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第一章
毒入りチョコは、恋の味がする。(前編)
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高級住宅街の入り口、石畳の坂道を登りきった場所にその店はある。
看板はない。ただ、入り口の真鍮のドアノブが、磨き抜かれた宝石のように光っているだけだ。ショコラティエ『ル・プティ・パレ』。そこは、選ばれた者しか辿り着けないと言われる秘密の聖域。
「……あの、失礼します」
私が恐る恐る扉を開けると、ベルの音の代わりに、濃厚で官能的なカカオの香りが鼻腔をくすぐった。
ショーケースの奥、純白のコックコートを纏った一人の男が立っている。
累(るい)。弱冠二十五歳にして世界最高峰の賞を総なめにした天才ショコラティエだ。銀髪に近いアッシュブロンドの髪を丁寧に整え、切れ長の瞳でこちらを冷たく見下ろした。
「遅い。三分の遅刻だ、千果(ちか)」
「すみません! バスの停留所を間違えてしまって……」
「言い訳はカカオの殻と一緒に捨ててこい。僕が求めているのは正確な仕事であって、君の不器用な人生の弁明じゃない」
相変わらずの毒舌。私は縮み上がりながらも、エプロンを締め直した。
私がここで雇われているのには理由がある。私には、普通の人にはない「呪い」のような才能があった。
――食べた人の感情が、味になってわかるのだ。
幸せな人が作った料理は輝くように甘く、悲しみに暮れる人の料理は砂のように味気ない。そして、嘘を隠している人の料理は、決まって喉の奥にへばりつくような「苦み」がする。
「……累さん。今日のガナッシュ、少しだけ『焦燥感』が混じっていませんか?」
ボウルに残ったわずかなチョコを指先で舐め、私は呟いた。
累の手がピタリと止まる。彼は眉をひそめ、私を睨みつけた。
「……チッ。朝、材料の納品が少し遅れただけだ。それを拾うなと言っただろう」
「あはは、すみません。つい、はっきり出ちゃってたので」
その時、店のドアが激しく開いた。
入ってきたのは、顔色の悪い一人の女性。彼女は震える手で、小さな紙箱をカウンターに置いた。
「これ、鑑定してほしいんです。……主人の書斎に隠してあった、この店のリボンがかけられたチョコ。でも、おかしいんです。これを食べた飼い猫が、急に倒れてしまって」
累の目が、鋭く細められた。
彼は無造作に箱を開ける。中には、ル・プティ・パレの代名詞である『真紅のハート形ショコラ』が一つだけ残されていた。
「累さん、これは……」
「黙ってろ。……おい、あんた。旦那の名前は?」
「……不動産会社の専務、佐藤です。主人は愛妻家で通っています。でも、もしこれが本当に……」
累は、ピンセットでそのチョコを半分に割った。
中から流れ出したのは、とろりとした美しいキャラメルソース――。
しかし、累はそれを口に運ぼうとはしなかった。代わりに、彼は私にその破片を突き出した。
「千果、食え。犯人の『心意気』を読み取ってみろ」
「えっ!? でも、毒が入ってるかもしれないんじゃ……」
「安心しろ。死ぬほどの量は入っていない。……たぶんな」
たぶんって!
私は覚悟を決め、そのチョコを口に放り込んだ。
その瞬間。
「…………っ!!」
口の中に広がったのは、甘美なキャラメルの味ではなかった。
舌を刺すような鋭い痛み。そして、喉を焼き尽くすような、ドロドロとした黒い『憎悪』の味。
「……累さん。これ、毒だけじゃない」
私は涙目になりながら、その味の正体を絞り出した。
「この味……犯人は、奥さんを殺そうとしたんじゃない。もっと別の……もっと残酷なことを考えてる」
(後編へ続く)
看板はない。ただ、入り口の真鍮のドアノブが、磨き抜かれた宝石のように光っているだけだ。ショコラティエ『ル・プティ・パレ』。そこは、選ばれた者しか辿り着けないと言われる秘密の聖域。
「……あの、失礼します」
私が恐る恐る扉を開けると、ベルの音の代わりに、濃厚で官能的なカカオの香りが鼻腔をくすぐった。
ショーケースの奥、純白のコックコートを纏った一人の男が立っている。
累(るい)。弱冠二十五歳にして世界最高峰の賞を総なめにした天才ショコラティエだ。銀髪に近いアッシュブロンドの髪を丁寧に整え、切れ長の瞳でこちらを冷たく見下ろした。
「遅い。三分の遅刻だ、千果(ちか)」
「すみません! バスの停留所を間違えてしまって……」
「言い訳はカカオの殻と一緒に捨ててこい。僕が求めているのは正確な仕事であって、君の不器用な人生の弁明じゃない」
相変わらずの毒舌。私は縮み上がりながらも、エプロンを締め直した。
私がここで雇われているのには理由がある。私には、普通の人にはない「呪い」のような才能があった。
――食べた人の感情が、味になってわかるのだ。
幸せな人が作った料理は輝くように甘く、悲しみに暮れる人の料理は砂のように味気ない。そして、嘘を隠している人の料理は、決まって喉の奥にへばりつくような「苦み」がする。
「……累さん。今日のガナッシュ、少しだけ『焦燥感』が混じっていませんか?」
ボウルに残ったわずかなチョコを指先で舐め、私は呟いた。
累の手がピタリと止まる。彼は眉をひそめ、私を睨みつけた。
「……チッ。朝、材料の納品が少し遅れただけだ。それを拾うなと言っただろう」
「あはは、すみません。つい、はっきり出ちゃってたので」
その時、店のドアが激しく開いた。
入ってきたのは、顔色の悪い一人の女性。彼女は震える手で、小さな紙箱をカウンターに置いた。
「これ、鑑定してほしいんです。……主人の書斎に隠してあった、この店のリボンがかけられたチョコ。でも、おかしいんです。これを食べた飼い猫が、急に倒れてしまって」
累の目が、鋭く細められた。
彼は無造作に箱を開ける。中には、ル・プティ・パレの代名詞である『真紅のハート形ショコラ』が一つだけ残されていた。
「累さん、これは……」
「黙ってろ。……おい、あんた。旦那の名前は?」
「……不動産会社の専務、佐藤です。主人は愛妻家で通っています。でも、もしこれが本当に……」
累は、ピンセットでそのチョコを半分に割った。
中から流れ出したのは、とろりとした美しいキャラメルソース――。
しかし、累はそれを口に運ぼうとはしなかった。代わりに、彼は私にその破片を突き出した。
「千果、食え。犯人の『心意気』を読み取ってみろ」
「えっ!? でも、毒が入ってるかもしれないんじゃ……」
「安心しろ。死ぬほどの量は入っていない。……たぶんな」
たぶんって!
私は覚悟を決め、そのチョコを口に放り込んだ。
その瞬間。
「…………っ!!」
口の中に広がったのは、甘美なキャラメルの味ではなかった。
舌を刺すような鋭い痛み。そして、喉を焼き尽くすような、ドロドロとした黒い『憎悪』の味。
「……累さん。これ、毒だけじゃない」
私は涙目になりながら、その味の正体を絞り出した。
「この味……犯人は、奥さんを殺そうとしたんじゃない。もっと別の……もっと残酷なことを考えてる」
(後編へ続く)
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