5月の雨の、その先に

藍音

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第百三十五話 伯爵家の人々

「おかえりなさいませ」

城に着いて出迎えたのは、自分付きの侍従長と使用人たちだけだった。

家令も執事も出迎えない。
つまり、伯爵家の使用人は誰に着いた方が得なのか、立ち位置をうかがっているということか。

アウレリオは手袋と乗馬用の鞭を侍従に手渡した。

「湯の準備を」
「はい」

遠巻きに見守る使用人たちを見回すと、皆、目が合わないように視線をそらした。

「どうやら地軸がずれたようだな」

自嘲気味に言うアウレリオに、侍従長は困ったようにうなずいた。

「閣下が、国王陛下からむち打ちの刑にあったと、この辺境まで情報が届きました。むしろ、故意にまき散らされたのではないかと思えるほどの速さで情報が回りました」
「イサークか、それともセラフィーナ姫か・・・」
「何とも申し上げられません。ですが、あまり情勢はよろしくないかと」

アウレリオは無言のまま部屋に向かった。
この後の戦いに備えるために、身なりを整えなくては。

だが、疲れた。

この果てしない争いは、何のために続くのだろう。


***********


「正餐の席でお待ちしていると、奥方様よりおことづてがありました」

旅の汚れを落としたアウレリオに、侍従長が告げた。

「そうか。そこで挨拶しろ、ということか」アウレリオの口元がゆがんだ。
一家の主が帰還しても、家族という名の近しい親族は誰一人迎えにも出ない。
その程度だ。
当の昔に期待することはやめたはずなのに、今日はリオの愛情に包まれたせいか、感傷的だ。

「お伺いすると伝えてくれ」

今までもそうだったはずだ。
気を引き締めなければ。ふと気が付くと、指先がまたどす黒く染まり始めていた。
首筋を指先で確かめると、黒いうろこのようなものが生えかけている。
湯あみの時に、体を洗う従僕が薄気味悪そうにしていた理由はこれだったか。

「思ったよりも早かったな」

うろこに触れながらつぶやく。
もう癒してくれるリオはいない。いつまで人でいられるのだろう。

父にも皮膚がうろこのようになった部分があった。
だが、ここまでではなかった。
今考えると、父の恋人の騎士は、父を人間側に引き留めていたのかもしれない。

時の歩みはありえないほど遅く、一分一分がまるで針のように自分を刺す。
あれほど美しかった空色の丘も、その美しさゆえに思い出すだけで苦しい。

「リオ」

カフスボタンをはめながらその名をつぶやくと、体中を刺し貫く痛みが少しだけ和らぐ。
だが、もう知っていた。
二度と心が浮き立つような喜びも、誰かと笑い合う日も訪れない、ということを。


***********

「ただいま戻りました」

アウレリオの声掛けに、姫は鷹揚にうなずいた。
テーブルの上には、王宮のように豪華な前菜が所狭しと並べられている。
辺境には似つかわしくないそのきらびやかさに片眉を上げ、無言のまま自分の席に着くと、同時にメイン料理が運ばれてきた。

「カモのローストでございます」

給仕がメイン料理の大皿を王女の前に置いた。
メインディッシュは必ず一家の主人の前に置かれ、それを主人が取り分ける。給仕の行為は、この家の主人が第三王女であると暗に示すものだった。

「こちらにありますオレンジソースを・・・」
「おい」説明を続ける給仕を遮るようにアウレリオが声を上げると、姫が真っ白い右手を挙げた。
「おやめくださいな。わたくしが指示しましたの」
「なんだと・・・?」
アウレリオが鼻白むと、セラフィーナは何を怒っているのかわからないという表情をした。

「むち打ちの刑をお受けになった腕が痛むかと思ったのですが・・・?」

ひやっと冷たい空気が流れたが、王女は気にも留めずに、ナイフとフォークで丁寧に肉を取り分けた。
一番柔らかくおいしい部分を自分のさらにたっぷりと乗せる。

「そ、そうですとも!」ジョゼフィーヌが加勢した。「グラン家の当主ともあろう方が、王都でむち打ちにあうなんて!しかも、歩いて屋敷まで帰らされただなんて・・・こんな恥さらしありませんわ」
「ぷっ」イサークが吹きだした。「何をやったらそんなに怒らせることができるんだか。ある意味才能ですよ」フォークの先をアウレリオに向けて揺らして見せる。

「なんだと?」
アウレリオがぎろりとにらみつけると、ジョゼフィーヌとイサークはそっぽを向いた。

「怒ってばかりで・・・ご自分で取り分けてさっさと回してくださいな」
姫のあきれ声に、アウレリオははっとしてカモを取り分けようとしたが、食欲はまるでなかった。

「結構だ」
そう言って皿を母ソフィアの方に押した。ソフィアは無言のまま自分の分の肉を取り分け、ジョゼフィーヌに回す。

「食事をしないなんて・・抗議のつもりですの?」王女がカモに舌鼓を打ちながら、話し続ける。「そういえば、あの男娼もそうしていたそうですわね。主人と従者って似るのかしら?」

(なんだと?)

辺境にいる王女が知るはずもない情報だ。
アウレリオが視線を上げると、ジョゼフィーヌが堰を切ったようにしゃべりだした。

「本当に、あんな男娼のために王様に抗議して、むち打ちまで受けるなんて。一族の恥さらしですわ。第三王女様が当家をお見捨てにならなくて、本当にありがたく・・・いつお見捨てになっても当然ですのに」
「ふふふ」
「まったく」イサークが口をはさむ。「あの男娼は僕にもよく粉をかけてきましたよ。いい思いがしたいんでしょう。もちろん、僕はきっぱりと断ってましたよ。心に決めた美しい人がいますから」そう言って、セラフィーナに意味ありげにウインクする。
セラフィーナは笑顔とも拒絶ともつかないあいまいな表情を浮かべた。
「兄上も、あんな男娼のことは早くお忘れになって!よほどサービスを受けていたんでしょうね。僕も試してみればよかったかな。ははは」

イサークの侮辱に、アウレリオの手が震えた。喉奥からくる震えにどう対応したらいいのかわからない。

「男のくせに男娼が天職だなんて!まあ、顔だけはきれいでしたからね。もちろん、王女様にはかないませんが。僕だったら、男娼をすることになったら、即自決します!それが誇り高い男のすることですよ!」

だん!

アウレリオが耐えきれず、テーブルを両のこぶしで叩いた。
今すぐ、この愚かな道化師を殺してもいいか?


***********

お読みいただきまして、ありがとうございました。
♡と広告もありがとうございます。

明日の午後から雪が降るそうです。
皆様、暖かくして、お出かけするときには足元によーく気を付けてくださいね。
特に、グレーチングやマンホールのふたには気を付けてください!滑りやすいので。
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