家守

さら坊

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残影と奇跡

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 次の日も、僕は放心状態だった。今日は、デカぶつに近づいていないようだ。

 ヤモちゃんの様子は刻一刻と悪化しており、とうとう出てくる水が淀んでしまう程になっていた。
 いつもだったら濾過機能が働いて無色透明な液体も、今はどこか赤黒く濁っている。今日は生活水を近くの川などで賄わなくてはならないかもしれない。

 僕は鳥が置いていった枝を眺めながら考えていた。

 この枝を接ぎ木すれば、ヤモちゃんの中にあのデカぶつの成分が入り込み、ヤモちゃんは一種の帰巣本能によりまっすぐデカぶつの方へと向かうのだそうだ。
 同時に、それまでは期限付きの防衛本能で病の進行も食い止められ、今の状態を保ってデカぶつにまでたどり着けるという。

 
 思えば、ヤモちゃんには何度も助けてもらった気がする。

 寂しくなったとき、ヤモちゃんは部屋の中に小さな花を咲かせてみせた。花びらは白く、中心は綺麗な薄黄色をしていていい匂いがしていた。
 眠れないとき、ヤモちゃんは家全体を心地よく揺らしてみせた。それがただ適当に移動していただけ、といわれればそれまでだとしても、僕にとってヤモちゃんの生む振動は安眠のお供みたいなものだった。
 周囲と境遇を比べて何もかもが嫌になったとき、ヤモちゃんは家全体に日光を入れてみせた。

 これらの全てが意識のない偶然だったとしても、僕はその都度ヤモちゃんのことが好きになっていたのだから、救われていたといっても過言ではないと思う。

「今度は、僕が恩返しするから。今までありがとうね」

 僕は室内にあるヤモちゃんの細枝を彫刻刀で切り落とし、そこに接ぎ木をした。
 これで、良かったんだ。僕にとってヤモちゃんは家族の一員。最後に残った家族なんだ。たとえ離ればなれになるとしても、失うよりはよっぽどましさ。
 僕はこみ上げるものを押し殺すためにうつ伏せになって横になった。
 こんなに調子が悪いはずのヤモちゃんの床からは、以前と変わらない優しい木の匂いがした。

 接ぎ木をして小一時間が経ったと思われる頃、ヤモちゃんはある方向に動き出した。


 その晩、僕は夢を見た。両親の夢だった。

 二人が棘だらけの植物に包まれ、傷だらけになりながら佇んでいた。
 その姿はどこかその棘に抗って振りほどこうとしているようにも見える。

「おとう、おかあ! それ、どうしたんだよう。今、そっち行くから」
 僕は何も無い空間から二人の元に駆け寄り、その棘をかき分けた。

「ダメ、触るんじゃないよ」母の柔らかい声が耳に響く。
「俺たちは大丈夫だ。だからお願いだ、離れておくれ」父の力強く、それでいて優しい声が僕の頭上に鳴り響いた。

 それでも二人の言葉を無視して、僕はがむしゃらに手を動かした。僕の手はいつの間にか血まみれになっていた。

「今度こそ、僕が守るんだ。こんなに大きくなったんだから、次は僕が助ける番なんだ」

 これは心の中から出た本音だった。
 父と母を失ったとき、僕はその現場にいなかった。だからといって当時現場にいたところで特になにかできたか、と言われるとそれはわからない。むしろ幼かった自分が迷惑をかけてしまったかもしれない。
 それでも。今は目の前に苦しんでいる二人がいる。この手で助けられる。それがなにより嬉しかった。

 そんな僕を見てか、二人が同時に身をよじって茨を無理矢理かいくぐろうとした。身体には更に棘が刺さり、傷がどんどん深くなっている。

「ダメだよ、二人とも。二人は動いちゃダメだ。もう少し、もう少しでそっちまでいけるから」
 僕が泣きながら止めても、二人はボロボロの身体で僕に近づき、切り傷と出血が激しい手で僕を引き寄せ、抱きしめた。
 二人の胸に頭を埋めた瞬間、僕たちの周りから茨は無くなっていた。

「大丈夫。あんなのに母さんたち、負けないからね」
「ああ、俺たちはいつでもお前の近くにいるさ」
 頭上から懐かしい声が僕を包んだ。僕の涙腺はとっくに壊れきっていた。いつぶりか分からないほど嗚咽混じりに泣きじゃくった。

 久しぶりに会ったんだ、自分はこんなに成長したんだよ、ということを伝えたかったはずなのに、結局彼らに最後に見せるのはあのときとなんら変わらない姿になってしまった。


 涙ぐんだ目を開けると、いつの間にか夜は明けていた。日差しといい外から聞こえる音といい、そのどれもが気持ちのいい朝だった。
 気のせいか、ヤモちゃんの中は両親がいたあのときの匂いで満たされていた気がした。

 起きてすぐ、僕の肺には澄んだ空気が送られた。その瞬間、僕はヤモちゃんの調子が戻ったことを悟った。
 ヤモちゃんの病気は、信じられないほどすっきりと治った。これは当然異例も異例なようで、デカぶつ側からも何通も手紙が来る始末だった。
 
「病気関係なく、我々のシステムの改善に協力していただけませんか」だとか、
「お渡しできる金額がもっと増えたのでどうか」だとか。
 あまりにもしつこかったので、しばらくは郵便受けとり拒否の意味を込めた鳥避けのお香を焚いた。

 後から僕と同じような旧型の家に住んでいた人に聞いた話だと、あの病気はいわゆる"マッチポンプ"のようなものだったそうだ。
 デカぶつが強力な病原菌を指定の家に感染させ、大元で治す代わりにそれらを取り込み、その家の持っているいい特徴もろとも吸収する。
 全ては、デカぶつの遺伝子を進化させるための、自作自演だったというわけだ。

 教えてくれた人の家は防音設計が非常に優れていたらしい。どうやら壁が二重になっており、その間に流動性の低いゲルのようなものが入っていることでその防音を可能としていたのだとか。
 彼女の家もヤモちゃんと同じく病気にかかり、彼女はそのまま接ぎ木をしてデカぶつの一部となることを了承した。
 そこまでは良かったのだが、彼女の家が取り込まれた数週間後、そのデカぶつの口コミでこんなものが広まったという。

「最近あそこの部屋は騒音が全く聞こえなくなって快適」
「設備投資を行ったらしく、防音設備が向上したことで室数も増えたらしい」
「隣の人、毎晩五月蠅かったのよ。これで解決だわ」

 彼女もたまたまだろう、だとか取り込まれたのだからそういうことがあっても不思議ではない、と思っていたらしいが「元々住んでいた人は住むことができないからお金で勘弁してください」という内容を聞いて怪しく感じ、他の人の名義でデカぶつの中に入り込むと、その仕様は彼女の家のそっくりそのまんまだったのだという。
 当然壁の仕様だから他の人はさっぱり分からない程の特徴だったが、彼女も僕と同じく家を愛していた人間だったからこそ、彼女の家がいいように利用されてることに気付いたのだろう。

 その後で彼女は探偵を雇い、自分と同じような境遇の人を調べて何人かのケースで確かめたところ、どれも例外なくこのような事態になっていたらしい。

 彼女は、あのデカぶつが欲しかったのはヤモちゃんの材質だったのだろうと言っていた。
 ヤモちゃんの材質はその人も羨ましがるようなもので、その上中々見たことがないほどに貴重で上品なものでもあるという。だからこそあちらはなんとしてでも欲しがったのではないか、と話していた。

 なんとも腹の立つ話だが、同時に僕は少し誇らしくもなった。

 あのデカぶつの作り出した病原菌に、ヤモちゃんは一人で勝ったのだ。正確には三人で、かもしれないが。
 家の中心に寝転びながら、僕は満面の笑みを浮かべていた。

「ヤモちゃん、おとう、おかあ。何から何までありがとう。僕、頑張るから。これからも見ててよ」

 そう言うと僕は「ほっ」と軽やかに身体を起こし、彫刻刀を握った。

 次は―――二人組の人間でも彫ろうかな。
 次の日も、僕は放心状態だった。今日は、デカぶつに近づいていないようだ。

 ヤモちゃんの様子は刻一刻と悪化しており、とうとう出てくる水が淀んでしまう程になっていた。
 いつもだったら濾過機能が働いて無色透明な液体も、今はどこか赤黒く濁っている。今日は生活水を近くの川などで賄わなくてはならないかもしれない。

 僕は鳥が置いていった枝を眺めながら考えていた。

 この枝を接ぎ木すれば、ヤモちゃんの中にあのデカぶつの成分が入り込み、ヤモちゃんは一種の帰巣本能によりまっすぐデカぶつの方へと向かうのだそうだ。
 同時に、それまでは期限付きの防衛本能で病の進行も食い止められ、今の状態を保ってデカぶつにまでたどり着けるという。

 
 思えば、ヤモちゃんには何度も助けてもらった気がする。

 寂しくなったとき、ヤモちゃんは部屋の中に小さな花を咲かせてみせた。花びらは白く、中心は綺麗な薄黄色をしていていい匂いがしていた。
 眠れないとき、ヤモちゃんは家全体を心地よく揺らしてみせた。それがただ適当に移動していただけ、といわれればそれまでだとしても、僕にとってヤモちゃんの生む振動は安眠のお供みたいなものだった。
 周囲と境遇を比べて何もかもが嫌になったとき、ヤモちゃんは家全体に日光を入れてみせた。

 これらの全てが意識のない偶然だったとしても、僕はその都度ヤモちゃんのことが好きになっていたのだから、救われていたといっても過言ではないと思う。

「今度は、僕が恩返しするから。今までありがとうね」

 僕は室内にあるヤモちゃんの細枝を彫刻刀で切り落とし、そこに接ぎ木をした。
 これで、良かったんだ。僕にとってヤモちゃんは家族の一員。最後に残った家族なんだ。たとえ離ればなれになるとしても、失うよりはよっぽどましさ。
 僕はこみ上げるものを押し殺すためにうつ伏せになって横になった。
 こんなに調子が悪いはずのヤモちゃんの床からは、以前と変わらない優しい木の匂いがした。

 接ぎ木をして小一時間が経ったと思われる頃、ヤモちゃんはある方向に動き出した。


 その晩、僕は夢を見た。両親の夢だった。

 二人が棘だらけの植物に包まれ、傷だらけになりながら佇んでいた。
 その姿はどこかその棘に抗って振りほどこうとしているようにも見える。

「おとう、おかあ! それ、どうしたんだよう。今、そっち行くから」
 僕は何も無い空間から二人の元に駆け寄り、その棘をかき分けた。

「ダメ、触るんじゃないよ」母の柔らかい声が耳に響く。
「俺たちは大丈夫だ。だからお願いだ、離れておくれ」父の力強く、それでいて優しい声が僕の頭上に鳴り響いた。

 それでも二人の言葉を無視して、僕はがむしゃらに手を動かした。僕の手はいつの間にか血まみれになっていた。

「今度こそ、僕が守るんだ。こんなに大きくなったんだから、次は僕が助ける番なんだ」

 これは心の中から出た本音だった。
 父と母を失ったとき、僕はその現場にいなかった。だからといって当時現場にいたところで特になにかできたか、と言われるとそれはわからない。むしろ幼かった自分が迷惑をかけてしまったかもしれない。
 それでも。今は目の前に苦しんでいる二人がいる。この手で助けられる。それがなにより嬉しかった。

 そんな僕を見てか、二人が同時に身をよじって茨を無理矢理かいくぐろうとした。身体には更に棘が刺さり、傷がどんどん深くなっている。

「ダメだよ、二人とも。二人は動いちゃダメだ。もう少し、もう少しでそっちまでいけるから」
 僕が泣きながら止めても、二人はボロボロの身体で僕に近づき、切り傷と出血が激しい手で僕を引き寄せ、抱きしめた。
 二人の胸に頭を埋めた瞬間、僕たちの周りから茨は無くなっていた。

「大丈夫。あんなのに母さんたち、負けないからね」
「ああ、俺たちはいつでもお前の近くにいるさ」
 頭上から懐かしい声が僕を包んだ。僕の涙腺はとっくに壊れきっていた。いつぶりか分からないほど嗚咽混じりに泣きじゃくった。

 久しぶりに会ったんだ、自分はこんなに成長したんだよ、ということを伝えたかったはずなのに、結局彼らに最後に見せるのはあのときとなんら変わらない姿になってしまった。


 涙ぐんだ目を開けると、いつの間にか夜は明けていた。日差しといい外から聞こえる音といい、そのどれもが気持ちのいい朝だった。
 気のせいか、ヤモちゃんの中は両親がいたあのときの匂いで満たされていた気がした。

 起きてすぐ、僕の肺には澄んだ空気が送られた。その瞬間、僕はヤモちゃんの調子が戻ったことを悟った。
 ヤモちゃんの病気は、信じられないほどすっきりと治った。これは当然異例も異例なようで、デカぶつ側からも何通も手紙が来る始末だった。
 
「病気関係なく、我々のシステムの改善に協力していただけませんか」だとか、
「お渡しできる金額がもっと増えたのでどうか」だとか。
 あまりにもしつこかったので、しばらくは郵便受けとり拒否の意味を込めた鳥避けのお香を焚いた。

 後から僕と同じような旧型の家に住んでいた人に聞いた話だと、あの病気はいわゆる"マッチポンプ"のようなものだったそうだ。
 デカぶつが強力な病原菌を指定の家に感染させ、大元で治す代わりにそれらを取り込み、その家の持っているいい特徴もろとも吸収する。
 全ては、デカぶつの遺伝子を進化させるための、自作自演だったというわけだ。

 教えてくれた人の家は防音設計が非常に優れていたらしい。どうやら壁が二重になっており、その間に流動性の低いゲルのようなものが入っていることでその防音を可能としていたのだとか。
 彼女の家もヤモちゃんと同じく病気にかかり、彼女はそのまま接ぎ木をしてデカぶつの一部となることを了承した。
 そこまでは良かったのだが、彼女の家が取り込まれた数週間後、そのデカぶつの口コミでこんなものが広まったという。

「最近あそこの部屋は騒音が全く聞こえなくなって快適」
「設備投資を行ったらしく、防音設備が向上したことで室数も増えたらしい」
「隣の人、毎晩五月蠅かったのよ。これで解決だわ」

 彼女もたまたまだろう、だとか取り込まれたのだからそういうことがあっても不思議ではない、と思っていたらしいが「元々住んでいた人は住むことができないからお金で勘弁してください」という内容を聞いて怪しく感じ、他の人の名義でデカぶつの中に入り込むと、その仕様は彼女の家のそっくりそのまんまだったのだという。
 当然壁の仕様だから他の人はさっぱり分からない程の特徴だったが、彼女も僕と同じく家を愛していた人間だったからこそ、彼女の家がいいように利用されてることに気付いたのだろう。

 その後で彼女は探偵を雇い、自分と同じような境遇の人を調べて何人かのケースで確かめたところ、どれも例外なくこのような事態になっていたらしい。

 彼女は、あのデカぶつが欲しかったのはヤモちゃんの材質だったのだろうと言っていた。
 ヤモちゃんの材質はその人も羨ましがるようなもので、その上中々見たことがないほどに貴重で上品なものでもあるという。だからこそあちらはなんとしてでも欲しがったのではないか、と話していた。

 なんとも腹の立つ話だが、同時に僕は少し誇らしくもなった。

 あのデカぶつの作り出した病原菌に、ヤモちゃんは一人で勝ったのだ。正確には三人で、かもしれないが。
 家の中心に寝転びながら、僕は満面の笑みを浮かべていた。

「ヤモちゃん、おとう、おかあ。何から何までありがとう。僕、頑張るから。これからも見ててよ」

 そう言うと僕は「ほっ」と軽やかに身体を起こし、彫刻刀を握った。

 次は―――二人組の人間でも彫ろうかな。
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