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第三章 渡せなかった花束 その一
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「はぁっ、はぁっ! はぁっ!」
目覚めた時、過呼吸になりそうな程に輝久の呼気は荒かった。ベッドの上で、怪物に食いちぎられた全身が無事であることを確認する。優しげな朝日がカーテンの隙間から差し込み、小鳥のさえずりが聞こえていた。
女兵士セレナに案内されたプルト城内の寝室で一夜明かしたことを思い出して、輝久は額の汗を拭う。
(また、夢か)
どことなくガガ戦の後に見た悪夢と似ている気がした。違うのは、今回は戦う前に夢を見たこと。そして、敵はガガではなく……。
「侵食の……ボルベゾ……!」
無限に増殖していく恐ろしい怪物を思い出しながら、輝久は震える声で呟く。
突然、
「どうしたのデス?」
呑気な声が聞こえた。隣のベッドから起きたマキが枕を小脇に抱えながら、瞼を擦っている。
「悪い。起こしちまったか」
「テル、うなさレてましタ」
ひょっとして喘いだり、叫んだりしていたのだろうか。恥ずかしくなって頬を赤く染める輝久の前で、マキは言う。
「オシッコを漏らシたのデスね?」
「漏らしてねえわ。オイル漏れするお前と一緒にすんな」
軽くツッコんだつもりだったのに、マキは真顔で自分のベッドのシーツを捲る。そこには大きな黒いオイルの染みが出来ていた。マキが小さな親指を立てる。
「正解デス」
「正解デスじゃねえ!! ホントに漏らしてたの!? どうすんだ、このシーツ!!」
ペシンと頭を叩いてやろうとして思い留まる。泣かせば、黒い染みが増えるだけである。
「どうしテ、テルはうなされていタのデスか?」
マキが不思議そうな顔をしていた。「それは」と言いかけて輝久は口ごもる。夢の話をマキにしたところで、どうなるというのだ。そう。アレは夢。ただの悪夢だ。
「……何でもない」
頭にこびりつく悪夢の残滓を振り落とすべく、輝久はグシャグシャと髪を掻いた。
マキのシーツの件は、城内にいたおばさんメイドに平謝りしておいた。おばさんはマキを見て微笑むと「気にしないで良いのよ。まだまだ幼いものねえ」と笑っていた。いや、一応女神なんだけどね、この子!
その後は、だだっ広い食堂に案内される。輝久とマキの二人だけが、長いテーブルの端にある椅子に腰掛けた。テーブルはあっという間にメイド達が運んでくる豪華な料理で埋め尽くされる。マキがパンを囓る。
「おいしいデス」
「こぼれてんぞ」
食が進まない輝久に、給仕していた若いメイドが心配そうに声を掛けてきた。
「すいません、勇者様。味付けが良くなかったでしょうか?」
「いや、そんなことは。ちょっと食欲がなくて」
苦笑いする輝久の隣で、マキはフォークを手にパクパクと食を進めていた。
この子なんなん、もう!! 何で、そのビジュアルで食べられるんだよ!? 考え事してんのに、考え事増やすな!!
実際のところ、輝久が食欲がないのは、マキのこともさることながら、今朝見た悪夢がどうしても頭を離れないからだった。
輝久はマキから目を逸らすと、それとなく給仕のメイドに聞いてみる。
「あのさ。ネィムって、茶髪だったりする?」
「はい。肩まである、茶色のくせっ毛です。とっても愛くるしいんですよ」
輝久の心臓がドクッと大きく一つ鼓動した。ま、待て待て! たかが髪の色だ! 偶然かも知れないじゃないか!
「あと妙に『です』の多い、変な敬語使ったり……?」
「ええ! ネィム様は私共にも敬語を使ってくださるんです!」
「へ、へぇー」
「勇者様は、よくご存じなのですね!」
笑顔のメイドに輝久も笑みを返すが、その顔はぎこちなく引き攣っていた。会ったことのないネィムの容姿や口調を輝久は知っている。これはもはや偶然と言えるのだろうか。段々と輝久の鼓動は速くなってきた。
その時、突然、窓の外が光った。メイドも気付いたようで、近くの窓から外を眺める。
「遠くの空が光りましたね。雨でも振るのでしょうか?」
「雷か……?」
途端、輝久は持っていたフォークを落とす。ガガと戦った時の記憶と、先程見た悪夢が同時にフラッシュバックした。
(そうだ! ガガも! 夢のボルベゾも! 空が光った後に現れた!)
輝久の心臓はバクバクと脈打ち始める。
……気になっていたことがあった。輝久自身のことだ。ゲームや異世界ものに似た世界に転生したというのに、自分にはスキルがない。マキに聞いても知らないと言う。なら、これから先、何処かで身に付けるのかも知れないと思っていたのだが――。
(もう既にあったとしたら!)
『予知能力』!! もしかしてそれが俺のスキルじゃないか!? だとすれば……アレは、これからリアルに起こるってことか!?
輝久は理由や説明がつかないことが大嫌いである。そして今、自分に起きている状況はまさにそれ。先程見た夢が予知夢だという確証など無い。むしろ、単なる偶然と片付ける方が、まだ理にかなっている気もする。
(けれど、もし仮にアレが本当に起こったら……!)
女兵士セレナの死。ネィムの惨殺。プルト城の壊滅。悪夢の内容を思い出して、
「クソッ!」
輝久は椅子から立ち上がる。テーブルの料理をあらかた食べ終わったマキが、きょとんとした顔で輝久を見上げた。
「テル? 何処に行くのデスか?」
(そうだ、俺は何処に行けば良い!? いや、何をすれば良い!?)
徐々に記憶から薄れてゆく夢の内容を思い返す。事実、金髪女神の名前はもう、ハッキリと思い出せなかった。それでも殺戮の記憶は未だ鮮明に脳裏に刻まれている。
半身がボルベゾになった女兵士セレナが王の間に現れる。それが始まりだった。セレナからボルベゾの感染が始まり、城中が地獄絵図に変わってしまった。
「セレナだ! 彼女を守らなきゃ!」
輝久は叫ぶ。そして給仕のメイドにすがるように尋ねた。
「メイドさん!! セレナは何処だ!?」
「セレナ兵士長はまだいらっしゃいません。毎朝、市場で買い物をしてから、城に向かうと聞いておりますが……」
「マキ! 市場に行くぞ!」
口の周りをナプキンで拭いているマキの固くて小さな腕を、輝久は掴んで駆け出した。
目覚めた時、過呼吸になりそうな程に輝久の呼気は荒かった。ベッドの上で、怪物に食いちぎられた全身が無事であることを確認する。優しげな朝日がカーテンの隙間から差し込み、小鳥のさえずりが聞こえていた。
女兵士セレナに案内されたプルト城内の寝室で一夜明かしたことを思い出して、輝久は額の汗を拭う。
(また、夢か)
どことなくガガ戦の後に見た悪夢と似ている気がした。違うのは、今回は戦う前に夢を見たこと。そして、敵はガガではなく……。
「侵食の……ボルベゾ……!」
無限に増殖していく恐ろしい怪物を思い出しながら、輝久は震える声で呟く。
突然、
「どうしたのデス?」
呑気な声が聞こえた。隣のベッドから起きたマキが枕を小脇に抱えながら、瞼を擦っている。
「悪い。起こしちまったか」
「テル、うなさレてましタ」
ひょっとして喘いだり、叫んだりしていたのだろうか。恥ずかしくなって頬を赤く染める輝久の前で、マキは言う。
「オシッコを漏らシたのデスね?」
「漏らしてねえわ。オイル漏れするお前と一緒にすんな」
軽くツッコんだつもりだったのに、マキは真顔で自分のベッドのシーツを捲る。そこには大きな黒いオイルの染みが出来ていた。マキが小さな親指を立てる。
「正解デス」
「正解デスじゃねえ!! ホントに漏らしてたの!? どうすんだ、このシーツ!!」
ペシンと頭を叩いてやろうとして思い留まる。泣かせば、黒い染みが増えるだけである。
「どうしテ、テルはうなされていタのデスか?」
マキが不思議そうな顔をしていた。「それは」と言いかけて輝久は口ごもる。夢の話をマキにしたところで、どうなるというのだ。そう。アレは夢。ただの悪夢だ。
「……何でもない」
頭にこびりつく悪夢の残滓を振り落とすべく、輝久はグシャグシャと髪を掻いた。
マキのシーツの件は、城内にいたおばさんメイドに平謝りしておいた。おばさんはマキを見て微笑むと「気にしないで良いのよ。まだまだ幼いものねえ」と笑っていた。いや、一応女神なんだけどね、この子!
その後は、だだっ広い食堂に案内される。輝久とマキの二人だけが、長いテーブルの端にある椅子に腰掛けた。テーブルはあっという間にメイド達が運んでくる豪華な料理で埋め尽くされる。マキがパンを囓る。
「おいしいデス」
「こぼれてんぞ」
食が進まない輝久に、給仕していた若いメイドが心配そうに声を掛けてきた。
「すいません、勇者様。味付けが良くなかったでしょうか?」
「いや、そんなことは。ちょっと食欲がなくて」
苦笑いする輝久の隣で、マキはフォークを手にパクパクと食を進めていた。
この子なんなん、もう!! 何で、そのビジュアルで食べられるんだよ!? 考え事してんのに、考え事増やすな!!
実際のところ、輝久が食欲がないのは、マキのこともさることながら、今朝見た悪夢がどうしても頭を離れないからだった。
輝久はマキから目を逸らすと、それとなく給仕のメイドに聞いてみる。
「あのさ。ネィムって、茶髪だったりする?」
「はい。肩まである、茶色のくせっ毛です。とっても愛くるしいんですよ」
輝久の心臓がドクッと大きく一つ鼓動した。ま、待て待て! たかが髪の色だ! 偶然かも知れないじゃないか!
「あと妙に『です』の多い、変な敬語使ったり……?」
「ええ! ネィム様は私共にも敬語を使ってくださるんです!」
「へ、へぇー」
「勇者様は、よくご存じなのですね!」
笑顔のメイドに輝久も笑みを返すが、その顔はぎこちなく引き攣っていた。会ったことのないネィムの容姿や口調を輝久は知っている。これはもはや偶然と言えるのだろうか。段々と輝久の鼓動は速くなってきた。
その時、突然、窓の外が光った。メイドも気付いたようで、近くの窓から外を眺める。
「遠くの空が光りましたね。雨でも振るのでしょうか?」
「雷か……?」
途端、輝久は持っていたフォークを落とす。ガガと戦った時の記憶と、先程見た悪夢が同時にフラッシュバックした。
(そうだ! ガガも! 夢のボルベゾも! 空が光った後に現れた!)
輝久の心臓はバクバクと脈打ち始める。
……気になっていたことがあった。輝久自身のことだ。ゲームや異世界ものに似た世界に転生したというのに、自分にはスキルがない。マキに聞いても知らないと言う。なら、これから先、何処かで身に付けるのかも知れないと思っていたのだが――。
(もう既にあったとしたら!)
『予知能力』!! もしかしてそれが俺のスキルじゃないか!? だとすれば……アレは、これからリアルに起こるってことか!?
輝久は理由や説明がつかないことが大嫌いである。そして今、自分に起きている状況はまさにそれ。先程見た夢が予知夢だという確証など無い。むしろ、単なる偶然と片付ける方が、まだ理にかなっている気もする。
(けれど、もし仮にアレが本当に起こったら……!)
女兵士セレナの死。ネィムの惨殺。プルト城の壊滅。悪夢の内容を思い出して、
「クソッ!」
輝久は椅子から立ち上がる。テーブルの料理をあらかた食べ終わったマキが、きょとんとした顔で輝久を見上げた。
「テル? 何処に行くのデスか?」
(そうだ、俺は何処に行けば良い!? いや、何をすれば良い!?)
徐々に記憶から薄れてゆく夢の内容を思い返す。事実、金髪女神の名前はもう、ハッキリと思い出せなかった。それでも殺戮の記憶は未だ鮮明に脳裏に刻まれている。
半身がボルベゾになった女兵士セレナが王の間に現れる。それが始まりだった。セレナからボルベゾの感染が始まり、城中が地獄絵図に変わってしまった。
「セレナだ! 彼女を守らなきゃ!」
輝久は叫ぶ。そして給仕のメイドにすがるように尋ねた。
「メイドさん!! セレナは何処だ!?」
「セレナ兵士長はまだいらっしゃいません。毎朝、市場で買い物をしてから、城に向かうと聞いておりますが……」
「マキ! 市場に行くぞ!」
口の周りをナプキンで拭いているマキの固くて小さな腕を、輝久は掴んで駆け出した。
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