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11章.重なる世界

#9-3.二人で歩いた旅路の終着点

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「ふうむ。どうしたものかのう」
戦場とは無縁のティーテーブル。
花畑の中心に用意されたそこには、白髪頭の中年男と、妙齢に見える、亜麻色の髪の女性が座っていた。
「何故私がこんなところにいるのか。そして、目の前にはエリーシャ女王……意味が解らんなあ」
座りながらに膝を組み、顎に手をやり考えを巡らせる。答えなど彼には浮かびようも無かった。
「魔王と戦い、虫のように殺されたところまでは覚えておるのだが……しかし、ここが死した後に訪れるというヴァルハラという奴だろうか? 神々の世界? 人々の心休まる安息の地? あるいは、楽園に見えて実は地獄なのか? ここは」
人の身である彼には、そこがどこなのか全く解らない。
目の前で静かに寝息を立てている美女は、起きる様子も無く。
だが、生前ならばためらいもなく近づくところを、何故か今、彼は椅子から立ち上がることすらできずにいた。
「やれやれ、困った物だ。生殺しか」
ため息をつきながら、肘に顔を乗せ、一行に起きる様子のないエリーシャを眺める。
美しい顔であった。傷一つない。そして穢(けが)れすら知らなさそうな、気高い顔立ち。
だが、生前抱いた劣情や欲望というものはあまり感じられず、ただ素直に『美しい』と思えてしまっていた。

「……不思議な物だ。生前あれほど求めた女だというのに。徹底的に穢して壊してしまいたいと思っていたのに、今ではそんな気にもなれん。まるで、これでは――」
「そうよ。現世で得た不必要なものは、浄化されていっている。お前達は元の、綺麗な存在へと戻るのよ」

 声がした。エリーシャのそれとも違う、高い女の声。

「――パトリオット」
「お久しぶりねデフ大司教。いいえ、もう貴方に大司教なんて地位は存在しない。このリヴィエラにおいて、生前の地位や名誉なんて何の意味も成さないもの」
薄い桃色の、四翼の翼。赤色の、遅れ髪を三つ編みに束ねた髪型。
彼が、デフが生前に見た、自身を指導しようとした天使が、再び降臨していた。
何故か、左足に不穏な色の枷をはめながら。
「これはどういう事だ、パトリオット。私は死んだはずだ。そして、私が生前行っていた事を考えれば、このような楽園は不似合いすぎる。何より、エリーシャがここにいるのは一体――」
どうやら自分の疑問に答えてくれるつもりらしいと、デフは疑問を一気に投げかけていく。
「簡単な話よ、お前は死に、エリーシャも死んだ。そうして魂だけがこのリヴィエラへと訪れ――私に捕らえられた」
そうしてシンプルな解答を返してゆくパトリオットに、デフはぎり、と歯を噛んだ。
「お前の意に反して動いた私を捕らえるのはともかく、エリーシャはお前には何の関係もないはずだが?」
「そんな事はないわ。お前とエリーシャは、私が『勇者』の魂を分割した結果生まれた、いわば同一の魂を持った存在だもの」
そんなに大した問題ではなくてよ、と、エリーシャに近づき、その亜麻色の髪を撫でてみせる。
「お前がエリーシャを渇望したのも、満たされないお前の中の魂が、残り半分の魂を求めたから。当然、半分だけでは人間は作り出せないから、残り半分は普通の人間のソレと同じになってしまっているわ。その分だけ性能は大分劣化しているけれど」
「……何を言っている。何を言っているのだ、パトリオット」
疑問に答えさせるつもりが、パトリオットはより理解の困難な、しかし突飛にも聞こえない言葉を紡ぎ始めたのだ。
デフは困惑のまま、パトリオットを見つめていた。

「私とこの女が、同一の存在であっただと? 魂が同じで、その半分が私にあると? そんな事、そんな大それた事、何故――」
「――簡単な話だわ。『勇者』本来の魂は、そのままでは必ず『ある魔王』と敵対するようにできてしまっている。私達熾天使ですら正面からでは到底叶わないその存在と、正面から殴りあえてしまえるその性能。私から見ればそんなものは、あの『魔王』がもう一人いるのと変わらないわ」
冗談じゃないもの、と、パトリオットは憎たらしげにデフの顔を見つめ、そして、エリーシャの亜麻色の髪を握り締めた。
「分割して尚、お前は魔王という存在に対し明確な敵意を抱いた。それは、魂レベルでその呼び名に対しての抵抗感、嫌悪感が刻み付けられていたから」
「だが、エリーシャは魔王と手を結んだ。貴様の言うような嫌悪感など、まるで抱いていなかったではないか」
「そうよ。お前には『勇者』としての力の大半とリアルラックが与えられていた。エリーシャは人格面で優遇を得て、代償に戦闘能力、とりわけ『魔王』を憎む事によって得られる負の力の全てを失っていた。この娘の生前の能力や成果の大半は、魂による影響ではなく、純然たる本人の努力の賜物だった、という訳ね」
お前とは違って、と、可笑しそうに笑いながら。パトリオットはエリーシャの髪を離し、その首を掴んだ。
「――まあ、それももう終わりだわ。折角二つに分けた魂だけれど、一つに戻す時がきたのです。こうして貴方だけ意識を与えてあげたのも、私の計画を潰してくれた、その一端を担った貴方に対しての罰のようなもの」
「相変わらず小物臭い天使だ。いいや、私にはお前は悪魔のように見えていた」
忌々しげに悪態をつきながらに、デフは足に力を込めようとした。
だが、やはり立てそうにない。拳にも力が入らなくなっていた。
やむなく、目を閉じる。せめてもの抵抗として。
「安心なさい。人として形成されていた余分なものがなくなれば、また『勇者』として、絶大な力を奮う事が出来る。お前は、お前が何より憎んだ『魔王』と再び戦うことが出来るわ。あの日のように、あの時こそは邪魔をされたけれど、今度は違う。全力のお前ならば、あいつを殺す事は可能なはずだわ」
役立ててあげる、と、嬉しげに口元を歪め、右手の先から光のカーテンのようなものを、エリーシャへと纏わりつかせてゆく。
「……最後の最後まで、お前という女は。どこまでも呆れた小物臭さだな」
結局お前はその程度なのか、と。
デフは最後、少しでもパトリオットが怒る様に煽ってみせ――そうして、そのまま光へと包まれていった。

 やがて、光によって束縛された二人は、そのまま細やかな粒子へと分解されてゆく。
ばらばらになった魂の欠片が、パトリオットの手によって再び結合、形を変えていった。
「リリアは倒れ、万一に備えて作っておいた分身も、ヴァルキリー相手に大分損耗してしまった。その分だけ、お前には頑張ってもらわないと、ね」
満足げに微笑みながら、光の粒子は形を成してゆく。
その過程で、さらさらと砂のようなモノが、結合できずに零れ落ち、そして風として流れていったが、パトリオットはこれには目もくれず、結合してゆく魂にのみ意識を向けていた。


「――う、くっ」
衝撃によって天空から叩き落されたヴァルキリーは、わずかばかりの間、意識を失っていた。
目の前には眩い空。変わることなきリヴィエラの風景。
「気が付いたか。よかった……」
そうして、彼女の愛しき人と同じ顔をした、わずかばかり違うその人であった。
「旦那様」
それでも、安堵したように頬を緩めているその顔が、その表情が、なんとも愛しく。
ヴァルキリーは、胸を強く締め付けられるのを感じていた。
「……申し訳ございません。パトリオットの分身と戦っていたのですが、リヴィエラもろとも破壊するつもりの攻撃を受け、相殺の代償に、見失ってしまいました」
自分とこの主のほかには、エルフィリースとアリスのみがそこに立っていた。
どうやらまだ全てが終わってはいないのだと覚り、立ち上がる。
「……ミーシャさん達は?」
この場にいないミーシャとアーティが気になっていた。
まさかリリアとの戦いで、とは思わなかったが、何かあったのではないかと考えたのだ。
「あれからエルフの姫君達が増援に来てくれてね。リリアは倒せたのだけれど、アルルさん達がまだ戦っているというので、そちらの援護に回ってもらったわ」
今いるのは私達だけ、と、エルフィリースがヴァルキリーの腕を取りながらに説明していった。
「傷だらけだわ。早く治さないと」
ぼろぼろになった身体を見つめながらに、癒しの奇跡を発動させようとする。
「待ってくれエルフィリース。そいつは、奇跡や魔法では直らんのだ」
それを止めながら、魔王はヴァルキリーの剣を手で掴み、笑った。
「……旦那様。はい。お願いいたします」
柄を持つ手を離し、自らの本体を主へと預ける。

「剣を、どうするの?」
「以前ならともかく、今の私の力で完治させる事が出来るかは解らんが――むんっ!!」
不思議そうに魔王を見上げるエルフィリース。
魔王は、王剣を手に、その場で構えて見せた。
直後、魔王の身体から溢れた莫大な量の魔力が、次々に剣へと吸い込まれてゆく。
「ぐおぉぉぉぉぉ……はぁぁぁぁっ!!!!」
構うものかと言わんばかりに、魔王は更に放出、そして、それら全てが吸い尽くされていき――腰から崩れていった。
「旦那様っ」
すぐにアリスが駆け寄るが、魔王はふらふらと頭をゆすりながら「大丈夫だ」と笑い、立ち上がる。
膝からかくかくと震えていたが、なんとか立てる様子であった。

「――ありがとうございます旦那様。おかげで、受けていた負傷の大半が完治いたしましたわ」
そうして魔王から剣を受け取ったヴァルキリーは、ほぼ無傷の、元の美しい状態に戻っていた。つやつやである。
「う、うむ……お前が負傷した事なんて、リーゼヴェヴァルド相手にボコボコにされて以来だからな。だが、回復させるだけの魔力が残っていてよかった」
にぃ、と、ごまかし気味に笑っている間に、いくばくか魔力が回復していったのか、魔王はすぐにぴん、と姿勢を直す。

「ともかく、パトリオットとかいうのが全ての黒幕らしいのは、ミーシャ姫やアーティから聞いてわかった。そいつを倒せばいいのだな?」
ズボンの汚れをぱんぱん、と、叩きながら、魔王はヴァルキリーをじ、と見る。
「はい。アレは暴走しております。叩き潰す必要があるでしょう」
小さく頷きながら、ヴァルキリーは剣を鞘に収め、主の足元へと傅(かしず)く。
「うむ、では行くか。エルフィリースとアリスちゃんは、悪いがアルルたちの方に向かってくれ。パトリオットの眼がそちらに向かないとも限らん。いざという時、あの娘達を守りきれるのは君たちをおいて他に居ないだろうからね。頼んだ」
「解ったわ。こちらは任せてちょうだい」
「旦那様のお傍で戦えないのは辛いですが……ヴァルキリーさん、後をお願いします」
寂しい事ながら、ついていっても太刀打ちできないのは、この二人にはわかってしまっていた。
ヴァルキリーですらぼろぼろになるような相手なのだ。到底叶うはずがないのだから。
「旦那様、どうぞお気をつけて」
「ヴァルキリーさん、また」
その場で別れる二人に手を振りながら、魔王は、傍に寄り沿う侍女と二人、先を進んだ。


「まるであの頃のようだ。二人、旅をして、様々な世界を目にしてきたなあ」
しばし、歩いていた。秒、分、時間、日。どれだけ過ぎたかも解らない、明るく暗く優しい世界。
眼に映る美しい癒しの光景に笑いながら、魔王はぽつり、呟く。
「――はい。この世界に来るまで、二人で過ごしていた日々を、懐かしく思います」
音も無く一歩後ろを歩く侍女は、主の言葉に目を細める。
「結局、最後はこの二人なのだ。私達の歩みはこうして始まり、そしてこうして終わる。長かった旅も、もうすぐ終わる、という事かな」
「旦那様。貴方様の旅路は、まだ始まったばかりですわ。こんなものは、長い人生の中の、ちょっとしたイベントでしかないのですから」

 戦いの気配は、間近まで迫っていた。
恐らく、パトリオットはそこにいて、最後の戦いの為の何かを仕組んでいるに違いない。
何せ、今までも様々な事を世界の裏側で画策してきた天使である。
だからこそ、魔王とヴァルキリーは頬を引き締め、互いに見つめあった。

「だが、私はお前が想った私ではないし、お前は私が愛したお前ではなくなっていた。不思議な物だな、人生というのは」
「はい。私も何せ初めての生ですので。知らない事ばかりで戸惑っておりますわ」
おっかなびっくりなのです、と、可愛らしく笑う。
「……そうだな。私も、知らない事ばかりで、毎日が楽しい。悲しい気持ちになる事も、怒りたくなる事も沢山あるが。それらも含めて、楽しいのだろう、な」
この顔があの時見られていればなあ、と、少し残念そうに、だがそんな顔が見られて嬉しくもあり、魔王は複雑に笑っていたが。

「まあ、自分の人生を翻弄し続けた黒幕との戦い、と考えると、ある程度、人生の節目のようにも感じられるから感慨深いな」

 そうして振り返り、その視線の先に待つ四翼の熾天使を、ジロリと睨みつけていた。
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