つきが世界を照らすまで

kiri

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五浦にて絵画制作をするの事

壱 描いた絵で伝えていこう

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 船室を出て甲板に立つ。
 僕らは絵画についての考えをまとめているところだ。
 秀さんが海風になぶられながら紙をめくる。僕が書いた、まだ草稿ともいえない程度の覚書おぼえがきに時折書き込みをしてくれていた。

 こうして待っている時間は落ち着かないな。それなら波のうねりを写しておこうか。画帳を取り出し鉛筆を動かす。
 しばらくして秀さんは、うん、と頷いて顔を上げた。

「大体はこんなところか。結局、絵は自分の中から出てくるもんを描く以外にねえからな。そこはどんなことがあっても変わらねえ。とにかく言いてえことはもっとどんどん書き出していこう」

 文字を書くことで考えがまとまってくることもある。これから目指すもの、今回の旅で学んだこと、思いつくままなんでも書いていくつもりだ。

 例えば、線で成り立つ日本画は説明して理解してもらうものだ。雄々しさを線で表して、これは雄々しい人だと見てもらう。今までの日本画はそういう考えの元に描かれた絵だった。

 対して西洋画は、絵の具の違いもあって特に線を必要とするものではないのだ。実際に見るとよくわかる。線がなくてもその色彩で見せることができる。
 色彩が絵画を絵画たらしめる。それは音楽が音だけでなく、その調子によって音楽らしくなっていくのと同じことなのだと思う。

 それにしても、と僕はこの旅を思い返す。

「日本とは全然違いましたね。絵もあれほど売れるとは思いませんでした」

 作品を売るについても最初は上手くいかなくてどうなることかと思っていた。岡倉先生は自信を持てとおっしゃられたのだけれど、このまま金が尽きて帰れないかもしれないと内心、覚悟を決めたりもした。

「ああ、確かに驚いた。まさか高額なものから売れるとはなあ」
「不思議でしたね。妥当だとうな金額をつけたつもりだったんですが」
為替かわせの関係もあるから一概には言えねえだろうが、彼らにとってはさほど懐の痛む金額ではなかったのかもしれんな」

 もしかしたら慈善事業的な感覚すらあったかもしれない、と秀さんは言った。
 なるほど、そういうこともあるのか。それならあまりに低い価格では価値がないと見なされるのかもしれないな。ということは、秀さんがつけていた強気な金額もあながち間違いではなかったのか。

「ターナーもホイッスラーもあれほど雰囲気が似ているとは知らなかったな。ああいう西洋画が流行っていたのは確かに幸運だった」
「米国での流行に乗れたのは大きかったですね。西洋人にとって日本画はよくわからない主題のものも多いと思うんですけど、ここまで受け入れられたのは驚きでした」

 国内と国外での評価は必ずしも同じではなかった。見る人の鑑賞経験から、まったく違う評価が引き出される。それを目の前で見られたことは、この時期に渡航できた幸運のひとつだったと思う。

 今回の僕らはたまたま受け入れる側に天秤が傾いたということかもしれない。たとえそうだとしても、少なくとも買ってくれた方には評価に値するものと受け止められた。そう思っていいだろう。

「流行り物を買っただけ、なんて人もいたかもしれんからな。そこは一旦、謙虚けんきょに受け止めるさ」
「一旦、ですか」
「おうよ。いつか絶対、俺の作品だから買うって言わせてみせるぜ」

 本当にこういうところは強気だなあ。力強い言葉にその日が必ず来るだろう予感がする。秀さんの絵は不思議なほどいつまでも心に残るのだから。
 僕もその気概は持っているけれど、実現のためには研究をもっと重ねなくてはならない。そのための手がかりは掴めたと思う。

 技術的なものに関しては、今までやってきた実験的な研究が間違っていなかったことを確かめたに過ぎなかった。要するに西洋画でやっていることは、日本の古典的な絵で既にやっていたのだ。

 色彩は直接心情に訴える。
 これからは輪郭線を描かない没骨もっこつ描法びょうほうと色彩によって絵画を描くことが当たり前になるだろう。
 そして自然そのもののを描くだけではなく、それ以上を目指すことが必須になる。画家は自分が感じた美を想像させるための表現力を養わなければならない。

 この『絵画について』の考えを発表したら、後は描いた絵で伝えていこうと思っている。

「こうなると早く帰りてえなあ。絵のこともあるが、ミオさんとこは次男坊が生まれたんだろ」
「ええ、早く会いたいです」

 去年、千代さんがくれた手紙には二人目の子どもの無事な出産のことが書かれていたんだ。折り返し、その子に秋成あきしげと名前をつけて手紙を送った。帰る頃は一歳の誕生日前か。皆どうしているだろう、元気で過ごしてくれていたらそれだけでいいけれど。早く会いたいなあ。

 千代さん、僕のわがままを許してくれてありがとう。照れくさくて面と向かってはなかなか言えないけれど、海を渡る鳥が一足先にこの気持ちを届けてくれたらと思う。
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