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室内弦楽三重奏『勇者』

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  薄暗い店内に、美しい旋律が響く。

  続いて、お腹の底まで響いてくるような低音。

  その間を、旋律を追うような形で別の旋律が走る。


 三人の弾き手、三つの楽器が織り成す美しくも切なくて、どこか厳格なイメージを持たせる音楽が店内に鳴り響く。


 一曲一曲が終わるたびに拍手が沸きあがって、三人が同時に軽く礼をする。

 拍手が引いていくと同時に次の曲が始まった。





 その日、ユウは三人の来客を大層に喜んでいた。

 たまたまその三人がこの喫茶店の近くで鉢合わせたから、といっていたが、その中の紅一点であるフーカがこっそりと教えてくれたところによると、元々三人ともここへ来たがってはいたものの、中々予定があわずにいたらしいのだが、このたびようやく予定が一致し訪れることができたという。


「実は今度、城で演奏することになったんですよ」

「えっ、凄いじゃないですか~」


 カウンターに座った三人はトッカ、ダンテ、フーカ。三人とも魔族なのだが、腕は一流の楽士だ。

 ユウが初めて三人にあったのは少し前のこと。

 幻術で隠蔽した洞窟の奥で、音楽の練習をしていた三人だったのだが何かの拍子で幻術が切れており、帝都領まで新洞窟の発見というニュースが飛び込んできたときのことだった。

 その話に興味を示したユウが向かったところ、この三人の魔族に出会った、というわけだ。

 その時に聞かせてもらった曲は今でもユウやリンの記憶に残っていて、時々また聞きたいね、なんて二人で話したりもしていた。


 三人の話ではその後幻術を掛けなおすも破られて、しょっちゅう人間が入り込んでくるので練習場所として使えなくなってしまったらしい。


 だが三人はめげず、新しい場所を練習場所としてみつけ、それぞれが色んな魔族の街で流しとして日銭を稼いでいたとき、たまたま居合わせた魔王の側近が話を持ちかけてきたという。


「いやぁ、たまたまなんですけどね、でも、流しもやってみるもんですねー」


 トッカが少し照れたように頭を掻いた。その話を持ちかけられたのはトッカだったのだが、もちろん二つ返事で受け、そのときに三人で三重奏をしているという話をすれば、ならばその三人で是非と、とんとん拍子にお城デビューの話が進んでいったという。

 今日三人が示し合わせて来店したのも、その報告もあったからだそうだ。



 魔族、というと人間にとってはなんだか悪いイメージがついて回るが、この三人のようにぱっと見ではわかりにくいものも多い。それは脅威ではないのか、と聞かれればそうかもしれないが。

 とにかく、例えばトッカは見た目は普通の好青年で、薄い金髪に長身、そしてそこそこの顔立ち。


「ん?」


 猫や鳥のような目とその色合いを除けばどこにでもいそうな青年だ。祖先は猛禽類系の加護を持っているらしい。

 その隣のダンテは、それに比べると、少しいかつい。

 体長約二メートル、肌も少しゴツゴツとしていかにも岩肌のよう。凄く硬そうなイメージがあるが、その指からはじき出される柔らかな旋律は聴く者をすべからく魅了する。

 顔もゴツゴツしているから、かっこいいとかかっこ悪いとかではなく、いかつい。


「んあ?」


 祖先は岩魔人だといっていたか。


 そして紅一点フーカ。

彼女は燃えるような赤い髪に、少しとがった耳、リンのような赤い瞳、と赤尽くし。まさに紅一点。

耳の後ろからは山羊のような角がくるりと回りこむようにして生えていて、それはまた違った魅力をもって彼女を引き立たせる。

 前述の二人に比べると、背は魔族としても小さめだが、なかなかの美人。

 スタイルは…


  ユウは一瞬自分とフーカを見比べて――


 スタイルは普通。


「なに? ユウさん」


 ユウの一瞬の視線に気づいたフーカがジト目で見てくる。

 いや、フーカだけではなくほかの二人も薄目でユウをみていた。


「な、なんでもないよ?」

「なんだか、今ろくでもないこと考えてた気がする。」

「ユウさんは顔に出る。と、メモメモ」


トッカが胸元から紙を取り出して本当にメモしはじめた。


「えっ、何そのメモ?」

「ああ、ユウさんの情報を知りたいって人はたくさんいますからねぇ」

「?」


 それはさておき、見た目はほぼ人間だから、きっと問題ないはずだ、とユウはこの三人に出会ったときから考えていたことを話してみることにした。


「え……」


 ユウの話に、三人が三人とも目を丸くして一瞬の間のあと、ヒソヒソと相談し始める。しばらくして、相談が終わり三人がユウに改めて向き合って、頭を下げた。


「むしろ喜んでやらせていただきます!」


 ユウの考え、それは喫茶店『小道』で小さなライブをやることだった。

 前回彼等の音楽を聴いたとき、手元のコーヒーはすっかりなくなってしまっていたから、今度は是非コーヒーを飲みながら、と思っていたのだった。

 そしてこんないい演奏を独り占めするのもなんだか申し訳ない、そんなことを思っての店内ライブだった。


 『小道』は小さな喫茶店ではあるが、店内のテーブルや椅子を少しどかせば、三人と楽器が入るくらいのスペースはできる。

 一方観客のスペースが小さくなるのではないかという懸念もあるが、今回はそんなに多くの人を集めるつもりもないし、果たして集まるかもわからない。

 フーディやウォルたちなんかは不定期でくるし、定住しているわけでもないからそもそも開催日までに顔を出すかどうかすらわからないから伝えようもない。

 逆にパティやトリシャ、冒険者ギルドのマスター夫妻なんかは連絡がとりやすいから声を掛けてみるつもりのようだ。

 本当であれば、ツクシなど誘いたい人物はたくさんいるのだが、ツクシは遠すぎるし、他に誘える人といってもあまり思い浮かんでこない。

 思い浮かぶ人物は偉い人であったり、遠い国だったり、あるいは今どこにいるかわからなかったり。えらい人は呼ぶに忍びないし、遠い国の人はなおさら。どこにいるかわからない人は考えるだけ無駄だろう。


 とりあえず今回は魔王城でのリハーサルがてら、ということもあって、声を掛けることのできる人だけに声を掛けてみようということで、ユウの中でまとまった。


 それから数日、喫茶店『小道』では今までにない忙しさを迎えていた。


 間もなく日が落ちようとする頃合。

 段々と空が青から赤へ、そして黒へと変わっていくその刹那に、ユウの店『小道』には今までにない多くの客が詰め掛けていた。


 といっても、何百人もきているわけではない。

 いつもの常連、フーディ、パティ、トリシャ、それにウォル達のパーティ、パティの村とその隣村の人。これまで、この常連達が一同に介することはなかったのだが、今日に限っては皆同じ頃に姿を現し、そして皆一様に「ブレンドとマドレーヌ」と頼む。


 これは、彼ら魔族トリオの演奏会に参加する、という合図でもあった。


 ユウにとってはこれまでにないめまぐるしい忙しさだ。

 これまでは多くてもウォル達パーティの5人程度が同時に訪れる客の数だったのが、今はもう二十人を超えている。コーヒーをいれ、届ける。それだけで何往復もしなければいけない。リンもまた焼き菓子を届けるために何往復もしていた。


 見かねたパティとトリシャが手伝いを申し出てくれた。

 おかげで少しユウの負担が減ったがそれでも忙しいことに変わりはない。ブレンドやマドレーヌの他に、ロコモコパンをはじめとした『小道』でも数少ない軽食を希望する者も出てきて忙しさに拍車がかかっていく。


(これではコーヒーを飲みながら音楽を聴くという私の計画が……)


 何故こんなにも客が着てしまったのか、まったくユウに覚えがなかった。

 それでもようやく注文の方も落ち着いてきて、店の中を見渡すと、今まで見たことのないほどの数の客達が一箇所の空間を取り囲むようにして、そのぽっかりと口をあけた空間を集中してみていた。


 そして、コーヒーとマドレーヌを手に、あるものは周囲の人と話したり、ある者はその空間を無言で見つめていたりしながらそのときを待つ。


 カウンターの奥の扉が開いて、三人が姿を現した。


 まずは花婿が着るような立派な仕立ての礼服に身を包んだ男が二人。

 それに続いて、真っ赤な髪が映えるような白いドレスを纏った女が一人。

 それぞれが思い思いの楽器を携えて、客の見守る中、客によって空けられた空間へと歩いていく。


 おしゃべりをしていたものは話をやめ、飲食をしていたものたちもその手を止め、三人の動向に注目が集まる。


 三人が楽器をもったまま、客に向かって一礼すると、大きな拍手が沸きあがった。


 拍手の中、三人がお互いの顔を見合わせて、まずは一つの音を出す。

 それを合図に、客達の拍手はだんだんと静まっていった。


 最初は一番小さな楽器を持つフーカから。

 そしてトッカとダンテが続いて音が重なる。


 一度音が止み、そして次の瞬間彼らの音楽が始まった。


 座っているもの、立っているもの、狭い店内は客であふれていたが、その誰もがただただ目の前で繰り広げられる音楽の調べに魅了されていた。

 ウォル達や他にも今目の前で演奏している彼らが魔族と気づいたものがいたかもしれない。が、音に魔力が乗っていないこと、そして純粋にすばらしい音楽である事がわかるから、気づいたとしても何も言わない。


 皆が皆食い入るように三人の音に、動きに魅入っている。


 それはユウやリンも例外ではなく、カウンターの奥に据え付けられた椅子に二人で座って、片手のコーヒーを飲むのさえ忘れて音楽に聞き入っていた。


 以前にもまして、彼らの音楽は人の心を捉えて離さない。


 三人が曲を弾き終えるたび、そのたびに拍手とため息がそこらから漏れ出る。


 今流れているのはどこか穏やかな曲だ。

 穏やかな旋律をはじき出すトッカ、その中に力強さを感じるダンテの弾くベース。

 そして、高音を奏でるフーカの旋律はその中で自由に動き回り、時に切ない旋律を、時に楽しげで、そして時に神秘的な旋律を奏で出す。

 そしてそのどれもがトッカとダンテの旋律と調和し、何故か安心感すら覚える曲であった。


(これ、なんて曲だろう…)


 ユウはすっかりこの曲を気に入ってしまったのだが、それがまさかあんな事態を引き起こすとは夢にも思わずにいた。


 曲が終わり、店内は拍手に包まれる。

 その拍手の中、三人はすっと立ち上がった。


「今の曲はおきに召していただけたでしょうか? 今回このコンチェルトを開くにあたって、発案し、場所の提供までしてくださった、ユウさんに感謝を!」


トッカがそういって、ユウに向けて拍手をする。客達もその行動に習ってユウへ向けて拍手をする。皆の表情は一様ににこやかだった。


「え、あ、いや……それほどでも……」


 突然の名指しに困惑しつつも笑顔を浮かべるユウ。

 こういうにこやかな視線はちょっとばかりくすぐったいけれど、何だか心地がよいような気もした。

 けれど、そもそも自分が聞きたくて始めた事だったから、素直にこういう感謝をされてしまうと少しばかりバツも悪い。そんな困惑に、トッカが追い討ちをかけてくる。


「さっきの曲を、ユウさんに送らせてください。曲名は弦楽三重奏『勇者』です!」


 そのトッカの声に観客はよりいっそう盛り上がりを見せた。


(え、何?)


「この曲は、ユウさんへのイメージを元に書き上げました!」


 トッカの言葉にユウは自分でもわかるほど顔が紅潮していくのがわかった。


(~~っ! 自分へのイメージって、えっ何、これ! 自分でもいいな、なんて思っちゃったよ!)


 そんな風に恥ずかしがっているユウをよそに、その場の誰もがその曲と曲名に納得し、そしてまたユウの可愛い反応に余計に盛り上がりを見せるのであった。



 小さな演奏会は大成功を収めた。

 あれだけの人が集まったのは、話を聞いたパティやトリシャ、帝都のギルドマスター夫妻が方々に声をかけたからだという。

 パティやトリシャは自分の村や隣村で、よく『小道』に行くとか行きたいと言っていた人に。

 ギルドマスター夫妻は、自身たちは容易にいくことはできないからと、わざわざウォル達を呼び出して宣伝させようとしたのだが――


「そんなもったいないこと、自分達だけで楽しむに越したことはない」


 ウォルはそう語る。マスターの頼みとはいえ、他の冒険者に『小道』を教えたくなかったらしい。それはリリーもホヴィも同じ気持ちだった。だが、ホヴィにしてもリリーにしても思惑は別のところにあったりもするのだが。



 そしてこの小さな演奏会は思わぬ人をも運んできていた。

 演奏が終わり、皆がぞろぞろと家路に着く中、人の波を遡って来る四つの影があった。


「もぉー! ユウちゃん、こんなイベントに呼んでくれんなんて、いけずやわぁ~!」

「えっ、ツクシさん!?」


「でも~、さっきのかわえぇユウちゃんでチャラにしとくよぅ」

「ちょっ!!」


 紛れもなく、トッカ達三人から曲をささげられた時のことをいってるのだろう。

 ユウの反応にその場にいた皆が癒される想いだったのだろうけれど、ユウとしては、恥ずかしさでいっぱいで、それを言われてしまうとまた頬が熱くなってきてしまうのだ。


 そしてはたと気づく、ツクシの後ろには当然のようにヨギが控えているのだが、その隣に――


「じいちゃん! ばあちゃん!!」


 その姿を見つけたリンが、ぱぁっと顔を明るくさせて、叫びながら駆け寄り、その人たちに思い切りダイブしようとして、ヨギに阻止された。


「むぅ、猫じゃないよ!」

「鬼っ子、老人はいたわらないとだめだぞ」


 ヨギはリンの首根っこをつかむようにしてリンのダイブを阻止しているから、確かに猫のようにぶら下がっている。

 それに、今の勢いでリンのダイブを受けたら老夫婦にとってはひとたまりもないかもしれない。けれど、老夫婦はニコニコとしたままそこを動く気配がなかったから、きっとリンの事を信じていたのだろう。あるいは本当に受け止めるつもりだったのかもしれない、自分達の新しい孫のことを。


 それから、リンは嬉しそうにこれまでのことを老夫婦に話している。

 ユウもユウで片づけをそっちのけで、ツクシとヨギと話す。

 そこにはパティやトリシャ、ウォル達にフーディ、そして演奏後にコーヒーをいただいていたトッカ達も加わって、店内は賑やかな喧騒に包まれていく。


 『小道』に酒は置いていないのだが、各々が持参した酒を勝手に始めてしまって、もう酒盛りの様相を呈していた。

 わいわいと騒ぐ喧騒、こんな大人数で宴会をしたのは初めてかもしれない。

 ユウにしてもリンにしてもいつもは客のいない『小道』でゆっくりのんびりと過ごしているだけだから。


 でもたまにはこういうのもいいよね、なんてユウは思う。


 宴もたけなわになってきたころ、ユウはふと、自分で設置したテラスへ、淹れなおしたコーヒーを片手に出た。


 夜風が吹き抜けて、屋内の熱気に当てられて、暖まったユウの体を冷ましてくれる。


 月や星が踊る星空を見上げて、またふと店内を見ると、これまで出会った人たちが踊っていたり笑っていたり。


(今日はどこを見ても宴会だなぁ)


 空も、店も、もしかしたら森の動物達も今日は宴会をしているかもしれない。

 ユウは一人、テラスに佇む。コーヒーをちびりちびりと飲みながら。


(今日は、素敵な夜。)


 夜風が吹き抜けて一瞬訪れる静寂。


 けれど、すぐに喧騒が戻ってくる。


 気づくと隣にリンが座っている。


「すずしい」


 目を瞑って、夜風に身を任せるようにしているリン。

 ふわりと黒い髪が風に舞った。


 一瞬目が合って、同時にニッコリと微笑む二人。あとは、何をしゃべるでもない、お互いを見るわけでもなく、ユウとリンはただ並んでテラスに佇む。


 手すりに体重を預けて星空を見上げたり、店内の喧騒を眺めたりして、ガラス一枚を隔てるだけで、なんだか別の世界に来てしまったようだ、なんてユウは思ったりして。

 そんな風にしていると、ユウ達に気づいたツクシが手招きする。


 ユウもリンも顔を見合わせて、ツクシの手招きに惹かれるようにして店内へと吸い込まれていく。


 宴はまだ、終わりそうもない。



  ここは喫茶店『小道』


  素敵な仲間達が集う場所。


  お勧めはコーヒー、勇者の調べを素敵な笑顔にそえて
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