6 / 6
第三章
王妃のレシピと、百年の孤独(中編)
しおりを挟む
エストヴァニア王国。霧深い山々に囲まれたその国は、まるで時間が止まったかのような静謐さに包まれていた。
私と累(るい)が連れてこられたのは、切り立った崖の上に建つ『忘却の城(シャトー・ド・レテ)』。かつて処刑された王妃マリアが、最期の三ヶ月を過ごしたとされる離宮だ。
「……寒い。累さん、ここ、空気が凍ってるみたいです」
私は厚手のコートの襟を立て、累の背中を追った。
「当然だ。百年間、誰もこの場所の『呪い』を解けなかったんだからな」
累は手にしたレシピの断片を見つめ、忌々しそうに吐き捨てた。
レシピには、伝説のショコラ『マリアの涙』を完成させるための最後の材料が、隠喩で記されていた。
『――純潔なる銀の滴。それは、月が最も高く昇る夜、孤独な鳥の歌声と共に、秘密の庭園で実を結ぶ。』
「秘密の庭園……。そんな場所、どこにあるの?」
私が周囲を見渡した、その時だった。
「……その場所なら、私が知っています」
冷たい風に乗って、鈴を転がすような、けれどどこか寂しげな声が聞こえてきた。
崩れかけた石壁の影から現れたのは、一人の少女だった。
ボロボロの古いケープを羽織り、泥で汚れたブーツを履いている。けれど、そのフードの奥からのぞく瞳は、この世のものとは思えないほど深く、美しい碧色(サファイア)をしていた。
「君は、誰だ?」
累が警戒して私の前に出る。少女は自らを「アリア」と名乗り、城の掃除や手伝いをしている孤児だと語った。
「私は、この城の隅々まで知っています。……貴方たちは、王妃様のショコラを作りに来たのでしょう? でも、気をつけて。あのレシピには、人の心を壊す毒が混じっている」
私は、彼女が近づいてきた瞬間、鼻を突くような「冷徹な孤独」と、その奥に隠された「燃えるような誇り」の味を感じ取った。
(……変。この子、ただの孤児じゃない。この味……さっきの羊皮紙と同じ、王族の気高さが混じってる!)
「案内して、アリアちゃん。私たちには時間がないの」
私の言葉に、アリアは少しだけ驚いたように目を見開いたが、黙って頷き、迷路のような城の回廊を突き進んでいった。
辿り着いたのは、城の最下層にある、地下庭園。
そこには、太陽の光が一切届かないはずなのに、青白く光る奇妙な果実が実る木が一本だけ立っていた。
「これ……カカオの木? でも、色が……」
「『月の銀果』。王妃マリアが、自らの涙を肥料にして育てたと伝えられる、幻のカカオです」
アリアはそう言って、一粒の果実を累に手渡した。
その時、庭園の入り口から激しい足音が響き、大使とは別の、武装した近衛兵たちがなだれ込んできた。
「見つけたぞ! 反乱分子の生き残り、マリアの血を引く忌まわしき娘め!」
兵士たちの狙いは、累でもレシピでもなく、私たちの前にいる少女・アリアだった。
「アリア、君、まさか……!」
累が叫ぶ。アリアは隠していた背筋をピンと伸ばし、ケープを脱ぎ捨てた。
その下から現れたのは、泥にまみれてはいるが、王家の紋章が刻まれたペンダント。
「私は、エストヴァニア王国第一王女、アリアンナ・ド・マリア。……ショコラティエ、私の命はどうなっても構わない。けれど、この『銀の滴』を使い、王妃の真実を証明して。彼女は国を売った悪女などではなく、ただ……我が子を愛した、一人の母親だったということを!」
兵士たちが銃を構える。累はアリアの手からカカオをもぎ取ると、不敵な笑みを浮かべた。
「……おい千果。このカカオ、お前の舌にはどう映る?」
私はアリアの手を引き寄せ、彼女の指先に触れた。
「……わかります。この味は、憎しみじゃない。……百年経っても消えない、究極の『自己犠牲』の味。アリアさん、貴女の命は渡さない。累さんのショコラが、この国の歴史を……凍りついた時間を、溶かしてみせますから!」
累の目が、かつてないほど鋭く輝く。
「千果、準備しろ。……今夜、この古城で、世界で最も『危険で甘い』革命を始めるぞ」
(後編へ続く)
私と累(るい)が連れてこられたのは、切り立った崖の上に建つ『忘却の城(シャトー・ド・レテ)』。かつて処刑された王妃マリアが、最期の三ヶ月を過ごしたとされる離宮だ。
「……寒い。累さん、ここ、空気が凍ってるみたいです」
私は厚手のコートの襟を立て、累の背中を追った。
「当然だ。百年間、誰もこの場所の『呪い』を解けなかったんだからな」
累は手にしたレシピの断片を見つめ、忌々しそうに吐き捨てた。
レシピには、伝説のショコラ『マリアの涙』を完成させるための最後の材料が、隠喩で記されていた。
『――純潔なる銀の滴。それは、月が最も高く昇る夜、孤独な鳥の歌声と共に、秘密の庭園で実を結ぶ。』
「秘密の庭園……。そんな場所、どこにあるの?」
私が周囲を見渡した、その時だった。
「……その場所なら、私が知っています」
冷たい風に乗って、鈴を転がすような、けれどどこか寂しげな声が聞こえてきた。
崩れかけた石壁の影から現れたのは、一人の少女だった。
ボロボロの古いケープを羽織り、泥で汚れたブーツを履いている。けれど、そのフードの奥からのぞく瞳は、この世のものとは思えないほど深く、美しい碧色(サファイア)をしていた。
「君は、誰だ?」
累が警戒して私の前に出る。少女は自らを「アリア」と名乗り、城の掃除や手伝いをしている孤児だと語った。
「私は、この城の隅々まで知っています。……貴方たちは、王妃様のショコラを作りに来たのでしょう? でも、気をつけて。あのレシピには、人の心を壊す毒が混じっている」
私は、彼女が近づいてきた瞬間、鼻を突くような「冷徹な孤独」と、その奥に隠された「燃えるような誇り」の味を感じ取った。
(……変。この子、ただの孤児じゃない。この味……さっきの羊皮紙と同じ、王族の気高さが混じってる!)
「案内して、アリアちゃん。私たちには時間がないの」
私の言葉に、アリアは少しだけ驚いたように目を見開いたが、黙って頷き、迷路のような城の回廊を突き進んでいった。
辿り着いたのは、城の最下層にある、地下庭園。
そこには、太陽の光が一切届かないはずなのに、青白く光る奇妙な果実が実る木が一本だけ立っていた。
「これ……カカオの木? でも、色が……」
「『月の銀果』。王妃マリアが、自らの涙を肥料にして育てたと伝えられる、幻のカカオです」
アリアはそう言って、一粒の果実を累に手渡した。
その時、庭園の入り口から激しい足音が響き、大使とは別の、武装した近衛兵たちがなだれ込んできた。
「見つけたぞ! 反乱分子の生き残り、マリアの血を引く忌まわしき娘め!」
兵士たちの狙いは、累でもレシピでもなく、私たちの前にいる少女・アリアだった。
「アリア、君、まさか……!」
累が叫ぶ。アリアは隠していた背筋をピンと伸ばし、ケープを脱ぎ捨てた。
その下から現れたのは、泥にまみれてはいるが、王家の紋章が刻まれたペンダント。
「私は、エストヴァニア王国第一王女、アリアンナ・ド・マリア。……ショコラティエ、私の命はどうなっても構わない。けれど、この『銀の滴』を使い、王妃の真実を証明して。彼女は国を売った悪女などではなく、ただ……我が子を愛した、一人の母親だったということを!」
兵士たちが銃を構える。累はアリアの手からカカオをもぎ取ると、不敵な笑みを浮かべた。
「……おい千果。このカカオ、お前の舌にはどう映る?」
私はアリアの手を引き寄せ、彼女の指先に触れた。
「……わかります。この味は、憎しみじゃない。……百年経っても消えない、究極の『自己犠牲』の味。アリアさん、貴女の命は渡さない。累さんのショコラが、この国の歴史を……凍りついた時間を、溶かしてみせますから!」
累の目が、かつてないほど鋭く輝く。
「千果、準備しろ。……今夜、この古城で、世界で最も『危険で甘い』革命を始めるぞ」
(後編へ続く)
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
お前は要らない、ですか。そうですか、分かりました。では私は去りますね。あ、私、こう見えても人気があるので、次の相手もすぐに見つかりますよ。
四季
恋愛
お前は要らない、ですか。
そうですか、分かりました。
では私は去りますね。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる