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二人なら作れる

やめられない熱い想い

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 少し遠出してカレーを食べに行った後、揚羽はまだ話を作ろうとうきうきしている様子だった。しかし俺は「今キリが良いとこだから明日からやりたいな」となだめ、半ば無理やり揚羽を風呂に行かせた。その後もずっと物足りなさそうな瞳で俺を見つめてくる揚羽をなんとか寝かしつけた後、俺は一人で考え事をしていた。







 学校モノ、ファンタジー、青春モノなど、俺は今まで様々なジャンルの小説に挑戦してきた。それぞれストーリーは大幅に違えど、その中に内在している優しさ、のようなものが俺は好きだった。他の言葉で言うなら、人間の美しさ、みたいなところかな。でも今作っている話は、そのかけらも感じられない。







 確かに今までのどの作品よりも解像度は高く、展開も良い感じに仕上がりそうではある。何というか、素人感が抜けて賞に選出されている作品っぽくなっている気がする。俺がなんとなく掲げた「国の汚い部分にメスを入れる作品」というテーマを揚羽が更にリアルにしてくれたからだろう。







俺が今思いついている話の続きはこうだ。















 ましろはその後復讐のために政治家になり、あの決定をした上層部にドンドン近づいていく。しかし党のトップに近づくくらいに成果を上げていたましろに試練が訪れる。







 それはある企業からの申請書がきっかけだった。その内容は”自社が進めているプロジェクトに他国でライバルが現れたので、更に国を挙げて自社だけでなく、国全体でこのプロジェクトを進めて欲しい”といったモノだった。ましろがその内容に過去の父親の境遇を重ねながら改善策となる法案を作っていると、上の人間からこんな通達が入る。”そのプロジェクトは、噂によると他国が更に先まで研究しているかもしれない。故に、そこに力を入れるべきではない”というものだった。







 ましろは当然その決定には反対した。しかしそれが聞き届けられないことも当然で、ましろは究極の選択を迫られることになる。自分のような被害者を再び出すかもしれない決断を強行し自らの復讐をとるか、自分の信念を優先して政治家としての立場を捨ててでもプロジェクトに関わっている人間達を救うか。







 白髪が増えるほど悩み抜いたましろはついに壊れてしまい、自分の中で狂気的な一つの答えを出してしまう。それは”誰もが自分の欲を優先すべきである。俺も勿論そうさせてもらうし、その決定に恨みを持つのなら、俺同様晴らしに来れば良い”というものだった。







 結果ましろはその申請書を上の決定に従って棄却し、無事上層部へとコネクトすることが可能となり、過去の情報を手にする。その情報を元に、上層部のふんぞり返っている悪党を失脚させることに成功する。しかしそんなことをして世に広まらないはずもなく、ましろがやってきたことまで世間に知られることとなり、ましろは”現代政治が生んだ狂人”と呼ばれることになる。







 最終的にましろは、自分がやりたかったことを成し遂げてしまったが故に、一気に生きるエネルギーを失ってしまうことになる。そんなましろの前に一人の青年が現れ、ましろの腹に刃物を突き刺し、遠くへ逃げていった。ましろは薄れゆく意識の中で、彼が自分を恨んでいる人間の一人であることを悟る。ましろはこれから死ぬというのに、なぜか生涯の中で最も安らかな気分になって息を引き取る。



 











 この話を思いついたとき、俺は複雑な気持ちになった。今まで話が浮かんだときは、それはもう嬉しさしかなかった。自分の中に新たな世界が生まれたような、同時に人間という難解な生物のことをまた一つ知ることができたかのような。今回も人間のことを知れた感じはする。けれど俺が求めてたのはこんな人間の闇ではなくて光の部分だったんだと気付いた。もしそうでもなければ、この感情はどう説明すれば良いのか。まるで、自分を知るために鏡を見たのに、鏡を見なきゃ気付かなかった吹き出物に気付いて悲しくなるみたいな。















 次の日になって、俺は自分でも驚くようなことを口にしていた。







 「なあ、この小説、作るのもう止めないか」







きょとんとしている揚羽に俺はたたみかけるように言う。







 「実際さ、この作品ってリアリティを出す練習みたいなモノだったろ?それならもう設定を作り込めた時点で本来の目的は達成してるし、結局これ世に出さないじゃんか。だから練習は一度終わりにして、本番の一作を作りたいなと思ってさ」



 「それは本心ですか」







作り笑いを浮かべる俺にノータイムで揚羽が切り込んでくる。彼が時々見せる曇りのない眼が苦手だ。その視線が一種の覇気を生んでいるような気がして、気圧される感じがするから。







 「もちろん―――本心だよ」



 「今までの有栖川さんの作品と毛色が違うからですか」



 「いや―――別にそういう訳では―――」







そう言うと揚羽は何か思いついたように俺に尋ねた。







 「―――有栖川さんは人間が好きですか」目の据わった揚羽が窓の外を眺めながら訪ねる。なぜ突然そんなこと聞くんだ。



 「俺は―――人が好きだよ。戯れに見える人間の美しさが好きだ。人は他人と関わることで生きていると、俺は思うから。人と人のつながりの中に生まれる尊さが、人間の本質だと―――信じてるから」



 「でも有栖川さんはこの作品みたいな人間の汚さは嫌いですよね」



 「そりゃ―――好きではないだろ、どんな人だって」



 「それで人間を愛していると言うのは、少しずるじゃないですか」







揚羽が珍しく怒っているように見える。







 「綺麗な部分だけを見てそのものが好きだなんて、なんだか逃げてるように見えます。しかも有栖川さんは単に人と関わるだけじゃなくて、人を描く人ですよね。それなら尚更、人の汚い面も受け止めるべきだと思います」







言葉が出ない。確かに俺は逃げてきたのかもしれない。俺の小説に解像度が足りなかったのは、もしやこれが原因でもあるのだろうか。人間という生き物を一面でしか見ていなかったが故の薄っぺらさだったのか。







 「この作品で、更に知りませんか。人間のこと。そうすれば、有栖川さんの中の人間像がまた一つ進化するかもですよ」







ここを乗り越えれば、更に物語に色が付くのだろうか。







 「僕は、有栖川さんの物語が好きです。話の紡ぎ方が好きです。未来のあなたを抜きにして見ても、その気持ちは変わりませんよ。だからこそ、見てみたいんです。有栖川さんの新たな一面を」







そうか。これは進化なんだ。この拒絶反応は、一皮むける前の前兆なんだ。







 「―――俺は苦手意識に気付いてしまったんだ、一気に書くスピードが落ちるかもしれないぞ」



 「望むところです、どんだけでもサポートしますよ」



俺の振り切った表情を見たからか、揚羽もいつもの調子に戻っていた。なんならいつもより元気に見えるほどに。
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