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8章 新たな戦いの狼煙

#8-2.黒竜族の参戦

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「――っ……ここは――」
彼女が目を醒ますと、そこは薄暗い牢獄であった。
冷たい石畳の上。地べたに寝かされていた。
「目を醒ましたようだな」
暗さに目が慣れるまでわずかに掛かったが、その声にはすぐに気づく。
「ガラード兄上」
彼女――黒竜姫の入った牢の向こうには、見慣れた長兄が立っていた。
いや、わずかな息の音を感じる限り、その他の兄達もいるらしいと、彼女は勘付くのだが。
「すまんな、手荒な手を取ってしまった。許せ」
「――許すも許さないも。一体何をしたというの?」
背筋に軽い痛みが残るが、それもわずかの間に回復していった。
だが、解せないものがあった。
一族最強のはずの自分が、何故牢獄になど放り込まれているのか。
不意打ちは受けていないはずだけれど、と、黒竜姫は思考を巡らせているのだが、それが解からない。
「なんだ覚えていないのか。ああそうか、少し強く頭を打ってしまっていたものな。姫は存外、殴られ慣れてはいない方だったか」
「そんなのに慣れたくは無いけど。私が兄上に負けるなんて、ありえないわ」
手加減してすら全力のこの兄相手に一撃も許さなかったのだ。
不意打ちだとしても一撃で昏倒させられるとは思えないし、毒の類は耐性の都合上絶対に効かない。
どうにも腑に落ちないものがあった。兄の謎の自信に。その態度に。
「そうだな。俺自身、お前に正面から挑んで勝てるとは思わなかった。中々に有用なものだ。あのウィッチ、『良い物』を寄越してくれた」
くく、と、ガラードは笑う。
「……あの深緑のウィッチね。あいつ、一体何を――」
「人間世界で広まっている『武術』とやらの指南書だ。絵のついた解説付きでな。これが中々……俺ですら習得するのにいくらかかかったが――」
ふん、と、突然両拳を握り締める。
直後、ブン、という奇妙な音を立て、光が放たれた。
「今ではこの通りよ」
ガラードの両の腕を、青い光が包んでいた。
「……新手の魔法?」
「いいや違うな。王なる羅刹の力。『王羅』というものらしい。人間は基礎の習得に十年余りを擁するようだが、我らの身体能力ならば一月足らずで奥義まで習得できたぞ」
黒竜姫は、この長兄の言っている事が半分も理解できないでいた。
別に彼女が愚かな訳ではない。この兄の言う事があまりに突飛過ぎるのだ。
「オーラ?」
「王羅だ。強いぞ」
強いらしい。
「それがあると、具体的にどうなるのよ?」
「なんか知らんが、魔法じみたビームが出る」
強いぞ、と、長兄はしたり顔であった。
「ついでに足に出せば脚力が十数倍まで跳ね上がる。お前を倒した時もこれで一気に肉薄し、正面から一撃で沈めた訳だ」
「なるほど」
よく解らないながら、身体強化の魔法か何かと認識する事にした黒竜姫。
元の魔力は魔族としても破格なはずだし賢いのだから、その気になれば魔法の習得位は可能よね、と、割り切る事にした。

「それで、私をこんなところに閉じ込めて、どうするつもりなの?」
この話を続けるのも辛いとばかりに、黒竜姫は本題に入る事にした。
聞くまでも無く想像は付いたが、とりあえず。
「できれば姫には大人しくしていて欲しい。大人しくしていてくれるならすぐにでも部屋に戻してやるつもりだが」
「質問に答えて頂戴」
「……俺はな姫よ。魔王陛下と戦いたいのだ。ラミア殿の軍勢とも一戦交えたい。黒竜の血が、戦いを求めているのだ」
なんとも爽やかな笑顔で、そんなくだらない事を言ってのけていた。
「そんな事だろうと思ったわ」
呆れてしまう。半分は同じ血の流れる兄妹ながら、なんでそんな単純に考えてしまうのか。
「なんでよりによって今なのよ。タイミングの悪い」
「何を言う、この内乱が終わってしまえば、もう後の時代にはでかい戦などそうそうは起こるまいて。今をおいていつ機会があるというのだ?」
そして、この長兄はやたらと魔王を信頼しているらしかった。
最初からこの程度の反乱など、大した障害にもならずに片付いてしまうだろうと楽観していたのだ。
そして、その後は平和が訪れるのだろうと思い込んでいたのだ。
「……あのウィッチに唆される事にしたのね」
「バカを言え。ウィッチ如きにいい様にされるものか。だが、魔王陛下と戦えるというのは中々魅力的な誘いだったな」
見事に唆されていた。その気にさせられていた。バカ丸出しだった。
黒竜姫は自分を恥じた。『兄上がここまでバカだったとは』と。『こんな兄上を信じた自分がバカだった』と。

「知らないかもしれないから教えるけど、陛下は私ですら怯む量のドラゴンスレイヤーをお持ちよ。ともすれば、一族が皆殺しにされる事だってあるかもしれないわ」
「構わぬ。戦の無い世になど生きる価値はない。死ぬまで戦ってこそが黒竜の生き様というものだろうが! なあ!?」
とても潔いバカであった。いや、長兄が同意を求めた後ろの兄たちも同じように頷いていた辺り、そろいも揃って、という事だろうか。
黒竜姫は深い深いため息をついた。
もう止まらないのだろうと、一種の諦観もあって。
「まあ、そこまで戦いたいなら仕方ないわ。でも、こんな牢で私を止められると思ってるの?」
全力で抵抗するわよ、と、牢の前の兄たちを睨む。
「やめておけ。俺は当然だが、下の弟たちも俺と共に王羅を習得しているのだ。俺と違い一人でお前をどうこうはできまいが、二人がかり、三人がかりならお前を抑える事くらいは可能なのだ」
いらぬ手間を掛けさせてくれるな、と、長兄は澄まし顔であった。
それが余計に黒竜姫的にイラっと来る。
「最後に聞くけど。レスターリームはどうしたのかしら?」
「魔王城に送った。宣戦布告と、お前を捕らえたことを伝えさせる為にな。今頃到着している頃だと思うが」
「それを聞いて安心したわ」
今は亡き父と違い、この兄達が自分の侍女に何かしたとは思わなかったが、それだけは心配であった。
だが、その確認が取れて、もういいか、と考える。

「――そう。じゃあ、全部壊しちゃうわね」

 潔いのは別に兄たちだけではない。
黒竜姫自身、そうと覚悟が決まれば何事も省みないのだ。
右手を高くに掲げ、ぱちん、と指を鳴らす。
「……?」
良くは分からずそれを見守る兄たち。
「陛下の手を煩わせる訳にはいかないわ。四天王なんて興味もないけど、役目相応の責任は果たさないとね」
「何を言ってるのだ? 姫よ、一体何を――」
ここは黒竜城の地下である。『その光景』はこの場の誰にも見えていない。
だが、『それ』は確実に迫っていた。
黒竜姫は、自身の体内から消え去っていく魔力を感じ、それを確信していた。
「この戦争に、貴方達を参加させるつもりはないって言ってるのよ!!」
その水色の瞳は、かすかに揺れていたが。
彼女は目の前の敵たちに、黒竜姫らしい余裕たっぷりな笑みを見せてやっていた。

 その後、発動した古代魔法『アステロイド・レイン』によって、黒竜領グランドティーチは深いクレーターへと変貌した。


「黒竜姫が……まさかなあ」
レスターリーム達が到着してからわずかの時を置いて、黒竜領を中心に南部地方全域に巨大な岩石の雨が襲来。
これにより南部は壊滅的な被害を受け、中心部の黒竜領はその全てが壊れたのだという。
報告を聞いた魔王も、これには胸を押さえ、小さく呟く事しかできなかった。
「恐らく、人間世界北部であの娘が使った古代魔法と同じものかと。結果的に南部の反乱軍は一部除き全滅したものと思われますわ」
事実上、魔王軍の切り札が一つ消え、引き換えに最大の脅威が一つ消えたとも言えた。
しかし、その喪失感は生半可ではない。
「全く、無茶をしおって」
やりきれなさに、魔王も俯いてしまう。もうあの顔も見られないのか、と。
「死んでしまった黒竜姫の為にも、なんとか反乱を鎮圧しなければなあ」
それがせめてもの慰めだろう、と、魔王は顔を上げたが。
「いえ、別に黒竜姫は死んでませんが。今しがたガラードから遣いが寄越されましたわ」
そして悲しみはラミアによってあっさり塗り替えられた。
「……へ?」
「ですから、黒竜姫もガラードたちも死んでませんわ。なんか、『おうら』がどうとかでなんとか凌いだらしいのです」
城はクレーターですが、と言いながらも、ラミアは手をふりふり、苦笑していた。
「そ、そうか、死んでないのか……ああ、よかった」
魔王も心底安堵する。気が抜けてしまったからか、ため息はとても深かった。
「もう二度と会えなくなるのかと思ったよ。驚かせおって。ああよかった――」
胸をなでおろす。何度も呟く。ラミアが笑っているのを見て、魔王は首をかしげた。
「どうかしたかね?」
「いえ……私心ながら、今の陛下を見せてあげたらあの娘はどれ位喜ぶかしら、と思いまして」
「……全く」
咎める気も起きない。今は喜ぶべき場面のはずだ。他にも考えるべき事は多いだろうが、ともかく今ばかりは。
魔王は、勝手にそう思い込むことしたのだ。
正直、状況が不味い方向に転がっている事などには眼を向けたくなかった。

「陛下が折角現実から逃避してるところ申し訳ないのですが、黒竜族が敵に回ってしまった結果、吸血族から作戦参加の申し入れがありましたわ」
ラミアは構わず報告を続けた。彼女は現実主義者であった。
魔王はあっさり醒めてしまった。
「吸血族が? 黒竜族に対抗してかね?」
「ええ。早速ですが、人間世界南部の最前線から、長女のアイギスが派遣されるようです。数日ほどで到着する予定だとか」
「また随分と時間がかかるなあ」
転送陣もあるだろうにその速度では、鈍足という他なかった。
「一旦自領に戻って疲れを取り、吸血族の姫君相応のおめかしをして魔王城に来る、という内訳らしいですが」
「……そんなの良いから早く来いと言ったら拗ねるかね?」
「恐らくは。そして二度と戦おうとしないでしょうね」
扱いにくいにも程があった。吸血族は面倒くさい。
「まあ、それなら仕方ない、とりあえず待つか」
どの道黒竜族が動き出せばその戦域はほぼ無抵抗のまま放置するしかなくなるのだ。
魔王城に直接乗り込まれれば魔王自身が応戦する必要もあろうが、そうでないなら考える必要など皆無である。
どうせ吸血族以外には足止めすらままならない。
他の上級魔族であったとしてもほとんど何も出来ないまま一方的に殺されるだけである。
無駄な戦はしないに限る。
負けると解っている戦に兵を出すのは首が絞まるだけなのだから。
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