毒入りチョコは、恋の味がする。

ショコラ・ド・ホームズ

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第三章

王妃のレシピと、百年の孤独(中編)

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エストヴァニア王国。霧深い山々に囲まれたその国は、まるで時間が止まったかのような静謐さに包まれていた。

 私と累(るい)が連れてこられたのは、切り立った崖の上に建つ『忘却の城(シャトー・ド・レテ)』。かつて処刑された王妃マリアが、最期の三ヶ月を過ごしたとされる離宮だ。

「……寒い。累さん、ここ、空気が凍ってるみたいです」

 私は厚手のコートの襟を立て、累の背中を追った。

「当然だ。百年間、誰もこの場所の『呪い』を解けなかったんだからな」

 累は手にしたレシピの断片を見つめ、忌々しそうに吐き捨てた。

 レシピには、伝説のショコラ『マリアの涙』を完成させるための最後の材料が、隠喩で記されていた。

『――純潔なる銀の滴。それは、月が最も高く昇る夜、孤独な鳥の歌声と共に、秘密の庭園で実を結ぶ。』

「秘密の庭園……。そんな場所、どこにあるの?」

 私が周囲を見渡した、その時だった。

「……その場所なら、私が知っています」

 冷たい風に乗って、鈴を転がすような、けれどどこか寂しげな声が聞こえてきた。

 崩れかけた石壁の影から現れたのは、一人の少女だった。

 ボロボロの古いケープを羽織り、泥で汚れたブーツを履いている。けれど、そのフードの奥からのぞく瞳は、この世のものとは思えないほど深く、美しい碧色(サファイア)をしていた。

「君は、誰だ?」

 累が警戒して私の前に出る。少女は自らを「アリア」と名乗り、城の掃除や手伝いをしている孤児だと語った。

「私は、この城の隅々まで知っています。……貴方たちは、王妃様のショコラを作りに来たのでしょう? でも、気をつけて。あのレシピには、人の心を壊す毒が混じっている」

 私は、彼女が近づいてきた瞬間、鼻を突くような「冷徹な孤独」と、その奥に隠された「燃えるような誇り」の味を感じ取った。

(……変。この子、ただの孤児じゃない。この味……さっきの羊皮紙と同じ、王族の気高さが混じってる!)

「案内して、アリアちゃん。私たちには時間がないの」

 私の言葉に、アリアは少しだけ驚いたように目を見開いたが、黙って頷き、迷路のような城の回廊を突き進んでいった。

 辿り着いたのは、城の最下層にある、地下庭園。

 そこには、太陽の光が一切届かないはずなのに、青白く光る奇妙な果実が実る木が一本だけ立っていた。

「これ……カカオの木? でも、色が……」

「『月の銀果』。王妃マリアが、自らの涙を肥料にして育てたと伝えられる、幻のカカオです」

 アリアはそう言って、一粒の果実を累に手渡した。

 その時、庭園の入り口から激しい足音が響き、大使とは別の、武装した近衛兵たちがなだれ込んできた。

「見つけたぞ! 反乱分子の生き残り、マリアの血を引く忌まわしき娘め!」

 兵士たちの狙いは、累でもレシピでもなく、私たちの前にいる少女・アリアだった。

「アリア、君、まさか……!」

 累が叫ぶ。アリアは隠していた背筋をピンと伸ばし、ケープを脱ぎ捨てた。

 その下から現れたのは、泥にまみれてはいるが、王家の紋章が刻まれたペンダント。

「私は、エストヴァニア王国第一王女、アリアンナ・ド・マリア。……ショコラティエ、私の命はどうなっても構わない。けれど、この『銀の滴』を使い、王妃の真実を証明して。彼女は国を売った悪女などではなく、ただ……我が子を愛した、一人の母親だったということを!」

 兵士たちが銃を構える。累はアリアの手からカカオをもぎ取ると、不敵な笑みを浮かべた。

「……おい千果。このカカオ、お前の舌にはどう映る?」

 私はアリアの手を引き寄せ、彼女の指先に触れた。

「……わかります。この味は、憎しみじゃない。……百年経っても消えない、究極の『自己犠牲』の味。アリアさん、貴女の命は渡さない。累さんのショコラが、この国の歴史を……凍りついた時間を、溶かしてみせますから!」

 累の目が、かつてないほど鋭く輝く。

「千果、準備しろ。……今夜、この古城で、世界で最も『危険で甘い』革命を始めるぞ」

(後編へ続く)
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