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6章 時に囚われた皇女

#11-2.老賢者との邂逅

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「ほう、お前が『伯爵』か。聞いておるぞ。『在る世界』の覇者だった、今は色んな世界を旅しているらしいではないか」
世界が切り替わると、次に見えたのは、やや大人びた容姿となった彼と、侍女風の出で立ちとなったヴァルキリー。
そして、玉座に君臨し、二人と対峙する老魔族だった。
『魔法世界』アルゲンリーゼ最賢の者。ヴェルセレフォン。
この世界の『魔王』であり、そして、『賢者』とあだ名されるほどに叡智に長けた魔族であった。
勇者の魂の在り処を探す伯爵は、知恵者たる『魔王』の存在を知り、その知恵を求め、今こうして謁見している。

 老賢者は、二人が現れるや、嬉々とした様子でそれを受けていた。
「一体何の用事で来た? わしの元に来るという事は、相応に何か知りたい事があって来たのだろう? でなくば、儂の元には決して来れないはずだ」
機嫌よく用件など聞いてくれたりもする。
外見こそ皺まみれの厳つい老人であるが、その口調は好々爺こうこうやのそれであった。
「貴様の知恵を借りたい。知りたいのは、私と戦い、倒れた勇者の魂。その在り処だ」
闇色の外套に身を包む伯爵は、憮然とした様子で賢者を見つめていた。
――油断ならない。何を考えているのか解からない。
場数を感じさせる余裕が、この賢者には感じられたのだ。
「それを知ってどうする?」
伯爵の警戒を知った上で、それでもあざ笑うように、賢者は問う。
「解からない。ただ、追いたいのだ。どこにあるのか知り、そして、それが命として芽生えている事を確認したい。今は、それ位しか解からない」
「どうするのかも決めずに探すのか。それでは、何も知らないのと変わらん。仮に目的のモノを見つけられたとて、手に余るぞ?」
「……」
言われるまま黙りこくってしまった伯爵に、賢者は呆れた様子で、座ったまま手だけを小さく振っていた。
「もういい。大体解った。今のお前に貸してやれる知恵などはない。知恵とは正しく目的が存在し、初めて意味を成すものだ。目的の定まらん者が知恵だけを持つと、大概はろくな事にならん」
先ほどまで機嫌よく笑っていた賢者は、しかし今ではつまらないものを見るような目で二人を、いや、伯爵を見つめていた。

「『知』をつけて来い。我が居城『イグドラシル』は、知を求める者を決して拒まぬ。幾日でも幾年でも……その命が許す限り学び続けるが良い。儂の目に適うだけの『知』を身につけられたなら、再び話を聞いてやろう」
賢者は口元を歪め、かちん、と手に持った髑髏の杖を地につけ鳴らす。
それが合図となってか、骸骨が不気味に光ると同時に、二人の視界が歪み――


 彼らが気がつくと、そこはもう、賢者の居た城の入り口であった。
天を突く巨大な樹木に侵食された、塔のような城。その前で、二人はしばし、呆然とする。
「……学べ、と言っていたな」
「はい。今のままでは、賢者の知恵を借りる事はできないのでしょう」
少し困った様子でぽつり呟いた彼に、侍女は平然と言い放つ。
「面倒くさいな」
なんとなしに出た言葉が、彼の怠惰性を示す。ここにきても、考える事は面倒くさかった。
「あの程度の『魔王』でしたら、私一人で十分捻じ伏せられますが」
主の意を汲んでか、侍女は『力ずくで脅しますか?』と、真顔で主の反応を窺う。
伯爵は苦笑した。長らく旅をしたものの、やはりこの侍女は変わらないままであると。
「いいや、いい。こちらは知恵を借りようとしているのだ。相手が求めるものを提示できないなら、それはもう取引きではないだろう?」
一方的に奪い取るなんてことを、彼は良しとしていなかった。
必要があらばそれも辞さないつもりではあったが、何も試さずにただ奪うだけという行為は、かつての愚かな自分を思い起こさせてしまうからだ。
今はもう、愚かなままでいたくない。
その為に世界を捨て、名を捨て、人の上に立つべき『伯爵』を名乗っているのだから、と。
「学ばせてもらおう。どれだけの時間掛かるか解らんが……なに、時間はいくらでもある」
悠長に構えていた。今の彼には、ある程度の余裕があったのだ。

 こうして彼らはイグドラシルの内部で、あらゆる世界から集まる文献を頼りに、知識を蓄えていった。
あるいは先人の、異世界の知恵を見、覚え、習得していった。


 
 再び賢者との謁見。彼は既に大人の風貌を見せつけていた。
傍に控えるヴァルキリーは変わらず美しい乙女のままであったというのに。
見た目から来る歳の差は開いた形となり、今では立派な主といった貫禄すら感じられた。
「久しいのう。お前が儂の元に訪れてより、軽く千年は経ったか」
「ああ。貴方のおかげで色々と学ぶ事が出来た。私が知らなかったこと。私が知ろうとすらしなかったこと。人との関わり方。話し方、色々とな……」
かつてとは異なり、その口調は品性を感じさせるものとなっていた。賢者は笑った。
「すばらしい。さすがは儂が見込んだだけの事はある」
伯爵の振る舞いの変化に、賢者は心底喜んでいるらしかった。
「最早『お前』などとは呼ぶまい。『お主』は、今ようやくにして、儂と対等の存在となった」
それがたまらなく嬉しいのだと、賢者は皺がれた顔を更に皺くちゃにする。
手元の骸骨杖もケタケタと笑っていたように見えた。

「私は、何も知らなかったのだ。この世界の事を、何も。そして、自分が何をしようとしているのか、その道筋すら立てていなかった」
彼は語る。今までの自分を。
「うむ」
「だが、今は違う。私は、彼と会いたいのだ。会って、話がしたい。それはただの自己満足なのだと思っている。だが、会って、この気持ちに収拾をつけたいのだ。その後の事は、もう考えてある」
彼は語る。これからの自分を。
「聞かせてもらおうか」
老人は、孫の話を聞くかのように笑いながら、先を促した。
「私と彼との因縁を聞かせてやろうと思う。そして、彼が戦う気になるなら相手になろう。だが、そうでないなら……私は、世界を回ろうと思う。知識として、知ったつもりになっているものを、この眼で実際に見てみたい」
失われた勇者の魂。それを追う事、追いつく事をゴールとしていた彼はもうそこにはいない。
ただ、希望を求め、あふれ出た希望に眼を輝かせる、少年のような大人がそこに居た。
「だが、会うための道筋は、私自身が歩むべきものだ。だから、私は貴方に問いたい。彼の居場所を知る為に。その為に必要なモノが何であるかを、私は知りたいのだ」

――横着はしない。
16もある広い世界の、更にその中のたった一つのあるかどうかも解からない命を探すのだ。
途方もない旅になるに違いなかった。彼は、ここでそれを学び、ようやくその事に気付いた。
今までの旅路で見てきたものなど全てのうちのほんの一部でしかない。ここからが真なる意味での始まりなのだと。
――それでも。
彼は笑った。そんなもの、今あふれ出る好奇心から見て、何の造作もあった事か。
これから見える世界は、今まで以上に楽しいに違いない。
何も無かった世界に居た彼は、新たな世界に飛び出して眼に入るものを全てだと思い込んだ。
だが、ここにきて彼は気付いたのだ。世の中には、知らないもの、解からないものこそが多い。
自分が知っている程度の事など、そのごくごくわずかな一部でしかないのだと。

「――よかろう。心して聞くがいい」
黙って伯爵の言葉に耳を傾けていた賢者は、ぽつり、そう呟いた。
静かだった。静寂が世界を支配する。空気は冷たくなり、その場に居た三人が三人とも毅然としていた。
「まず、お主は二つ、必ず手に入れなければならないマジックアイテムがある」
皺立った指を二本立てながら、賢者は首を傾ける。
「二つ……それは一体?」
「一つは『自動人形』と呼ばれるものじゃ。これは、儂らとは違う次元を眼にする事が出来る能力を持っていると言われる」
「違う次元……?」
「魂、すなわち、世界で言う所の『水』の流れが見えるらしい。生きている生物の魂も見える。つまり、見た目では解らんような、ひときわ強い魂を持っている人間を見つけることが容易になる」
くるくると指を宙に回す。浮かんだ魂でも示しているのだろうか。老賢者は頬を緩ませる。
「まずはこれがなくては話にならん。何せ魂という概念は、儂ら生物には見ることすら適わんからな。魂を見る事が出来るのは、原則同じ魂となった存在のみと言われている。つまり、魂を使い作られる自動人形にしかできぬ。そういう理屈らしい」
「我々に見る事が出来ない魂を、どうやって扱う事が出来るというのだ?」
賢者の説明は、いささかの矛盾を孕んでいたように感じた。
少なくとも伯爵はそう感じ、賢者に投げかける。
「シャルムシャリーストークに、何故かは解らんが、魂を扱う事が出来る魔族が存在していると聞いた。どのようにして扱うのか、何故その者だけが扱えるのかは解らんままだが、な」
「……シャルムシャリーストーク」
賢者の答えを反芻するように呟くと、それまでだんまりだった侍女が口を開いた。
「川の中流に位置する世界ですわ。丁度、『在る世界』とは表裏の位置に存在する場所です」
「アルゲンリーゼからは、ちょっと遠いんだな……」
次の目的地は、どうやら長い旅路の果てにあるらしかった。
「まあいい。いずれは着く旅だ」
「その気概やよし。もう一つの大切なものは、割とどこにでもあるものだから安心して良いぞい」
呆れるほど途方もない展望に、それでも笑う伯爵を見て、賢者は満足げに頷きながら希望を報せた。

「もう一つのマジックアイテムは『ぱそこん』と呼ばれるモノじゃ。これは、登録した魂を追跡する機能を持つ」
「魂の追跡機能?」
「然様。魂とは本来流動体である。生物の身体から離れた魂は、眼を離せば即座にどこかへと流れ、やがて他の魂と交わり、他所の世界へと零れ落ちていく。それは誰であっても止める事のできないモノ。だからこそ、探すには追跡する装置が必要なのじゃ」
説明ながらに、賢者は指を宙に、何やら空描きしていく。
やがてそれは光となり、彼の絵心が宙に示されていった。
「……四角いのか」
「うむ。形状は色々あるが大体は四角い。実際には全く別の用途で広まっている事が多く、割と色んな世界で見かけられると思う。最大の生産地・普及地はレゼボアだが、シャルムシャリーストークにもある程度の数存在しているはずじゃ」
これを手に入れておけ、と言ったところで、絵画は消え去った。

「これら二つを手に入れれば、お主の人探しはこれまで以上に楽になるはずじゃ。逆に、これらなしにそれが求める魂の持ち主であるかどうかの判別は、恐らくつける事が出来ん」
魂の判別など、この老賢者ですら困難な事らしい。
彼は、旅立つ前の女神の言葉を思い出す。
その判別などつけられないのに、意味も無く力を持った自分を他の『魔王』の世界にはやれないと言った女神リーシア。
その意味、その無謀さに、ようやく納得が行ったのだ。自然、笑みがこぼれた。
「ありがとう。貴方に学ぶ事を教えられ、私はようやく女神の言葉の意味が解った」
知恵を身につけろという忠告。これは何より大事な事だったのだ。
知らないままに勇者の魂を持った者を殺してしまったかもしれない過去の自分。これがどれほど愚かであったか。
そうならずに済む様に学ぶ機会をくれたこの師には、感謝しても足りない。
「師よ、私はこれより彼の地へと旅立ちます。どうかお元気で」
彼にとって、この老賢者は師であった。敬意を表し、頭を下げ、そして背を向けた。
「うむ。達者でな。お主の行く末に、幸あらんことを」
朗らかに笑いながら、初めて会った時と同じく、だが親しみ深い好々爺の顔で、弟子の背を見送る。
ただ二回きりの、時間にしてみれば一時間にも満たない邂逅であったが、老賢者は見込みあるその弟子を案じ、その背が見えなくなるまで見つめていた。



「やれやれ。なんともはや、時の流れとは残酷なものだな」
やがて、低くうねる様な声が玉座に響く。
老人の左手に持たれた骸骨が、ケタケタと口を震わせる。
「時の流れと共に変わり往く『勝利』という概念。彼の行く末は、余りにも残酷である。見てられん」
惜しむようなそんな声は、骸骨から発せられたものだった。
『賢者』ヴェルセレフォン。その本質は老人ではなく、老人の持つ骸骨の杖。
意思を持ったアーティファクト。それこそが彼の本体であり、彼がこの世界の『魔王』たる所以であった。
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