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未来

帰ってこれる場所

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 俺も黙って揚羽に向かい合っていると、先に揚羽の方から目を背け、いそいそと準備を始めた。そしてどうやら家を出ることも想定していたようで、すぐに自分の荷物をまとめ終えようとしていた。







 「揚羽君、自首する、といっていたけれど、どのように伝えるつもりなんだい?君がしようとしていることは有栖川先生の身代わりと、自分が情報をばらまいたことをまとめて、殺人の教唆、また幇助をしたという手筈なのかもしれないが、中々それを警察に認めさせるというのは難しいものがあるのではないかい?」



 「確かに―――ネットの証拠はあっても、その二つは断定が難しいって話でしたもんね―――」







電話越しに二人が心配そうに声をかけるが、それに対して揚羽は片手間に答えた。







 「僕がネットで過激派を刺激した。その証拠は僕のスマホにあります。それが認められれば自然と殺人の教唆に当てはまるのは有栖川さんではなく僕になります。そうなれば有栖川先生は追われることもなくなりますし、この連続殺人事件も、裏で手を引いていた人間が逮捕されたとなれば、世間では僕に対して否定的な意見が増えるはずです。そうなれば、この殺人も終わりを迎える、と考えてるわけです」



 「なるほど、有栖川先生にとっても世間にとっても、立つ鳥跡を濁さずを徹底していたわけだ―――本当に君は、まだその年齢であることが信じられないよ」



 「これが僕の、最後ですから」



 「最後ってどういうことだよ」







最後、という言葉の嫌な響きについ過剰反応してしまう。







 「僕はこれから逮捕され、死刑になるでしょう。本来教唆は死刑になるレベルの罪ではないですが、今回は異例です。これほどの大事となれば、きっと僕が許されることはありません。でもいいんです。その為に、生きてきましたから」







俺と、きっと電話の向こうの編集長もため息をついた。そして、編集長は優しく諭すように口を開いた。







 「希代の天才も、最後の詰めが甘かったね、揚羽君。今、君は何歳だい?」



 「―――?十四歳ですけど―――」



 「うん、そうだね。ということは、君は未成年だ。要するに、君はまず僕らとは異なる方法で裁判が進められるし、科される罪の内容も大きく異なるんだよ―――つまり結論から言うとね、君が死刑になることはほぼないんだよ」







揚羽は口をぽかんと開けたまま話を聞いていた。全てが成人基準のこの天才は、自分の立場だったりがすっかり頭から抜けていたのだ。







 「それとな、揚羽。多分無期懲役、とかもないと思うぞ」



 「なんで、ですか。僕が、裁かれなきゃ、いけないのに。こんなことをしたのに」



 「その気持ちは分かるけど、まずお前は自首するとなればその時点で若干罪は軽くなる。それに加えてこの教唆、幇助罪だ。裁判所側も、なかなか刑を言い渡しにくいんじゃないかな」







揚羽は気が動転しているように見える。きっとここまでのことは想定しておらず、ここで人生の幕を閉じる気満々でいたのだろう。それもそれでどうなんだ、という感じはするが、先ほども言ったとおり、気持ちが分からなくはない。俺が揚羽と同じ立場で罪をここまで重ねてきて、なおかつ周りの人間すらだまし続けていたのだから、自分の居場所もないも同然だと考えるのはごく自然だと思う。けど俺は、それではなんだか納得できなかった。この気持ちがなんなのか、自分でもはっきりとは分からなかったけれど、考えるよりも先に口が動いていた。







 「なぁ、ここで死ななくたって、戻ってくればいいじゃないか」







「へ―――?」とお化けでも見たような顔でこちらを見ている揚羽に、俺は続けて話した。







 「確かに揚羽は、いろんな人を騙し、巻き込んで、殺人の一助となった。それは間違いないんだろうよ。だけどさ、お前だってとことん苦しんだはずだ。両親を奪われ、頼れる人もいなくて、一人で強大な悪と戦っていた。そうだろう?」







俺は揚羽の手を取り、続ける。







 「俺はさ、正義なんてこの世にはないと思ってるんだ。そんな立場によって姿形を変えるもの、頼りにするだけ無意味ってもんだ。だからこそ俺は、自分は、自分だけは自分だけの正義を持っているべきだとも思うんだよ。だから今回、揚羽が自分の正義に従って生きてきたって聞いて、なんだか否定しきれなかったんだよな。でも揚羽は唯一この世に存在する仮の正義を犯した。それが法律だ。長い期間をかけて、いろんな人が知恵を出し合って作った一応の正義。それだけは、破っちゃいけないことになってる。この国にいる限りは。







 でも逆に言えば揚羽が間違った事なんてそれだけさ。揚羽の正義は、間違っちゃいない。だからそれを反省すればいいだけなんじゃないかな。拘留されるかはまだ分からないけどさ」







 「でも―――それと有栖川さんを裏切ったこととは関係ないです、僕、そのことは正しいと思ってません」







涙ながらに訴える揚羽に、俺も本心を伝える。







 「そりゃ、嬉しかったからよ。さっきの言葉が。俺が文を書いている姿がかっこよかった、俺の努力が好きだった、なんて言われて、嬉しくないはずないぜ。あの話がなかったら、俺は黙って見送ってたと思う。でもそれを、俺が言わせたわけでもなく自分の口から言ってくれたからこそ、俺は揚羽の帰りを待ちたいと思ったんだよ―――ここまで言わせといて、まだ申し訳ないとか言うなよ」







そう言うと俺は「ま、今回賞を取れたのは揚羽のおかげも大きいからな」と頭をぽんと優しく叩いた。揚羽はさっきから泣きじゃくっている。なんだか、久しぶりに年相応な揚羽を見た気がした。















 次の日、揚羽が自首するために家を跡にしようとしていた。







 「なんだ、ちょっと寂しくなるな」



 「言っても、まだここ来てから一年経ってないはずなんですけどね」







揚羽もすっかり元の調子に戻り、未来を見てくれているようだった。







 「そうだな―――揚羽が帰ってくるのはいつになるのかは分からないけど―――それまでに俺は大作家にでもなっておこうかな」



 「おぉ、すごい自信ですね」



 「実をいうと、まだあの賞を一人で獲ってないことが悔しかったりするんだよな―――だから一人の力でもあれくらいのものを書けるようになりたいし、なによりアシスタントを付けるとなると、並大抵の作家じゃ境遇に負けてる感じしちゃうしな」



 「そうですね、僕もどうせなら大作家のアシスタントがしたいかもです。その方がやりがいありそうですし」



 「おうおう言うようになったな、俺を崇拝してたときの方が可愛かったんじゃないか」



 「それ系のいじりは勘弁してください―――」







そう言うと揚羽は居心地が悪そうにもじもじしていた。結局、昨日はお互い何度も通っていたカフェや好きだった料理屋などに出向いて、色々と腹を割って話す夜となった。初めは自首する前にしたいことしていけよ―――位のつもりだったが、揚羽も演技していない状態で俺に話したいことがたくさんあったそうで、謝罪から本心からありとあらゆる話をし尽くした。そのおかげか、俺たちはまた一作書き上げた位仲が深まった気がした。







 「ま、とにかく、待ってるから。満足するまで行ってこい」



 「はい、とことん罪償ってきますね、行ってきます」







そうして弟のような同居人と一時的にお別れを告げた。

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