5月の雨の、その先に

藍音

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第百十五話 青い瞳

爆音とともに、突然城の西塔が崩れ落ちた。

「何だ?何が起こったんだ?」

兵士たちは、目の前で真っ二つに折れ、崩れ落ちていく巨大な石の塔を呆然と見つめ、次の瞬間、剣を持って駆け寄った。
風もないのに魔の森が大きく幹を揺らし、あざけるように枝がきしんだ。

「攻撃か?」
「敵襲か?どこから?」
「女や子供たちを退避させろ」

土煙が立ち込め、前が見えないなか、逃げ惑う人々と城を守ろうとする兵士や騎士たちが右往左往する。
これだけの騒ぎになっているのに、アウレリオの姿が見えないことに護衛騎士の一人が気づいた。
いつもなら真っ先に走って来て、指揮をとる方なのに。

「閣下はどちらに?」
「閣下をお守りしろ!」

土煙を避けるために目をしばたきながら、身を低くしてアウレリオを探す。
アウレリオは、城のロータリーわきに倒れていた。

「閣下がいらっしゃったぞ!」

あわてて駆け寄ると、アウレリオの身体は傷だらけで、血にまみれている。しかも、その体の下には赤黒い血が、音もたてずに広がっていた。
呼びかけても、意識がない。
騎士は冷たい手で背中を撫でられたように、すくみ上った。

「大変だ!」

その瞬間、どこかから、女の金切り声が上がった。

「誰か!すぐにお医者様を!!奥方様が産気づかれたわ!!」

森はますます大きく枝を揺らす。
あざけりを超え、ただただおかしくて仕方がない、とでも言うように。


**********

魔力でずたずたに切り裂かれたアウレリオの身体は、医者が驚くほどの速さで回復していった。傷つけるのも魔力なら、修復も魔力によるものだった。
ただ、それを知らない医者からしたら、アウレリオの身体の損傷も回復も理解を超えていた。

体中ずたずたに損傷していたアウレリオは、全身を包帯で覆われていたが、3日もたてば肌は元通りに滑らかに、つぶれていたはずの眼球も元の形を取り戻した。
唯一、かつて空色だったはずの瞳は金色に変わり、戻らなくなってしまった。

「薄気味が悪いこと」

ソフィアがつぶやいたが、大抵の使用人たちはその言葉に心の中で同意した。
以前から本能的に怖さを感じさせる方だったが、眼が金色に光るようになってからは、足元から震えが止まらなくなるほど恐ろしい。
おびえる使用人の中で、アウレリオがよちよち歩きのころから仕えていた侍従長だけが、その理由を理解していた。

(あのお方から、リオを取り上げてはならなかったのに)

小さくため息をつく。
この地で生まれ育ち、幼いころから魔物と接することの多かった侍従長は、金色の目を持つアウレリオは「半魔」のたぐいだと理解していた。それを隠すため、魔力を使って空色の瞳に変えているだけで、子供のころは感情の波や体調不良でしょっちゅう金色の目を光らせていたものだ。
そもそも、この領地を継ぐ者は、人と魔物の中間の存在であることが求められる。そうでなけれは、魔物と人間の両方を掌握し、統治することなどできるはずもない。
この地の領主は、人と魔物の境界線上を危うく綱渡りしながら領地を治め、そして、体内の人と魔のバランスが崩れたとき、魔に飲まれてしまった。強大な権力者が人の心を失い、魔に飲まれたとき、どれほどの惨事が起きるのか、歴史が証明しているのに。

「どうぞ」

アウレリオの手に、水の入ったカップを持たせる。まだ、十分に視力が回復していないのだ。

アウレリオは手の中のカップを無言で口に運んだ。
一口飲むと、リオを思い出した。
ただの水のはずなのに、なぜか、心が落ち着いてくる。

「これは・・・?」アウレリオが目を上げた。
「あの子が・・・リオが最後に汲んでいった水でございます。意識のない間もこの水だけはお飲みになっていただけたので、あとわずか・・・実はこれで最後です」

アウレリオは焦点の合わない金色の瞳でじっとコップを見つめた。

「なぜ、あれの汲んだ水が美味かったのか、お前はもう理解しているのか?」
「・・・私にはわかりかねます。ですが、リオの願いが込められているのではないかと。あの子はいつも、アウレリオ様のご無事や健康を祈っておりましたから。今の様な状態になることなど、望んでおりませんでしたし・・・想像すらできなかったでしょう」
「そうか」

アウレリオはコップの底にわずかに残った水をじっと見つめた。
特別なことは何もない、ただの水。
だが、リオが汲んできてくれた水はいつも美味しく、体の中に染みわたった。

「もし、お体の具合がよろしければ、お生まれになったお子様の顔をご覧になりますか?」
「子供?」アウレリオはぼんやりと侍従長の顔を見た。産まれてくる子供のことなど、まるで頭になかったのだ。
「はい。実は先日アウレリオ様が倒れられた時に、奥方様が産気づかれまして。立派なご嫡男様をお産みになりました」
「そうか」
アウレリオはベッドに重い身体を横たえ、窓からの光に目を向けた。
窓から見える枝先を鮮やかな新緑が彩っている。

「・・・目の色は?」
「は?」
「目の色は?」
「あっ、眼の色は、空のように美しい青でございます」
その瞬間、侍従長の目には、アウレリオが一回り小さくなったように見えた。
「将来は、美しく成長なさることでしょう・・・」

アウレリオは何も言わず、静かに目をつむった。

「青か」
「ただの青ではございません。空のように・・・」

アウレリオは顔をそむけた。
青い瞳の子供は、アウレリオにとって金色の目をした子の半分も価値がなかった。

「縁あって当家にお生まれになったご嫡男様ですから・・・どうか、体調の許す日には」
アウレリオが片手を振って、侍従長を追い払った。

(ただの、青い瞳・・・か)

胸の奥に沸き起こるのは、ありえないほどの失望。
ここまで何のために苦労したのか。
金色の瞳を持つ子でなければ、アウレリオの肩代わりはできない。
青い目の子どもでは、アウレリオをこの地から解放することはできない、ということだ。
リオを日陰の身に置かせ、家のために結婚した。
すべては一族の責任を果たすため。

(その結果が、ただの青い瞳とは。母親が高貴な血筋でも、こんなものか・・・あてにならんな)

アウレリオの胸の中には新しく誕生した命を祝う気持ちは、みじんもなかった。


***********


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