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第百二十七話 遠ざかる馬車
「リオはどこに行った」
アウレリオの剣幕に侍従長は真っ青になった。口調は静かだ。だが、その底にこめられた怒りに凍り付きそうだ。部屋の中の温度はどんどん下がっていく。
自分の息が真っ白になったとき、気が付いた。寒いと感じたのは勘違いじゃない。この部屋は、本当に寒い。
怒りで魔力が押さえられなくなっている今回ばかりは、命がないかもしれない。
「け、今朝、早朝にここを出発いたしました。もともと、国王陛下御一行は一晩だけの御滞在の予定でした。おそらく前回長居しすぎたと思われたのではないかと。閣下にもご説明は差し上げましたが・・・」
「お前が言ったのか」アウレリオの冷たい声に、侍従長ははっと目を上げた。
「お前が言ったのかと聞いておる。あれに・・・リオに王のもとに行くように告げたのはお前か」
「はっ!」侍従長はひざまづいた。「どうか、お許しください。あの時は、国王陛下と閣下の関係が悪く」
ぎりっと奥歯をかみしめると、テーブルの上のカップが高い音を立てて割れた。
「私のせいだと?」アウレリオの口の端がゆがんだ。「私のせいで、リオがあのような辱めを?」
「いえ、そのような・・・ですが・・・」
「母上か」
「いえ!」
「お前は母上の縁者だったな。どうせリオが邪魔だったんだろう?私にとって・・・いや、私のことなどどうでもいいんだから。ただの権力欲の塊か」
「恐れながら!」侍従長は頭を床に擦り付けた。「従僕一人の命で辺境全体が助かるのであれば、誰でもそうしたでしょう。仕方がなかったのです!国王陛下のご命令には逆らえません。どうか、お許しください」
ぶるぶると震える指先を踏みつけてやりたい。
押さえていたはずの魔力が体の中で渦を巻き始める。普段はひだまりの蛇のように静まり返っている魔力は、ふとしたきっかけで暴れだす。今のように。
だが、侍従の言うことは正論だともわかっていた。
「出ていけ。しばらく顔を見せるな」
侍従長は頭を下げ、すぐに引き下がった。命はたすかったのだ。
********
リオのことをどうしてやったらいい?
誰かのものでいるのが嫌だと、自由になりたいのだと思ったから止めることができなかったのに。
遠く離れた王都で、あのような扱いを受け、辱めを受けている。
今回リオを連れてきたのは、二度とリオが辺境に戻れないように仕向けるためだ。
まともな人間ならば、あのように辱められたら、この地に戻るなどできるはずもない。戻ってきても、誰にも受け入れられない。しかも、リオには頼れる家族は一人もいないのだ。
どうしてやったらいい?
どうすればリオを助けられる?
放っておけない。
王の後ろで薄物をまとい、悄然と立っていた。真っ青で、まるで月の光のように、朝がきたら消えてしまうほど淡い。
さすって温めた氷のように冷たい指先。
棒のように細くなった足。
なぜリオがあれほどの辱めを受け、苦しまなければならないのか。
今ならわかる。なぜリオがあれほど自分を求めたのか。
不安だったからだ。
もう次に会えるのはいつになるかわからない。
会えたとしても、自由に抱き合えるとは限らない。
この時を限りにと、まるでカゲロウが死ぬ前に子孫を残すように、私にすがったんだ。
リオ・・・
お前はどんな思いで私と抱き合ったんだ?
「まだ眠りたくないんです」
そう言ったとき、何を考えていた?
もう会えないと・・・二度と辺境に来ることはないと思って、いや知っていた、のか?
「馬を持て!」
アウレリオは剣をつかむと駆け出した。
追わなくては。
この時を逃しては、二度と会えないかもしれない。
国王の乗った馬車は、早朝に出立した。
全速力で追いかければ追いつけるかもしれない。
だが、国境を越えられたら、もう手が出せなくなってしまう。
何度も馬を変え、全速力で走らせる。
ようやく馬車団の上げる土煙が見えたのは、数時間後のことだった。
もうもうとした土煙ときらきらと輝く馬車は、王家のものにちがいない。
(いた!王を説得しよう。頭を下げてもいい。どうか、リオを戻してほしいと)
アウレリオが激しく馬に鞭を入れ、馬は泡を吹きながら必死で走った。景色は飛ぶように去るのに、もどかしいほどリオの乗った馬車との距離は縮まらない。
ちょうど小高い丘から、リオのいる一行の動きが見えた。
国王の乗った馬車は、ちょうど国境の川に差し掛かり、人々が小さな小舟に移るところだった。その中に、従僕の制服を着たリオがいた。
あまりにも遠すぎる。
「リオ!」
声をかけても聞こえないようだ。
『リオ、待て!』
小舟に足をかけたリオの頭の中に声を飛ばすと、リオがぴたりと立ち止まった。
だが、後ろから背中を押され、あきらめたようにまた歩き出す。
『待ってくれ!』
叫んでも、先を急ぐ小舟はゆっくりと岸を離れていった。必死に馬を駆り、ありえないほどの速さで川岸についたが、リオは国境の河を超え、向こう岸にたどりついてしまった。
「リオ!」
声を限りに叫ぶと、リオが、振り返ったような気がした。
だが、そのまま、肩を落とし、まるで売られていく奴隷のような足取りで、向こう岸に渡された馬車に吸い込まれていった。
「リオ!!」
川に足を踏み入れると、いつもアウレリオに寄り添っている古参の騎士が肩に手をかけた。
「閣下、ダメです。これ以上は。わが領はここまでです。自領から出るためには、国王陛下の許可が必要です」
そんなことは分かっている。でも、リオが行ってしまう。
真っ黒な不安に足元から浸食され、嫌な予感に押しつぶされそうになる。心臓は痛いほど鳴り続けていた。
「リオ、行くな」
その声は届かず、リオを乗せた馬車は土煙をたてながら、王都に向かって去っていった。
************
お読みいただきまして、ありがとうございました。
♡と広告もありがとうございます。
(小ネタ)橋がない場合は、人は小舟で渡ったり、歩いて渡ったりしたそうです。
馬車は浅瀬ならば渡れますが、そうでないところでは専用の船に乗せて渡したとか。
寒いので温かくお過ごしくださいね。
アウレリオの剣幕に侍従長は真っ青になった。口調は静かだ。だが、その底にこめられた怒りに凍り付きそうだ。部屋の中の温度はどんどん下がっていく。
自分の息が真っ白になったとき、気が付いた。寒いと感じたのは勘違いじゃない。この部屋は、本当に寒い。
怒りで魔力が押さえられなくなっている今回ばかりは、命がないかもしれない。
「け、今朝、早朝にここを出発いたしました。もともと、国王陛下御一行は一晩だけの御滞在の予定でした。おそらく前回長居しすぎたと思われたのではないかと。閣下にもご説明は差し上げましたが・・・」
「お前が言ったのか」アウレリオの冷たい声に、侍従長ははっと目を上げた。
「お前が言ったのかと聞いておる。あれに・・・リオに王のもとに行くように告げたのはお前か」
「はっ!」侍従長はひざまづいた。「どうか、お許しください。あの時は、国王陛下と閣下の関係が悪く」
ぎりっと奥歯をかみしめると、テーブルの上のカップが高い音を立てて割れた。
「私のせいだと?」アウレリオの口の端がゆがんだ。「私のせいで、リオがあのような辱めを?」
「いえ、そのような・・・ですが・・・」
「母上か」
「いえ!」
「お前は母上の縁者だったな。どうせリオが邪魔だったんだろう?私にとって・・・いや、私のことなどどうでもいいんだから。ただの権力欲の塊か」
「恐れながら!」侍従長は頭を床に擦り付けた。「従僕一人の命で辺境全体が助かるのであれば、誰でもそうしたでしょう。仕方がなかったのです!国王陛下のご命令には逆らえません。どうか、お許しください」
ぶるぶると震える指先を踏みつけてやりたい。
押さえていたはずの魔力が体の中で渦を巻き始める。普段はひだまりの蛇のように静まり返っている魔力は、ふとしたきっかけで暴れだす。今のように。
だが、侍従の言うことは正論だともわかっていた。
「出ていけ。しばらく顔を見せるな」
侍従長は頭を下げ、すぐに引き下がった。命はたすかったのだ。
********
リオのことをどうしてやったらいい?
誰かのものでいるのが嫌だと、自由になりたいのだと思ったから止めることができなかったのに。
遠く離れた王都で、あのような扱いを受け、辱めを受けている。
今回リオを連れてきたのは、二度とリオが辺境に戻れないように仕向けるためだ。
まともな人間ならば、あのように辱められたら、この地に戻るなどできるはずもない。戻ってきても、誰にも受け入れられない。しかも、リオには頼れる家族は一人もいないのだ。
どうしてやったらいい?
どうすればリオを助けられる?
放っておけない。
王の後ろで薄物をまとい、悄然と立っていた。真っ青で、まるで月の光のように、朝がきたら消えてしまうほど淡い。
さすって温めた氷のように冷たい指先。
棒のように細くなった足。
なぜリオがあれほどの辱めを受け、苦しまなければならないのか。
今ならわかる。なぜリオがあれほど自分を求めたのか。
不安だったからだ。
もう次に会えるのはいつになるかわからない。
会えたとしても、自由に抱き合えるとは限らない。
この時を限りにと、まるでカゲロウが死ぬ前に子孫を残すように、私にすがったんだ。
リオ・・・
お前はどんな思いで私と抱き合ったんだ?
「まだ眠りたくないんです」
そう言ったとき、何を考えていた?
もう会えないと・・・二度と辺境に来ることはないと思って、いや知っていた、のか?
「馬を持て!」
アウレリオは剣をつかむと駆け出した。
追わなくては。
この時を逃しては、二度と会えないかもしれない。
国王の乗った馬車は、早朝に出立した。
全速力で追いかければ追いつけるかもしれない。
だが、国境を越えられたら、もう手が出せなくなってしまう。
何度も馬を変え、全速力で走らせる。
ようやく馬車団の上げる土煙が見えたのは、数時間後のことだった。
もうもうとした土煙ときらきらと輝く馬車は、王家のものにちがいない。
(いた!王を説得しよう。頭を下げてもいい。どうか、リオを戻してほしいと)
アウレリオが激しく馬に鞭を入れ、馬は泡を吹きながら必死で走った。景色は飛ぶように去るのに、もどかしいほどリオの乗った馬車との距離は縮まらない。
ちょうど小高い丘から、リオのいる一行の動きが見えた。
国王の乗った馬車は、ちょうど国境の川に差し掛かり、人々が小さな小舟に移るところだった。その中に、従僕の制服を着たリオがいた。
あまりにも遠すぎる。
「リオ!」
声をかけても聞こえないようだ。
『リオ、待て!』
小舟に足をかけたリオの頭の中に声を飛ばすと、リオがぴたりと立ち止まった。
だが、後ろから背中を押され、あきらめたようにまた歩き出す。
『待ってくれ!』
叫んでも、先を急ぐ小舟はゆっくりと岸を離れていった。必死に馬を駆り、ありえないほどの速さで川岸についたが、リオは国境の河を超え、向こう岸にたどりついてしまった。
「リオ!」
声を限りに叫ぶと、リオが、振り返ったような気がした。
だが、そのまま、肩を落とし、まるで売られていく奴隷のような足取りで、向こう岸に渡された馬車に吸い込まれていった。
「リオ!!」
川に足を踏み入れると、いつもアウレリオに寄り添っている古参の騎士が肩に手をかけた。
「閣下、ダメです。これ以上は。わが領はここまでです。自領から出るためには、国王陛下の許可が必要です」
そんなことは分かっている。でも、リオが行ってしまう。
真っ黒な不安に足元から浸食され、嫌な予感に押しつぶされそうになる。心臓は痛いほど鳴り続けていた。
「リオ、行くな」
その声は届かず、リオを乗せた馬車は土煙をたてながら、王都に向かって去っていった。
************
お読みいただきまして、ありがとうございました。
♡と広告もありがとうございます。
(小ネタ)橋がない場合は、人は小舟で渡ったり、歩いて渡ったりしたそうです。
馬車は浅瀬ならば渡れますが、そうでないところでは専用の船に乗せて渡したとか。
寒いので温かくお過ごしくださいね。
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