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③アストリア帝国 魔法学園トリバス
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魔法学園トリバス。
16歳~18まで、希望すれば20歳まで通える、巨大な学園。
その中には平民校舎、貴族校舎もありー
その貴族校舎の3階、魔法科1年1組の教室前。
「アリセア嬢、みつけた」
「ひゃあ!」
背後からの小さな衝撃に、アリセアは飛び上がった。
制服越しの、誰かの温もり。
肩に手を置かれたのだと、数拍たってようやく気がつき、アリセアは驚きとともに振り返った。
そこには、アリセアよりも頭2つ分背が高い、青年が立っていた。
魔法学園の制服に身を包んだ彼は、少しだけ長めの黒い髪を、軽く後ろに撫で付けるようにして、アレンジした髪型で。
さらには異国の文化を受け継ぐ鼻筋の通った端正な顔立ち。
彼もまた、ユーグスト殿下とは、違ったタイプの涼し気な眼差しを持つ青年だった。
その彼は、くしゃっと紫の目を細め、無邪気に笑いかけてきた。
「久しぶりだな、アリセア嬢。……早速なんだけど、今日の魔法演習、一緒に組まない?」
今までいた周囲の人と違って、遠慮のない物言いにアリセアは内心戸惑った。
もしかしてこの人が……?
「“フォート” いい加減にして……」
冷たく言い放った声には、自分でも分かるぎこちなさが混じる。
だが彼は気にする様子もなく、楽しげに肩をすくめた。
「久しぶりに会えたのに、相変わらずつれないな、……1週間ぶりくらい?」
ユーグスト殿下に頂いたクラス名簿。
そこに書かれていた、私にこんなに気安く接してくる人は……。
フォート・セフィオル。
確かそんな名前だったはず。
復学にあたって、彼との関係も一応はユーグスト殿下とその護衛、ヤールと、確認していた。
けれど、ここまで馴れ馴れしく接されると、やはり戸惑う。
(私…普段から、こんな風にツンケンしてるの? それで殿下の婚約者って……)
ちらりと彼を見上げると、フォートは屈託なく笑った。
何も気にしていないどころか——
「……うれしそうね?」
確かに彼は、アリセアの「友達」らしい。
「やっぱり、アリセアがいないと、つまんないからね」
「そんな事は……ないわよ」
(私といても特段楽しいこともないだろうに、なんだか不思議な人ね)
「そういえばアリセアさ、自分では気がついて無いだろうけど、魔法演習の日はいつも緊張して少しだけ顔が強ばるクセがあるんだよな。今日は俺と組むから、少しは安心だろ、なんてな」
「え?」
そう言われて咄嗟に頬に手を当てる。
(顔……強ばってた、なんて……知らなかった)
彼はこんなにも自然体で接してくれる。
それなのに――私は、そんな彼との思い出を、全部忘れてしまっている。
そのことが、ほんの少し胸に刺さった。
「ほら、今日も顔がちょっと………ん? ……あれ?」
フォートが急に首を傾げ、まじまじとこちらを見つめてきた。
その目がどこか真剣で、アリセアは思わず身構える。
「な、なに?」
「……増えた?」
「えっ…?」
一瞬の間。
次の瞬間、アリセアの顔が真っ赤に染まる。
(ど、どうして分かるの!?)
静養中の療養生活で、2kgも体重が増えてしまった。
お医者様には「健康的になった」と褒められたけれど、まさかクラスメイトに見抜かれるなんて…。
「じょ、女性に体重のこと言うのって……すっごく失礼よ!」
必死に平静を装いながらも、声は震えていた。
だがフォートは驚きで目を見開いて、少しだけ焦ったように手を振る。
「え?あ、いや、違うちがう!そういう事ではなくて……」
「じゃあ、どんな意味かしら」
詰め寄ると、彼は視線を逸らし、バツの悪そうな笑みを浮かべた。
「いや……ごめん、勘違いだった。アリセア、ほら、もう皆、移動してるし、演習場行こう」
彼の表情は、今度は苦笑いに変わっていった。
「もう、誤魔化さないで」
アリセアの頬はまだ熱い。けれど、授業の時間は確実に迫っている。
(ほんとに、もう……)
フォートは何度も「ごめんって」と笑いながら謝っているけれど、どこか楽しそうで。
(なんだか憎めない笑み……)
渋々その背についていくうちに、気がつけば――
アリセアの足取りも、言葉も、彼の軽さに少しずつ引き込まれていた。
(……はぁ。初日から、前途多難だわ)
***************
3階建ての騎士科校舎、その屋上にふたつの影があった。
すべての周りの校舎が見渡せるこの場所。
「……アリセア」
ユーグストの蒼の瞳が遠くを見つめていた。
その視線の先にいるのは、記憶を失った彼女ーーアリセア。
校舎1階白い回廊を歩く姿から察するに、近くの演習施設へと移動中なのだろう。
不安、焦燥、そしてそれ以上に――ただ彼女を想う、まっすぐな眼差し。
ため息を吐いたのは、無意識だった。
そんな時だった。
背後からヤールの声が聞こえたのは。
「"遠視”魔法を使ってます?魔力より先にユーグスト殿下の熱い視線が、届きそうですね」
「ヤール」
「はい、殿下」
普段は優しげで、表情がそこから動かない、完璧な笑みを浮かべるユーグスト。
同じクラスメイトで、従者でもあるヤールの言葉を低い声で遮った。
普段の彼からは似つかわしくない表情だ。
「どうしました、殿下」
しかし、ヤールは落ち着いた声で言葉を返した。
ユーグストよりも背の高いヤールは、短い赤い髪をしている、体格の良い青年だ。
主のユーグストの、表向きから、素の態度への変化にも、柔軟に受け止める器さえある。
「からかう為について来たのか?」
「申し訳ありません。私ももちろん心配はしております。が、あまりにも殿下が長い間アリセア様を見られていたので」
「まったく……」
呆れたようにユーグストはヤールを見る。
しかし、実際ユーグスト殿下はアリセア様のことが心配なのは事実であり、ここから見つめているのは、その気持ちの表れだとヤールには分かっていた。
***
ユーグストは今度こそ深くため息をついた。
(今の彼女には、……俺との思い出も、身近な人との記憶すらない)
校舎も離れ学年も違い、支えようとするのにも、限界はある。
(見る限りアリセアは大丈夫そうだ。けれど……)
気になるのはやはり、彼、フォート・セフィオル。
記憶を失った彼女からしたら初対面……なはずなのに。
2人の様子は……もう既に昔から親交があるかのような姿に見えた。
フォートがきっと軽口を言い、それに対してアリセアが思わずと言ったように笑ってしまっている。
馴れ馴れしさに戸惑っているのは分かるが、それでも、彼女の表情が気を許したような表情になっていた。
(これは……)
別の意味で、胸の奥がざわついた。
ヤールは、そんな主の横顔を一瞥し、視線を遠くにいるフォートへと戻した。
隣国ノクスフェリアから来た留学生。
文化も風習も違う南方の国の出身らしく、どこまでも開放的で、遠慮がない。
それは彼女が記憶を失う前から変わらず、時に迷惑がられ、時に注意され――
それでも彼女に懲りずに絡みにいく様は、もはや日常風景と化していた。
もちろん、クラスの中でも浮いてはいない。
むしろ誰とでも分け隔てなく接し、良くも悪くも“愛される”存在だ。
だが、それでも。
公爵家であられるアリセア様のような立場の女性に対し、あまりに気軽すぎるのではないかと、ヤールは思う。
ユーグスト殿下は、内心でその振る舞いを好ましく思っていない様子だが、表には出さず静観している。
この魔法学園はやたら広くて、平民、貴族、騎士科の三つの校舎の他に魔法塔まである。
他にも生活科、魔法全般科、魔獣対策科、果ては研究科まで揃って人が多いせいで、揉め事は日常茶飯事だ。
それぞれ校舎は違えど、優秀な生徒は他校からの引き抜きすらある。
学園の基本理念は、皆が平等。
そのため、行動や言動にはある程度の自由が約束されていて、特別扱いはない。
だからこそ、ユーグストはただ一生徒として彼女を見守っていた。
ヤールは、面白くない顔をしている彼に、こっそりと笑った。
ここまで表情を出されるのは、良くも悪くもアリセア様に関することに対してだけだ。
(先ほども……照れてしまって、言葉が冷たくなっただけですよね、殿下。俺には分かっていますよ)
ヤールは、演習場の屋外施設に向かう、遠くなっていくアリセア達2人の背中を見つめた。
ふとその時。
フォートが振り返り。
一瞬、…視線が交わった、気がした。
しかし、実際には200m以上は離れている距離である。
……気のせいだろうか。
「ヤール、普段、"私は”公共の場で、あまり本音を言いたくないけれど」
ユーグストの言葉に、ヤールは我に返り、主に体を向ける。
ユーグストは一瞬、視線を落とした。
そして、静かに口を開く。
「彼は………目に余るな」
「……ですね」
ユーグが冷めた瞳になるのも、今のところ彼に対してだけだ。
ユーグスト殿下が纏うオーラが怖い。
そして、先程の言葉。
しっかりと根っこの本音部分は、ヤールに伝わった。
(……そのトーンはもう、「排除したい」って言ってるようなもんじゃないですか、殿下)
ヤールは内心でそう呟きつつ、決して声には出さなかった。
王族の発言としてはシャレにならないが――
それだけ“本気”で、アリセア様を想っているということなのだ。
「彼は、こちらを見て笑ってきたよ」
「相変わらず……肝が据わっていますね」
「アリセアは、人に好かれるからね」
「ふっ……それはもちろん、ご自身も含んでますよね?」
ヤールの問いかけに対し、ユーグストは一拍の間をおいてから答えた。
「あぁ、もちろん」
その瞬間、彼の瞳がふっと揺れた。
一見、淡々とした返答だったが、ほんのわずかに目尻が下がり、口元が緩む。
それは微笑とも呼べない、ただの表情のゆるみ。
しかしそれは、彼が自覚するよりもずっと、穏やかで、正直な心の動きを映していた。
その表情を見て、ヤールは口元が緩む。
金髪に、碧の瞳。
整った鼻筋に薄い唇。
皆、彼を笑顔を絶やさない完璧な王子として見ている。
いや、1番上の皇太子さまは、ユーグスト殿下に対して、また違った印象を持たれているかもしれないが。
これが、理想の王子様と言われれば誰でも頷く。
しかし、誰もかもが、ユーグスト第2殿下は、婚約者を、こんなにも"特別視している”とは認識しないであろう。
しかし、アリセア様との婚約が整う前、どなたが婚約者になるかの、外野の駆け引き合戦は凄かったと聞く。
ユーグの兄君にあたる、皇太子は、ユーグ様をさらに凌ぐ人気っぷりのようだが……。
だけどある日、「私は、この子がいいです」
草をいっぱいくっつけて、女の子を背負って現れた幼少時代のユーグ。
王家開催のパーティーの、片隅、美しい庭園で。
そこにいた関係者たちの顔は、驚愕で染まった。
その時の情景が思い浮かぶようだと思いを馳せていると。
「行こうか」
ユーグストが、背を向けて校舎内に戻っていく。
「はい、殿下」
ヤールは最後に、アリセア達の方を見たが、もうそこには誰もいなかった。
16歳~18まで、希望すれば20歳まで通える、巨大な学園。
その中には平民校舎、貴族校舎もありー
その貴族校舎の3階、魔法科1年1組の教室前。
「アリセア嬢、みつけた」
「ひゃあ!」
背後からの小さな衝撃に、アリセアは飛び上がった。
制服越しの、誰かの温もり。
肩に手を置かれたのだと、数拍たってようやく気がつき、アリセアは驚きとともに振り返った。
そこには、アリセアよりも頭2つ分背が高い、青年が立っていた。
魔法学園の制服に身を包んだ彼は、少しだけ長めの黒い髪を、軽く後ろに撫で付けるようにして、アレンジした髪型で。
さらには異国の文化を受け継ぐ鼻筋の通った端正な顔立ち。
彼もまた、ユーグスト殿下とは、違ったタイプの涼し気な眼差しを持つ青年だった。
その彼は、くしゃっと紫の目を細め、無邪気に笑いかけてきた。
「久しぶりだな、アリセア嬢。……早速なんだけど、今日の魔法演習、一緒に組まない?」
今までいた周囲の人と違って、遠慮のない物言いにアリセアは内心戸惑った。
もしかしてこの人が……?
「“フォート” いい加減にして……」
冷たく言い放った声には、自分でも分かるぎこちなさが混じる。
だが彼は気にする様子もなく、楽しげに肩をすくめた。
「久しぶりに会えたのに、相変わらずつれないな、……1週間ぶりくらい?」
ユーグスト殿下に頂いたクラス名簿。
そこに書かれていた、私にこんなに気安く接してくる人は……。
フォート・セフィオル。
確かそんな名前だったはず。
復学にあたって、彼との関係も一応はユーグスト殿下とその護衛、ヤールと、確認していた。
けれど、ここまで馴れ馴れしく接されると、やはり戸惑う。
(私…普段から、こんな風にツンケンしてるの? それで殿下の婚約者って……)
ちらりと彼を見上げると、フォートは屈託なく笑った。
何も気にしていないどころか——
「……うれしそうね?」
確かに彼は、アリセアの「友達」らしい。
「やっぱり、アリセアがいないと、つまんないからね」
「そんな事は……ないわよ」
(私といても特段楽しいこともないだろうに、なんだか不思議な人ね)
「そういえばアリセアさ、自分では気がついて無いだろうけど、魔法演習の日はいつも緊張して少しだけ顔が強ばるクセがあるんだよな。今日は俺と組むから、少しは安心だろ、なんてな」
「え?」
そう言われて咄嗟に頬に手を当てる。
(顔……強ばってた、なんて……知らなかった)
彼はこんなにも自然体で接してくれる。
それなのに――私は、そんな彼との思い出を、全部忘れてしまっている。
そのことが、ほんの少し胸に刺さった。
「ほら、今日も顔がちょっと………ん? ……あれ?」
フォートが急に首を傾げ、まじまじとこちらを見つめてきた。
その目がどこか真剣で、アリセアは思わず身構える。
「な、なに?」
「……増えた?」
「えっ…?」
一瞬の間。
次の瞬間、アリセアの顔が真っ赤に染まる。
(ど、どうして分かるの!?)
静養中の療養生活で、2kgも体重が増えてしまった。
お医者様には「健康的になった」と褒められたけれど、まさかクラスメイトに見抜かれるなんて…。
「じょ、女性に体重のこと言うのって……すっごく失礼よ!」
必死に平静を装いながらも、声は震えていた。
だがフォートは驚きで目を見開いて、少しだけ焦ったように手を振る。
「え?あ、いや、違うちがう!そういう事ではなくて……」
「じゃあ、どんな意味かしら」
詰め寄ると、彼は視線を逸らし、バツの悪そうな笑みを浮かべた。
「いや……ごめん、勘違いだった。アリセア、ほら、もう皆、移動してるし、演習場行こう」
彼の表情は、今度は苦笑いに変わっていった。
「もう、誤魔化さないで」
アリセアの頬はまだ熱い。けれど、授業の時間は確実に迫っている。
(ほんとに、もう……)
フォートは何度も「ごめんって」と笑いながら謝っているけれど、どこか楽しそうで。
(なんだか憎めない笑み……)
渋々その背についていくうちに、気がつけば――
アリセアの足取りも、言葉も、彼の軽さに少しずつ引き込まれていた。
(……はぁ。初日から、前途多難だわ)
***************
3階建ての騎士科校舎、その屋上にふたつの影があった。
すべての周りの校舎が見渡せるこの場所。
「……アリセア」
ユーグストの蒼の瞳が遠くを見つめていた。
その視線の先にいるのは、記憶を失った彼女ーーアリセア。
校舎1階白い回廊を歩く姿から察するに、近くの演習施設へと移動中なのだろう。
不安、焦燥、そしてそれ以上に――ただ彼女を想う、まっすぐな眼差し。
ため息を吐いたのは、無意識だった。
そんな時だった。
背後からヤールの声が聞こえたのは。
「"遠視”魔法を使ってます?魔力より先にユーグスト殿下の熱い視線が、届きそうですね」
「ヤール」
「はい、殿下」
普段は優しげで、表情がそこから動かない、完璧な笑みを浮かべるユーグスト。
同じクラスメイトで、従者でもあるヤールの言葉を低い声で遮った。
普段の彼からは似つかわしくない表情だ。
「どうしました、殿下」
しかし、ヤールは落ち着いた声で言葉を返した。
ユーグストよりも背の高いヤールは、短い赤い髪をしている、体格の良い青年だ。
主のユーグストの、表向きから、素の態度への変化にも、柔軟に受け止める器さえある。
「からかう為について来たのか?」
「申し訳ありません。私ももちろん心配はしております。が、あまりにも殿下が長い間アリセア様を見られていたので」
「まったく……」
呆れたようにユーグストはヤールを見る。
しかし、実際ユーグスト殿下はアリセア様のことが心配なのは事実であり、ここから見つめているのは、その気持ちの表れだとヤールには分かっていた。
***
ユーグストは今度こそ深くため息をついた。
(今の彼女には、……俺との思い出も、身近な人との記憶すらない)
校舎も離れ学年も違い、支えようとするのにも、限界はある。
(見る限りアリセアは大丈夫そうだ。けれど……)
気になるのはやはり、彼、フォート・セフィオル。
記憶を失った彼女からしたら初対面……なはずなのに。
2人の様子は……もう既に昔から親交があるかのような姿に見えた。
フォートがきっと軽口を言い、それに対してアリセアが思わずと言ったように笑ってしまっている。
馴れ馴れしさに戸惑っているのは分かるが、それでも、彼女の表情が気を許したような表情になっていた。
(これは……)
別の意味で、胸の奥がざわついた。
ヤールは、そんな主の横顔を一瞥し、視線を遠くにいるフォートへと戻した。
隣国ノクスフェリアから来た留学生。
文化も風習も違う南方の国の出身らしく、どこまでも開放的で、遠慮がない。
それは彼女が記憶を失う前から変わらず、時に迷惑がられ、時に注意され――
それでも彼女に懲りずに絡みにいく様は、もはや日常風景と化していた。
もちろん、クラスの中でも浮いてはいない。
むしろ誰とでも分け隔てなく接し、良くも悪くも“愛される”存在だ。
だが、それでも。
公爵家であられるアリセア様のような立場の女性に対し、あまりに気軽すぎるのではないかと、ヤールは思う。
ユーグスト殿下は、内心でその振る舞いを好ましく思っていない様子だが、表には出さず静観している。
この魔法学園はやたら広くて、平民、貴族、騎士科の三つの校舎の他に魔法塔まである。
他にも生活科、魔法全般科、魔獣対策科、果ては研究科まで揃って人が多いせいで、揉め事は日常茶飯事だ。
それぞれ校舎は違えど、優秀な生徒は他校からの引き抜きすらある。
学園の基本理念は、皆が平等。
そのため、行動や言動にはある程度の自由が約束されていて、特別扱いはない。
だからこそ、ユーグストはただ一生徒として彼女を見守っていた。
ヤールは、面白くない顔をしている彼に、こっそりと笑った。
ここまで表情を出されるのは、良くも悪くもアリセア様に関することに対してだけだ。
(先ほども……照れてしまって、言葉が冷たくなっただけですよね、殿下。俺には分かっていますよ)
ヤールは、演習場の屋外施設に向かう、遠くなっていくアリセア達2人の背中を見つめた。
ふとその時。
フォートが振り返り。
一瞬、…視線が交わった、気がした。
しかし、実際には200m以上は離れている距離である。
……気のせいだろうか。
「ヤール、普段、"私は”公共の場で、あまり本音を言いたくないけれど」
ユーグストの言葉に、ヤールは我に返り、主に体を向ける。
ユーグストは一瞬、視線を落とした。
そして、静かに口を開く。
「彼は………目に余るな」
「……ですね」
ユーグが冷めた瞳になるのも、今のところ彼に対してだけだ。
ユーグスト殿下が纏うオーラが怖い。
そして、先程の言葉。
しっかりと根っこの本音部分は、ヤールに伝わった。
(……そのトーンはもう、「排除したい」って言ってるようなもんじゃないですか、殿下)
ヤールは内心でそう呟きつつ、決して声には出さなかった。
王族の発言としてはシャレにならないが――
それだけ“本気”で、アリセア様を想っているということなのだ。
「彼は、こちらを見て笑ってきたよ」
「相変わらず……肝が据わっていますね」
「アリセアは、人に好かれるからね」
「ふっ……それはもちろん、ご自身も含んでますよね?」
ヤールの問いかけに対し、ユーグストは一拍の間をおいてから答えた。
「あぁ、もちろん」
その瞬間、彼の瞳がふっと揺れた。
一見、淡々とした返答だったが、ほんのわずかに目尻が下がり、口元が緩む。
それは微笑とも呼べない、ただの表情のゆるみ。
しかしそれは、彼が自覚するよりもずっと、穏やかで、正直な心の動きを映していた。
その表情を見て、ヤールは口元が緩む。
金髪に、碧の瞳。
整った鼻筋に薄い唇。
皆、彼を笑顔を絶やさない完璧な王子として見ている。
いや、1番上の皇太子さまは、ユーグスト殿下に対して、また違った印象を持たれているかもしれないが。
これが、理想の王子様と言われれば誰でも頷く。
しかし、誰もかもが、ユーグスト第2殿下は、婚約者を、こんなにも"特別視している”とは認識しないであろう。
しかし、アリセア様との婚約が整う前、どなたが婚約者になるかの、外野の駆け引き合戦は凄かったと聞く。
ユーグの兄君にあたる、皇太子は、ユーグ様をさらに凌ぐ人気っぷりのようだが……。
だけどある日、「私は、この子がいいです」
草をいっぱいくっつけて、女の子を背負って現れた幼少時代のユーグ。
王家開催のパーティーの、片隅、美しい庭園で。
そこにいた関係者たちの顔は、驚愕で染まった。
その時の情景が思い浮かぶようだと思いを馳せていると。
「行こうか」
ユーグストが、背を向けて校舎内に戻っていく。
「はい、殿下」
ヤールは最後に、アリセア達の方を見たが、もうそこには誰もいなかった。
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