5月の雨の、その先に

藍音

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第九十九話 消えていく灯り

その夜、リオはアウレリオの身の回りの世話を免除された。

いつもならば、アウレリオの湯浴みから、夜着の着付けまで手伝い、表向きは扉の前で眠る。
それなのに、侍従長が急に「そういえば、しばらく休みを取っていないだろう」と言い出した。

「いえ、僕は」
「いいから」

半ば強引に背中を押され、はっとする。

(今夜なんだ)

張り裂けそうな胸の痛みを抱えながら、城の最上階にある自分の部屋で、沈む夕日を眺める。
駆け足で沈むはずの夕日は、今日に限ってやけにゆっくりと空にとどまっている。
いつも忙しくしているリオは、急に空いた時間ができると、むしろ何をしていいのかわからない。
そして、今日のような日こそ、忙しくしていたかった。

(厨房の片づけでも手伝おうかな)

いつもあわただしい厨房なら、何か手伝うことがあるに違いない。
階段を駆け下りると、ちょうど家臣に取り囲まれたアウレリオが廊下を歩いているところが目に入った。
ちらっと目があった気がしたが、気づかれないことを願いながら柱の陰に隠れる。

何か仕事の話をしながら、遠ざかっていくのを待つ。それから、ゆっくりと忍び足で階段を降りた。
厨房の手伝いをする気はもうすっかり失せ、ただひたすらに胸が苦しい。

(俺が望んだ。俺が望んだんだ)

そう自分に言い聞かせながら、こぼれてくる涙をぬぐう。
こんなことで泣くなんて。

城の外に出ると、魔の森が誘うように枝をしならせる。
今すぐ木戸から出れば、魔の森で魔物に喰われるかもしれない。
でもそれも悪くないのかも。
楽になれる。
ぐらぐらと心が揺れる。
そうだ、これまでずっと頑張ってきた。でもこんなに悲しい思いをするくらいなら、もういっそのこと・・・

(リオ)

耳の奥でアウレリオが呼ぶ声が聞こえる。
はっと我に返った。

(危ない。魔の森に喰われるところだった)

魔の森は時折、心の弱った人間を喰らうと言われている。
危うく誘い込まれて、喰らわれるところだった。

どうやって喰らうのかはわからない。骨まで食い尽くされるとも、魂だけ抜かれるとも言われているが、誰にもわからない。
たまに迷い込んだ旅人が行方不明になったり、子供が出てこられなくなったり、といううわさはひそやかに、だが確実に城に住む人々に知られていた。
それでも、アウレリオの一族がここを収めている限り、最小限の犠牲で済んでいるのだと。
かつて、魔物が力を持っていた時は、人々は喰らいつくされ、道端に人間の骨や喰いかけの腕や体の一部が転がっていたこともあったと聞く。

ぞくっと震えが走り、身震いした。
こんな孤独は、心をむしばむ。
でも、今夜は森のざわめきを聞いているだけで、なんとかこの時間をやり過ごせそうな気がした。
ぐるぐると城の庭を歩き回る。

気が付くと、リオの足は、第三王女の部屋の窓の下に向かっていた。
外から眺めると、部屋の中には、煌々とろうそくが灯されていた。
晴れやかにたくさんの花が飾られて、今日訪れる主人を歓迎している。
王女様も、王女様付きの方々も、本当に喜んでいるんだ。

(でも、俺はひとっつもうれしくない)

心の中で思うだけなら、許されるよね?

リオがぼんやりと窓を見続けていると、いくつかの明かりがゆっくりと部屋に向かって近づいてきた。
ぼんやりと揺れる、ろうそくを灯したカンテラ。
ああ、アウレリオ様が俺を外してくださってよかった。
本来なら、リオがアウレリオの足元を照らす役割を持っていたのだから。

涙が一粒こぼれた。
もう、涙は出尽くしたと思ったんだけどな。

灯りはゆっくりと王女の部屋に近づき、そして、部屋の灯りと一つになった。

見たくないのに。
なぜか目が離せない。
刺すように胸が痛み、目の奥はずっとちくちくしていた。
血を吐いてこの場で死ねたらいいのに。

もう、涙すら出なくなっていた。
拷問のような時間、ずっと灯りを眺め続ける。
きっと、今第三王女様はアウレリオ様に寝酒をふるまっているんだろう。
何か軽い会話を一つ、二つ。
そして、それから・・・

立ち去るべきだ。
分かっているのに、どうしても部屋の窓を見続けてしまう。
このまま、見上げたまま石になってしまうのかも。
ただただ苦しく、つらいだけなのに。どうしても、やめられない。

ゆらゆらと炎が揺れる。

数人の人影が頭を下げ、部屋から出て行った。
喉の奥に大きな塊がこみ上げる。

そして、灯りがまた一つ消えた。

同時に、リオはその場から駆け出した。

もうここにはいられない。
嫌がるアウレリオ様に進めたのは俺。
その結果を見届ける勇気はない。

ああ、いやだ、いやだ、いやだ。

喉の奥に詰まった大きな塊は、逃げ場をなくして、リオの胸の奥で爆発した。
なにも考えたくない。
ただ、ここから先に、走って、走って、走って・・・

勢いよく魔の森につながる木戸を押し開け、真っ暗な闇の中を駆け抜ける。
あの日、リオを歓迎するように木々に浮かんでいた柔らかな灯りは、今日はどこにもない。

リオを頭から貪ってやろうと、そこかしこから魔物が狙っている。
でも、知ったことじゃない。
ここから逃れたい、ただ、それだけ。


**********


真っ暗な城の廊下、従者がアウレリオの足元を照らす。
アウレリオの滞在時間は予想よりも短く、部屋の外の廊下でのんびりと夜を明かそうと思っていた従者は、尻を蹴られて飛び上がった。
「えっ?」驚きの声を上げると、ぎろりとにらまれる。
これは、本気でご機嫌ななめだ。
こんな時にリオがいてくれたらなぁ。従者たちの中でアウレリオをなだめるのが一番得意なリオが、今日は休みだなんて。

無言のまま足元を照らしながら、アウレリオの部屋に向かう。
軽口など叩いたら斬り殺されそうだ。

「何だ」

アウレリオがぽつりとつぶやいた。
従者は自分の心の声が漏れたのかと、飛び上がらんばかりに驚いたが、アウレリオは従者のことを見ていなかった。
その視線は廊下の窓の外をじっと見つめている。

「妙に、森が・・・」

そうつぶやくと、またむっつりと黙り込んだ。

「閣下?」

アウレリオは底光りする目でじろりと従者をにらみつけると、すたすたと廊下を歩き続けた。

(なんだよ、おっかないな。あんな美しい姫様と初夜を迎えて、有頂天になってるんじゃないのかよ)

主人の心の中は、従者にはまるで理解できなかった。






お読み頂きましてありがとうございました。
パソコンの調子が悪くて、お礼きちんと書けずすみません💦
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