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第九十五話 母との約束
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リオの瞳が揺らぎ、そしてうつむいた。
いつかはこういう日が来ると知っていたような気がする。
「あの子は、まだ、自分がしていることがわかっていない。どれほど姫君に屈辱を与えているのかも・・・もちろん、直接話し、諭した。でも聞く耳を持たないのです。お前に頼むしかない私のことも、考えておくれ」
リオはガツンと頭を殴られたように、くらくらした。
「アウレリオとお前のことが、姫の耳に入った。どれほど隠しても、水がにじみ出るように秘密は知られてしまう。」
リオは手を握り締めた。ぶるぶるとこぶしが震えて、止まらない。
ご結婚なさっても関係が変わらないはずないのに。
でも、今回限りかもしれないと思うと、断ることができなかった。
そもそも愛する相手を断れるわけない。
離れるしか・・・でもそれは、リオにとっては存在の否定そのものにほかならない。
「あの子はあの子なりにお前に誠実なのかもしれないが・・・神の認めた配偶者は姫だ。そのことは分かるな?」
こぶしの上に水滴が落ちた。
気づかないうちに泣いていたらしい。
「このままの状態が続けば、姫を本気で怒らせてしまう。姫は国王陛下のお気に入りで・・・もし、国王陛下に知られたら、アウレリオの爵位を取り上げて、あの馬鹿なイサークに与えるということにもなりかねない。どうせ中央からしたら、誰が領主になろうと変わらないと思っているだろうから。わが一族に課せられた宿命の重さも知らずに」
ひっくひっくとリオがしゃくりあげる声が部屋の中に響いた。申し訳ない。でも、愛する人にほかの人を抱けと言うほど辛いことがあるだろうか。
「ど、どうか・・・ご容赦を・・・」
「・・・ならぬ。お前は主君に忠誠を誓った身。お前がアウレリオに進言することがアウレリオのためなのだ。そして、その仕事はお前にしかできない」
「お許しください、どうか、どうか・・・おれの命を取られてもいいです。でもそれだけは・・・」
ソフィアが無言でリオの前に膝をついた。
「リオ。どうか、頼みます。これは前伯爵夫人としてではなく、アウレリオの母としての頼みです。あの子を救ってやって。お願い。お前を殺してやろうかと思ったこともある。だが、アウレリオはそうなる前に私を殺すと言い返したわ。どうか、お願い。いままで何のために耐えてきたのか・・・少しは利口になったかと思ったのに、あの子はいつまでたっても・・・でも、私のたった一人の息子なんです。どうか、どうか・・・」
ソフィアの声は震えていた。
常に冷静で、冷たくすら思える伯爵夫人はそこにはいない。
ただ、息子を守りたい一心の母の姿。
リオはまともな母親というものを知らない。
唯一温かな家族だと思ったのは、子供のころ父親という人に家畜小屋の二階を与えられた時、一階に住む馬番の妻が生まれたばかりの赤ん坊に優しく歌って話しかける、その姿だけだった。それはあまりにもかけ離れていて、彼にとっては現実味がなかった。
ぼんやりと涙でにじんだ世界の中には、子を思って使用人に膝をつく母親の姿があった。
俺はなんて自分勝手なんだろう。
自分のことばかりで、アウレリオ様に抱かれて楽しんでたんだ。
そうだよ。本当は心のどこかで思ってた。
アウレリオ様は、「恋人」の俺を選んだんだって。
それがどれほどのことなのか、よく考えもせずに。
「あの、俺、すみませんでした。どうか、元の椅子におかけください、お願いします」
リオが頭を下げると、ソフィアは顔を上げた。
その顔は、涙に濡れていた。
「俺、いえ、ぼくは、アウレリオ様に忠誠を誓いました。なので・・・」
「約束して、アウレリオを説得するって」
「・・・説得できるかはわかりません。でも・・・」
リオは唇を噛んだ。
「アウレリオ様の役に立ちたいという思いは、どうしたって変わらないんです」
**********
翌日朝早く、アウレリオはリオを連れて空色の丘に向かった。
今回は時間がないため、騎乗で出かけることになり、少人数の護衛だけが付き従った。
そこには、もし馬車で出かければ姫に見つかり、連れて行けと言われかねない、という打算もあったのかもしれない。
一日都合をつけるため、執務室で夜を明かしたアウレリオは、朝、泣きはらしたリオの目に気が付いたが、何も言わなかった。
2時間ほど駆け抜けると、空色の丘が見えてくる。ふもとで馬を休ませ、リオとアウレリオは空色の丘を徒歩で登ることにした。
(もう、最後かもしれないんだ。一瞬一瞬を目に焼き付けないと)
リオはともすれば涙でかすむ目を見開いて、しっかりと景色を眺めた。
そんなリオの姿を見て、アウレリオは「私よりも興味があるようだな」と笑った。
「・・・そうかもしれませんね」
リオが視線を落とした。いつもなら、むきになって「そんなはずないじゃないですか!」といいかえしてくるはずなのに。
「だって、こんなきれいな景色、一年に一度しか見られませんし!・・・もしかしたら最後かもしれないし」
「?なぜだ。約束しただろう?」
「そ、そう。約束したんです・・・約束」
ぼんやりと前を見つめるリオを、アウレリオは不思議そうに見た。
************
お読みいただきまして、ありがとうございました。
♡と広告もありがとうございます。
いつかはこういう日が来ると知っていたような気がする。
「あの子は、まだ、自分がしていることがわかっていない。どれほど姫君に屈辱を与えているのかも・・・もちろん、直接話し、諭した。でも聞く耳を持たないのです。お前に頼むしかない私のことも、考えておくれ」
リオはガツンと頭を殴られたように、くらくらした。
「アウレリオとお前のことが、姫の耳に入った。どれほど隠しても、水がにじみ出るように秘密は知られてしまう。」
リオは手を握り締めた。ぶるぶるとこぶしが震えて、止まらない。
ご結婚なさっても関係が変わらないはずないのに。
でも、今回限りかもしれないと思うと、断ることができなかった。
そもそも愛する相手を断れるわけない。
離れるしか・・・でもそれは、リオにとっては存在の否定そのものにほかならない。
「あの子はあの子なりにお前に誠実なのかもしれないが・・・神の認めた配偶者は姫だ。そのことは分かるな?」
こぶしの上に水滴が落ちた。
気づかないうちに泣いていたらしい。
「このままの状態が続けば、姫を本気で怒らせてしまう。姫は国王陛下のお気に入りで・・・もし、国王陛下に知られたら、アウレリオの爵位を取り上げて、あの馬鹿なイサークに与えるということにもなりかねない。どうせ中央からしたら、誰が領主になろうと変わらないと思っているだろうから。わが一族に課せられた宿命の重さも知らずに」
ひっくひっくとリオがしゃくりあげる声が部屋の中に響いた。申し訳ない。でも、愛する人にほかの人を抱けと言うほど辛いことがあるだろうか。
「ど、どうか・・・ご容赦を・・・」
「・・・ならぬ。お前は主君に忠誠を誓った身。お前がアウレリオに進言することがアウレリオのためなのだ。そして、その仕事はお前にしかできない」
「お許しください、どうか、どうか・・・おれの命を取られてもいいです。でもそれだけは・・・」
ソフィアが無言でリオの前に膝をついた。
「リオ。どうか、頼みます。これは前伯爵夫人としてではなく、アウレリオの母としての頼みです。あの子を救ってやって。お願い。お前を殺してやろうかと思ったこともある。だが、アウレリオはそうなる前に私を殺すと言い返したわ。どうか、お願い。いままで何のために耐えてきたのか・・・少しは利口になったかと思ったのに、あの子はいつまでたっても・・・でも、私のたった一人の息子なんです。どうか、どうか・・・」
ソフィアの声は震えていた。
常に冷静で、冷たくすら思える伯爵夫人はそこにはいない。
ただ、息子を守りたい一心の母の姿。
リオはまともな母親というものを知らない。
唯一温かな家族だと思ったのは、子供のころ父親という人に家畜小屋の二階を与えられた時、一階に住む馬番の妻が生まれたばかりの赤ん坊に優しく歌って話しかける、その姿だけだった。それはあまりにもかけ離れていて、彼にとっては現実味がなかった。
ぼんやりと涙でにじんだ世界の中には、子を思って使用人に膝をつく母親の姿があった。
俺はなんて自分勝手なんだろう。
自分のことばかりで、アウレリオ様に抱かれて楽しんでたんだ。
そうだよ。本当は心のどこかで思ってた。
アウレリオ様は、「恋人」の俺を選んだんだって。
それがどれほどのことなのか、よく考えもせずに。
「あの、俺、すみませんでした。どうか、元の椅子におかけください、お願いします」
リオが頭を下げると、ソフィアは顔を上げた。
その顔は、涙に濡れていた。
「俺、いえ、ぼくは、アウレリオ様に忠誠を誓いました。なので・・・」
「約束して、アウレリオを説得するって」
「・・・説得できるかはわかりません。でも・・・」
リオは唇を噛んだ。
「アウレリオ様の役に立ちたいという思いは、どうしたって変わらないんです」
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翌日朝早く、アウレリオはリオを連れて空色の丘に向かった。
今回は時間がないため、騎乗で出かけることになり、少人数の護衛だけが付き従った。
そこには、もし馬車で出かければ姫に見つかり、連れて行けと言われかねない、という打算もあったのかもしれない。
一日都合をつけるため、執務室で夜を明かしたアウレリオは、朝、泣きはらしたリオの目に気が付いたが、何も言わなかった。
2時間ほど駆け抜けると、空色の丘が見えてくる。ふもとで馬を休ませ、リオとアウレリオは空色の丘を徒歩で登ることにした。
(もう、最後かもしれないんだ。一瞬一瞬を目に焼き付けないと)
リオはともすれば涙でかすむ目を見開いて、しっかりと景色を眺めた。
そんなリオの姿を見て、アウレリオは「私よりも興味があるようだな」と笑った。
「・・・そうかもしれませんね」
リオが視線を落とした。いつもなら、むきになって「そんなはずないじゃないですか!」といいかえしてくるはずなのに。
「だって、こんなきれいな景色、一年に一度しか見られませんし!・・・もしかしたら最後かもしれないし」
「?なぜだ。約束しただろう?」
「そ、そう。約束したんです・・・約束」
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