つきが世界を照らすまで

kiri

文字の大きさ
51 / 72
落葉の先、黒き猫を追いかけるの事

弐―続

しおりを挟む
 家に帰るのがいつもより少し遅くなってしまった。
 千代さんが表に出てる? どうしたんだろう。

「千代さん?」

 顔をうつむけていた千代さんは、こっちを見たかと思うとその場にへなへなと座り込んでしまった。

「千代さん!」

 思わず駆け寄る。

「どうしたの、大丈夫かい」

 震えている。どこか具合が悪いのか。医者に連れていかなくては。

「ミオさんは駆けちゃ駄目です。それに大丈夫かは、こちらが言うことですよ!」

 そう言って僕を見た目が、溢れそうなくらいの涙でいっぱいになっていた。いつも笑っている千代さんのそんな目を見て狼狽うろたえてしまう。

「散歩に行くのに春夫達を連れて行かないし、帰りは遅いし、昨夜からちょっと変だったじゃないですか。もしかしたら……帰ってこないのかもしれないなんて思ってしまったら、怖くて」

 ああ、そうだったのか。
 千代さんは知っていたんだな。知ってて、知らぬふりをしてくれていたのか。

「あ、父様だ。お帰りなさい」

 春夫と秋成が走ってくる。

「とうさま、聞いて。かあさまったらね、とうさまかえってこないかもなんて言うから、ぼくびっくりしちゃったよ」
「もう! 父様、母様泣かせたら駄目でしょう」

 春夫は頬をふくらませて僕に怒った。ああ、ごめんよ。皆ごめん。千代さんは動揺して思わず言ってしまったんだろう。
 僕は馬鹿だ。自分のことだけで手一杯だったからって、こんなにも皆に心配かけて。
 情けない。
 その横を、駿がとことこと寄ってくる。

「とおたん、めっ」

 千代さんと僕の間に、ぽすんと小さな体が飛び込んだ。

「はい……ごめんなさい」

 春夫と秋成も首にぶら下がるやら手を引っ張るやら。

「養生しなきゃいけないのも、焦っても仕方がないのもわかってるんだ。だけど絵を描きたいのに描けなくて、苛々して落ち込んで……」

 子ども達の体の熱で、少しずつ僕の凍った心が溶けていく。
 本当にごめんよ、心配してくれてありがとう。

「僕みたいな絵を描きたいしか言わない、わがままな者と一緒になったから千代さんは苦労ばかりしている」
「そんな! そんなの心配しなくていいんです」
「僕なんていない方がいい、そう思ってたよ。僕は本当に甘ったれだ。千代さんに甘えるだけ甘えてしまっていたんだ」
「ミオさん、私は好きでここに居るんです。そんな風に言ったり、私のことを心配したりするよりも、ちゃんと体を治して絵を描いてください」

 こんな僕でも必要としてくれるのか?
 僕はここにいていいのか?
 僕は絵を描いていていいのか?

 僕の問いに千代さんは大きく頷いた。

「私が嫁いだのは、画家の菱田春草なんですよ」

 ああ、僕の心の中の月は千代さんと子ども達だ。西方浄土に行かなくとも仏はここにいるじゃないか。
 凍った心が溶けて、涙と一緒にこぼれていく。

 帰ってきてよかった。
 僕はここにいたい。
 ここで絵を描きたい。

 僕は、生きていたい。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

処理中です...