43 / 72
五浦にて絵画制作をするの事
伍 本当にまたとない機会だった
しおりを挟む
十月になり、いよいよ開かれる第一回文展の審査と出品で五浦は空になった。
「ねえ、かあさま。とうさまの絵は賞をとれるかなあ」
「どうかしら、皆様も素晴らしい絵を描いていらしたから」
春夫が心配してくれてるのに千代さんは。そこはきっと取れるって言ってほしいな。
部屋の奥から聞える声に口を尖らせる。
「私は父様の絵が好きだから、好きだって言ってくださる方がいると嬉しいな」
続いて聞こえた千代さんの言葉に、玄関先で東京行きの準備をしていた手が思わず止まった。
「ぼくもね、とうさまのえ、すき」
秋成も嬉しいことを言ってくれる。賞が取れるのも嬉しいけれど、この言葉はなによりも嬉しい。
「じゃ、行ってきます。あまり遅くならないようにするから」
照れ隠しに聞えなかった風を装って家を出た。
いってらっしゃい、の声を背に先を急ぐ。
さて、今頃はそれこそ審査の真っ最中だろう。少しでも良い評価をもらいたいものだ。
──────────
「美校の卒業制作を思い出すねえ」
下村の呟きに横山は絶句した。当時、美校にいなかったため、初めて菱田の問題作を評価する議論の場に立ち会ったのだ。
「これは、どういった描き方なんでしょうかね」
「これ程に点描を描き込むのは、どう捉えたらいいのか……」
「意味があることなんでしょうが」
よくわからない、と審査委員達は『賢首菩薩』を前に一様に戸惑った反応を示した
空刷毛でぼかす描き方から一転、色を濁らせず色同士を馴染ませる手法として、点描が衣服の全面に施された。その画法の扱いに戸惑ったのだ。
「こんな状況だったのか」
絶望したような顔の横山に対し、下村は不思議なほど好戦的な顔をする。
「というか、毎回そうじゃないか。彼の作品は出す度に議論を巻き起こす。美校の時に比べればこっちは断然真っ当だよ。説得の余地がある」
「彼の作品が議論を起こすなら、日本画壇も捨てたもんじゃない」
岡倉の言葉に下村が頷く。
「そうですね、これを切り捨てるようなら終いかもしれませんが」
まずは岡倉が口火を切った。
「この描き方は色を表現するためのものでしょう。これは大層工夫されている。補色で置かれている色同士が馴染んで、布の質感が上手く表現されている」
「技法としては革新的かもしれませんが、意図は評価できると思います。実際、効果的に使われていますし」
「色線は古画の描き方を踏襲していますね。格段珍しい手法ではありませんが、この絵には良く合っています」
伝統的な日本画の美観を固守したい者に、それまでの技法から一歩踏み出した絵画を理解してもらうことの難しさ。それを打破しようと下村も、横山も何度も主張する。
──────────
落選しかけた『賢首菩薩』の技法は、どうにか審査員の理解を得て最終的には二等三席という成績がついた。
「ねえ、かあさま。とうさまの絵は賞をとれるかなあ」
「どうかしら、皆様も素晴らしい絵を描いていらしたから」
春夫が心配してくれてるのに千代さんは。そこはきっと取れるって言ってほしいな。
部屋の奥から聞える声に口を尖らせる。
「私は父様の絵が好きだから、好きだって言ってくださる方がいると嬉しいな」
続いて聞こえた千代さんの言葉に、玄関先で東京行きの準備をしていた手が思わず止まった。
「ぼくもね、とうさまのえ、すき」
秋成も嬉しいことを言ってくれる。賞が取れるのも嬉しいけれど、この言葉はなによりも嬉しい。
「じゃ、行ってきます。あまり遅くならないようにするから」
照れ隠しに聞えなかった風を装って家を出た。
いってらっしゃい、の声を背に先を急ぐ。
さて、今頃はそれこそ審査の真っ最中だろう。少しでも良い評価をもらいたいものだ。
──────────
「美校の卒業制作を思い出すねえ」
下村の呟きに横山は絶句した。当時、美校にいなかったため、初めて菱田の問題作を評価する議論の場に立ち会ったのだ。
「これは、どういった描き方なんでしょうかね」
「これ程に点描を描き込むのは、どう捉えたらいいのか……」
「意味があることなんでしょうが」
よくわからない、と審査委員達は『賢首菩薩』を前に一様に戸惑った反応を示した
空刷毛でぼかす描き方から一転、色を濁らせず色同士を馴染ませる手法として、点描が衣服の全面に施された。その画法の扱いに戸惑ったのだ。
「こんな状況だったのか」
絶望したような顔の横山に対し、下村は不思議なほど好戦的な顔をする。
「というか、毎回そうじゃないか。彼の作品は出す度に議論を巻き起こす。美校の時に比べればこっちは断然真っ当だよ。説得の余地がある」
「彼の作品が議論を起こすなら、日本画壇も捨てたもんじゃない」
岡倉の言葉に下村が頷く。
「そうですね、これを切り捨てるようなら終いかもしれませんが」
まずは岡倉が口火を切った。
「この描き方は色を表現するためのものでしょう。これは大層工夫されている。補色で置かれている色同士が馴染んで、布の質感が上手く表現されている」
「技法としては革新的かもしれませんが、意図は評価できると思います。実際、効果的に使われていますし」
「色線は古画の描き方を踏襲していますね。格段珍しい手法ではありませんが、この絵には良く合っています」
伝統的な日本画の美観を固守したい者に、それまでの技法から一歩踏み出した絵画を理解してもらうことの難しさ。それを打破しようと下村も、横山も何度も主張する。
──────────
落選しかけた『賢首菩薩』の技法は、どうにか審査員の理解を得て最終的には二等三席という成績がついた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる