機械仕掛けの最終勇者

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第5986章 侵食のボルベゾ その一

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 ノクタン平原に立つ輝久の前に、RPGでよく見る青くブヨブヨした魔物――スライムが飛び跳ねている。輝久はドレミノの町で買った銅の剣を上段に構えた。光の女神ティアの魔力が宿った剣を、スライムに叩き付ける。

「せやっ!」

 気合いを入れた魔法剣の一撃は、だが、スライムの体を僅かに掠っただけだった。

「きゅ、キュー!」

 甲高い声を出して逃げていくスライムに輝久は左手を向けた。先程、ティアに習ったばかりの光の魔法『ライト・ボール』を発動しようとして、

「コラ」

 輝久はティアに軽く背中を押された。体勢を崩され、輝久の掌から出たライト・ボールは逃げるスライムから随分離れた草むらに着弾する。

 輝久は少しムッとしてティアを振り返るが、ティアもまた顔をしかめていた。

「やりすぎ。懲らしめるくらいで良いんだってば」
「そ、そっか」

 我に返って反省する。この世界アルヴァーナは難度Fの世界であり、モンスターも殺すのではなく、追い払ったり改心させるだけで良いと、輝久はティアから聞かされていた。輝久は「ごめん」と頭を下げる。

「でもまぁ、装備もゲットしたし、初めてのモンスターとも戦った。今のところは順調に進んでるわね」
「ってか、もうちょっとやり甲斐のある敵と戦ってみたいんだけどな」

 素直に心情を吐露すると、ティアは意地悪そうな顔をして輝久に近付き、ツンツンと肘で突く。

「テルってば、やる気満々ねえ」
「い、いや別に!」

 やる気に満ちていると思われた気恥ずかしさと、ティアに密着されたことが相まって、輝久の顔は熱くなる。

「私は早く帰りたいわ。テルだって最初は、元の世界に戻りたいって言ってたのに」
「そりゃまぁ……」

 ティアと一緒にアルヴァーナに来て、既に数時間が経過していた。輝久は、ティアと初めて出会った時、自分と性格が似ていると感じた。ティアも輝久も異世界攻略に関して、基本的に冷めていたのだ。なので、輝久も通常なら、一刻も早く冒険を終えて元の世界に戻りたいところなのだが……。

 輝久は横目で、ティアをちらりと見る。完璧に整った顔に、しなやかな肢体。輝久の理想と願望をそのまま具現化したような、まさに女神と呼ぶに相応しい女性である。

 ティアと一緒なら、よく分からないこの異世界の冒険も悪くない――輝久はそんな風に思い始めていた。

「とにかく、次はプルト城に向かいましょう。そこに最初の仲間もいるみたいよ。資料によると――王女様でヒーラーね」
「へえ。回復役がパーティにいれば心強いな」
「実際、アルヴァーナで大きな怪我なんてしないと思うけどね。それに、難度F世界のヒーラーなんて、まともな治癒魔法が使えるとは思えないし」
「えええ……? そうなんだ……?」

 想像と違ったせいで肩を落とす輝久。ティアは金髪を弄りながら言う。

「気楽にほのぼのやれば良いんだって。アルヴァーナは、眠ってても攻略できるような異世界なんだから」

 話しながらティアは、遠くに見えるプルト城に向かって足を進める。輝久が焦ってティアを追おうとした、その時だった。空が一瞬、真っ白に輝いた。

 二人とも歩くのを止めて立ち止まる。

「雷か? 今、光ったよな?」
「ええ。おかしいわね。こんなに晴れてるのに」

 ティアは不思議そうに言った後、ハッと気付いたように早足で歩き出した。

「急ぎましょ。雨でも降ったらドレスが濡れちゃうわ」





「おおっ! あの見目麗しい姿は、伝承にある女神様に違いない!」
「なら、隣の男性は勇者様か!」

 プルト城下では、輝久とティアを見た兵士達がざわめいていた。少し気恥ずかしい輝久とは逆に、ティアは自信たっぷりに歩を進める。そして当然のように城門を潜り、跪く兵士達の横を通過して王の間に辿り着くと、観音開きの扉をばーんと開けた。

 王と兵士達が驚いた顔で、ティアと輝久を交互に見る。輝久は気まずくなってティアの耳元で囁いた。

「な、何か自分の家みたいに普通に入ってきちゃったけど……大丈夫?」
「良いの。私、女神ですから」

 さも慣れた様子で言うティアに、輝久はハラハラしていた。アドルフ王が慌てて玉座から立ち上がる。

「い、いきなりでビックリしたが……女神様と勇者殿じゃな! よくぞ参られた!」
「迎えが無いので、こちらから来てしまいましたわ。ええ、迎えが無かったもので」
「そ、それは悪かった! いや本当に申し訳ない!」

 輝く笑顔のまま、送迎が無かったことを強調するティアに、王も護衛の兵達もタジタジであった。此処までくると輝久は、ティアの傍若無人振りに感心し、頼もしいなと思い始めていた。

「そ、それで、早速じゃが、女神様と勇者に頼みがあるのじゃ!」
「アルヴァーナの野菜と果物を守って欲しいんですよね? 頑張ります」
「あっ? えっ? う、うむ、そうじゃ! お願いします!」

 アドルフ王が言葉の先を取られて面食らっていたが、輝久もまた初めて聞く事実にたまげていた。

「ちょっと待って!? ティア!! 俺の仕事って、野菜と果物守ることなの!?」

 ティアが「まぁまぁ」と輝久の肩に手を載せる。

「難度Fだから。でもその分、元の世界に早く帰れるわ。考え方次第よ」

 聞きしに勝る低レベルな使命と知り、輝久は愕然とする。だが、王も兵士達も熱い眼差しを輝久に送っていた。後戻りは出来そうにない。ああ、なるほど。だからティアは今の今までこのことを黙っていたのか。

 腑に落ちない様子の輝久に構わず、ティアはアドルフ王と話を続けた。

「此処にヒーラーの仲間がいるんですよね?」
「女神様は何でも知っておるのう。そうじゃ! 昨日、我が娘ネィムが聖なる祠の修行から戻ってきたところなのじゃ!」

 王が柏手を叩くと扉が開かれた。輝久は背後を振り返る。

 赤絨毯の先に、神官姿の幼い女の子が立っていた。強ばった顔で、右手と右足を同時に出し、あからさまに緊張しながら歩いてくる。幼女は気まずそうに輝久の隣を通り過ぎると、いそいそと王の隣に向かう。アドルフ王がこほんと咳払いをした。

「これ、ネィム。自分で挨拶するのじゃ」
「は、は、はいです!」

 王に窘められて、幼女は輝久の元へ再び歩いてきた。意を決したように言う。 

「わ、わ、私、ネィムって言いますです! 勇者様! よろしくお願いしますです!」

 変な喋り方だなあ、と思いながら、輝久はネィムを改めて眺めた。癖のある茶髪のセミロングに愛らしい顔の幼女は、小学生低学年のような背格好だ。

 ネィムは持っていた花束を輝久に差し出した。

「こ、これ、プレゼントのお花なのです!」

 花束を持つ手が、プルプルと震えている。見かけ通り幼く、そして純粋な子らしい。

 少し照れくさかったが、これから仲間になる幼女からの贈り物である。輝久は頬を指で掻いた後、

「え、と。ありがと」
「はいです!」

 輝久が礼を言うと、ネィムは緊張がほぐれた笑顔を見せた。無垢な笑みに輝久も釣られて笑う。そして、輝久が花束を受け取ろうと右手を伸ばしたその時。ガヤガヤと周囲が騒がしくなった。ネィムが輝久から視線をそちらに向けた。

「……え」

 呟いて、絶句するネィム。先程までの満面の笑みが消え失せ、蒼白な表情で輝久の背後の扉付近を見詰めている。ネィムだけではない。アドルフ王も、王の間にいる護衛の兵士達、全ての視線がそちらに向けられていた。

 輝久も振り返り――そして驚愕の為、目を大きく見開く。

 扉の前には、ポニーテールの女兵士が立っていた。だが明らかに様子がおかしい。彼女の体の右半分は、大きく肥大していた。左半身は細い女性の体なのに、右半分はでっぷりとした泥色の醜い肉体。彼女の体の右半分が、怪物のようになっているのだ。

「あ……ぐが……!」

 女兵士は苦しそうに言葉を吐き、片方だけの目から涙を流していた。

「セレナ兵士長!? どうしたのじゃ、その姿は!?」

 女兵士の異変を見て、王が叫ぶ。

「せ、セレナさん……!?」

 ネィムが輝久に渡しかけていた花束を赤絨毯に落とした。色とりどりの花びらが、王の間に散る。

 王とネィムの呼びかけに答えたのは、女兵士セレナではなく、右半分の不気味な肉体だった。半分の唇から、下卑た声を出して笑う。

「ぐへへへへ! この女の体はオデが貰ったぞおおおおおお!」

 輝久は堪らず、隣のティアを見る。

「な、何だよ、アレ!?」

 ティアも真剣な表情で眉間に皺を寄せていた。

「体半分が魔物に乗っ取られているようね」

 ティアはキッと怪物を睨む。

「……アンタ一体、何者?」

 すると半身の怪物は、王の間に哄笑を轟かせた。

「ぐひへへへへへ!! 戴天王界が覇王!! 侵食のボルベゾ!!」
「戴天王界……? 侵食のボルベゾ……?」

 ティアが心底不可解といった様子で言葉を繰り返す。輝久はティアの手前、緊張を押し殺して平静を装った。

「急に強そうな敵が出てきたな」
「どうせ見かけ倒しよ。何度も言うけど、アルヴァーナは難度Fの世界なんだから」

 その時だった。左半身のセレナが苦しげに喘ぎ、片膝を突く。

「セレナさん!」

 咄嗟にネィムが叫んで、セレナに駆けつける。

「ネィム!? 近寄ってはならん!!」

 王の悲痛な声。兵士達もざわつくが、それでもネィムはセレナに駆け寄った。

「お、おい!! あの子、大丈夫かよ!?」

 輝久もまた叫ぶ。セレナの半身は怪物なのだ。近寄っては攻撃される可能性がある。

 事態は切迫しているように輝久には思えた。だが、ティアはこの様子を見て、したり顔を見せる。

「なるほどね。きっと、ネィムの治癒魔法はあの怪物に有効なんだわ」
「ど、どういう意味だよ?」
「ゲームなんかでも、よくあるでしょ? 仲間の優位性を見せる為の演出よ。ネィムの力で、このピンチをどうにか切り抜けるって訳」
「ああ! そういうことか!」

 輝久は納得し、そして安堵した。見れば、ネィムは倒れたセレナに既に治癒魔法を施していた。淡い光がセレナの右半身となった怪物ボルベゾに照射される。

「ぐぬああああああ!?」

 ボルベゾの右半身は、ネィムを攻撃するでもなく、野太い叫び声を上げていた。

「ね、ネィム様……ありがとうございます……」

 更に、涙ながらに感謝する左半身のセレナ。これを見て、輝久もティアの言ったことが真実だと確信した。

 しかし……。

 苦しげだったボルベゾは、半分の口角をにたりと上げる。

「全く、驚いちまったなああああああ! 何だあ、このレベルの低いヒーラーはあ? おめえの治癒速度なんかより、オデの侵食速度の方がずっとずっとはええぞおおお!」

 ネィムは淡い光を必死にボルベゾに当てていた。それでも、泥が徐々にセレナの残っている体の部分に広がっていく。

「う……あああああああああ!!」

 セレナが苦しげに呻いた。ネィムは治癒を続けながら、涙を流す。

「ごめんなさいです。ごめんなさいです。治せなくてごめんなさいです」

 輝久は居ても立ってもいられなくなって、隣のティアの肩を揺すった。

「おい!! ホントにコレ、展開通りなのかよ!?」
「確かに妙ね。難度Fにしては展開がハードすぎるわ」
「やっぱり俺らが何とかしなきゃならないんじゃないのか!?」
「分からないけど、イレギュラーが起きてるのかも。なら……」

 ティアがセレナの半身であるボルベゾに近付き、右手を向けた。ティアの右手が光を帯びて眩く輝く。

「レベル58光聖魔法『ピュリファ・ライト』!」

 ネィムの手から発せられていた淡い光とは比べものにならない圧倒的な光量が、王の間を明るくする。

「おおおっ!」
「女神様の力だ!」

 王や衛兵達が歓喜の混じった声を上げる。圧倒的な女神の力に、泣き顔のネィムも安堵しかけたように見えた。

「ああっ!! あああああああああ!!」

 それでも、セレナは苦しみ続けていた。いや、先程よりもなお一層、悲痛な叫び声を上げている。ティアの顔が徐々に青ざめていく。

「そ、そんな……! 私の魔法に耐性があるの?」
「ぐへへへ! 女神の力もたいしたことねえなあああああ!」

 どんどんとセレナである部分が泥色に侵食されていく。ネィムは我慢できなくなったのか、ティアの隣で、セレナに向けて治癒魔法を再発動する。

「お願いです! 治って! 治ってくださいです!」

 ティアとネィムが力を合わせるように、ボルベゾに魔法を照射する。だが、セレナは目を充血させて叫び続ける。

「あああああああああああああ!!」

 そんなセレナの絶叫は途中で途絶える。泥の侵食はセレナの口を完全に消失させ、ボルベゾの醜い唇に変わっていた。
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