。
ずっと避けていたのに、迷惑そうな顔をしてそっけない態度を取っていたのに、それでも顔を覚えていてくれた。
城内で気付き、声をかけてくれた。
それは、セーラの好意だったのではないか。自分を気にしてくれていたのではないか。
だとしたら、それに気付けないまま手にかけてしまった自分は、どれほどに愚かで、視野が狭かったのだろう、と。
女神の教えなどとえらそうな事を言いながら、隣人一人愛せなかった自分が、そこにいたのだ。

「ああ、そうだったんだ、私は――」
ただ、自分が愚かなだけだった。
皇族がどうこうなんて言えない位に、自分は愚かで、どこまでも下劣な犯罪者だったのだと。
もう、声高にクーデターなどと叫べない。皇族の排斥などとどの口が言うのか。
自分は、そんな皇族よりよほど酷くて理不尽な事を、自分の大切な人になってくれたかもしれない人に対してやってしまったのだ。
「――あぁ」
自然、涙がこぼれる。父の無念を訴えた時より、よほど大粒の涙が頬を伝う。
初めて気付いたのだ。自分が、道を誤ったのだと。
ここにきて、自分のやってしまった過ちの大きさに、エリーゼは震えていた。

「君にも居たようだな。君を気にかけてくれる人が」
そんなエリーゼの変容を見て、シフォンはわずかばかり頬を緩めた。
「はい……いました。いいえ、沢山います。私が気づかなかっただけで」
隊長として慕ってくれた部下も居た。

『背負いすぎないでね。フランシスの娘じゃなく、エリーゼという一人の隊長として、今の職務を全うして頂戴』

 信頼して、そして言葉をかけてくれたエリーシャをも、裏切ってしまったんだとエリーゼは気付く。
「……それに気付けたなら、君の生には意味があった」
ただ力なく崩れ落ちるエリーゼに背を向け、シフォンはそう言い残し、兵達と共に去っていった。
後には、小さな嗚咽のみが響いていた。

 三日後の昼。元衛兵隊長エリーゼは、革命扇動の罪で人知れず処刑された。
シフォン皇帝の配慮もあり、死体は晒し者にされるでもなく、父フランシスと一緒の墓に埋められた。

しおりを挟む

処理中です...