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扉の向こう側
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車内に揺られながら、カイルは一言も発さなかった。ただ、隣に座るエリナの手を、絶対に離さないという執念を感じさせる強さで、大きな両手で包み込んでいる。
「……カイル様、そんなに強く握ったら、せっかくのレースがシワになってしまいます……」
エリナが小さく困ったように笑うと、カイルはハッとしたようにわずかに力を抜いた。だが、その瞳に宿る鋭い光は消えない。
「……構わん。シワになったら、明日新しいものを何百枚でも買い与えてやる。だが今は、こうしていないと……私が私でいられなくなりそうだ」
「カイル様……」
正宮の車寄せに馬車が止まると、待ち構えていた侍従たちが一斉に膝をついた。扉が開かれ、カイルが先に降りてエリナへと手を差し出す。
馬車を一歩降りれば、そこはもう逃げ場のない「戦場」だった。
正宮の巨大な大理石の階段を上がる二人の姿を、遠巻きに見守る貴族たちの視線が突き刺さる。
「……おい、あれを見ろ。カイル殿下の隣にいるのは……」
「信じられん、あんなに美しい娘が、本当に例の『洗濯令嬢』なのか?」
ひそひそという耳障りな囁きが、カイルの神経を逆撫でにする。彼はエリナを自分の影に隠すようにして、周囲を射殺さんばかりの眼光で睨みつけた。
「エリナ、前を見るな。奴らの声も聞く必要はない。……私だけを感じていろ」
カイルはそう囁くと、エリナの腰を力強く引き寄せ、二人で今夜のメイン会場である大広間へと続く、重厚な扉の前に立った。
扉の向こうからは、何百人もの喧騒と、贅沢な音楽が漏れ聞こえてくる。
「準備はいいか、エリナ」
「……はい。カイル様がいらっしゃれば、私はどこへでも行けます」
その言葉を合図に、マルクが合図を送る。
仰々しいファンファーレと共に、巨大な扉が左右に開き、眩いばかりの光が二人を包み込んだ。
儀典官がカイルの姿を確認し、深く頭を下げてから、会場全体に響き渡る声でその名を告げた。
「第一王子、カイル・フォン・アスガルド殿下。ならびに、その婚約者――エリナ・フォン・アスガルド様、ご入場でございます!!」
その瞬間、扉が重厚な音を立てて開かれた。
会場を埋め尽くす何百人という貴族たちの視線が、一斉に二人へと突き刺さる。
カイルにエスコートされ、月光を纏ったような姿で現れたエリナ。その圧倒的な美しさと、体中から溢れ出す穏やかで清浄な魔力に、会場全体が水を打ったように静まり返った。
「……あれが、殿下が連れ帰ったという『聖女』か……」
「アスガルドの名字を賜っているということは、陛下も既に認められたのか」
驚愕と、嫉妬と、好奇の入り混じった囁き。
カイルはそれらをすべて「ゴミ」を見るような冷たい一瞥で黙らせると、エリナの腰を引き寄せ、守るようにして会場の中央へと進んでいく。
会場にいるのは味方ばかりではない。
カイルがエリナを「婚約者」としたことで、その座を狙っていた他国の王族や、権力に飢えた上位貴族たちが、ギラついた瞳で機会を伺っている。
「……エリナ。奴らの視線など気にするな。お前の価値を理解できない凡俗どもに、愛想を振りまく必要はない」
カイルの声は低く、周囲には聞こえないほど密やかだったが、その手はエリナの指を大切に包み込んでいた。
「……はい、カイル様。……皆様の視線は少し怖いですけど、私には、カイル様がいてくださいますから」
エリナが健気に微笑み、カイルの腕をそっと握り返す。
その瞬間、会場の入り口から、その厳かな空気を切り裂くような怒声が響き渡った。
「どけ! 私は第一王子の婚約者の父、ベルシュタイン伯爵だぞ!!」
「離しなさい! 殿下の隣にいるのは、私のアリシアであるはずよ!!」
会場中の視線が、一斉に入り口へと向く。
そこには、門番たちの制止を力ずくで振り切り、顔を真っ赤にして息を荒らげているベルシュタイン伯爵と、その妻、そして――ボロボロの扇子を握りしめ、憎悪に満ちた目でエリナを睨みつけるアリシアの姿があった。
「お父様……お母様……アリシアまで……」
エリナの体が、目に見えて震えだす。かつての地獄のような日々がフラッシュバックし、彼女の顔から血の気が引いていく。
「……エリナ、顔を上げろ。お前が下を向く必要など、どこにもない」
カイルの声は、氷点下まで凍りついていた。彼は震えるエリナの肩を抱き寄せ、冷酷なまでに静かな足取りで、騒ぎの主たちへと歩み寄る。
「……マルク。私は確かに、ベルシュタイン伯爵令嬢アリシアの『登城禁止』を命じたはずだが。この国の警備はどうなっている?」
「申し訳ありません、殿下。……どうやら、伯爵が古い招待状を偽造し、裏口の衛兵を金で買収したようです。……今すぐ、衛兵共々『処分』いたしますか?」
マルクの言葉に、伯爵は一瞬怯んだものの、周囲に他の貴族たちが大勢いるのをいいことに、大声で叫び始めた。
「殿下! 騙されてはいけません! そのエリナという娘は、我が家でも持て余していた無能な洗濯女です! 聖女などというペテンに惑わされず、正当な婚約者である我が娘アリシアを――」
「黙れ、下衆が」
カイルが短く言い放った瞬間、会場の空気が物理的に重く沈み込んだ。カイルから溢れ出した威圧的な魔力が、ベルシュタイン一家を床に這いつくばらせる。
「……ひっ、あ、ああ……」
「お前の娘を婚約者だと言った覚えはない。私が選んだのはエリナだ。……そして、今この場でお前たちに引導を渡してやろう」
カイルは這いつくばるアリシアの目の前で、エリナの手を高く掲げた。
「我が父、ゼノス王の認可のもと、エリナには既に『アスガルド』の名を与えてある。彼女はもう、貴様らのような腐った血筋とは無関係だ。……私の婚約者に無礼を働いた罪、その身と家門をもって償わせる」
「そんな……嘘よ……! 私の、私のはずだったのに……! エリナ、あんたのせいよ! あんたさえいなければ!!」
アリシアが狂ったように叫び、床に落ちていたグラスの破片を手に取ってエリナへ飛びかかろうとした。
だが、彼女が動くよりも早く。
カイルの背後に控えていたフェリクスが、退屈そうに指を鳴らした。
「おっと。聖女様に、そんな無作法な真似はさせないよ」
瞬時に展開された拘束魔法が、アリシアの体を空中で固定する。フェリクスは、宙で醜くもがくアリシアを冷ややかな目で見下ろした。
「君のような『場違いな女』が、指一本触れていい御方じゃないんだよ。分かるかな?」
魔法によって身動き一つ取れず、プライドもろとも宙に吊るされたアリシア。
今まで黙って震えていたエリナが、凛とした声を出した。
「お父様、お母様、そしてアリシア。……私は、あなたたちを許しません。私が受けた苦しみは、私が今日ここで、すべて断ち切ります」
「……カイル様、そんなに強く握ったら、せっかくのレースがシワになってしまいます……」
エリナが小さく困ったように笑うと、カイルはハッとしたようにわずかに力を抜いた。だが、その瞳に宿る鋭い光は消えない。
「……構わん。シワになったら、明日新しいものを何百枚でも買い与えてやる。だが今は、こうしていないと……私が私でいられなくなりそうだ」
「カイル様……」
正宮の車寄せに馬車が止まると、待ち構えていた侍従たちが一斉に膝をついた。扉が開かれ、カイルが先に降りてエリナへと手を差し出す。
馬車を一歩降りれば、そこはもう逃げ場のない「戦場」だった。
正宮の巨大な大理石の階段を上がる二人の姿を、遠巻きに見守る貴族たちの視線が突き刺さる。
「……おい、あれを見ろ。カイル殿下の隣にいるのは……」
「信じられん、あんなに美しい娘が、本当に例の『洗濯令嬢』なのか?」
ひそひそという耳障りな囁きが、カイルの神経を逆撫でにする。彼はエリナを自分の影に隠すようにして、周囲を射殺さんばかりの眼光で睨みつけた。
「エリナ、前を見るな。奴らの声も聞く必要はない。……私だけを感じていろ」
カイルはそう囁くと、エリナの腰を力強く引き寄せ、二人で今夜のメイン会場である大広間へと続く、重厚な扉の前に立った。
扉の向こうからは、何百人もの喧騒と、贅沢な音楽が漏れ聞こえてくる。
「準備はいいか、エリナ」
「……はい。カイル様がいらっしゃれば、私はどこへでも行けます」
その言葉を合図に、マルクが合図を送る。
仰々しいファンファーレと共に、巨大な扉が左右に開き、眩いばかりの光が二人を包み込んだ。
儀典官がカイルの姿を確認し、深く頭を下げてから、会場全体に響き渡る声でその名を告げた。
「第一王子、カイル・フォン・アスガルド殿下。ならびに、その婚約者――エリナ・フォン・アスガルド様、ご入場でございます!!」
その瞬間、扉が重厚な音を立てて開かれた。
会場を埋め尽くす何百人という貴族たちの視線が、一斉に二人へと突き刺さる。
カイルにエスコートされ、月光を纏ったような姿で現れたエリナ。その圧倒的な美しさと、体中から溢れ出す穏やかで清浄な魔力に、会場全体が水を打ったように静まり返った。
「……あれが、殿下が連れ帰ったという『聖女』か……」
「アスガルドの名字を賜っているということは、陛下も既に認められたのか」
驚愕と、嫉妬と、好奇の入り混じった囁き。
カイルはそれらをすべて「ゴミ」を見るような冷たい一瞥で黙らせると、エリナの腰を引き寄せ、守るようにして会場の中央へと進んでいく。
会場にいるのは味方ばかりではない。
カイルがエリナを「婚約者」としたことで、その座を狙っていた他国の王族や、権力に飢えた上位貴族たちが、ギラついた瞳で機会を伺っている。
「……エリナ。奴らの視線など気にするな。お前の価値を理解できない凡俗どもに、愛想を振りまく必要はない」
カイルの声は低く、周囲には聞こえないほど密やかだったが、その手はエリナの指を大切に包み込んでいた。
「……はい、カイル様。……皆様の視線は少し怖いですけど、私には、カイル様がいてくださいますから」
エリナが健気に微笑み、カイルの腕をそっと握り返す。
その瞬間、会場の入り口から、その厳かな空気を切り裂くような怒声が響き渡った。
「どけ! 私は第一王子の婚約者の父、ベルシュタイン伯爵だぞ!!」
「離しなさい! 殿下の隣にいるのは、私のアリシアであるはずよ!!」
会場中の視線が、一斉に入り口へと向く。
そこには、門番たちの制止を力ずくで振り切り、顔を真っ赤にして息を荒らげているベルシュタイン伯爵と、その妻、そして――ボロボロの扇子を握りしめ、憎悪に満ちた目でエリナを睨みつけるアリシアの姿があった。
「お父様……お母様……アリシアまで……」
エリナの体が、目に見えて震えだす。かつての地獄のような日々がフラッシュバックし、彼女の顔から血の気が引いていく。
「……エリナ、顔を上げろ。お前が下を向く必要など、どこにもない」
カイルの声は、氷点下まで凍りついていた。彼は震えるエリナの肩を抱き寄せ、冷酷なまでに静かな足取りで、騒ぎの主たちへと歩み寄る。
「……マルク。私は確かに、ベルシュタイン伯爵令嬢アリシアの『登城禁止』を命じたはずだが。この国の警備はどうなっている?」
「申し訳ありません、殿下。……どうやら、伯爵が古い招待状を偽造し、裏口の衛兵を金で買収したようです。……今すぐ、衛兵共々『処分』いたしますか?」
マルクの言葉に、伯爵は一瞬怯んだものの、周囲に他の貴族たちが大勢いるのをいいことに、大声で叫び始めた。
「殿下! 騙されてはいけません! そのエリナという娘は、我が家でも持て余していた無能な洗濯女です! 聖女などというペテンに惑わされず、正当な婚約者である我が娘アリシアを――」
「黙れ、下衆が」
カイルが短く言い放った瞬間、会場の空気が物理的に重く沈み込んだ。カイルから溢れ出した威圧的な魔力が、ベルシュタイン一家を床に這いつくばらせる。
「……ひっ、あ、ああ……」
「お前の娘を婚約者だと言った覚えはない。私が選んだのはエリナだ。……そして、今この場でお前たちに引導を渡してやろう」
カイルは這いつくばるアリシアの目の前で、エリナの手を高く掲げた。
「我が父、ゼノス王の認可のもと、エリナには既に『アスガルド』の名を与えてある。彼女はもう、貴様らのような腐った血筋とは無関係だ。……私の婚約者に無礼を働いた罪、その身と家門をもって償わせる」
「そんな……嘘よ……! 私の、私のはずだったのに……! エリナ、あんたのせいよ! あんたさえいなければ!!」
アリシアが狂ったように叫び、床に落ちていたグラスの破片を手に取ってエリナへ飛びかかろうとした。
だが、彼女が動くよりも早く。
カイルの背後に控えていたフェリクスが、退屈そうに指を鳴らした。
「おっと。聖女様に、そんな無作法な真似はさせないよ」
瞬時に展開された拘束魔法が、アリシアの体を空中で固定する。フェリクスは、宙で醜くもがくアリシアを冷ややかな目で見下ろした。
「君のような『場違いな女』が、指一本触れていい御方じゃないんだよ。分かるかな?」
魔法によって身動き一つ取れず、プライドもろとも宙に吊るされたアリシア。
今まで黙って震えていたエリナが、凛とした声を出した。
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