3 / 35
二頁目「とある昼下がりにて」
しおりを挟む
からんからん――
扉が開くたび、リンが声で鈴を鳴らしてみせる。
帝都で見た、喫茶店の扉に付いた銀の鈴が、よほど気に入ったらしい。
「リン、扉が開くたびにそれやるのやめようか?」
「おや、見ない、顔、だ」
カウンターによじ登るようにして、戻ってきたユウの顔を覗き込んだ。
「いや、毎日みてますよね?」
「うん」
そこは素直に頷くのか、とユウは小さく笑った。
今のリンの台詞も帝都で寄ってきた酒場の女将の言葉だ。
帝都には顔なじみが結構いる。
というかユウの知り合いから知らない人まで、勇者としての名はすっかり知られていて、どこへ行っても歓迎される。
知名度のなせるわざか、とユウは思っている。
けれど、本当のところは……
彼女の無自覚なとびきり笑顔は、どこへいってもその威力を発揮してきたのだ──
*
「はい、みているこっちまで幸せな気持ちになりますね、彼女の笑顔は」
そう証言するのは、少し前まで悪徳高利貸しと言われていた消費者金融の代表である。
かつては、勇者とはいえ小娘、物入りだろうし、リターンも望める。最悪、身売りさせてしまっても十分に元が取れると打算的に近づいたのだが、今ではすっかり彼女の笑顔の虜であった。
勇者笑顔、とか、ユウスマイルとかいって、若者たちの間で熱狂的に支持されていたりするのだが、ユウ本人はそんなことは露知らず、いつものように笑顔を振りまいていた。
「彼女のとびきり笑顔、ええと、ユウスマイルっていうんでしたっけ?それもいいですけど、隣国国王の祝賀会の時の困ったような笑顔も素敵でしたよ」
運送業を営む中年の男の証言だ。
その祝賀会のパレードにユウは招待され、国王の隣で一緒に手を振っていた。沿道につめかけた人の多くはユウスマイルを見に来ていたのだが、
「わし、こんなにも支持されてる!」
と、勘違いした国王が柄にも無くはしゃいでユウとかぶった事に顰蹙を買っていたことを、国王もユウも知らない。
ユウにしてみれば、
「ここの国王様は民の信望が厚いのですね」
とすら思っていた。
結果的に、そのすれ違いが不幸な事件を産んでしまうのだが、それはまた別の話だ。
*
リンは、帝都で見るすべてのものが物珍しくて、あれはなんだ、これはなんだと目に付くもの全てをユウに聞いていた。
きらびやかなブティックのショーウィンドウに目を丸くし、
沢山の食材が並べられた市場ではしゃぎながらも、食材の吟味に余念が無い。
初めて入った喫茶店では、扉が開くたびに鳴る鈴の音に何度も反応して、出された甘味に舌鼓を打てば、滅多に見れない笑顔になっていた。
酒場では女将に、見ない顔だね、とにんまりとした笑顔を向けられ、その台詞をしばらく何度も復唱していた。
ユウもついつい笑ってしまう。
その度にちょっとむっとするリンだったが、すぐに目新しい物に興味が移っていく。
馬車の手配にいけば、厩にずらりとならんだ馬に興奮してもいた。
目まぐるしく表情が変わるリンは、ユウにしても珍しくて、またそのうちリンを連れてこようとさえ思わせた。
けれど――
道行くユウとリンの姿に帝都の人々がぎょっとして、次の瞬間に脱力した笑みを浮かべる――
それが、ユウと一緒に歩くリンの見慣れた光景になっていた。
小さな角と赤い瞳。
それでも、リンの顔立ちは驚くほど整っていて、
人間であれば美少女と言われるに違いない。
ユウがその子を連れている理由を、
誰も深く聞こうとはしなかった。
問いかけようとするたびに、
彼女の笑顔がふわりと押し返してしまうから。
けれど、ユウを知る誰もが思っていた。その子供は一体何なのか。なぜその子供を連れているのか。その子供は――
「子供じゃないよ!」
誰に向けたのか定かではない、リンの叫びが青空に響き渡った。
*
喫茶店『小道』は、今日もいつも通りの静けさだった。
ユウは帝都で買った本を片手に、コーヒーの香りに沈む。
隣ではリンが絵本を睨みつけ、ペンを握っている。
リンは、言葉を覚えるのは早かったけれど、
字だけはまだ苦手で、
書き取りをしては、すぐに額にしわを寄せていた。
時折、ユウにたずねたりしながら、書き進めていく。
神妙な顔をして本を読んでいるユウだったが、リンの問いかけには顔をぱっと明るくして答える。
理解した時の顔があたら可愛くて、リンの頭を撫でるのだが、その手を軽く払いのけられてしまう。
そしてその度にユウはしょんぼりした顔をして読書に戻る。
陽はまだ高くて、そよ風に木々がかすかにゆれていた。
ユウはふと席を立って、窓を開けた。
ついでに扉も開くと、風が青く優しい香りを運んでくれる。
「いい風……」
肩より少し長いくらいの黒髪が揺れ、リンの長い髪も静かに揺らしていた。
彼女は、それを気にも留めずに、書き取りに集中している。
見上げると、青の隙間に白い塊が、その尻尾を伸ばす様に静かに流れていく。
柔らかい光が、その白を、空のキャンバスにくっきりと浮かび上がらせる。
遠くで、木々が揺れた――
ふと、ユウは店内の二人がけのテーブルを外に運び出し、続いて椅子を、ついでにリンを席ごと抱えて、新しく設えた席へと移動した。
「いそがしい」
腕の中で、仏頂面を浮かべるリンを座らせて、ユウはその向かいに腰を下ろす。
リンは絵本を見ながら字の練習を続け、
ユウは指を組んで頬をのせ、
その様子をただ嬉しそうに眺めている。
小さな横顔。真剣な瞳。
時折、くすぐったそうに視線を上げては、
また紙の上に戻っていく。
いつもとちょっと違うけれど、ゆっくりと過ぎていく時間は、いつもと同じ。
目の前にいる小さな子はいつもユウを驚かせてくれる、笑顔にさせてくれる。
ユウの胸にあたたかいものが灯って、その光は、真剣な瞳をいつまでも優しく、見守っていた。
――ここは喫茶店『小道』
あたたかい笑顔が見守る素敵なお店。
おすすめはコーヒー。ほんの少しだけ違う“今日”を添えて――
扉が開くたび、リンが声で鈴を鳴らしてみせる。
帝都で見た、喫茶店の扉に付いた銀の鈴が、よほど気に入ったらしい。
「リン、扉が開くたびにそれやるのやめようか?」
「おや、見ない、顔、だ」
カウンターによじ登るようにして、戻ってきたユウの顔を覗き込んだ。
「いや、毎日みてますよね?」
「うん」
そこは素直に頷くのか、とユウは小さく笑った。
今のリンの台詞も帝都で寄ってきた酒場の女将の言葉だ。
帝都には顔なじみが結構いる。
というかユウの知り合いから知らない人まで、勇者としての名はすっかり知られていて、どこへ行っても歓迎される。
知名度のなせるわざか、とユウは思っている。
けれど、本当のところは……
彼女の無自覚なとびきり笑顔は、どこへいってもその威力を発揮してきたのだ──
*
「はい、みているこっちまで幸せな気持ちになりますね、彼女の笑顔は」
そう証言するのは、少し前まで悪徳高利貸しと言われていた消費者金融の代表である。
かつては、勇者とはいえ小娘、物入りだろうし、リターンも望める。最悪、身売りさせてしまっても十分に元が取れると打算的に近づいたのだが、今ではすっかり彼女の笑顔の虜であった。
勇者笑顔、とか、ユウスマイルとかいって、若者たちの間で熱狂的に支持されていたりするのだが、ユウ本人はそんなことは露知らず、いつものように笑顔を振りまいていた。
「彼女のとびきり笑顔、ええと、ユウスマイルっていうんでしたっけ?それもいいですけど、隣国国王の祝賀会の時の困ったような笑顔も素敵でしたよ」
運送業を営む中年の男の証言だ。
その祝賀会のパレードにユウは招待され、国王の隣で一緒に手を振っていた。沿道につめかけた人の多くはユウスマイルを見に来ていたのだが、
「わし、こんなにも支持されてる!」
と、勘違いした国王が柄にも無くはしゃいでユウとかぶった事に顰蹙を買っていたことを、国王もユウも知らない。
ユウにしてみれば、
「ここの国王様は民の信望が厚いのですね」
とすら思っていた。
結果的に、そのすれ違いが不幸な事件を産んでしまうのだが、それはまた別の話だ。
*
リンは、帝都で見るすべてのものが物珍しくて、あれはなんだ、これはなんだと目に付くもの全てをユウに聞いていた。
きらびやかなブティックのショーウィンドウに目を丸くし、
沢山の食材が並べられた市場ではしゃぎながらも、食材の吟味に余念が無い。
初めて入った喫茶店では、扉が開くたびに鳴る鈴の音に何度も反応して、出された甘味に舌鼓を打てば、滅多に見れない笑顔になっていた。
酒場では女将に、見ない顔だね、とにんまりとした笑顔を向けられ、その台詞をしばらく何度も復唱していた。
ユウもついつい笑ってしまう。
その度にちょっとむっとするリンだったが、すぐに目新しい物に興味が移っていく。
馬車の手配にいけば、厩にずらりとならんだ馬に興奮してもいた。
目まぐるしく表情が変わるリンは、ユウにしても珍しくて、またそのうちリンを連れてこようとさえ思わせた。
けれど――
道行くユウとリンの姿に帝都の人々がぎょっとして、次の瞬間に脱力した笑みを浮かべる――
それが、ユウと一緒に歩くリンの見慣れた光景になっていた。
小さな角と赤い瞳。
それでも、リンの顔立ちは驚くほど整っていて、
人間であれば美少女と言われるに違いない。
ユウがその子を連れている理由を、
誰も深く聞こうとはしなかった。
問いかけようとするたびに、
彼女の笑顔がふわりと押し返してしまうから。
けれど、ユウを知る誰もが思っていた。その子供は一体何なのか。なぜその子供を連れているのか。その子供は――
「子供じゃないよ!」
誰に向けたのか定かではない、リンの叫びが青空に響き渡った。
*
喫茶店『小道』は、今日もいつも通りの静けさだった。
ユウは帝都で買った本を片手に、コーヒーの香りに沈む。
隣ではリンが絵本を睨みつけ、ペンを握っている。
リンは、言葉を覚えるのは早かったけれど、
字だけはまだ苦手で、
書き取りをしては、すぐに額にしわを寄せていた。
時折、ユウにたずねたりしながら、書き進めていく。
神妙な顔をして本を読んでいるユウだったが、リンの問いかけには顔をぱっと明るくして答える。
理解した時の顔があたら可愛くて、リンの頭を撫でるのだが、その手を軽く払いのけられてしまう。
そしてその度にユウはしょんぼりした顔をして読書に戻る。
陽はまだ高くて、そよ風に木々がかすかにゆれていた。
ユウはふと席を立って、窓を開けた。
ついでに扉も開くと、風が青く優しい香りを運んでくれる。
「いい風……」
肩より少し長いくらいの黒髪が揺れ、リンの長い髪も静かに揺らしていた。
彼女は、それを気にも留めずに、書き取りに集中している。
見上げると、青の隙間に白い塊が、その尻尾を伸ばす様に静かに流れていく。
柔らかい光が、その白を、空のキャンバスにくっきりと浮かび上がらせる。
遠くで、木々が揺れた――
ふと、ユウは店内の二人がけのテーブルを外に運び出し、続いて椅子を、ついでにリンを席ごと抱えて、新しく設えた席へと移動した。
「いそがしい」
腕の中で、仏頂面を浮かべるリンを座らせて、ユウはその向かいに腰を下ろす。
リンは絵本を見ながら字の練習を続け、
ユウは指を組んで頬をのせ、
その様子をただ嬉しそうに眺めている。
小さな横顔。真剣な瞳。
時折、くすぐったそうに視線を上げては、
また紙の上に戻っていく。
いつもとちょっと違うけれど、ゆっくりと過ぎていく時間は、いつもと同じ。
目の前にいる小さな子はいつもユウを驚かせてくれる、笑顔にさせてくれる。
ユウの胸にあたたかいものが灯って、その光は、真剣な瞳をいつまでも優しく、見守っていた。
――ここは喫茶店『小道』
あたたかい笑顔が見守る素敵なお店。
おすすめはコーヒー。ほんの少しだけ違う“今日”を添えて――
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない
陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」
デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。
そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。
いつの間にかパトロンが大量発生していた。
ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?
王太子妃に興味はないのに
藤田菜
キャラ文芸
眉目秀麗で芸術的才能もある第一王子に比べ、内気で冴えない第二王子に嫁いだアイリス。周囲にはその立場を憐れまれ、第一王子妃には冷たく当たられる。しかし誰に何と言われようとも、アイリスには関係ない。アイリスのすべきことはただ一つ、第二王子を支えることだけ。
その結果誰もが羨む王太子妃という立場になろうとも、彼女は何も変わらない。王太子妃に興味はないのだ。アイリスが興味があるものは、ただ一つだけ。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる