上 下
37 / 38
第四片 明らかになる真実

第四片 明らかになる真実 10

しおりを挟む
 そうか、みずきが……。
 カリンの胸を、あたたかいものが満たしていく。
(まったく……いずれ殺さなくちゃいけない相手なのに……)
 嗚咽が漏れた。
 ありがとう。彼女を――央霞を、ここによこしてくれて。
 その央霞は、カリンと陽平を庇うようにしてモルガルデンと対峙している。
 風を受け、燃えさかる炎のように黒髪がなびく。
 その背中は、この上なく頼もしいものとしてカリンの目に焼きついた。
「はしゃいでいるな」
 央霞は感情を抑えた声で、モルガルデンに言った。
「勝負の日までは大人しくしていろと言ったはずだが」
「身内の不始末を処理してただけだ。テメェにゃ関係ねえよ」
 モルガルデンは嘲るように返す。
「それとも、ソイツが内通者だと認めるかい? それならいちおう、こっちが休戦協定を破ったことになるだろうよ」
「ふざけたことを。あちこち破壊し、無関係の人間を大勢巻き込んだろう」
「だってソイツが逃げるからよゥ」
「……そうか」
 なにかを断念したように、央霞は息をついた。
「そんなことより、わざわざ出てきたってことは、ここでやり合うつもりなのかい? 聞いてた話よかちとはええが、傷はちゃんと治ってんだろうな、アァ?」
「問題ない。自分の身体の状態は、常に正しく把握している」
 そう言うと、央霞は羽織っていた上着を脱ぎ、足許に落とした。
「そいつァよかった――って、テメェ丸腰じゃあねえか」
「それが?」
 周囲の気温が二度ばかり下がった――少なくともカリンには、そう感じられた。
 カリンたちの側からは見えないが、おそらく央霞は瞳に静かな、しかし激しい怒りをたたえ、モルガルデンを睨み据えているのだろう。
 思い浮かべるだけで背筋が凍る。
 そんなもの・・を、真正面から受けとめてヘラヘラ笑っていられるモルガルデンは、よほどの阿呆か、さもなくば央霞にも匹敵する化物だ。
「わかったわかった。そんじゃ、まずは素手にて仕るとしようかい」
 モルガルデンの両手から武器がかき消えた。使い魔を刺青にもどしたのだ。
 岩石のような拳を打ち合わせ、ニヤリと歯を剥く――次の瞬間。
 武器と同様に、モルガルデンの姿が消滅した。
 現れたのは、央霞の眼前。腕を振りかぶり、立て続けに拳を繰り出す。
 攻撃をガードしながら、央霞は一度だけ、カリンたちに視線を送った。
「離れていろ」
 そう言われても、すぐには動けない。
 央霞は、右ストレートをダッキングでかわすと、その腕とモルガルデンの襟許をつかみ、身体を反転させた。
 豪快な背負い投げ。モルガルデンの巨体が、空の彼方へ飛んでいく。
 間髪をおかず、央霞はその後を追った。
「逃げよう……いまのうちに……」
 カリンは陽平に声をかける。だが、少年はぶんぶんと首を振った。
「逃げない」
 驚くカリンに、陽平は大丈夫だ、というように笑いかけた。
「央姉は、離れていろとは言ったけど、逃げろとは言わなかった」
「それって……」
 カリンは、央霞の走っていったほうへと視線を向けた。
 陽平がうなずく。
「央姉は勝つよ。だから、逃げる必要なんてない」


 モルガルデンが着地点で待ち構えていると、すぐに央霞は現れた。
 常人離れした脚力は、モルガルデンをして目を瞠るほどのものだった。
 駆けつけた勢いのまま、央霞が殴りかかってくる。
 けれん味も小細工も一切ない、真っ正直なストレート。面白い。モルガルデンは、それを正面から迎撃した。
 鏡合わせのように、まったくおなじ姿勢から。
 繰り出される拳と拳。ぶつかり合い、心地よい衝撃が腕から肩、全身へと伝わる。
「すこし痺れたか」
 カリンは、右手を何度か握ったりひらいたりした。
「へっ。いいねえ」
 久しくなかった強敵との戦いに、モルガルデンは昂ぶっていた。
 全身の細胞が、喜びに打ち震えているのを感じる。気力が充実し、神経も研ぎ澄まされている。いまなら、どんなにわずかな隙も見逃さない自信があった。
 相手がやる気満々なのもたまらない。これがカリンを痛めつけたことへの怒りによるものだとしたら、その甲斐があったというものだ。
 タタン、と素早く左右にステップ。身体が羽根のように軽い。央霞が息を吐いた瞬間に、予備動作なしに突っ込む。連続の突き。拳速は音の壁を超え、空気を破裂させる。
 央霞はまともに受けず、横に払っていなした。肘が飛んでくる――防御動作に組み込まれた流麗なる反撃。防ぐ。さらに掌打がくる。モルガルデンは地を蹴った。 遅い! 遅い! 遅い! そのまま背後にまわり込む。
 側頭部を狙って蹴りを放った。振り向きもせず、央霞は身を沈めてかわす。後方への足払い。モルガルデンは再度地を蹴る。
「ハッハァ!」
 自分の声を置き去りにするほどの速度で駆ける。央霞は目で追うのがやっとのようすだ。
「ついてこらんねえか? オレには、カリンみてえな完全な飛行能力はねえが、そのかわり地上での機動力なら誰にも負けねえ!」
 央霞の周囲を高速で駆けまわりながら、死角から拳と蹴りを叩き込む。
 はじめのうち、モルガルデンの攻撃を何発かしのぐごとに、央霞は反撃を試みていたが、攻防が長引くにつれ、徐々にその回数は減っていった。
 ここが勝負時と、モルガルデンはさらに激しく攻めたてる。
 そしてついに、央霞は完全に守勢にまわった。ガードをかいくぐった拳が数発。腹部を捉え、身体が宙に浮く。
「もらった!」
 とどめの一撃を加えるべく、モルガルデンは再度、央霞の背後を取ろうとする。
 そこで突然、目の前に手が現れた。
「な……ッ!?」
 とっさのことで、かわすことができない。
 モルガルデンの顔面を、その手がはっしと受けとめた。まるで、飛んできたハエをつかまえでもするように。
 勢い余って前に出た両脚が、虚しく宙を掻く。
 そのまま、後頭部から地面に叩きつけられた。
「な……え……?」
 モルガルデンは目を瞬かせた。
 なにが起きた? 央霞か? だが、いまのいままで、奴は……。
「立てるか?」
 央霞が、こちらを見おろしながら訊ねる。
「お……おう」
 多少頭がぐらぐらしたが、思ったよりダメージは小さい。それよりも、戸惑いのほうが勝っていた。
「よし」――央霞がうなずく。
 同時に、下腹部に拳が突き刺さった。足が浮き、身体がくの字に折れ曲がる。たまらず、モルガルデンは逆流した胃液を吐き散らした。
「!? !?」
「今度はどうだ?」
 央霞がまた訊ねる。
 モルガルデンは、呻き声をあげながら、芋虫のようにのたうつばかりだった。
 絶好のチャンスにも関わらず、央霞は追い討ちをかけてこなかった。どうやら、こちらが落ち着くのを待っているらしい。
(……クソが! 舐めやがって! 余裕ブッこきやがって! 許さねえッ! ぜってー後悔させてやるッ!)
 呼吸を整えるや、モルガルデンは跳ね起きた。そのまま、油断している央霞の顔面に拳を突き出す――が、それよりも速く、央霞の踵が肩に落ちてきた。
「デェッ!?」
 衝撃に耐えきれず、膝が崩れた。
 ふたたび地面に這いつくばったモルガルデンは、信じられない思いで央霞を見あげた。
 なんなのだ、コイツは。なんだというのだ。
「いちおう急所は外しているんだが。やはり、手加減は難しいな」
「ヒィ……ッ」
 モルガルデンはうつ伏せのまま身体の向きを変え、距離を取ろうとした。
 央霞は、ゆっくりと後を追ってくる。
「クッソォォオ! なんなんだテメェはッ!!」
《ファシュブ》を大剣に変え、振り向きざまに斬りつける。
 央霞は右手を持ちあげると、手首のスナップを利かせて剣を弾いた。
 こつん、と、まるでいたずらした子供の額を小突くような、実に何気ないしぐさで。
 さらに央霞は、大きく一歩踏み込み、逆の手を引く。若干のひねりを加えながら前へ。
 また、身体が浮いた。脇腹に、拳大のくぼみが出来ている。肋骨が何本か粉砕されたのがわかった。
 声もなく吹っ飛ぶ。地面に顔を擦る。弾む。何度も弾む。途中、なにかに激突した。それでも勢いは止まらない。転がる。手をのばす。なんでもいい。なにかをつかんで止まらないと……。指を曲げ、地面をひっかいた。なおもまだ、勢いに身体をひきずられる。
「オオオオオオオオオオッ!」
 叫んだ。力いっぱい爪をたて、ようやく停止する。いったいどのくらい飛ばされたのか。信じがたいパワーだ。オーガだと? いやいやいや。これは、そんなもの遥かに超えている。
「なんだ、素手で戦うのはもう終わりか?」
 すぐ上で声がした。おそるおそる顔をあげると、腰に手をあてた姿勢で央霞が立っていた。
 それならそうと教えてくれないと――などと、彼女はぶつくさ言っている。
「お前だけ武器を持ってるのに、こっちは素手とか、フェアじゃないだろう。――あ、いや。むしろそのほうが対等な条件に近づくのかな?」
「なにを……言ってやがる……」
 混乱するモルガルデンに向かって、央霞はさらに意味不明な言葉を吐いてよこした。
「言い忘れていたがな。私は、武器を持ったほうが弱いんだ」


 道端に腰をおろし、カリンは流れる雲を眺めていた。
 その左手を、陽平が握ってくれている。
「逃げないとか言ってごめん」
 申し訳なさそうに、少年は言った。
「それよか、病院だったよね」
「平気よ。休んだら、楽になったから」
 硬化させた皮膚で傷を塞ぐことで、止血はできている。失った体力も、だいぶもどってきていた。
「本当に大丈夫?」
「もう。心配性ね」
 かつて弟や妹たちにそうしたように、右手をのばして陽平の髪をなでる。クセのない、柔らかな髪。
 央霞の心配はしていなかった。陽平の言葉もあったが、なによりカリン自身が、央霞の負ける姿を想像できなかった。
 それでも、道の向こうから央霞の姿がもどってくるのが見えたときは、すこしほっとした。
 央霞は、気絶したモルガルデンの襟首をつかんで引き摺っていた。央霞自身は、特に大きな怪我をしているようすもない。
 圧勝――だったのか。
 半ばわかっていたことであっても、背筋に冷たいものが走った。
 彼女に笑いかけるとき、顔がひきつりはしないかとヒヤヒヤした。
「コイツはどうする?」
 モルガルデンを持ちあげて、央霞が訊ねる。
 ここに捨てていってもいいのだが、しつこく付け狙われても厄介だ。
「わたくしが連れて帰りますわ」
 気取った声音とともに、白衣の美女がカリンたちのそばに降り立った。
「お前は、たしか……」
 央霞が顔をしかめる。
「わたくし、覇王ヘリデ・マイテの末裔にしてアビエントラントの騎士、アルメリア・デ・ヘルメリアと申します」
「む。あるめりあで、へ…………そうか」
「いま、なにかを途中であきらめたように聞こえたのですけれど、気のせいかしら?」
 央霞とのやりとりで、アルメリアに戦う気がないとわかり、カリンは緊張を解いた。
「まったく。単独で暴走したあげく、いつのまにか負けているなんて、不様という他ありませんわね」
「前にもそんな人がいたような……」
「なにかおっしゃいましたか?」
「い、いーえ。なにも」
 にこやかな笑顔で訊ねられ、カリンは慌てて否定した。
「今回のこと、謝罪いたしますわ」
 アルメリアは、モルガルデンを肩に担ぐと、央霞に向かって頭を下げた。
「それと感謝も。このお馬鹿の暴走を止め、もうひとりのお馬鹿を助けて頂きましたこと……」
「えっ」
 カリンは目を丸くした。まさか彼女の口から、そんな言葉が出るとは思わなかったのだ。
「カリンさん。あなたも、こんなつまらないところでくたばるなんて許しませんわよ。あなたは、わたくしの……その……好敵手なんですからっ」
 早口でそう言うと、アルメリアはカリンに背を向けた。
 ゆるく波打つ金髪を割って、コウモリの羽根が現れる。
 カリンは声をかけようとしたが、アルメリアはまるで逃げるように、建物の屋根の上を飛び去っていった。
 カリンよりも長いその耳が、赤く染まっていたように見えたのは気のせいだろうか。
「なんなの、アイツは……」
 アルメリアの姿はもう見えない。裏切ったわけではないのだと、せめてひと言伝えたかったのだが。
 いまとなっては、綾女の部屋で文句を言い合ってすごした日々が懐かしい。現金なものだ。あのエリート騎士のことを、あれほど毛嫌いしていたというのに。
「カリン姉ちゃん」
 陽平が、カリンの袖をひっぱった。
「もどっておいでよ」
「でも……」
「私からも頼む」
 央霞が言った。
「弟を、誰かがそばで見ていてくれれば、安心できる」
「いいの? どうしてもあなたを倒せないとなったら、彼を人質に取るかもしれないわよ」
「そのときはそのときだ。だが、いまはまだ、自力でなんとかするつもりなんだろう?」
「まあね」
 カリンは苦笑した。
 どうしてこうも見透かされてしまうのだろう。そして、それがあまり不快ではない。
「そうだ! みずきに、あなたが《欠片の保有者》かどうか、たしかめるよう頼まれてたんだわ」
「みずきに?」
「ええと、どうしようか。とりあえず、さわってみてもいい?」
「構わないが……」
 央霞は、どこを? という顔をした。そんなことを訊かれても、カリンにもよくわからない。
「か、欠片のありそうなとこ?」
「となると、心臓だろうか」
 央霞はシャツの胸許をはだけさせた。
「ちょ、ちょっと!」
「誰かに見られたらどうすんだよ!」
 あまりに躊躇がなさすぎて、かえってカリンや陽平のほうが狼狽えてしまう。
 なるべく乳房にはふれないようにして、カリンは央霞の胸に手をあてた。
(やばい。これ、余計に意識しちゃう……)
 集中しなければ。カリンは目をとじ、央霞から感じられるアルマミトラの気配だけに神経を向けた。
 おなじ《欠片の保有者》であっても、発せられる気配は一人ひとり微妙に異なる。
 いまは山茶花や千姫もそばにいることが多いため、彼女たちの気配も多少混じっているが、やはりもっとも強く感じられるのは、カリンが《こちら側》にやってきて最初に感知した、みずきの気配だった。
「どうだ?」
「うん……あなたは、ちがうと思う」
「そうか」
 央霞の表情からは、ほっとしているとも、残念に思っているとも取れなかった。
「まあ、みずきは喜ぶか」
「知ってたの?」
「アイツの考えそうなことくらいわかる」
「あー……そーですか」
 しれっとのろけられ、カリンはげんなりした。
 そうだった。央霞はこういうことを平気で言える奴だ。

 本当に、こんな調子で、自分の入り込む余地なんてあるのだろうか。

 そこまで考えて、ハッと我に返る。
(な、なに!? 私、なにを――そんなんじゃないから! そんなんじゃ……そ、そうだ。これはアルマミトラの力のせい! 《保有者》同士が惹かれあう……って、央霞が《保有者》じゃないなら、その理屈はおかしいじゃない!)
 カリンは、身もだえしながら自分の頭を掻き毟った。
 桜ヶ丘姉弟が、不思議そうにそのようすを眺めていた。
しおりを挟む

処理中です...